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5-9 ネリとエンリ

 ヨール王二三年五月二四日(日)。


 今日はネリにインプラントを入れる日だ。待ち合わせは工房で〇七三〇M。「一と二の鐘の中間あたり」という曖昧な目標でしかないが、それでも毎日体感で時刻を測っているここの人達の時間感覚は、時計に頼りっぱなしのオレよりもかなり正確であるような気がしている。


 ほぼ約束の時刻に、ネリはエンリも伴って工房にやってきた。まずは「おはよう」の挨拶から。次は天候の話題。紳士だな。オレは。


「ちょっと天気が悪いな。今日はエンリも一緒に来るつもり?。」

「ええ。お願いします。いいですか?。昨日、ネリ様に頼まれちゃいました。」


 エンリがマーリン7の機密を漏らさないようにするため、彼女が誰かと会話した内容はインプラント経由で常時ニムエがモニタしている。昨日ネリがエンリに同行を頼んだというのも、AI達は聞いていたはずだが、オレには知らされていなかった。オレを驚かせようとしたのか?。まあいい。準備なしでも対応可能な範囲だ。


 エンリが関わっているものも含めて、領主館内では「虫」達が会話を集め続けている。緊急に対応する必要がないと判断された内容は分解されて、文法と語彙のデータベースに送られる。内容が役所言葉に偏りすぎているかもしれない、というのは、やや懸念している。


「エンリが来ること、別に構わないよ。お茶もお菓子も、まだ沢山あるし。」


 エンリのインプラントも七日目になっている。彼女に渡してあるペンダントから送られてきているインプラントの成長や定着の度合いに関する数値群は想定されている範囲を外れてはいないが、一度タンクでスキャンして、インプラントによる自己申告の精度を確認しておくのもいいだろう。


「じゃあ行こう。乗ってくれ。」


 ダイアナが二人のシートベルトを確認する。以後、基本は先週の手順の繰り返しとエンリの状態の確認だ。今日も「休日だから」ヨークが来ている。また先週と同じような軽口の会話を経てマーリン7に着いた。


 バギーを係留するために船上で待っていたエリスがネリとエンリにゴーグルを渡した。エンリが聞く。


「私もですか?。」

「念のためよ。色々確認しておきたいから。」


 エリスが答えた。ゴーグルとインプラント。今の時点では同じ情報源から得た情報を同じ編集過程にかけてから同じ内容を表示しているはずだが、それでも微妙な差異は出る。実用上の支障はないはずだが、キャリブレーションか?。


『ネリを緊張させないように同じにしただけよ。』


 αからだ。細かいことをオレは気にしすぎているのか。まあ、いい。


「二人とも、『危ないものは』って、ちゃんと見えてる?。」


 二人が肯定し、エアロックに進む。


「先にエンリとダイアナで降りてくれ。ダイアナ、今日はルームBだったよな。」

「ええ。先にエンリとルームBに行っておきますね。」


 エンリとダイアナがエアロックに入る様子をネリはしげしげと見ている。梯子を降りなければならない、ということなど、少しだけでも前知識は得たいだろう。


「上を一旦閉めます。」


 エアロックの中からダイアナが言った。


「OK。先に行ってて。」


 ダイアナの操作でエアロックの上部ハッチが閉じる。ハッチ脇の状態表示が「使用中」に変わった。出入両方の扉が閉じていて、中に誰かがいる、という表示だ。十秒ほどだろうか、待っているうちに表示は「船内扉開放中」を経て「空室」になった。改めて、上部ハッチを開くスイッチを押す。


「ショー殿。入ろうか。」


 エンリの時と同じく、エアロックに入ってからの扉の開閉はネリにやらせてみた。照明についてのやりとりはエンリの時と大差なく始まったが、ネリは何がどうやって光っているのかも知りたがった。


「蝋燭でなくてこんなに明るいのは、ええと、例えば昼の間に書き物の仕事が終われなかった時に、蝋燭だけでは暗くて、仕方なく次の日にしたことがありますけど、領主館にこれがあると仕事が捗りそうです。」


 領主館での仕事を始めてから日が浅く、しかも働き始めた時期がが昼の時間の長い季節に入ってからだったエンリからは出てこなかった感想だ。仕事熱心なのはいいが、これは話し始めると長くなる種類の話題だと思う。歩きながら答える。


「何が光っているのかは、そのうちに教えるよ。でも、夜になっても仕事ができる、というのは、夜になっても仕事をしなくちゃいけない、ということにつながりやすい。それは気を付けた方がいいんだ。領主館でショー殿が字を書くのも、職人が工房で木を切ったり削ったりするのも明るい方がいいのは間違いないけど、簡単に明るくできてしまうと毎日六や七の鐘まで働けてしまう。時々ならいいけど、毎日がそうなったら病気になる人もいるんだ。休む時間は、ちゃんと作っておくべきだよ。」

「聞いた話ですけど、見たことはないですけど、山から金とかを掘る仕事の人達は、夜昼関係なく働いて、大抵は働き始めて十二年経たずに死んじゃうそうです。そう言う話ですか?。」

「金を掘るのは、カースンでの話?。」

「ええ。ネゲイにそんな場所はないですけど、ヨーロイで金が掘れるそうです。」

「金を掘ってる人達が長生きできないとしたら、その仕事は代々親子で引き継ぐとか弟子が引き継ぐとか、そういうのが難しそうな気がするけど、どうしてるの?。」

「そういう所では何か悪いことをした人が働いているって聞いてますよ。エンティ王妃の従者とか。」


 またエンティ王妃か。イヤ、今話に出たのはその取り巻きか。エンティ王妃の関係は、ネタに事欠かないな。有罪となった悪人を環境の悪い場所で働かせるのは、地球人類史でも例がある。「サドの五年は辛いぞう。」という台詞を思い出した。これは何で見たんだっけ?。


「金を掘るような場所では普通の人達が働く場所より厳しいだろうと思うよ。で、そこの人達が長生きできないのは、夜昼ないのも理由の一つだと思うけど。」



 話をしながらセカンド・クォータに続くエアロックを抜けてルームBに着く。ここで鉱山の話は一旦打ち切りだ。鉱業の話も興味はあるからまた機会があれば聞こう。ルームBではエンリとダイアナが簡易椅子で待っていた。


「ショー殿は、ここだ。邪魔だろうから剣帯は外してそこのテーブルにでも置けばいい。」


 室内で一番立派な椅子、耐G用の椅子にネリを座らせる。


「この椅子はいいですね。」


 剣帯を外して座り心地を確かめたネリが嬉しそうに言った。


「この船の中、大抵の部屋にはあるよ。硬さ、というか、柔らかさも調整できるんだ。」


「これから体の状態の聞き取りから始めるから、その間にゆっくりと、少しずつでいいからこれを飲んで。」


 ダイアナは先週のアンと同じ言葉で問診を始める。


「まず基本的な情報の確認ね。名前と年齢は?。」

「ネリ・ショー。十七歳。」

「今までに大きな怪我や病気になったことはある?。」

「特に覚えてるほど大きなものはなかったと思います。」


 質問は同じでも回答はエンリの時と同じにはならない。回答に応じてエンリの時とは少し質問が出てくる。数分で、ネリの顔に眠気が現れた。


「眠くなってきたわね。楽にして、椅子にもたれてね。」

「はい。」


 ネリは空になったカップをエリスに預けて目を閉じた。ダイアナが言う。


「あとは、私とエリスでやります。マコトとエンリには、ルームCでアンが待ってますよ。」



 ネリ達を残してエンリとルームCに移ると、室内にはアンとベティが待っていた。エンリに入れたインプラントの状況の確認もするし、こういう機会があれば聞いておきたかった質問リストもある。特にウーダベーに関しては、ゴールにその言葉を教えられて以来、その言葉が会話に登場したこともないし、明らかにそれだと判断できる事象にも遭遇していない。怪しいのはヒーチャン達がが街道補修をしていた時だ。誰かが、虫の粘液を加熱していた可能性がある。しかし情報が少なすぎるし聞いていい話題なのかどうかもわからない。だから今のところは「火」を見せてくれたエンリにしか聞けない。色々話をしてネリが目を覚ますまでに時間が余れば、船内で安全な部分の案内をしてもいい。だがまずは、検診だな。アンが言った。


「エンリ、先週あなたに入れた道具の確認をしましょう。もう、そのゴーグルは外していいわ。ゴーグルの見え方で変なところはなかった?。」


 エンリはゴーグルを外してアンに手渡しながら答える。


「揺れた時に赤い印がずれて見えるとかはありましたけど、それだけですね。あと、時刻がわかりやすくなりました。」


 エンリも右下の円形表示が時刻であることに気付いていたようだ。誰でも思いつくレベルのものだとは思うが、すぐにわかってもらえたことで、ちょっと誇らしい。アンが言う。


「あれはマコトが考えたのよ。もし欲しかったら、ゴーグルなしでも見られるようにするけど、どう?。」

「そうですね。試してみたいですけど……、人に自慢したくなっちゃら、困りますね。」

「じゃあ、今はやめておいて、またそのうちに欲しくなったら言ってね。で、次、道具を入れる前と後で、何か変わったとか感じたことがあれば教えてくれる?。なんでもいいわ。『気分がいい』とか『頭痛がした』とか本当に何でもいいから。」


 エンリは考えながら答える。


「朝起きるときに、すっきりと起きられるようになった気がしてます。それから……、体調は、全般にいいです。前と比べたらっていうとわかりにくいですけど、頭痛とか、気分が悪いとか、そういうのは、まだ感じてません。」

「『危ないものに赤』みたいに何か普段と違うものが見えたことはある?。見えるだけでなくて、聞くことや味、匂い、何か触った感じとかも含めて。」

「『赤』みたいなのは見えてないです。聞く方は、これもわかりませんね。触った感じというか、風を感じやすくなってる気はしてます。でもこれは道具のせいじゃなくて、この前ここで体中の汚れを落としたからじゃないかと思ってます。でも風を感じる方は、慣れたのか、また汚れが元に戻ってきているのか、最初の時しか感じにくくなってると思います。」


 エンリのインプラントの成長は、オレが事故でインプラントの移植を受けなければならなくなった時の設定を一部修正したものに近い。この設定は類例も多い。第一優先は体調を把握して、異常があれば外部に警報となる信号を出すことだ。インプラントがほぼ成長を終えて定着した後なら五感全てを鋭敏にすることもできる。やりすぎると刺激過多で脳が疲れてしまうので、そこは調整が必要だが。このあたりのステップは次の段階で、エンリのインプラントはまだ成長と定着を優先させている。


 オレの時のように専用設備に囲まれた病室で過ごしているわけではないので急激な成長促進は避けていて、五感については、今はさほど変化していない、はず。「風を感じやすくなった」ことも彼女の推測のとおり、皮膚表面の脂や垢が除去されたためと思われる。


 「朝がすっきり」はこちらで操作したものではない。寄生生物としてのインプラントの働きの一つで、宿主の健康を維持することで自身の生存確率を上げようとした結果だ。


 アンはまた幾つか質問し、エンリも毎回考えながら真剣に自分の状態を答える。聞いている範囲でエンリのインプラントは、今の時点では異常な働きはしていないようだ。用意していた質問項目を全て聞き終えたアンが言う。


「次はまたタンクに入って貰える?。服装は今のままで。靴だけは脱いで貰いましょうか。」


 エンリがタンクに入る。適当に寝転んだだけなので、ベティが身体の位置を微調整した。


「エンリ、すぐに終わるから、そのまま動かないでね。ゆっくり息をしながらそのまま待ってて。」


 アンの言葉でベティがタンクのハッチを閉じる。ほどなく、オレのインプラントにもエンリのスキャンデータが送られてきた。先週エンリがタンク内で目覚める直前の状態と現在の状態、そして事前設定されていたインプラント成長の七日目における上下限。エンリのインプラントの成長度合いは、想定していた上下限には収まっている。中間値よりは少し下のようだ。だがこれなら、許容誤差だな。αが音声を使わずにオレに伝えてきた。


『地球文化圏とここでは食べるものが少し違うから、もしかすると、タンパク質の摂取量が足りないかもしれないわね。血液検査でもその傾向はあったけど、まだ統計判断するほどサンプルはないし、すぐに困るような数字でもないわ。正常範囲内よ。』

『正常範囲に収まっててよかったよ。ヤーラ359-1での最初の被験者だしね。』

『遺伝的に地球人類とほぼ同じ、と、わかってたからできたのよ。全然未知の生化学を相手にしてたら、こううまくは進めなかったと思うわ。』

『全然未知の生化学を相手にしてたら、結婚話も出てなかったと思うけどね。』

『まあ、そうよね。そろそろ、五感の強化とか、反復練習の効率を向上させるとか、そんなこともできると思うけど。』

『次にやるのは、まずは反復の方からかな。そのことはエンリもに話をしたし。五感は、その次でいいと思う。必要がありそうなところだけね。』

『わかったわ。そのように、設定を変えておきます。』


 十分ほどで、エンリがタンクから出てきた。履きやすいようにベティが靴をそろえる。


「ありがとうございます。」

「こんなの誰でもすることですよ。」


 ベティの回答は、領主館でオレがバースと初めて会見した時のやりとりにも含まれていた。その時はエンリは同席していなかった。冗談を含んでの発言か、会話ルーチンが偶然同じ内容を回答させたのかは、よくわからないな。まあ、エンリに関して最低限やっておくべきインプラントの確認は、「正常」で推移しているらしいから気にせずにいよう。一応、言葉にも出しておく。


「ベティ、タンクで見た数字に変なところとかなかった?。」

「大丈夫。エンリ、変な具合もなく進んでるから安心してね。」


 健康診断が終わったら、次は色々聞きたかったことの確認タイムだ。まだ〇九〇〇Mにもなっていない。


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