5-8 ネリへの説明
ヨール王二三年五月二二日(金)。
午後はベンジーに行く。そろそろ数学基礎も話題が尽きつつある。次は、歴史かな?。あちこちで引用されるエンティ王妃のことも、まとめて聞いておきたい。
四の鐘を過ぎて工房へ。ネリと会うのはオレが紙の試作などに使っている部屋で、と思っていたのだが、改めて室内を見渡すと、明かり取りの窓から覗き見られやすい構造だ。エンリの時と同じ池脇の方がいいかもしれない。
場所は変えることにして、ベティも一緒にマーリン7へ戻った。採血などの道具類を入れたコンテナを受け取り、コンテナとベティを池脇の漁師小屋に残してオレはまた工房へ。ベティには小屋の中の掃除を頼んである。工房よりは面積も狭いから、準備完了が遅れることもないだろう。
一六二〇M頃、ネリが工房に着いた。
「マコト殿。来ました。よろしくお願いします。何から始めるんですか?。」
「ショー殿。よく来てくれた。悪いけど準備の都合でね、場所は池の横の漁師小屋に変えるよ。今からバギーで連れて行く。帰りも送るから。」
ネリを乗せて漁師小屋に着いた。ここからは、先週のエンリの時と同じ流れを基本とする。ネリに椅子を勧め、情報ゴーグルを試させる。一旦オレが着けてみて、そのあとネリに手渡す流れは同じだ。エンリの時とは違っている点もあった。視界右下の時刻表示部分を円グラフに替え、今が四と五の鐘の間の時間帯であることがわかるようにしていたのだ。円の回りには数字も並べてある。二四時間制文字盤で短針一本だけのアナログ時計のようなものだ。
「右下に丸い模様が見えてます。いつもと違って見えるのはそこだけです。これは……、もしかして、今は四と五の鐘の間、ってことですか?。」
「そうだよ。これはエンリに試してもらった後で思いついて追加してみたんだ。」
「じゃあ、これは私が最初?。」
「そうだ。ネゲイで生まれ育った人にも一目でわかってもらえてよかった。」
「エンリにちょっと負けてる気がしてたから、最初なのは嬉しいです。」
「まあ、そのうちにエンリにも教えるだろうし、二人には、もし使いたかったら、これをずっと使えるようにしてもいいと思ってる。」
「マコト殿は使っているのですか?。」
「同じものじゃないけどね。今がいつなのか、どの鐘の間の時刻なのは、わかる。」
「誰かと約束したときとか、色々使い道がありそうです。」
「鐘を鳴らしてるベンジーの仕事を盗ってしまうことにならないようには、したいと思ってるから、ネゲイの人全員というわけにもいかないとは思うけどね。」
「でも船からも鐘の音じゃないけど音を出してますよね。」
「日替わりでここに来てる領主館の誰かと話してる時に『欲しい』って言われたんだ。風向き次第でベンジーからの音が聞こえないことがあるって。ベンジーでも私がそういうことをやってるのは多分知ってるとは思うけど、ここだとベンジーからの鐘が届かない場合があることも知ってるからか、苦情は出てないよ。」
「そうですね。できることのうちどこまで手を広げるか、私も最近考えることが増えてます。」
時計の話はこのあたりで終えて、次に進もう。
「次だ。私の方を見ててくれ。」
オレは立ち上がって一回ぐるりと回ってみせる。
「見えてるものに変わったところは?。」
「赤いものが見えました。ええと……。」
ネリはあちこちを見回す。ベティもオレと同じように一回ぐるりと回ってみせる。
「多分ですけど、刃物が赤く見えてるんですか?。」
「刃物だけじゃなくて、怪我の元になりそうなもの、自分だけでなくて、誰かに怪我をさせそうなものを教えられるようになっているんだ。赤になっているものには、触ってはいけない。触らなければならない場合は慎重に。そういう意味だよ。」
「ああ。これを使えば船に入っても危ないところを触らずに済みそうです。船ではずっとこれを使うってことですか?。」
「ちょっと違うかな。船でこれを使うだけじゃあ、もう一つのこと、見たことを外では話さない、というのはできないからね。」
「約束はできますよ。」
「イヤ、『うっかり話したことを人に聞かれる』ということも、あるだろ?。そうならないようにしたいんだ。」
「それはどうするんですか?。」
今度は左腕の話だ。エンリの時と同じように、指が動くことを示して、次いで、左腕を外してテーブルに置く。
「知りませんでした。見分けがつかないですね。初めて見ます。」
オレはまたベティの補助で腕を元に戻しながら、話を続ける。
「この作り物の腕を動かすために、私の体の中にはさっき見てもらった『危ないものを赤』というようなことが沢山できる道具が入ってる。この道具は『腕を動かす』とか、さっき見てもらったような『赤で』とかの他に、言ってはいけないことを言おうとしたら口の動きを止める、やるべきでないことをやろうとしたら体の動きを止める、そんなことができる。」
「それを使うようにしないと船には入れない。エンリはもうそれを使ってる、ということですか?。その道具は、体の中ですか。どうやって入れるんですか?。」
「少し切って、埋め込む。痛みは、エンリの時もそうだったけど、ほとんどないはずだよ。エンリにも同じ話をしたけど、感じとしては、お茶を一杯飲むくらいの時間で収まって、だけどその道具を入れてから最小限度の使い方ができるようになるまでは、多分朝から夕方までかかる。その間は眠っていてもらうから、時間はわからない。エンリの外観が少し変わったのは、その眠っている間にベティ達が頑張りすぎた結果だよ。気合いを入れて磨きすぎた。」
ネリはベティを見た。
「その部分は、私もよろしくお願いしますね。」
「ええ。私達も楽しみですよ。エンリの時には試せなかった方法もあるんです。」
「試せなかった方法?。」
「例えば小さい傷を隠すだけでも、色を塗る、そこの色を変える、内側から手を入れて傷そのものを消してしまう、色んな方法がありますから。」
「ええと、それじゃあ私の場合は……。」
「頑張りすぎたらまた石鹸みたいな話になりかねないから、ちょっとずつにしてくれよ。」
話が大きくなりすぎないよう、釘を刺しておく。美容整形にまで話が広がったら属人性が高すぎてフォローしきれない。あと、話しておくのは……。
「この道具を使うようになったら、船の中のあちこちに書かれてる私の生まれた場所の言葉も読めるようになる。危ないものを赤くは見せるけど、なぜ危ないかも書かれてるから、読めるようになっておいた方がいい。」
「いいことだらけじゃないですか。その道具を、使ってみたいです。」
基本部分は了解を得られた。次に採血の話をしなければ何らない。
「道具を準備するために、ショー殿の血を少しもらう。」
「血?。体の中の?。」
「そうだ。風邪を引きやすいとか、そういう体の性質の違いを知っておいて、道具はそれに合うように調整してから入れた方が、馴染むのが早い。まず、私が見本を見せるから、その後同じようにして欲しい。」
「切るんですか?。」
「イヤ、傷口も痛みも、大したことにはならないよ。」
前回と同じようにベティがオレの右腕から採血した。オレのサンプルがコンテナに戻されると、ネリもおそるおそる右腕を差し出す。
「右でも左でもいいんですか?。」
「利き腕じゃない方がいいわ。あまりないけど、痛みがなかなか取れないことがあるの。マコトは左があんなだから右からだけど。」
ベティの回答を聞き、少し考えたネリは、改めて左腕を差し出した。




