5-7 石鹸
ヨール王二三年五月二一日(木)。
塊で作った石鹸も、翌二一日朝には準備できていた。ミラが見せてくれていた石鹸用の型枠とほぼ同じサイズ、地球文化圏で使われているのとも大体同じ、掌に載せられる直方体だ。丸みを付けるとか刻印を入れるのは量産が始まるまでには手を付けようと思うが、製造担当になるだろうミラの意見も聞かなければ。
昨日のノルンは公衆浴場には行っていなかった。一昨日に行ったばかりだったし、昨日の午前中には「実験」ですっきりしていたからだ。オレが冗談で「次の試作品までは頭を洗うな」と言ったのもあるだろう。今日のノルンを被検体にした実験は、「髪を洗った翌日はどのくらい汚れが戻っているか」だ。
ノルンの二回目の洗髪は、石鹸を付けるとすぐに泡だらけになった。頭皮からの油脂の供給が少ないので泡は消えない。これは問題ないな。シャンプーを使った翌日は、まだほとんど皮脂は溜まっていない。OK。
ノルンは最初にシャンプーを使っているが、最初に石鹸を使った場合の実験もしておきたい。昨日もそうだったが工房の窓からオレ達を見ていた見習の一人、ザースを呼び出す。ザースはブングの店から移ってきた十代後半の少年で、見習達のまとめ役もやっている。ブング曰く「板の切り出しとかがウチで二番目に上手い」そうだ。「一番上手いヤツを出そうと思ったら店の主人がいなくなるからな。」と。
「ザース、やってみたそうな顔をしてるな。こっちへ来い!。」
昨日から窓越しににオレ達の様子を見ていたザースは手順に戸惑うこともなく、ノルンと同じようにして、石鹸で頭を洗い終えた。ザースの場合も、三回目のすすぎで溜まった汚れを洗い落とし終えている。シャンプーも石鹸も、全く同じではないが同等の性能となるよう調整してあったから、洗髪初回は、男の場合は三回が標準と考えてよさそうだ。
「どんな感じだ?。」
「昨日のノルン師匠が言ってた意味がよくわかります。顔も、頭の皮も、なんか風が、いままでよりよくわかるようになった感じです。」
「よし。だいたい、私が思ってたとおりの感じに仕上がったみたいだな。」
「マコト様、これもここの工房で作るんですか?。」
「そのあたりはノルンとも一緒に考えてるよ。これにも手を出したら、ちょっと手を広げすぎてる気もするからね。」
「ええ。建物がもう一つ?、とか、考えてしまってました。」
「今はまだ何ができるかを考えてるところで、進め方は、決まってないよ。ザースに『明日からこれを』とかも言わないから、今は木工の方に戻ってくれ。」
「わかりました。」
ザースは仕事に戻る。ノルンがオレに言う。
「一昨日に行ったばかりですけど、試作品もできてますから、また領主館で進み具合とかを話しておくのはどうでしょう。」
「ああ。今日か明日あたりかなとは思ってた。今から行こうか。もしヨーサ様達と会えなくても、マリスの店にも進み具合は伝えておきたいし。」
領主館でヨーサに面会を求めた。ドーラとネリ、エンリも集まる。
エンリのインプラントはそろそろ三昼夜になる。αの制禦でゆっくりと成長中。これが早すぎると発熱とかの体調不良につながる。いまは状況モニタと機密漏洩チェックしかしていない。体調不良の報せも、受けていない。
皆が集まったところで、一昨日にマリスの店で別れてからの進捗を説明した。既に試作品を三人に試していることについて、ヨーサは「自分が一番に試したかったのに」と不満を漏らす。
「それはご容赦下さい。身分のある方に使う前に、効き過ぎて肌荒れにならないかとか、試しておかないといけませんから。」
「まあ、わかりますよ。でも、試してみたいのは本当ですからね。」
「ええ。それでですね、『肌荒れ』とかの心配もなさそうだったので、領主館の皆さんで試していただければと。」
アンがコンテナから試作品を取り出してテーブルに並べた。ドーラが言う。
「塊じゃあないのもあるのね」
「最初に作ったものです。マリスの店でも話をしたんですが……。」
蠟板を取り出して、マリスの店で見た「アラジンのランプ」の絵を描く。
「こういうものに入れて使うのがよさそうだと。」
「なるほどね。でも最近使った覚えがないわね。ええと、ネゲイに来てから?。」
「そうね。私もネゲイに来てから?。見た覚えは、あ、ベンジーで見たわ。領主館にも、多分あるとは思うけど……。」
ドーラ、バーサは共に戸惑っている。バーサが部屋の隅に控えていたジョーに声をかけた。
「ジョー、あなたここでこんなの見たことはある?。」
蠟板を見せられたジョーが答えた。
「申し訳ありません。ここ、領主館では覚えがないです。ええと、ベンジーでしたか、多分ベンジーで見たことがある気がします。ここの中なら、もしかしたらミナルが知ってるかもしれませんが、聞いて参りましょうか?。」
「そうね、マコト殿、この蠟板、借りていいかしら。ミナルのところに持って行ってもらいたいから。あと、マコト殿は絵も巧いのね。知らなかったわ」
絵はインプラントが筋肉を動かしているだけなので、写実的なものなら多分ネゲイで一番巧いと思う。ベンジーで見た絵もそうだったが、立体的な絵を描く技法は、まだ普及していないようだし。が、今はそれはどうでもいい。蠟板をミナルに見せることにオレが頷くと、ジョーは蠟板を持って小走りに部屋を出て行った。で、「お試し」の話の続きだ。
「少し話が逸れましたが、ここの方達で試していただいて、不都合なところがないかとか、お話を伺いたい。」
「その、液体の方は使ったことがないから、使い方を教えていただかないと。」
予想した流れではある。
「ええ。ここの大浴場で、何人か、今から、使い方を説明しながら洗ってみればと考えています。どうでしょうか?。今の格好のまま、着替えていただかなくても結構ですよ。」
「それならまず、私とヨーサ様ね。あと何人かは、来た顔ぶれを見てから決めればいいわ。ネリ、手が空いてる侍女を何人か、浴場に来るよう言ってきてくれないかしら。ゴールやバース様には私が声をかけておく。とか、ミナルも来てもらっていいと思う。」
ゾロゾロと浴室に移動して準備を始める。椅子は備え付けのものを使う。浴室内は大窓を開放していて明るかった。使用中は湿気が籠もるので、日中はこうやって風通しよく乾燥させるのだろう。アンがコンテナから防水布を含めて必要なもの一式を取り出して並べる。ここなら床に水を流しても構わないので、昨日マリスの店でやったのと同じ手順で進めようと思う。
ここでも鏡の量産の話が出かけたが、「今は髪ですよ。」と話題を変えさせた。土壌に珪砂などガラスの材料に使える物が含まれていることは確認済みだが、それを集める方法と、炉をどうするか、課題となる点は整理しておこうと思う。
浴室内は狭かったので、洗われる人、洗う係(今日はアンが務める)、説明役のオレ以外に、見学者は一度に三人ほどしか入れない。窓の位置はやや高い場所なので、室外からの見学はできなかった。領主館でのデモンストレーションは、説明を受ける人も増えそうだったから外でやることも考えたのだが、プライベートな行為でもある髪を洗う様子を、どのくらい衆目に曝していいものか判断できなかったのだ。
見学者を入れ替えながら洗髪デモを合計四回繰り返した。ヨーサ、ドーラの他、ジョーとゾーラもさっぱりとなった。ランプは領主館にもあった。一回目、ヨーサの髪を洗うところを見ていたミナルが探してきてくれたのだ。おかげで、三人目の被験者となったジョーの時からランプを使うことができるようになった。
船にも試作シャンプーの予備はあるので、今日持ち込んだ試作品は全て領主館に置いてきた。使い心地のほか、個人宅ではない場所で盗まれない方法の検討も含めて、試してもらうことになる。
試作シャンプーの使い方説明で三人目以降の追加人数を洗うことになったとき、ネリにも声はかけたのだが、「試作品ではなくて、エンリと同じ道具とやり方でお願いします」と、断られた。正妻予定者である彼女なりの矜恃もあるのだろう。このことについて、浴室内での説明が終わってからネリとも話をした。
「試作品を見て今日試すかどうかはちょっと迷ったんですが、船に招いていただくことは、エンリを見たときから決めてはいました。」
「じゃあ、早いほうがいいかな?。」
「そうですね。エンリは朝から行って夕方でしたよね。」
「その間ずっと髪を洗ってたわけじゃないよ。」
「わかってます。『船』の中も見せてもらってるんですよね?。」
「それも全部じゃないけどね。」
「あの、なんか、エンリを見てから焦っちゃったというのか、早く私も、船を見せていただきたいです。」
αから助けが来た。
『エンリと、丁度一週ずらしたスケジュールでいいんじゃないかしら?。提案してみたら?。』
早い時期で実行するなら、そのくらいでいいだろうと思う。
「エンリにも、詳しいことはしゃべってくれるな、って頼んであるからショー殿は聞いていないかもしれないが、まず、入る前の準備がいるんだ。今日でも明日でも明後日でも、説明などなどだな。今はその準備に必要なものを持ってきていないから、できない。明後日までのどこか、池の横の小屋で、私とショー殿とベティか誰か、三人で会う。時間は作れる?。ショー殿の都合に合わせよう。ああ、池の横でなくて、工房でもいいかもしれない。それも、ショー殿の都合次第だな。」
ネリは少し考えてから答えた。
「明日の夕方、仕事を早めに終えて工房へ行きます。」
「わかった。明日の夕方、準備して待ってるよ。」
急遽始まった石鹸とシャンプーの試作は一段落したので、このことについては何か新しいことを思いつくか、領主館からのモニタ報告、いわゆる「消費者様からの貴重なご意見」が届くまでは封印だ。ちょっと手が止まってしまった紙も、手順を清書するだけ、という状態に近い。ここまで基礎を作れば、後は職人を育てるだけのようなものになってきている。基礎を教え込まれた職人達は、材料の選別や濃度、器具類の使いやすさなど、勝手に改良に取りかかるだろう。
この数週間取りかかっていた紙、この数日取りかかっていた石鹸の両方で手が空いてきたところに鏡の量産の話題が出てしまったから、昨日は昼過ぎに領主館を出たあと、まずはガラスのための石英や珪砂が取りやすそうな場所を探して動き回っていた。どこにでもある材料ではあるが、オレ以外の人間でも効率よく採取できるような場所がなければ、作り方を教えてもあとが続かない。鏡として使うには貼り付ける銀とか錫が必要だ。錫は、食器に使われているのを見たことがある。銀や錫をガラスに貼り付けるには、蒸着が使えないネゲイではどうすればいいのか?。過去の地球では水銀アマルガム法を使っていた時代もあったらしいが、あまり使いたくない材料だ。膠とか、小麦から作った糊でも代用できるだろうか?。あるいは、ネゲイ近辺の植物から採れる粘液とか、大ムカデ系統の虫が出す粘液とか?。このあたりはノルンやハイカクに聞いた方がいいだろう。
主な材料採取の目処がついたら、炉か。基本は板ガラスだけで考えているから温度を上げることができればいい。吹き細工なんかはもっとずっと先だ。金属製品はあるから鉱石からの精錬もどこかで行われてはいると思う。そこまで温度を上げられる大型炉があればガラスにも使えるが、ネゲイでは見ていない。ネゲイ以外の場所ならあるのか?。火力の問題は、もしかすると、「火」の「ウーダベー」も使われているのかもしれない。或いは、オレがやったように鉱石から特定の原子だけを引き剥がす?。それをやるには原子論の知識も必要であるように感じるが、もっと単純に実現する方法もあるのだろうか?。




