5-5 材料探し
ヨール王二三年五月一九日(火)。
ダイアナと出勤。まずは工房でノルンと話をしなければ。
「ノルン、おはよう。」
「おはようございます。」
「組合長にも話を通しておかない案件ができたんだ。」
「何ですか?。」
「昨日領主館でね、まあ、結論から言うと、石鹸だ。石鹸を頼まれた。作ったことはあるかい?。」
「石鹸ですか。使ったことはありますけど、作るのは、作り方を聞いたことがあるだけです。材料は油と灰と、あと何だっけな?。」
「私も頼まれた時点では『油と灰と、あと何だっけな?』だったよ。池に戻ってから確認した。私の船にあった作り方の説明とはちょっと違うけど、ここで見たことのある使えそうな材料は、油と灰と、骨、動物の骨だ。それから塩、香り付けに香草。これも種類によっては油落としの効果がある。」
ライブラリによると生石灰が必要らしいのだが、ここで生石灰を見た覚えがないので、代用品として生石灰と同じくカルシウムを多く含む骨を挙げてみた。生石灰も地球で発明された製造法で必要とされる材料であって、何か代用できるものは存在するとは思っている。一応、昨晩のうちにオレ流の「ウーダベー」で生石灰を作れることは確認しているが、属人性は薄めたい。インプラントを入れて、その上でこれから訓練を重ねたら、何ヶ月が後のエンリは、作れるようになるかな?。
「骨ですか。そんなの使ってたかな?。詳しいことはその筋の人に聞いた方がいいんでしょうけど、商売敵が出てくると嫌がられませんかね?。蠟板はいままでそんなの売ってる人がいなかったから商売敵ナシ。箱も、今までの箱を全部を置き換えるわけじゃないから商売敵も少ない。どっちも、作り方は見て盗みやすい。けど石鹸は、ちょっと流れが違いませんかね。」
「そうだな。そういう話があるなら、作り方の改良だけやって、今石鹸を作ってる職人に作り方だけ売るのもいいかもな。」
「ええ。蠟板は木工職人の見習いがやってる木簡作りをちょっと押してるような気がしてます。小さいサイズの方でね。折り畳みの箱は、まだそこまで影響は出てないみたいですけどね。壊れて買い換えるときには、頑丈さか運びやすさかで選ばれることになるんでしょうけど。」
「そのあたりもバース様の耳には入れておいた方がいいんだろうな。」
「そうかもしれませんね。で、石鹸の方ですけど、ここで試作ならともかく、製造までやると手狭じゃないでしょうか?。」
「それも考えておくべきことだと思うよ。まずはできること、できそうなことの提案をまとめてくれって頼まれてるけど、今の工房では足りないってことも書いておくよ。」
「で、試作するにしても道具や材料が要りますよね。これからネゲイに探しに行くんですか?。」
「ああ。だから、油とか、使えそうな物が買える店を教えて欲しいんだ。」
「蠟板に使う蠟を仕入れてるマリスの店がいいかもしれませんね。薪と炭以外の燃料の店です。でも、あそこも油で作った色々なものを扱ってますから、例えば蠟もそうですけど、だから『石鹸を作りたいから油を売ってくれ』は、よくないかもしれません。」
ノルンは人間関係を大事にする男だな。領主館の人間はネゲイ全体の利益を見ているのだろうが、それ故に細かな部分には目が届かないことがある。バランスは大事だ。そして今のオレは、まだそのバランスを判断できるほどネゲイで長く暮らしているわけではない。
「そうすると、さっきノルンが言ったように、作り方だけで契約した方がいいような気が、だんだんと強くなってきたな。」
「確かマコト殿がハパーの店と契約してる『蠟板一枚につき……』というヤツは期限付でしたよね。」
「そうだよ。一目見たら作り方が大体想像できるから、真似して作るヤツがまだ少ないだろうって間だけの目安で、確か一年としたはずだ。」
「石鹸の話は、一目見ただけで作り方がわかるものじゃないですから、もっと長い期間で契約できると思いますよ。」
「ちょっと提案の内容を書いてみるよ。蠟板を用意するから待ってくれ。」
オレは蠟板を取り出し、ノルンと話をしながら提案する内容を書き出し始めた。ノルンにも読めるように、ここの文字を使う。
・試作はオレが工房で行う。
・現在の工房では、製造まで手を広げるだけの設備も人員も足りない。
・製法が確立したら、製造は、製造ができそうな誰かに委託する。
・受託者は販売総額の十二分の一を工房に支払う。また、販売単価は受託者が決めることができる。
・権利料は適宜交渉により見直す。
・製造受託者の候補としてマリスの店または類似の油脂取り扱いに長けた者を想定する。
「さっきまでの話の骨子はこんな感じかな。」
「そうですね。あとは、マリスの店やバース様達と相談しながら修正でしょうね。」
「あと、これは昨日領主館で話をはっきりさせてなかったんだが、このできあがった石鹸を使った商売という案もあるんだ。石鹸を売るんじゃなくて、石鹸で洗うことを売り物にする。」
「石鹸で洗うことですか。洗濯は大体みんな自分の家の分を自分達でやってますね。公衆浴場で洗い係、そういう店は、なくもないんですが……、独身男が行くような店ですよ。領主館が進めたがってるとか、本当ですか?。」
ノルンが思ったのは娼館だろう。まあ、ここにもあるんだろうな。
「ああ、言い方が悪かったかな。髪を洗うことだけの店、という感じかな。ノルンはまだ会ってないか。昨日、エンリを船に招いたんだけど、アン達が張り切ってね。エンリを石鹸で徹底的に磨き上げたんだよ。その間私は部屋から追い出されてたけどね。で、磨き上げられたエンリを見たバーサ様達がまた新しい商売を提案してきてね。」
「頭だけ洗いの店。ええと、ここか、町の中のどこかで店を作るってことですか?。」
「そうだ。ここは町から少し外れるし、工房本来の仕事もしながらだと手狭になるだろうし。」
「町の中なら、私が先月まで借りてた建物はまだ空き家のままだったと思いますよ。」
「ああ。空き家を一つ借りるとか、そんなことも必要かとは思ってたんだ。ノルンが借りてた建物はネゲイのどのあたりにあって、近くの井戸とか水回りはどうだい?。排水も気になる。」
「ハイカク師匠の店の隣のブロックです。マリスの店は斜め向かいでした。水は、日常生活では困ってませんでしたけど、仕事で大量にとなると、わかりませんね。どのくらい使いますか?。」
α、計算の時間だぞ。
『昨日エンリの髪を洗ったときもそうだったけど、ここの人達は皮脂が多いわ。チューブに取り付けたシャワーヘッドもないから、水量の調整もしにくいし。だから初回だけは十リットルほど覚悟しておくべきね。同じ人が次の日も来てくれたら、二回目は半分以下でしょうけど。休憩も含めて店員一人が二十分に一人接客したら、一日に十~十五人くらい?。後はお店の規模によるわね。実際に現地を見れば、大体の施設配置は書けるわよ。』
「店の広さも見ないとわからないな。」
「今私達が使ってる工房の建物よりちょっと狭かったです。多分、四.五メートル×七.二メートルだったと思います。ちゃんと測ったことないですけど。」
ノルンの挙げた数字は翻訳と換算を経てオレに届いている。元のの言い方なら、五クーイ×八クーイだ。変な翻訳と換算を経るよりも、「十坪」という表現がオレにはわかりやすい。αが補足する。
『半分はバックヤードとして、水さえあれば同時接客三人と待合スペースね。』
そんなもんだろうな。
「その広さなら。働く人も三~四人かな。」
「その商売のやりかたがよくわかってないので、そのあたりは私にはわかりませんね。でも石鹸の試作もできてないのに、気が早くないですか?。投資しても無駄になりますよ。」
「ああ。まだ提案だけ。場所も、そこにするとは決めてないし。町の中で店を持つとした場合に必要なものを考えてるだけだ。」
蠟板に追加事項を書き加える。
・完成品は市販する。
・完成品を使った洗髪などを商売にする場合、ネゲイ市内の一般的な賃貸店舗の広さで従業員三~四人程度。
・店舗には水が必要。
イヤ、設備面積の上限が三~四人分というだけで、常時三~四人の従業員を雇い続けるだけの収入が得られるかはわからない。
・完成品を使った洗髪などを商売にする場合、ネゲイ市内の一般的な賃貸店舗の広さで従業員一~二人程度。繁忙期は増員。
書き直してみたが、これもよくないな。事前研修とかがなければ、急に増員しても質を確保できない。初回の客は、多分普通の工程を二~三回繰り返さなければならないだろう。脱脂力の強いもので二回と、仕上げは通常のもので一回とか。単価設定がむつかしくなるし、使い分けについての従業員教育も必要だ。もう、試作しながら、できあがったものの品質にも応じて、それに合う形態を考えようか。
・完成品を使った洗髪などを商売にすることは、別途検討する。
とりあえずこの内容で清書しておこう。次はマリスの店か領主館に行く。ノルンに今時間があるなら、店に案内を頼もうか。領主館に相談して決めるべき内容も、ノルンが知っておくべき事柄だし。
まず領主館でバースを訪ねた。同行はダイアナとノルン。バースはすぐに部屋から出てきてくれたが、この件はヨーサの預かりにしたと言う。概要はヨーサやドーラなど女性陣と打ち合わせをして、費用的な部分だけはバースの裁可を受ける。ゴールも費用の話には加わるが、事業概要には手を出さないとのこと。男どもは、オレを含めてだが、清潔さ以外をあまり重視していないから、こういう流れになるのも仕方がないか。と、すれば、昨日エンリについての感想を聞いたジル、他にも数人いる領主館の侍女達、そろそろ結婚を考えているというノルンの恋人とか、オレの人脈とその近くにいる女性陣にも、製品モニタやアドバイザとし意見を請うべきか。範囲を広げすぎるのも大変なので、このあたりはヨーサとドーラに人選を頼もう。
打ち合わせ相手として指定された正室のヨーサは不在だったが、コビンのドーラは在室だったので面会した。
「昨日の話の続きかしら。」
「そうです。バース様からは、この件はヨーサ様やドーラ殿と詰めて欲しいと言われまして。」
「昨晩マコト殿が帰った後で頼まれました。お話を聞きましょう。あちらに座って下さいな。」
ドーラが勧めるテーブルに就く。ノルンはオレの隣。ダイアナは背後に控えている。まずは先ほど工房で書いて来た現時点でのメモだ。上から順に確認していこう。
「試作はマコト殿が行う。これはまあ、前提条件の一つね。次の、『今の工房では製造できないから製造は外部に依頼』というのは、確認はしておくけど、多分大丈夫よ。マコト殿用に工房は用意したけど、製造の全部をあそこでやれるほどに職人を囲い込むのも難しいとか、そういう話も出てるの。職人が足りなくなるって話をどうするかってことですけど。」
ノルンも付け加えた。
「一応、工房の収支管理を任せると言われている私も考えてますが、今後の工房は、製品ではなく、試作して確立した製法だけを売るとか、石鹸の話なら、マコト殿の考えた製法の中で他所では作れない材料だけを売るとか、そんな風にしないと設備と人員が無制限に増えてしまいそうで不安です。」
オレはいつかここを去る時のために、オレに対する属人性を薄める方向で考えていたが、ノルンは属人性についてあまり意識していないようだ。短期的にはノルンの方が正解だろう。「指針」は、オレのような単独の調査員ではなくチームによる調査を前提として書かれているようで、今の状況に対して素直に選択できる方策が示されていない。
ドーラはノルンの話を聞いて答える。
「そうね。この前聞いたけど、蠟板を使うようになって書き損じの木簡や削り屑が減ったから、その分煮炊きに使う薪の減りが早いって。薪割りは誰でも一日あったらできるようになる仕事だけど、木簡は大きさや厚みをそろえるとか、薪よりは練習がいる仕事よね。でも、木簡を作る職人に暇ができそうな雰囲気になってるけど、それを全部工房へ吸収してしまえるほどの余力はないでしょ。」
「そうですね。木簡は、私も弟子入りしたばかりの頃にたくさん作りました。まっすぐに切って、表面をきれいに仕上げて、木工を始めたばかりの子供にはいい練習になります。今までネゲイの町の中では常に合計で十人くらい、木簡にばかりやってる新弟子がいたと思いますが、それが五人で済むようになったとして、残り五人全員が薪割りに回ったりはできないでしょう。でも、今の工房の面積では、人を増やしにくい。最近は網とかにも人手は回ってますし、今よりもっと上手に職人の配分を考えないと。」
職人配置の不均衡については今朝ノルンとの話にも出てきていた。バースに伝えるべき話と分類していたが、さっきバースにあった時は話し損ねた。しかしドーラも気にしているなら、バースも全く聞いていないわけでもないだろう。需要に応じて供給側の体制を変えるには、需給の数値情報を統計処理できていないネゲイでは時間のかかる過程になる。ドーラが纏める。
「何しろ、この石鹸の提案の最初にも書かれてるけど、試作よ。マコト殿の手持ちがどのくらいあるかは知らないけど、それだけで足りなくなるのはわかってる。ネゲイで使えそうな材料を探すなら、付き合ってもいいわよ。マリスの店は知ってるわ。今からでも一緒に行く?。」
オレは聞いてみた。
「エンリもその店は知ってますか?。」
「町の中のほとんどの普通の店に。一度は顔出しはしてたと思うわ。エンリも連れて行きたい?。」
「そのマリスの人が、エンリを憶えてたら、今日なら印象の違いもわかるかと。」
「そうね。今エンリはどこにいるかしら。探してくるから、あなたたちは正門で待ってて。あと、その提案の後半、洗髪を商売にするのは、石鹸が安定してから改めて考えましょう。」
「客の頭を洗う」商売が成立していることを知っているオレからすれば洗髪や全身美容は単純に「次のステップ」でしかないが、確かに石鹸の供給がどうなるかわからない現時点では、構想としてはともかく、動き始めるには早すぎるだろう。
マリスの店では三十歳ほどの女が店番をしていた。移動途中に店について聞いていたが、彼女が店主の妻君のミラだろう。店主の姿は見えなかった。奥にいるか、どこかに出かけているのか。オレ達一行はだんだんと人数が増えて、オレ、ノルン、ダイアナ、ドーラ、エンリの五人だ。ちょっと増やしすぎたんじゃないかとも感じる。だがエンリの同行を提案したのもオレだし、非難は受けよう。
「いらっしゃいませ、あら、ドーラ様、大人数ですねえ。ちょっと狭くてごめんなさいね。」
立ち上がってオレ達を迎えたミラの手は脂で艶々していた。石鹸を自製している店なので、製造に関わる人の手なら荒れているかとも思っていたが、油脂全般を扱っていたら肌荒れ対策にもなっているのかもしれない。
「人数が多いのはこちらの都合だから気にしないで。で、ちょっと紹介させてね。こちら、あなたも聞いたことがあるでしょ。マコト・ナガキ・ヤムーグ殿です。」
ドーラがオレを紹介した。オレもいつもの自己紹介をする。
「マコト・ナガキ・ヤムーグです。長ければ、マコトでいい。」
最近町で噂の有名人の到来で、ミラもちょっと驚いた表情を浮かべた。
「マコト様。この店の、油屋の、ミラ・マリスです。よろしくお願いします。蠟のことで、最近大変お世話になっております。」
次にドーラはエンリを示す。
「ミラ、こっちの女の子を憶えてる?。」
「ええと、ちょっと前にネリ様と一緒に来てた方ですか?。ええと、ゴール様の養女になられた方?。申し訳ありません。お名前を覚えておりませんでした。ここに来られた時は、挨拶だけして帰ってしまわれた気がしますが。」
「そうよ。ゴールのところで養女になったエンリよ。その挨拶の時と今と、どう?。違いがわかるかしら?。」
「髪の艶が、あ、マコト様もそうですね。マコト様と、エンリ様、そちらのお嬢さんの三人。ああ、とてもいい石鹸を使ってますね。もしかして、石鹸の用事でウチに来られたんですか?。ああ、興味あります。どんな石鹸をつかってますか?。」
「正解よ。石鹸の話をしたくて来たのよ。ここでも作ってるでしょ?。」
「ええ。時々まとめて一杯作ります。」
「マコト殿の手持ちの石鹸をエンリに使わせたら、こうなっちゃった。で、私もその石鹸を欲しいと思ったけど、多分、その石鹸を欲しがる人は私以外にもたくさんいそうな……。」
ミラが割り込んだ。
「私もその一人ですね。私の場合は石鹸の現物に加えて作り方も含めてですけど。ウチよりいいものが出回ったら、私もやり方を考えないといけません。」
「今それで商売してる人をあまり困らせたくはないの。材料と作り方の話よ。ミラならそういう話もできると思って、ここへ来たの。」
「ありがとうございます。最近は蠟も一杯作らせてもらってますけど、そちらもあわせて、ありがとうございます。」
「マコト殿。続きはお願いします。」
話はオレに振られた。
「ええと、ミラ殿。さっきのドーラ殿の話のとおり石鹸を作ること、イヤ、作り方の改良というべきかな?。そういうことを頼まれたんだ。蠟板のことで、木簡の流通が変わってきてるとかの話も聞いてて、そうなると、石鹸の仕事をするにしても、できれば、今石鹸を作ってる人を困らせるようなやりかたは避けたいと思ってる。」
「お気遣いありがとうございます。」
「で、石鹸の仕事をするにあたって、まずネゲイで手に入る材料の確認から始めたいんだ。その上で、私が知ってる石鹸の作り方で足りないものとか、足りないものをどうするかとか、そんなことを考えて、多分、作り方をこの店に教えて独占販売とか、他の石鹸作りの人達も含めた作り方の改良とか、そんな感じで石鹸の商売ができないかと思ってる。どうだろう?。」
「材料と道具が揃えられるかどうか、できたら、材料をちょっと変えるだけなら簡単なんでしょうけど……。独占販売ならそれなりに権利料金みたいなものもいるんでしょうね。」
「ノルンの紹介でもあるし、そんに酷い金額にするつもりもないよ。それなりに売れる販売単価の中で、作る人が損をしないような金額にする。そのあたりは、試作して原価を確認して、そんな流れの中で決めることになるだろうね。この店で独占というのも、今の時点では案の一つでしかないしね。」
ミラは少し考えて答える。
「わかりました。一応、今は配達に出ている主人にも話を通しますけど、エンリ様達を見たら私はその石鹸を作りたいと思ってますよ。新しい道具が要るとか要らないとか、独占か共同かで権利料が変わるとか、そんな話も整理しないといけないでしょうけど。」
「その気になってくれて嬉しいよ。それで、差し支えなければ、今ここで使っている材料や道具を見せて欲しいと思ってる。」
話の振り方次第では「商売敵の出現」というような誤解が生じる可能性もあったが、乗り切れた。店にとっても新たな販路か商品の提案になる。今のところは、ミラは乗り気だと言っている。発言の機会なく容姿を褒められてばかりのエンリは赤面している。かわいいから許す。ミラは続ける。
「ここで扱ってる材料と道具は、ひととおり説明させていただきますよ。今の石鹸の作り方もです。エンリ様達を見れば私が作っているものよりいい石鹸を使ってるのはわかります。だから、石鹸の作り方や材料の改良について、いいお話があれば乗らせていただきたいと思います。」
理解の早い人で助かった。
「ありがとう。そこまで乗り気になってくれると私も嬉しい。石鹸の作り方の基本は、私も知ってるんだ。さっき『時々まとめて作る』って言ってたけど、今日はその日じゃないんだろう?。」
「ええ。こんな話があるなら準備してましたけど。」
「それは構わないよ。先触れもせずに来たのは私達だしね。それに、材料を聞いたら順序も含めてだいたいわかる。今日は、今この店で買って帰れる、私が試作するための材料、できれば種類も色々でね、そういう材料も欲しい。ちゃんと購入するよ。作り方関係の話を聞くのとあわせて、お願いできるかな。」
「ええ。いいですよ。なんなら夕方までも、おつきあいさせていただきましょう。」
ミラは「夕方まででも」と言っていた。時間がかかりそうなのでダイアナを残してノルン、ドーラ、エンリにはそれぞれの仕事に帰ってもらう。しかしミラは「夕方まででも」と言っていたが、説明にそこまでの時間はかからなかった。店で扱っている油は、季節によって種類が変わる。これは材料となる種子の収穫時期によるものだ。獣脂も扱ってはいるが、腐敗しないように入荷したら速やかに塩水で茹でて蠟に加工してしまう。種子は店の奥にある梃子式の圧搾機で油を絞り出す。絞り滓にも油は含まれているので、この滓も塩水で茹で直して、上に浮いてきた油分を回収している。茹でてから回収した油は、当たり前だが最初に絞ったものとは品質が違ってくるので、「二番油」などの名称で区別されている。
ネゲイでの油の主な用途は照明、錆止め、潤滑油など。潤滑油としての需要はドアの蝶番が一番多い。食用はあまりない。マヨネーズのことも考えたが、鶏卵を見たことがないから、これは作れないだろう。
現状では季節によって入ってくる材料が違うので、それぞれの材料に合わせた配合を考えなければならない。絞った油は徐々に酸化してゆくが、絞る前の種子の状態なら変化は少ないと聞いた。マリスの店では地下に種子の保存庫を掘ってある。通年で同じ種類の油を手に入れようと思ったら作付面積から手を入れなければならないようだが、これは今はどうしようもない。まずは、今手に入りやすい油を購入した。持ち込んでいたステンレス製の百CCサンプラー六本に三種類の油をそれぞれ二回ずつ絞ってもらう。マリスの店には香草もあった。売り物ではなく、香油などに加工するための材料として自分で集めたものだという。現物を少し分けてもらった。見本があれば、「虫」を使って探せるだろう。テコーの店から配達された食料品は全て成分分析をやっている。使えそうな物があるかもしれないからこの後で寄ってみよう。塩は、ストックもあるし適当に買ってもいい。試作には、鍋釜も必要だな。工房の竈を使うか、温度管理をしやすいマーリン7に戻るか、どうしよう。最初はマーリン7の方がいいか。そこで「作れる」ことを確認してから竈を使った場合のレシピをまとめよう。
紙の試作も落ち着きつつあるがまだ完了ではない。少し、手を広げすぎていないだろうか。




