2-9 厳冬期
CL(墜落暦)五五日。一応、今日から二月に入った、と、数えている。オレの地球とオータン10-7での生活経験からすると、これからの数週間が冬の一番厳しい季節のはず。
「マコト。全球写真だけど、極夜の北極点附近を除いて、今の高度を飛び始めてから全域で雲のない昼間の状態の写真が、やっと揃ったわ。山影で暗くて見えない所だけ抜き出して色調補正したり、面倒だけど必要な手順はこなした上で、全域でステレオ化できる。そろそろベータとガンマの軌道を変えてもいいんじゃないかしら。」
昼間の全球地図自体は、墜落の少し前に出来上がってはいたのだが、雲があったり、山影で細部がわからなかったり、広角レンズの画角の端付近で歪みがあったり、精度は高くなかった。
「うん。一区切りだな。ひとつ気になるのは、マーリン谷への接近者の監視だけど。」
「雪が減り始めたら、人が近づけるようになる前に『虫』を使った監視網に切り替えたらどうかしら。」
「中継機とか電池切れまでに回収とか、条件そろえられる?。」「地形に合わせて、もうプランは作ってるの。安全率も余裕を持たせてるから、テストがうまくいったらもっと広域で運用できるようになるわ。」
「じゃあそれで。で、軌道の話で、三機体制の頃に考えていたのは単純に軌道を下げて精度を上げるつもりだったけど、今は一機を下げて、もう一機は定点軌道まで上げたい。どう思う?。」
「賛成よ。ベータを下げて、ガンマを上げましょう。」
ガンマは常時アルファ谷を見通し範囲に収めて通信を確保し、ベータは軌道を下げて更に詳細な地形情報を集められるようにする。ベータは359-1の裏側に入っていなければガンマを中継してアルファと連絡ができる。
「ところで低軌道の場合、どのくらいまで近づける?」
「今四〇〇キロだけど、二五〇くらいまで行けそうよ。周回時間は殆ど変わらないけど。」
「今のベータは八-二十時軌道だけど、もう、ここにこだわる理由もないよな。」
「そうね。北極と南極に同じ頃到達して交信の時間を確保することと、三機が同じ程度の量の写真を撮る、というのが最初の起動設定のときの条件で、この条件を維持するために毎日少しだけど軌道修正もやってたけど、条件が二つとも、なくなるわ。」
「じゃあ『高度二五〇の極軌道』というだけか。七-十九時軌道に近いところだけは禁止を継続ということで、二五〇キロを承認。ベータ、ガンマともに遷移しやすいタイミングでデルタVを実行できるように準備してくれ。」
「じゃあ午後のガンマとの交信までにプランを作って、うまくすれば今日中に新軌道へ移させるわ。」
ベータ、ガンマともに新軌道へ移り、その状態での通信環境も確立した。ガンマは常に南方の空にあって動かない。アルファ側では雪崩対策もあり、雲量によって垂直尾翼の斥力をON/OFFすることにした。これで、アルファとは電波かレーザーでいつでも通信できる。ガンマの距離では地表の細かな観察には適していないが、359-1の半球全てが見えているので気象観測には便利だ。星系内の他惑星を見るにも、軌道上での姿勢変化がゆっくりしているので誤差が少なくなる。一方のベータは低軌道でデータを集めている。アルファとの直接通信ができるのは一日二回のそれぞれ数分だけに限られてしまったが、ガンマを中継すれば一日のうち半日は通信が可能だ。
アルファの近辺は厳冬が続いている。新たにベータが撮影した大穴やマーリン谷附近の写真を見ても、雪の中で大きな活動をしているものは見えない。これはマーリン谷だけでなく北緯四五度附近に共通の傾向でもある。夜間の写真では集落らしいところに赤外線源があるようで、これは寒さが厳しいから建物の中で暖を取りながら冬ごもりしているとしか思えない。春が近くなったら、何か動き出すだろう。
そしてオレは、雪に閉じ込められて船内からも出られず。データチェックと日常点検しかできずに退屈していた。
CL(墜落暦)五七日。軌道変更から二日経ったβから。直接通信らしく、タイムラグは感じられない。」
「南半球って今が夏じゃないですかぁ。北半球でも緯度が低いあたりはマーリン・ポイントよりもっとあたたかいでしょお。軌道が低くなって解像度も上がってこんな写真ですよぉ。さすが、未知の文明ってヤツですねぇ。なんか古いSF映画で見たような光景ですよぉ。北緯三十度あたりより南のあちこちでぇ、かなりこんな光景がありましたよぉ。」
数枚の画像が表示された。どれも衛星軌道から見たものなので真上からのアングルしかないが、街道を移動する人、馬のような動物に乗った人、が写っている。そこまでは地球の常識の範囲だったが、荷車とそれを牽くムカデのようなものも写っていた。ムカデの胴の上にも荷物を載せるための台が取り付けられているようだ。「人」との対比で(その『人』が地球人サイズと仮定して)ムカデの体長は三~四メートルほどはありそうだ。「御者」はムカデの頭近くに乗っているようだ。
「荷車まで牽いてるってことは、体重もそれなりにありそうですねぇ。荷車の荷重を一点で支えたら身体がちぎれちゃいそうですからぁ、馬具っていうか、『虫具』も荷重を分散できる造りなんでしょうねぇ。」
「飼われて、使われてる家畜みたいなムカデか。こういうのもあるんだな。」
「脚がいっぱいですから接地面積も大きくなってぇ、馬や牛に牽かせるよりも道路面の傷みは小さいと思いますよぉ。」
そういうメリットもあるか。
「慣れてないオレにはちょっと気持ち悪いがな。また何か変わったものを見つけたら教えてくれ。」
「文明」は二足歩行する人間に似た生物が作っている。その生物は牛や馬のような動物だけでなく、虫までも飼い馴らしている。覚えておくべきこと、今後考えなければならないこと、そういうものが増えてゆくな。
CL(墜落暦)七四日。多分二月二十日頃。
「ベータからの画像を見てると、多分一週間ぐらい前が雪量のピークだったみたいね。積雪地帯が、南の方から順に縮小してるわ。それにあわせて、人の移動も再開されてるみたい。推定『二月二十日』はいい線行ってるみたいよ。」
アルファは、同じ地域を撮影した連続写真を示した。積雪の南端線は北へ後退し、残っている雪原の中で街道除雪の跡らしい線も北へ延びている。街道以外のところにも、土が露出したらしい黒点があった。
「マーリン周辺の積雪量は?。」
「まだどのエアロックも埋まったままだから外には出られないけど、表面斥力場への負荷は……五日前がピークだったようね。減少中よ。」
「春に備えてできることの再確認だな。今までは、やってもすぐに埋まると思って機体周りの除雪はやってなかったけど、底面以外の表面斥力場を一気に拡張したら、上面の雪を吹き飛ばせたりする?。」
「機体前半の雪はマーリン7が下流に流されないように堰き止めてくれている可能性があるから、やるなら後半の雪ね。尾部は、反動で船体が流される可能性があるからやめておくわ。コンデンサの状態は……OK。やっていい?。」
モニタ画像は表面斥力場の状態表示と垂直尾翼先端カメラのものに切り替わった。
「やってくれ。」
カメラ画像の中で雪が盛り上がり、また下がった。比較対象がないのでよくわからなかったが、上下動は一メートルほどか?。幾つもの塊に割れていて、位置も多少変わったようだが船体は雪に覆われたままだ。
「ちょっと弱すぎたわね。やり直すわ。」
今度は雪が数メートルほども跳ね上げられ、いくつもの塊に割れて落下した。斥力場で滑って両脇に流れてゆく。
「きれいにできたわね。後部、サードとフォース・クォータ上面のエアロックは露出したわ。でもこれ、外に出ても、周りに表面斥力場があったら歩き回れないわよ。」
無重力環境が前提の設備なのでそういうことになるのか。
「その時は解除するか、命綱をつないで滑り降りるかだな。やっとこれでオレも外に出られる。明日からの作業リストを作ろう。」




