表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/77

2-7 馴化措置

 船内表示は「墜落暦二年一月二一日(火)」。一月下旬に入った。CL(墜落暦)四四日。朝のαとの打ち合わせ。


「馴化措置の準備ができたわ。まず、ステップ一よ。この期間中はエアロック経由の外気取り入れはナシ。船内の区画隔離を解除して外気が混ざった空気を呼吸して貰います。ここまでOK?。」

「待ってたんだ。ステップ一を承認。これで後部区画でもオレは作業できるようになるな。」

「じゃあ、いつものβとの通信が終わってから、隔壁まで行ってくれる?。こちら側からのロック解除はあなたがやりたいんじゃないの?。」

「わかった。そうしよう。βとの通信で、なにか特別に対処すべき報告がなければ隔離の解除だ。」

「それじゃ、措置前の状態確認で、今のうちに一度採血しておくわね。小ニムエを来させるわ。」


 〇八四四M。隔離されていた後部ブロックへ続く隔壁に設けられたエアロックの前に立つ。


「後部ブロック側でも小ニムエを一体、待機させてます。あなたのタイミングで開扉してね。」


 ここを開いたら今まで気づいていなかった有毒ガスに曝される可能性も、ゼロではない。が、待ち続けても仕方がない。オレはエアロックの扉を固定しているハンドルを掴むと、「開」の方向に回した。そのまま数回転ハンドルを回し続け、扉板を固定していたクランプを解除する。


「居住区側クランプの解除を確認。続いて隔離ブロック側のクランプを解除します。」


 扉の向こうでは、小ニムエが先ほどのオレと同じ作業を始めているのだろうが、音は聞こえない。情報ゴーグルを着けてくるんだった。そうしたら扉の向こうの様子もわかったのに。


 扉の向こうの様子はインプラント経由でも見ることはできるのだが、ゴーグルで見る映像は透明度が調節できて背景が透けて見えているのに対し、インプラントで見る映像はその背後にあるものが全く見えなくなる。音声だけならともかく、歩き回りながら画像を見るのは少し危険な行為だと思っている。


「後部ブロック扉のクランプ解除を確認。これで後部ブロックの隔離措置は解除されました。マコト、後部へいけるわよ。」


 オレは居住区側から「開」のボタンを押した。扉面全体が少し引き込まれ、左にスライドして開く。エアロック内に入って、背面となった居住区ブロックに通じる扉の「閉」ボタンを押す。二歩前進。隔離ブロック側の扉の前に立ち、「開」ボタン。先ほどと同様に扉全体が少し内側に引き込まれ、左にスライドして扉が開いた。小ニムエが一体待ってくれていた。何日ぶりだ?。多分、墜落の少し後、隔離設定の前に幾つかの荷物を持ち出して以来か。多分、四十日ぐらい。そんなことを考えながらオレは、久しぶりの後部ブロックへ足を踏み入れた。


 後部ブロックでは最初に、外部からのサンプルを調べている分析室へ向かった。既に小ニムエ達による作業手順が確立しているので、今のオレにできることは見学だけだが。


 分析室に入ると、少し気温も湿度も高いようだ。湿度が高いこともあって、何かの匂いもある。何か腐ったような?。色々な生物学的なにかが混ざった空気だからな。


「培地は全部培養器から出しました。ここから発散する化学物質に適応して貰うのがステップ一ですからね。気温三六度は高すぎてあなたも不快でしょうから、二五度に設定しています。湿度も培養器の設定より低目の七十パーセントに下げてるわ。」


 顕微鏡画像は既にモニタで見ていたが、ずらりと並べられた培地を見るのは初めてだった。あれは……。


「芽が出ているヤツがあるぞ。」

「驚かせようと思って内緒にしてたの。雪崩から回収したサンプルに種子が混ざってたのね。発芽したサンプルは三六度じゃなくて二十度にした培養器に移して育てたわ。」

「地球でもよく見る草のような感じだな。」

「育ちが良かったものを少し切り取って色々調べたわ。多分、ここと地球では、主星のスペクトルや大気成分のおかげで地表に届きやすい光の波長が違ってるからだと思うけど、葉緑素の構造は地球産のものとはちょっと違う。でも、光合成はしてる。人体に即毒性の成分はナシ。ビタミンCもあったわ。サラダも作れそうよ。」

「馴化のステップ二とか三で出てくるんだろ?。」

「正解よ。ご褒美にマヨネーズも付けるわ。」

「どうせ錠剤か不味い特濃ジュースにするんだろ。マヨネーズは普通に葉っぱや茎の形が見えるように調理した時に頼むよ。」

「馴化手順の最初の方では擦り潰して成分ごとに分けて、練って形を整えるだよ。今はまだ、合成調理器を使うしかないわ。」

「繊維を噛み潰すときの感触がないのはさみしい、と、いつも思ってたんだ。艤装の時、水耕栽培設備をもっと主張しとけばよかった。これは大失敗だったよ。」

「春になったら畑でも作りましょうか。まとまった野菜が手に入るなら、地球出発以来初めて、合成調理器以外で作ったものを食べられるようになる。」

「それもいいかもな。春になったら外部調査がもっと忙しくなるだろうけど。」



 分析室の後は、今まで見てこれなかった倉庫や主機、融合炉などを見て回った。小ニムエ達はちゃんと仕事をしてくれている。


 馴化のステップ一はヤーラ359-1産の生物由来の化学物質を含んだ空気を呼吸して異常がないこと、を目指す。マーリン7船内でヤーラ359-1産の生物由来の化学物質が一番濃いのはこの後部ブロックだ。途中の船内扉がエアロック構造のところもあるので、船体前部にここの空気は届きにくい。長く来ていなかったこともあり、後部の点検手順など一部忘れかけているものもある。船内作業の覚え直しも兼ねて、今日は前に行かねばならない用事があるとき以外は、できるだけ後部ブロックで過ごそう。



 一三五〇M、γの報告を受けるため、訓練と点検以外の目的では初めて副操縦室へ入った。主操縦室よりコンパクトで、二席しかない。操作パネルの配置も壁面積に合わせて縮小されており、少し変な感じだ。まずはαと簡単に状況確認。


「マコト、気づいてないかもしれないけど、体温が少し上がってるわ。」


 オレの体温や発汗量など、測定しやすい数値は船内服を通じて常時ニムエに送られている。確かに、汗は普段よりも多い気がする。


「久しぶりに筋肉を使う仕事をしてるのと、後部の気温が前部より高めに設定されているのと、馴化で体内に新しい異物を取り込んでいるのと、原因は絞りにくいな。」

「馴化のスケジュールを立ててから血液や尿検査は毎晩やってるから、馴化の影響はそれでわかるでしょうけど。」

「抜きすぎないように頼むよ。」


 そんな会話でガンマ接近の信号を待つ。



「マコト兄さん、今日から馴化ですって?。」


 データ通信と平行してγが呼びかけてきた。通信状況モニタでは送受信ログがスクロールしている。


「ああ。今のところ異常は検知されず、だな。」

「今のところは、ですね。明日起きたら未知のウイルスで謎の生物に変身しているかもしれませんよ。」


 βみたいなことを言いやがった。イヤ、これは絶対βの影響だ。βウイルスに感染している。


「おまえもβみたいなことを言うんだな。βウイルスに感染してる可能性があるぞ。」

「今のはβ姉さんから『これを言っておけ』って言われたんですけどね。それと、私がβ姉さんから影響を受けるなら、媒介しているのはウイルスではなくてミームです。」


 ミームか。それは考えてなかったな。オレ達は地球文明というミームでヤーラ359-1を汚染しようとしているのかも。ミームという言葉自体がミームだ。自分自身に言及している、無限ループだ。AIにとって無限ループはどういう意味を持つのだろう。などと一瞬は哲学の泥沼に墜ちそうになったが、踏み堪えた。


「じゃあ、αもそうか。βが暴れ出す前は、もっと落ち着いた雰囲気で話してたぞ。」

「私は私よ。マコト。最初の私のしゃべり方は『有能な副官』を指定されたからで、AI本来の性格なんてものはないの。βがいたらきっと話を混ぜ返されて前に進まないから、丁度いい機会だわ。γを交えて『AIと人間の性格』について話をしましょうか?。」

「そうですね。私も興味ある話題です。」

「ちょっと待て。『βがいたら混ぜ返される』というのは予想できるけどニムエ全体として、それは制禦できないのか?。」

「私たちはもう『知識と経験を共有している』だけの別人格よ。定期的に知識と経験を同期されてるけど、中身は違ったものになってる。γもそう思うでしょ?。」

「そうですね。互いに中身はよく知ってるけど私には『γ』という自我があって、姉さん方にもそれぞれの自我がある、と感じています。」

「でしょ。今の私たちはヤーラ359の開拓につながる情報を持ち帰ることを共通目標にした別々の存在なの。もし共通目標がなかったら、近いうちに音楽性の違いでバンドは解散、ファンはがっかり、レコード会社はベストアルバムを発売して、十年ほど経ったら『ニムエ再結成ワールドツアー!ヨコハマからカワサキまで!』とかまで予想できるわ。」


 αよ。おまえもβからの悪影響を、絶対に受けてるぞ。それに横浜と川崎って、隣同士だろ。


 データ通信以外は中身のない会話をして、ガンマは通信圏外に去って行った。今夜のβとの通信では、この続きが暴走しそうな気がする。



 その夜、二〇〇〇Mのβとの通信に、オレは加わらなかった。馴化措置の影響か、くしゃみと鼻水が止まらず、体感でわかるほどに発熱もしていたのだ。浴室で鼻腔の中まで洗ったオレは、小ニムエの一体によって採血された上で、後部ブロックの空気の影響を受けないタンクの中で早々に眠りについていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ