馬車と執事長
「いやよ! 私は馬車には乗らないわ!」
ふん! と鼻息も荒く顔をそらすと、御者のお爺ちゃんはおろおろと困って手を上げ下げしている。
「そんなことおっしゃらないで下せぇ。急にどうされたんですか、お嬢様……」
八の字眉で聞かれると、すっごく申し訳無くてうっと胸に詰まる。
お年寄りをいじめちゃあいけないよ。
でもでも、あんまりにも嫌われ作戦が難航するものだから! もうどうしようも無いから、封印してた『お年寄り相手に感じ悪い態度を取る』を実行することにしたんだよ。
うちのお屋敷にいる『お年寄り』は全部で5人。
そのいち。執事長のお爺ちゃん。怖くて厳しくて怖い。会う度に、『貴族の名前当てクイズ』『淑女の礼儀作法講座』が始まるので、いつも逃げ回ってます。
そのに。料理長のお婆ちゃん。声が大きくて、好き嫌いをすると両手取り押さえて口にねじ込んでくる豪傑です。
そのさん。庭師のお爺ちゃん。のんびり穏やかな雰囲気なんだけど、いつも庭のどこかにいて、滅多に会えない。
そのよん。相談役のお婆ちゃん。旦那様がお仕事関係で助けてもらうために国の端っこからスカウトしてきた、とても頭が良くて優しくて、常に旦那様と一緒にいるので大体お城にいる方。
そして、そのご。御者のお爺ちゃん。
馬と仲良しで、優しくて、お話しが面白い。とても良くしてもらっている素敵なお爺ちゃん。
青い目が澄んでて綺麗なんだ。
で、そのお爺ちゃんを困らせている最低な私。
ちょっと後ろにはメイドさん達が佇んでこのやり取りを見てるけど、メイドさんたちは滅多なことが起きない限り何も言ってはこないんだ。
「馬車に乗らないって、お嬢様はどうされるおつもりなんです」
「歩きます」
「歩く!? 城までですか!?」
「お城なんて行きません。町に買い物に行くんです」
「お嬢様?!」
悲鳴をあげるお爺ちゃん。
実は今から、お城でパーティーがあるので向かうところだったりする。
のだけれど、お城へ行きたくないのは本当。このままグダグダ言って、嫌われついでにお城に行かないようにならないかなって。
本当に行きたくないの。
いや旦那様には会いたいんだけどね。
王様がちょっとね…。
「チカ様」
と、そこでメイドさんたちの向うから渋くて低い声がかかった。
私はびくっとなる。…執事長だ。やばい。もう来たの!?
「…何かしら、スウェー?」
焦りながらも振り向くと、いつものように上から下までビシッと正装を着こなすお爺ちゃん、鬼のように厳しい執事長が颯爽と向かってくる。
私は汗をだらだら垂らす。
「『お菓子が食べたいから麦畑を作りなさい』、どなたのお言葉でしょうか?」
ひいっ。だからどうしていつもクイズが始まるの!?
で、でもセーフ。このセリフはうちの世界に近いのがあったから覚えている。
しかも名前も似てたから。
マリーアントアネット、かわいいよね。好きなんだ!!
「ルリッタ三世の側室マリアンヌ様…?」
でも、それでも、不安にいっぱいになりながら執事長をそろっと見る。
不正解だと訥々と説明が始まってね、翌日に覚えてるか確認してきてね、覚えるまで食事中もずっとずっと説明されるんだ。すごい、胃が、痛くなるんだ…。
執事長は少しの沈黙を挟んで…ファイナルアンサー?とは聞かないけど、目は、いつでも、その答えでよろしいですか?と言っている気がする…ええ、と頷いた。
「正解です」
っはーー……。
もういや、この緊張感…。
「マリアンヌ様は、民を慮り、私財を使って広大な小麦畑を拓かせたお方です。ですが、後年歴史学者が詳しく調べてそのことが分かるまで、たいへんな我儘姫であったとされていました。後から、ルリッタ三世の素晴らしい政策のほとんどがマリアンヌ様の『我儘』が発端であることが明らかになったのです。
チカ様、ご立派になられましたね」
ちょっと待って何の話!?
ご立派って、私の回答を褒めたって雰囲気じゃないよ!?
焦って周りを見回すと、メイドさんたちは私がクイズに正解したことを拍手して祝ってくれていた。そんな中で、リーダーだけがこちらを自愛の微笑みで見て・・・・何でぇ!?
やだっ。何で、まるで最近の私の『嫌われ活動』がマリアンヌ様の『我儘』と同列みたいな感じになってんの!?
ち、っちがうの!? そういうんじゃなくて!!!
と言おうとして、そんなことを言ったらさらにドツボに嵌ると分かったので黙った。
っふ…。私はおバカさんではないのだよ。
でもこの後どうしたら良いのかさっぱり分からないんだよ!
困って一歩二歩と下がったら、馬車にトン、と体が当たってしまった。
たったそれだけで、その車輪から車軸が外れて、あっという間にガガン、と馬車が崩れた。
…わあ。これ、もしも走ってる最中だったりしたら、馬車がひっくり返っるか吹っ飛ぶかで、馬も負傷して私も投げ出されて大変なことになってたね。
そして御者のお爺ちゃんは絶対に大怪我だった。
「…乗らなくて良かった」
はあ、と思わず脱力してしまう。
馬が怯えていたのでその首に抱き付いて宥めていると、「…お嬢様、だから…」と御者のお爺ちゃんが目を潤ませて私を見ていた。
え、ええと誤解されていますね?
「チカ様」
執事長がこちらへと歩いてきて、私の目の前で止まる。
「チカ様のなさりたいように、なさいませ。私どもは、あなた様の手足となります」
「え? え?」
戸惑っておろおろするしかない私に、執事長はゆっくりと、優雅に、正式な礼をした。
そして後ろのメイドさん達もそれに従う。
ちょっと、ちょっと。この雰囲気嫌なんですが!
もうとにかく走って逃げてしまおうとしたら、御者のお爺ちゃんが馬の手綱をそっと私の手に握らせてくれた。
そしてリーダーがそっと外套を私にかけてくれて、さらに緑色の宝石が嵌った懐刀をその内側に仕舞ってくれた……けどその懐刀、ものすごく濃密に魔法の気配がするんですけど大丈夫ですか?
「風の守りの小刀です。どうぞお持ちください」
一般的な武器の種類に、『守りの刀』というものがある。その女性用が『小刀』。『風の』というのは魔法属性が掛かっている刀、ということ。
お値段は、私の普段のドレスと同じくらいだと思われる、まあよく見られる武器、とも言えるものなんだけど、
・・・これはどう考えてもそんなレベルの存在感じゃない。
こんなすごいものを私に預けてどうしようっていうの。
しかも、なぜ一人で外出しようとするのを許可してくれるの。
やっばいわ、誤解が誤解を呼んでいる。
神様、どうやら私はまだ帰れそうにありません…。
もう泣きそうになりながら、私は馬にまたがって屋敷から颯爽と逃げ出したのでした。




