恋に障害はつきもの
あるところにかわいそうな女の子がいました。
彼女は幼い頃に両親を亡くし、貧しい孤児院にいました。日々の食べるものにも困り、売られるか捨てられるかというところで、その才能を買われ、ある国の諜報機関にスカウトされました。
女の子は生きるため、その道を選びました。
女の子は優秀で、機関の中でも一目置かれる存在になりなした。
でも、幼く、生きることに必死の彼女は孤独で、心休まる場所はありませんでした。
機関に入って数年が経ったある日、女の子はある国の学校に潜入捜査することになりました。
そこは軍の養成機関で、王族や貴族のみならず、平民も共に学べるところでした。
その時ちょうど学生である王子様に近づき、国の内部事情を探るのが目的です。
男装して入学し、王子様と知り合いになれたものの、彼女はなかなか情報を聞き出すことができません。王子様の兄──卒業したはずの皇太子がしょっちゅうやって来て邪魔をするのです。
皇太子は弟や後輩の様子を見に来て、そのまま手合わせしたり、食事を共にしたりします。
学年が違い、変装していても性別も違うので、お兄さんに邪魔をされては、女の子が王子様に近づくことは困難なのです。
それでも機会を窺い、僅かながらの接触で少しずつ情報を集めていた女の子でしたが、ある日王子様の兄に声をかけられました。それは、お兄さんが帰って、王子様が部屋に戻るまでの僅かな時間に接触しようと彼らの近くに潜んでいたところでした。
「弟は君の欲しい情報を持っていないよ。あいつは純粋だから、普通に仲良くしてやってほしいな」
女の子は息をのみ、血の気が引いていくのを感じました。
「それにしても、こんな子どもが諜報員なんて……この国もまだまだ平和とは言えないな」
「……おっしゃっている意味がわかりません、殿下」
皇太子にバレたとあっては、牢屋に捕まるか機関からの制裁か、いずれにせよ、ただではすみません。
「そういうことにしておこう。……あ、そうだ。弟の代わりに私の話し相手にならないか?私も大した話は出来ないが、ないよりマシだろう」
「意味がわかりませんし、結構です」
皇太子に女の子を捕まえる気はなく、それどころか、学校に顔を出すと積極的に話しかけてくるようになりました。
女の子はそんな皇太子に戸惑いながら、話しかけられない日は寂しく思うという不思議な気持ちになりつつありました。
それからしばらくして、ある組織が動き出しました。その国の情報はいろいろなところが欲しがるため、女の子はそのまま学校を卒業し、軍人として国の中枢に近づくように指示されていました。しかし、その組織は諜報機関に依頼していた情報がなかなか集まらないことに業を煮やし、強硬手段に出たのです。
──国王並びに皇太子の暗殺。
皇太子が国内の町を訪問している時を狙い、王宮に残っている国王と同時に襲撃するのです。
皇太子の退路を絶つため町に火が放ち、組織の手の者達が一斉に皇太子一行を襲う算段です。
その情報を掴んだ女の子は、皇太子の元へ急ぎました。
「私は、子ども達が安心して幸せに暮らせる国を作りたい。何か理由があるのだろうが、私で出来ることであればする。だから、もっと別の人生を歩んでほしい」
何度か話しかけられた時に、皇太子は女の子にそう真剣に言いました。
天涯孤独で生きるために必死に働いていて、自分が情報を掴むことで誰かの幸せになることもあれば、誰かが不幸になることもあった。考える余裕もなかったし、考えたくなかった。ただ目の前の任務をこなすだけで、他人のことなどどうでもいい。
そう思っていた彼女が今は、自分を案じてくれる皇太子を死なせたくないと思い、必死に走ります。
皇太子の元へ辿り着く前に、女の子は今まさに民家に火を放とうとしている現場に鉢合わせしました。
すぐに止めようと武器を取りますが、多勢に無勢で押されてしまいます。そうこうしている間に火が家に近づいていきます。
「おい!何をやっている!」
そこに止めに入ったのは女の子の同級生の男の子でした。彼はこの町の出身で、卒業後女の子と同じく軍人となり、志願して皇太子の護衛としてついてきていたのです。
男の子は火を放とうとする男から松明を奪おうと、その腕を掴みました。
男の子が取っ組み合いになっている中、女の子も向かってくる敵を捌くのに必死でした。早くここの敵を倒して、皇太子の元に行かなければと焦りながら戦っていると、男の子の悲鳴が聞こえました。
剣を受け止めながらそちらを見ると、男の子が火達磨になっていました。揉み合いの末、松明の火が燃え移ったのです。
女の子は渾身の力で敵の剣を弾き飛ばすと、男の子の名前を呼びながら駆け寄りました。外套を脱いで、火に叩きつけます。なんとか消火できたものの、男の子は重症です。そして、背後から熱風が吹いて振り向くと、民家が火に包まれていました。敵が隙をついて火を放ったのです。
女の子は水と人を探しに行こうと辺りを見渡すと、敵に囲まれていました。
絶体絶命のその時──
「そこまでだ!」
王子様──皇太子が現れたのです。
雷雲を操る彼は、民家に集中して雨を降らして火を消し、そのまま向かってくる敵を次々なぎ倒しました。そのうち応援もやって来て、あっという間に敵は捕縛されてしまいました。
「大丈夫か?」
最後の敵を倒して、皇太子は座り込んだ女の子に駆け寄ります。
しかし、女の子の顔を見て固まってしまいます。
女の子は泣いていました。
死を覚悟して助けられたこともそうですが、何より、生まれてはじめて死んでほしくないと願った人が無事だったことが嬉しくて、安堵して涙が溢れてくるのです。
皇太子は困ったように笑うと、女の子の頭を撫で、優しく抱き締めてあげました。
それから、皇太子に改めて説得され、諜報機関を退職した女の子は本当の名前と姿で皇太子直属の部下となりました。
みんなはずっと男だと思っていた女の子の姿に驚きますが、皇太子だけは違いました。
「どう見ても可愛い女の子だろ?」
変装を見破られていたのに、女の子はそのことが何故か嬉しく思いました。
皇太子はどんな私もきっと見つけてくれるだろう、と。
それからまたすぐに、女の子は辞職することになります。
今度は皇太子妃……大好きな人の奥さんになったのです。
めでたしめでたし──
……多分、これ、リコさんと夫である前皇太子のことだ。
サザールに帰国して王様に挨拶したりとバタバタした後、フローラ王女の招待で女王様とリコさん、マリースさんでお茶をしていると、話が恋愛のことになり、フローラ王女が話してくれた。自分の理想の恋愛について……。それから何故か始まった物語は、ヒランからサザールまでの道中、リコさんから子ども達には内緒だと教えてもらった話が物語風になったようなものだった。
「……フローラ?その話、誰に聞いたのかしら?」
「コンちゃんさんに聞きましたぁ」
「そう……コンラートに……うふふふふ」
お妃様らしく綺麗なドレスを身に纏ったリコさんは上品な笑みを浮かべているが、目が笑っていない。きっと後でコンラートさんを吊るしに行くのだろう。
「コンちゃんさんはお父様が若い頃から一緒なのでしょう?だから、お父様とお母様の馴れ初めを聞いたら、何故か濁して……代わりにこのお話をしてくれました。諜報員と恋に落ちるなんて、とっても刺激的で魅力的ですぅ」
リコさんは表向き、ヤタカ国王の遠縁で、養女として王女となり、サザールに輿入れしたことになっている。何も知らない人は政略結婚だと思うだろうが、本当は身分どころか敵味方のような関係を越えた大恋愛の末結婚するにあたり、皇太子と親交のあったヤタカ国王がリコさんを養女にして体裁を整えようと協力してくれたのだという。確かにリコさんのお母さんはヤタカ出身だが、本当に国王の縁者というわけではないらしい。
「私にはまだわかりませんが、いつか素敵な恋愛をしてみたいです」
「うんうん、祖母は応援しているぞ」
セリーヌ女王はニマニマとリコさんを見ながら王女の頭を撫でた。もちろん、女王は全てご存知で、心中穏やかでないリコさんを多分温かく見守っているのだ。
「ところで、マリースの恋愛はどうだ?そろそろユーリは折れたか?」
「え?マリースさん、恋人いたんですか?」
そういえば、マリースさんの今の恋愛について聞いたことがなかった。この国でマリースさんくらいの年であれば、婚約者がいたり既に結婚していてもおかしくない。女王の言葉でそれに気づいた私は、質問に質問を被せてしまった。
「まだちゃんと恋人とは言えなくて……。父が厳しい条件を出して、このまま学校を首席で卒業できたら、正式に婚約者になれるの」
どこかで聞いたような話だが、ひょっとして、そのお相手は……。
「ちょっと変わってるけど頑張り屋さんでしょ、クリス君」
「やっぱり……」
クリスさんにあんなに厳しい条件を出すなんて、どこのユーリさんかと思ったら、まさかのご本人だった。結局聞けなかったクリスさんのお相手はマリースさんだとは……。
私は娘を溺愛するユーリさんの様子から、これまでとこれからのクリスさんの苦労を思い、同情してしまう。弟と、何気に祖父も手強そうだ。
……クリスさん、頑張れ!




