私がやらなきゃ
「それにしても……痛いなぁ。手加減なしですか?」
シオン皇子は稔くんに蹴られた左肩を擦りながら、稔くんを見る。稔くんは足を動かそうともがきながら、皇子に向かってふんっと鼻を鳴らす。
「悪者に情けをかける必要はないって師匠が言ってた!」
「悪者って……本当に失礼ですね。それに、あなたが喋ると話が進みません。“黙ってそこから動かない”」
シオン皇子が命じると、稔くんはぐっと下唇を噛んで押し黙る。
「これでよし。さて……ひぃ!いい加減、出てきなよ!」
シオン皇子は、アーティの正面にある黒い壁に向かって話しかけている。私にはただの壁にしか見えないが、おそらくそこに聖女ことひぃ様がいるのだろう。しかし、皇子の呼び掛けに応える気配はない。
「絶対的毒耐性を持つマオレク・セジュの体を研究して、“私”は今度こそ毒に負けない体を手に入れる。サザールの連中はまとめて始末する。表立ってやるとまた邪魔が入るかもしれないから、サザールの将軍と姉上を二人きりの時に殺して、互いに疑いの目を向けるよう仕向けるんだ」
「……将軍を!?」
ハワード将軍は今、スイレン皇女と面談中のはずだ。まさか、そこを狙って……?
「大丈夫だよ」
動揺する私にすぐ傍から落ち着いた声が聞こえる。……この人がそう言うなら、大丈夫なのだろう。きっとセイヤ様あたりが手を打っているのだろう。
「君が寂しくないように、この異世界の少女を置いてあげる」
シオン皇子が言いながら私に近づいてくる。私を捕まえるつもりだろうか?
私が後ずさると、ハクが間に入って低く吠えた。シオン皇子はそれ以上近づいて来なくなったが、フッと不適に笑って壁に向き直る。
「今度こそ君の兄にも、我が弟一派にも、世界にも邪魔させない!だから、ひぃ……っ!」
シオン皇子……皇帝ショウエンの目的はただ一つなのだ。
──福永姫子を永遠に傍に置く。
そこに彼女の意思や、周囲の意見は関係ない。そのために手段も選ばず、ただ彼の欲望を押し付けているのだ。
「何でそうなるんですか?」
兄と離れてまで元の世界に帰る術を探しに出た聖女。
突然、縁も所縁もない世界へ呼び出され、帰る術を用意されていなかった。それでも、絶望することなく、希望を持ち続けた──彼女は、私と同じだ。
でも、私が出会ったのは一緒に帰る術を探して支えてくれるアーティで、聖女は帰れないように閉じ込めて他者から隔離する人だった。
彼女と皇帝が実際にはどういう間柄だったのかはわからない。恋人だったのか、皇帝の一方的な片想いなのか。
でも、助けを求めた彼女が、こんな状況を望んでいないことは確かだ。
「何で彼女の話を聞かないんですか?何で一方的に気持ちを押し付けて、閉じ込めるんですか?」
私が怒りをこめて問いかけると、シオン皇子はゆっくりとこちらを振り返る。
「彼女は元の世界に帰りたいのに、何百年もこんな所に一人閉じ込めて……それにアーティや何も知らない学園に来る人達を使って……!」
「黙れ!!」
シオン皇子はつかつかと私へ詰め寄ると間に入ったハクを蹴り飛ばして、私の手首を掴んで引き寄せた。子どもの体とは思えない力だ。
「お前に私とひぃの何がわかると言うのだ!?」
「桃子!」
アーティが焦った様子で、糸を引きちぎろうとしている。
「……ほぉ。この少女はお前にとって余程大切な存在と見える。今までになかった反応がこうもあっさりと出てくるとは」
「桃子を放せ」
アーティは糸をぎりぎりと引っ張りながらシオン皇子を睨む。感情を出すこと事態珍しいが、こんなに怒った様子のアーティは初めて見る。
でも、今はアーティは動けない。私は剣も銃も上手く扱えない魔法も使えない。武術もできない。だけど、やらなきゃ。私がやらなきゃ。私がアーティを助ける!
私はぐっと歯を食い縛り、シオン皇子に目を向け、マリースさんに教わった護身術で捕まれた手を引き抜く。
物を掴む手には、親指とそれ以外の指で繋ぎ目が出来る。そこを狙って手を抜くのだ。抜いたらそのまま腕を回して相手の腕を払い、その隙に相手を避けて自分が向いている方へ走る。後退りは後ろに何があるかわからず危険だし、振り返って逃げるのは時間がかかってせっかく出来た隙がなくなってしまう。だから、自分が向いている方向へそのまま逃げるのだ。
「この……っ!?」
シオン皇子は私を追って手を伸ばすが、途中で立ち止まり、ぐらりと体が揺れる。
「?……なん、で……意識が……」
「ようやく毒が回ったか」
シオン皇子が立つこともままならず、膝をつくと、彼の傍の空気がぐにゃりと曲がり、人影が現れる。
「お……前は……」
「私がいない方が油断してくれると思ったので、偽装でいないものに見せていたんですよ」
姿を現したのはリヒト先生の偽装のままのリコさんだ。ここに来る直前、別チームに別れたと見せかけて、一緒に来ていたのだ。その手には、小瓶が握られている。
「毒、だと……」
「うちの親戚の特製ブレンドですよ。速効性の空気中に散布するタイプです。苦しむことなく、意識がなくなりますよ」
いつもの飄々とした様子に戻ったアーティがけろりと告げる。
アーティが隠し持っていたクリスさんの試作品を稔くんが策と共に預かったのだ。
私と稔くんが囮になり、偽装で姿を消したリコさんが空中にそれを撒く。私達は中和剤を予め投与しているので、シオン皇子だけにその効果が現れるというものだ。
「私は……また、毒にやられるのか……」
ついに倒れたシオン皇子は、聖女がいる壁の向こうへ手を伸ばす。
「ひ……ぃ……」
シオン皇子はそのまま意識を手放した。
「まあ、毒って言うか、超強力な睡眠薬なんだけどね」
「あっくん、わっる~い!」
シオン皇子の意識が完全に途切れたからか、自由人達が自由になった。
私はその様子にほっと息を吐いて、その場に座り込む。
怖かったし、疲れた……。
そんな私を背後から近づいた誰かがぎゅっと抱き締めた。
「頑張ったね、桃子。お陰で助かったよ。ありがとう」
アーティはそう言って抱き締めたまま、頭を撫でてきた。私はドキドキしながらも、心地いいそれにされるがままだった。
──アーティが無事で、本当に良かった。




