体を動かせるって素晴らしい
ハワードは考える。
こんなに頭を悩ませるのは初めてかもしれない。
元からハワードは頭を使うことが得意ではなく──これを言うと甥っ子姪っ子辺りは喜んで「頭に栄養が足りていないんですね、わかります」とハワードの目より上を見てからかってくるだろう──武術を得意としていた。兄が頭脳戦や魔法を得意としていたので、同じものではなく別の道を極めて周囲に認められたかったというのもある。それに、部下も暗躍が得意だ──我ながら、こんな部下はどうかと思うが、上手くやっている。
しかもハワードは、兄の生前もその直後もただひたすら国のため、王となるため戦ってきて、この年まで色恋とは縁遠くあったのだ。そのことを今のハワードは非常に後悔していた。
というのも、ヒラン皇帝が、婚約者となったスイレンと二人きりにさせたのだ。
何が「後は若い二人で……ちょうど庭園の花が見頃ですよ」だ。私は三十七だ。そんなに若くないぞ。家族以外の女性と仕事以外で二人きりで話したことないぞ。自分でつっこんで悲しくなったぞ。
ハワードは混乱している。サザールの守護神も形無しだ。
こんな時に笑いを堪えながら助け船を出すコンラートも、からかいながら背中を押すセイヤも生憎別件で不在だ。そういえば、学園の方はそろそろ片付いただろうか……。
「あの……」
ハワードが一言も発することなく、現実逃避をしていると、スイレンの方からおずおずと声を上げた。
叔父上。男としても年上としても、それはどうかと思います──というセイヤの幻聴が聞こえたハワードは、慌ててスイレンと顔を合わせた。
「スイレン皇女!」
「は……はい?」
「その……学園生活はどうだ?生徒会長をしていると聞いたが……」
「とても充実しています。先の皇帝は本当にすばらしいものを創設してくださいました。皆が平等に学べる所など、世界でも匆々ないでしょう」
すばらしいもの──皇女はその学園にサザールの聖女かもしれない少女が閉じ込められていることを知ったらどう思うだろう?創設者である皇帝が学舎を別の理由で作って利用していたと知ったら?
ハワードは、何も知らないであろうスイレンの様子を哀れに思った。こんな一回りも上の男と結婚させられることも……。
「……皇女は、その学舎で勉学以外は何かなかったのか?その……誰かを好きになったり……」
青春真っ只中のスイレンはきっと恋愛もしていたはずだ。それをこんな年上の男との縁談が来てしまい、さぞかし恨んでいるだろう。そう思ってハワードが問いかけるが、スイレンは曖昧に微笑んだだけだった。
さらに質問を重ねようと思ったその時、ハワードは背後に不穏な気配を感じた。
「え……ハワード様!?」
鋭利な武器が飛んできたので、ハワードはスイレンを抱え込むようにしてそれを避ける。そして飛んできた方向から当たりをつけて、同じく武器を飛ばす。それは弓矢の矢のようなもので、弓なしでも飛ばせるよう羽を無くし、木は使わず全て鋼を使用し、掌程の大きさにしたものだ。
その武器を避けて茂みから飛び出してきたのは黒装束の者達──男女の区別は出来ないが、明らかに影の仕事をする者達だ。
「……セイヤの言ったとおり、やはりこちらも狙ってきたか」
「どういうことですか!?この人はいったい……!?」
「私とあなたを狙った暗殺者ですよ」
「あ……ん、さつ……?」
スイレンは何を言っているかわからないという顔でハワードを見る。いきなり命を狙われていると言えば、当然の反応だろう。
「あの者だけでなく、複数いるようですね──とっとと出てこい」
殺気を含んだハワードの低い声に、暗殺者はぞくりと恐怖を覚えた。サザールの守護神と呼ばれる男だ。まともにやり合って勝てる相手ではない。
「少し感謝してやるぞ。やはり私は頭を使うより、体を動かす方が性に合っているからな!」
ハワードはニヤリと笑ってそう言うと、暗殺者へ向かって駆け出すのだった。
「どっちでもいいですよ。どっちも僕なので」
正体を見破られたシオン皇子こと前世皇帝ショウエンは、ケロリとした様子だった。アーティを捕らえて大分有利な状況なので、余裕綽々なのだろうか。
「では、元ショウエン様。この学園は聖女を閉じ込める巨大な魔法陣。陣の中にいる人が魔力を発した時に聖女を封じ込める力として吸収する仕組みだ。学園という隠れ蓑は若い生命力が常にやって来るからうってつけということですよね?」
アーティの追及で、リコさんの推測は正しかったとわかる。
「なんだか含みのある微妙な呼び方ですが……僕の目的もご理解いただけたようで何よりです。そういうわけで、若くて膨大な魔力を持つあなたには、ここで枯れ果てるまで魔法の強化に貢献していただきますよ」
「そんなことさせるわけないっしょ!」
稔くんは言いながら駆け出し、シオン皇子に跳び蹴りを入れるべく踏み込んだ。素人相手に有段者が容赦ない技を仕掛けるなと叱るべきところだが、現状敵のシオン皇子相手であればいいだろう。ただ、問題は……。
「稔くん、迂闊に近づいちゃダメ!」
私は稔くんに向かって注意を促すが、既に遅く、稔くんはシオン皇子の肩に蹴りを当てて吹き飛ばしていた。
シオン皇子は、地面に落ちた後もズザザッと音を立てながら数メートル転がっていた。軽い子どもの体では、稔くんの蹴りの威力は凄まじいだろう。
「あーあ……稔くん、やっちゃったね」
「ぅえっ!?やっぱちっちゃい子苛めてるみたい?俺、カッコ悪い!?」
アーティの言葉に慌てた様子で反応を示す稔くん。自分より小さい子があれだけ吹っ飛べば、そんな反応になるかもしれないが、相手が相手だ。問題はそこではない。
「──捕まえましたよ」
シオン皇子はクスクスと笑いながら立ち上がった。その雰囲気は、とても不気味だ。
「レイノルドさんは、僕の魔法にも気づいていますよね。彼には忠告してあげなかったんですか?」
「あー……してなかったかも?」
「何、何?俺、何しちゃったの?」
シオン皇子とシオン皇子の会話に不安を覚えた稔くんは、二人を交互に見ながら問いかける。
「あなたは僕の魔法に捕まったんですよ。あなたは“そこから動けない”」
「はあ?何言って……!?」
「どうしたの、稔くん?」
「やっべぇ……動かない!」
稔くんは手を使って足を持ち上げようとするが、地面に縫い付けられているように足はびくともしなかった。
「多分、あのマオレク王子を狙った刺客の様子から、シオン皇子の魔法は“暗示”。触れた者の脳に直接命じて行動を制限するから、気をつけて」
「だから、遅いんですって!!」
アーティは拘束されていて、稔くんも捕まった。残された私は、とんでもない事態に頭を抱えるのだった。




