地下への道
トイレの個室の側面の壁は、仕掛け扉になっていた。稔くんがうっかり少し開けておいてくれたおかげですぐにわかったが、完全に閉まっている状態であれば、仕掛けを探すのに苦労しただろう。それくらい、何の変哲もないトイレに見えるよう作られているのだ。
「そして、これが地下に繋がる階段か」
「暗いな」
「サウラの洞窟もこんなもんだぞ」
コンラートとロンの言葉を受け、ハクはしれっと何でもないことのように言った。実際、ずっと暗い洞窟で生活していたハクにしてみれば、この灯りのないない階段くらい平気で進めるのだろう。
「お前はいいよな。鳥目の俺は、何も見えねぇ」
一方、鳥であるロンにとっては、酷な条件のようだ。
「俺、懐中灯持ってるよ」
「準備いいな」
稔くんがすっと取り出したのは、魔力を蓄えた源で灯りがつくこの世界の懐中電灯だ。
「彼はいつどこで迷子になるかわからないから、見た目より沢山入る魔法の収納袋に色々持たせてるんだよ」
「……ご迷惑をおかけしてます」
「最初はちょっと方向音痴なだけかなと思ったけど、あの時にわかったよ。学園の外壁を探ろうと待ち合わせて、何故かツルハシを借りに行って、別の国に行った時にね。彼は予想の範疇を越えた、とんでもない方向音痴だって……」
「壁を確認するのに使えるかな?って仲良くなった工具屋のおじちゃんに借りに行ったら、知らない道に出ちゃって」
「君はそこから迷子なんだよ!何で壁を壊す道具で確認するんだよ!何で学園の近くの町から出て、外国行っちゃうの!?」
「何はさておき、今回は迷子になってくれるなよ。現状、君の捜索まで手が回らないから」
「大丈夫!ちゃんとトーコちゃんについていくから!」
小さい頃から、家族以外であれば兄か私についていくよう言い含められている稔くんは、私が傍にいる時は一人でふらふら歩いていくことはない不思議な習性がある。早く親離れならぬ藤田兄妹離れしてほしいものだ。
「コンラート。先程、ミノルくんが言ってた件は、彼らに任せて大丈夫なんだな?」
「彼らはこういう仕事に慣れているから問題ない。ただ、手薄になった分、大人の我々がしっかり子ども達を守らねば」
「わかっている。さっさと助けに行こう」
──待っててね、アーティ!
私は心の中で、彼の無事を願ってそう呼び掛けたのだった。
どれくらい下りてきただろうか──
寮で上った階数はゆうに越え、おそらく十階以上は下っただろうが、表記がないのでわからない。
ようやく全ての階段を下りた時、ぱっと灯りが点き、一本の通路が浮かび上がる。
「たしか、ここを真っ直ぐ行った所にあっくんがいたよ」
「さすがに一本道だから迷わずに出て来れたんだね」
「隠し扉の先の通路に迷子になって入り込むなんて、ありえないことだけどな」
私が稔くんの行動を分析していると、ロンは呆れた様子で稔くんの方向音痴を嘆いた。……うん、なんかもう、今更?
稔くんに対する諸々は後回しにして、まずはアーティの救出だ。道すがら、稔くんからアーティの様子を聞いている。
──アーティはシオン皇子に捕まっているのだ。
「あっくん!どうしたの、その格好!?」
複雑に絡まった糸に拘束されているアーティの元へ、突如現れた稔が駆け寄る。
「稔くん、またとんでもない所に迷い込んだね。よく無事だったよ」
「何のこと?それより、今ほどいてあげるから!」
稔はアーティを拘束する糸の結び目を探すが見つからず、ならばと力任せに引っぱるが、千切れる様子を見せない。
「ダメだ~!」
「だと思った~」
どうにもできなかった稔は、アーティの前に回ってしゃがみこんだ。
「何でこんなことなってんの?蜘蛛と喧嘩でもした?」
「ううん。ストーカーと」
「マジで!?あっくん、美形だもんね!狙われちゃったか!」
「僕じゃなくて、彼女のストーカー」
アーティの視線の先に目をやり、稔はようやくもう一人の存在に気づいた。
「誰?」
「はじめまして、福永姫子です。あなたも桃子さんと同じ世界から来たのよね?私もよ」
「自己紹介はまた今度ゆっくりね。いつ、ストーカーが来るかわからないから、現状とやってほしいことをざっと話すよ」
姫子の姿と発言に驚く稔の気を引き戻し、アーティは説明を始める。
──昨日、僕は先生の部屋から寮に戻る途中、マオレク王子に近づく存在に気づいた。彼にはジーク・コスナー特製の結界を張っているから近づいたところで触れられる者はそういない。けど、危険は排除しなければならないから、僕はそのままマオレク王子の部屋に向かったんだ。
そこにいたのは、フローラ様と同じくらいの年頃の少年だった。たしか、ヒラン皇国の皇室リストの中にいたような気が……ああ、第三皇子のシオンって人だ。
その皇子様は、マオレク王子の部屋に侵入しようとしてたみたいだけど、結界に弾かれてた。
で、僕が声をかけると、待ってましたと言わんばかりに笑顔でこっちを向いて、いきなり攻撃を仕掛けてきたんだ。
まあ、当然交わしたけど。その後も無言で攻防を続けたんだけど、そろそろ反撃しようかと思ったら、急に体が動かなくなって……。
アーティが気づいた時には、足元に複雑な魔方陣が広がっていた。
「捕らえましたよ。これで、あなたはそこから動くことができない」
よく考えれば、学園は彼の国。罠くらい仕掛けられていて当然か、とアーティは冷静にシオンに目をやった。
「僕をどうするつもり?」
「この学園のからくりに薄々気づいているんでしょう?」
「まあ、何となく。ひぃ様とあなたの正体はまだピンときてませんけど」
アーティが素直に答えると、シオンはゆっくり彼に近づいてくる。
「あなたの魔力があれば、彼女を閉じ込める結界はより強固なものになる。世界に名の知れたアティール・キース・レイノルド………」
シオンはふと上機嫌で語っていた口を閉ざして、アーティを睨む。
「キース……セルフィス、キース……まだ゛私゜の邪魔をするのだな」
シオンの口から低く、唸るような呟きが漏れたと思った瞬間、アーティの視界は闇に包まれた──
「──で、気づいたらこの状態で、目の前に彼女がいた。彼女こそ、ひぃ様で、サザール国の聖女様」
「マジで!?俺もパワーアップしてください!」
興奮して詰め寄る稔に姫子は困惑しながら、アーティを見た。
「うん、稔くん。気持ちはわかるけど、それも脱出してからにしよう」
「そっか……あっくんピンチだったもんね」
現状を思い出した稔は大人しく引き下がり、アーティの前に戻った。
「とにかく、あっくんはその皇子に捕まっている状態で、簡単に拘束を解けそうにないんだね。で、聖女様も似たような状況ってこと?」
「そのとおり。たから、稔くんには何とか桃子達のところに戻って伝えてほしいんだ」
「オッケー!多分、階段からここまでは道は一つだったから、途中までは迷わずに行けると思う」
そもそも何でこんな地下深くの秘密の通路に迷い込んだのだろう。その疑問を姫子は空気を読んで飲み込んだのだった。




