ただ者じゃない
学園は自宅から通えない職員のために、職員寮も敷地内に用意されている。リヒト先生は、彼が与えられたその寮の一室に私達を案内した。作りは、私の世界でもよく見る1LDKだ。
私達を部屋の中に入れると、リヒト先生はすぐに閉めたドアに向かってぶつぶつと何か呟きだした。どうやら、魔法をかけているようだ。
「おそらく、偽装か結界の魔法だろう。これからここでする話が外に漏れないようにな」
私がリヒト先生を見ていると、セイヤ様が推察を話してくれた。
「ですよね、リコさん?」
「……ああ、ほんと……チクったの誰だ?コンラートか?」
にっこり笑うセイヤ様に、リヒト先生は苦い顔をして溜め息を吐く。
「……その嫌みな言い方はやめなさい。もう話してもいいから」
セイヤ様に対してこの気安さ……名前も敬称なしに呼んでいるし、やっぱりただの諜報員ではない。
「察しのとおり、私の魔法は偽装。幻術に似ているね。あるものをないように、ないものをあるように仕立てたり、偽物をより本物に近く見せたりすることができる」
「その魔法で、あなたは優男風の教師に擬態しているんですね」
「そういうこと。……今、この部屋は誰もいない、話し声もしないように偽装してるから、改めて自己紹介するよ」
リヒト先生は私に向き直って、私の目の前に手をかざす。
私が反応に困った数秒の内に、すっと先生の手が離れ、視界が開ける。
しかし、目の前に先生の姿はなく……代わりに女性がいた。
サラサラの黒髪に、白い肌。白衣に眼鏡といった先生と同じ配色と格好だが、猫目という点が目元まで優しげな先生とは違う印象に見せる。何より、顔つき、体つき……どこからどう見ても女性だ。
「驚いた?普通に男装してもこの通りだから、いつも偽装して教師してたんだよ」
イタズラが成功して喜ぶかのように、にんまりと猫目を細めて笑う目の前の女性を、私はぽかんと見つめていた。
リヒト先生……いや、リコさん?が、女性……?
「“母上”の変装を見破れる人なんていませんよ。父上や私達ならともかく」
「……は、は……うえ……?」
私は隣のセイヤ様を見上げる。セイヤ様はにっこり笑みを浮かべている。相変わらず、祖母であるセリーヌ女王にそっくりだ。続いて、リヒト先生に再び目を向ける。その顔は、セリーヌ女王とは似ていないのに、でも、セイヤ様を感じさせるもので……。
「……セイヤ様の母上!?」
「やっと理解が追いついたか」
セイヤ様は私の反応に、楽しそうに笑っている。
だって、想像できるはずがない。ヒランの学園で教師をやっている人が稔くんを保護してくれたサザールの諜報員で、その人は男に見せかけた女で、しかもサザール皇太子のセイヤ様の母親だなんて……。セイヤ様の母親ということは、前皇太子妃……名前は、たしか、リキュア。元々病弱で、夫である前皇太子が亡くなったショックで、実家であるヤタカ国に帰って療養している王女様……。
「何やってるんですか、こんな所で!?」
「本当に……それは、私も言いたい台詞だな」
私の言葉に同調したセイヤ様からは笑みが消え、真剣な表情で母を問いつめる。
「どういうつもりですか?父上の死を嘆き、父上の思い出の詰まった場所から離れたいということでしたので、フローラも泣く泣く見送ったのですよ。それが失踪した上に、こんな所で潜入捜査なんて……」
「フローラには、母が失踪したと言ったのかい?」
「言えるわけないでしょう。ヤタカ国で療養して、戻ってきてくれると信じて待ってますよ」
「……うん、うん。優しいお兄ちゃんで、母は嬉しいよ」
リヒト先生は嬉しそうに笑って、セイヤ様に近づくと、ぐしゃぐしゃと頭を撫でた。
「ちょっ……止めてください!子どもではないですから!」
動揺するセイヤ様は珍しい。ちょっと顔が赤くなってるし……。
「子どもだよ。いくつになっても、セイヤとフローラは、私と先生の子だ」
リヒト先生のその顔は、本当に優しくて、愛しいという気持ちが溢れていて……私は、今は異世界の、自分の母親が恋しくなった。……お母さん、ちゃんと家事できてるかな?お兄ちゃんがいるから、大丈夫だと思うけど。
「──で、結局、このリヒト……いや、セイヤの母ちゃん?は、何でここにいるんだ?」
ほのぼのした空気が流れていたところを、ハクが話を戻してくれた。さすが、ハク。できる狼。
「リコでいいよ、狼くん。私の愛称なんだ。リキュアでもリヒトでもどちらにも使えそうだろう?でも、出来れば、リヒトの姿の時はリヒトと呼んでね」
「おう!俺もハクでいいぞ!それにしても、変わった愛称だな」
「本当にね。夫がつけてくれたんだけど……七つ違いでね。出会った時、私が子どもだったものだから、リキュアの“リ”に、子どもの“コ”。私が大人になってもそう呼ぶものだから、近しい人達にはすっかり定着しちゃったよ」
なるほど。だから、セイヤ様やコンラートさんは“リコ”と読んでいたのか。……待って。コンラートさん、皇太子妃を呼び捨てにしてたの?それに、ある人を巡るライバルって言ってたけど……コンラートさんは男性、リヒト先生は女性で……え?どういうこと?どういう関係?
私がまた混乱していると、リヒト先生にふにっと頬っぺたをつつかれた。
「勇者さんも。リコって呼んでね。私はトーコくんって呼ばせてもらうから」
「あ……はい」
なんとなくで返事してしまったが、私は畏れ多くも、前皇太子妃をリコさんとお呼びすることになった。
「さて、あんまり長話をしていると怪しまれるから、手短に話すね。まず、私がここにいる理由はトーコくん達と同じ──ヒランで息子が治める予定の国に仇なす動きがあったから、潰しとくためにその首謀者と目的を探っていたら、この学園に辿り着いたんだよ」
リコさんはさらりと言った内容は、目的はわかるが、やり方が王女様のすることじゃない。何で、自分で潜入しちゃうの?
「首謀者と思われる人物は、三百年前の皇帝と同じく、この学園によく訪れている。図書館で調べもの、学生の姉を訪ねて。理由は様々だけど、特に多いのが、図書館で調べもの。他の理由で来ても、帰る前に必ず図書館に寄っている」
学生の姉。図書館で調べもの。サザールとの敵対を目論見、実行できるくらいの権力……。
「……まさか、首謀者は……?」
「──現ヒラン皇帝の息子、シオン皇子」
シオンは軽い足取りで暗闇の中を進む。明かりは彼が持つらんたんだけだ。それでも、迷うことなく、目的地に辿り着く。
「ひーぃ。聞こえてるんでしょ?」
シオンは黒い壁に向かって話しかけるが、返ってくる声はない。それでも、彼は上機嫌に話を続ける。
「ひぃと同じ、異世界から来た女の子と会ったよ」
壁の向こうで、はっと息を飲む気配がする。それを察したシオンは、にんまりと笑みを深める。
「ねぇ、連れてきてあげようか?ひぃと一緒の部屋に入れてあげるよ。そしたら、ひぃは寂しくないでしょ?もう帰ろうとしないよね?」
「……桃子に何かしたら、許さない」
壁の向こうとは別のところから声がして、シオンの機嫌は一気に降下し、眉間に皺を寄せて、声の主に目をやる。
「やあ、まだ生意気を言う元気があるんだね……アティール・キース・レイノルド」




