母による愛の鞭
サザールに進攻していたフーリヤは、あっという間に撃退された。
外国が攻めてくることを予想していたサザールは、あらかじめ軍隊を備えていた。そして、それを統治するサザールの守護神・ハワード将軍、次期皇太子のセイヤ王子によって、フーリヤ軍は防戦一方となったのだ。そこへとどめを刺したのは、悪魔と恐れられるアティール・レイノルドだ。彼は将軍達が敵を引き付けている間に、その本陣に乗り込み、一人で押さえてしまった。飄々とした顔で兵士を蹴散らし、大将を踏みつける姿は、当に悪魔。
捕らえられたフーリヤ軍は降伏し、国に引き返していった。王子達はそれを容認し、今はサザール王宮へ帰還している最中だ。
……という話を、私はなぜか曲者から聞かされている。
曲者は、レイノルド邸の中庭でのお茶の時間に同席し、マリースさんに煎れてもらったお茶を飲んでいる。アーティ達の情報は嬉しいが、とりあえず……。
「何であなたがここにいるんですか!?」
「え?美人さんにお茶でもどうぞって言われたから……」
「そうじゃなくて!あなた、将軍に雇われていたんでしょ!?」
マリースさんもマリースさんで、何を暢気にお茶のおかわりを用意しているのだろうと見ると、彼女はいつものほわんとした笑顔でとんでもないことを言ってくる。
「トーコちゃんにはまだ言ってなかったね。彼はヨハンネくん。サザール王室で雇うことになった諜報員だよ」
「……は?」
「彼は何でも屋で、犯罪紛いのことをたくさんしてきたんだけど、諜報員としての素質は十分あるってお祖父様が勧誘したの」
「ほぼ脅迫でしたけどね!」
曲者は明るい調子で言った。
「宰相さんも怖かったけと、美人さんの尋問ときたら……」
「トーコちゃんに変なこと言わないでね、ヨハンネくん。それに、私の名前はマリースだから、ちゃんと呼んでね?」
ものすごく気になるが、マリースさんの笑顔にプレッシャーを感じた曲者の顔がひきつるので、聞かないでおこう。
「ま、それはともかく……将軍さんもコンラート・ザイールさんも逃げることなく、大人しく王子さんに連行されているそうですよ。到着次第、すぐ尋問が始まるそうなので、証人として勇者さんも王宮に来ていただくことになります」
フーリヤを追い返す間、とりあえず私はレイノルド邸でゆっくりさせてもらっていた。疲れきっていた私は、一日目は泥のように眠り、元気になった後はすることもなく、アーティ達とも連絡がとれなかったので、曲者からこうして情報を貰えたのは有り難かった。
「そういえば……ソウマ達も捕まったんですか?」
王子達が国境へ向かった後、ヨシュアさんが結界を解いてあの屋敷へ入ったが、もぬけの殻だったそうだ。チンピラは覆面達を倒して私の部屋まで辿り着いたと言っていたが……。
「コンラート・ザイールさんと一緒に連行されている部下は、あの人に同行していたジークさんだけですよ。他の部下さん達は、チンピラさん達の襲撃の時、わざとやられたふりをして、こっそり逃げ出したみたいですね」
「そうですか……」
将軍やコンラートさんにはきっと厳しい罰が待っているだろう。彼らは本当に悪い人に思えない。出来ることなら、せめてソウマと覆面達はこのまま捕まらず、どこかで平和に暮らしてくれたらいいのに、と私は思っていた。
「失礼します」
そこへ、ミリアさんがやって来た。案内の使用人がいないところを見ると、彼女もヨシュアさんと同じく放置される方の客人と判断されているようだ。……貴族のお嬢様なのに、いろいろと大丈夫なのだろうか?
「セイヤ様達がお戻りになりました。ここにいる皆さん、全員王宮にお越しください」
いよいよ来たか……。
ミリアさんに促され、私は恐らく、今度こそ最後であろう……いや、最後にしてほしい勇者を演じるために、王宮に向かった。
謁見の間には王と女王、宰相、それに帰還してそのままで来たのであろう、少し疲れた様子の王子と、珍しく軍服を着ているアーティがいた。
私とマリースさん、曲者ことヨハンネさんの到着を確認した王子は、アーティに目配せする。それを受けたアーティは部屋から出ていった。
「殿下。無事のご帰還、お慶び申し上げます」
「この面子だ。堅苦しいのはなしだ、マリース」
ドレスの裾を持ち、お辞儀をするマリースさんを、王子は苦笑して制した。
「お連れしました」
マリースさんが顔を上げるのと同時に、部屋の扉を開け放ち、先程出ていったアーティが戻ってきた。後からは将軍とコンラートさんが続く。縄等はされていないが、剣は没収されたらしく、丸腰の彼らは、連行されているというのに、堂々としている。その後ろには剣の柄に手を添えた状態でヨシュアさんや数人の兵士が付いている。将軍とコンラートさんは、王の前まで連れていかれた。
「さて、ハワード。私に言いたいことがあるのだろう?」
王は連行された息子に落ち着いた様子で尋ねた。
「……既にセイヤから聞いているでしょう。私の方が王に相応しいと思って、セイヤ失脚を目論み、失敗した。それだけです」
全てが露呈し、観念したらしく、将軍は潔く真実を告げる。それを聞いても、王と女王は顔色ひとつ変えず、平常のままだ。王は次に、コンラートさんに目を向ける。
「コンラート・ザイール。お前は何かあるか?」
王に問いかけられると、コンラートさんはその場に跪いた。
「恐れながら、申し上げます。ハワード様は私に唆されただけです。どうかハワード様には寛大なご処分を、私には厳罰をお与えください」
「何を言っているんだ、コンラート君!?」
コンラートさんの言葉に将軍は驚いて反論する。この場で他に彼の言動に驚いているのは私だけで、王達は冷静なままだ。そんな中、セイヤ王子がすっとコンラートさんの前まで出てくる。
「やはり……お前の目的は“それ”だったんだな」
コンラートさんは穏やかな笑みを浮かべて王子を見上げた。
「次期皇太子とその叔父である将軍が争いを起こしたとあっては、国の威信に係わります。全てはこの、コンラート・ザイールが起こしたものとして納めてください」
明らかに将軍を庇っているのだろうが、コンラートさんは意思が固いらしく、強く言い切った。
しかし――
「争い?そんなもの、あったか?」
王のあっけらかんとした発言に、コンラートさんと将軍は目をしばたかせる。私も何を言い出すのか王を凝視してしまう。
「子どものようなケンカはあったかもしれんが、国を揺るがすような大事ではない」
「しかし、父上!私は、勇者誘拐を……!」
「人的被害が出たか?勇者には苦労をかけたが、死傷者はいない」
「……若者達を巻き込んでいます」
「あの素行不良の者達は人身売買、強盗・窃盗の常習だ。上手く巻き込み、逮捕できたのは手柄だったな」
将軍の反論を、王は一蹴した。
「西の町の魔物は、私が仕向けたものです。勇者を倒すため狂暴化させました」
コンラートさんも自ら罪を告白するが、王ははんっと鼻で笑った。
「猫達の暴走は、猫達自身と、未熟な子どもが魔法に失敗しただけだ。猫も子どもも魔法研究所で預かり、教育するということで解決だ」
「子ども……ソウマのことですか?」
「自分から申し出てきましたよ。マスターは悪くない、と。今は魔法研究所に保護されています。他の部下の方々も出頭し、ジーク・コスナーと同じ監視付きの別室で待機しています」
ミリアさんが伝えると、コンラートさんは一瞬目を丸くするが、すぐにぐっと歯を噛み締めて俯いた。
「そんなわけで、今回の騒動は表向きは解決するのだが、お前達にはそれとは別にきちんと罰を与えねばな」
王がニタリと笑って、それまでぴんっと張っていた背中を丸めて身を乗り出す格好になる。……なんだかこの王様、先程から柄が悪いような気がする。
「……覚悟は出来ております」
「私もです」
コンラートさんと将軍は神妙な面持ちで王の言葉を待つ。
「まず、ハワード。お前はヒラン国の皇女と結婚しろ」
「政略結婚ですか……」
「お前もいい年なんだし、ちょうどいいだろう。本当は好きな相手を連れてくるのを待っていたんだがな」
王は将軍には恋愛結婚をさせようと思っていたらしい。なんとなく、王族は早くに貴族や外国の王族と結婚するものだと思っていたが、将軍は三十七歳でまだ独身だった。
「それと、もうひとつ……」
それまで黙って王の傍に控えていた女王が前に出てくる。
「剃りなさい」
女王は笑顔で剃刀を取り出した。将軍はさっと青ざめ、すぐに自分の頭を押さえた。
「は……母上!それだけは……!」
「ハワード……もう諦めろ」
王は何故だか遠い目をして諭す。将軍は助けを求めて視線をさまよわせるが、宰相をはじめ、誰も目をあわせようとしない。私も目が合いかけたが、関わってはいけない気がして、さっと目を反らした。
「案外、全部ない方が可愛いかもしれんぞ?」
女王は剃刀を片手に持ち、もう片方で将軍の襟首を掴む。とっても良い笑顔だ。
「ちょっ……やめてください、母上ー!!」
――さようなら……ハワード将軍の髪の毛。
その場にいた者達はぐっと涙を堪えて、その最後を見届けた。セイヤ王子は女王と同じく、とっても良い笑顔で、アーティは興味がないのか、欠伸をしていたが……。




