若い時の苦労は買ってでもしろと言いますが
セイヤは執務室でいつも通りの業務をこなしていた。勇者が誘拐されようと、部下が家出をしようと、仕事はある。人員を割いてしまっているので、いつもより量が多く、出来るときにやってしまいたいのだ。
「セイヤくん」
セイヤが一息つこうと、書類をまとめているところへ、見覚えのある布を抱えたマリースが訪ねてきた。普段はあまり王宮に来ない彼女だが、昨晩は桃子のことを心配して泊まり込み、すぐに報せを受け取れるよう、待機していたのだ。
「ロンくんがこれを持ってきてくれたよ」
マリースはそう言って、テーブルに布を置いた。それはアーティがよく着ているローブで、何かを包んでいるようだ。マリースが結び目をほどくと、そこには、血だらけのドレスがあった。
「誘拐犯がいろいろ加工したみたいだってアティールくんから伝言」
一瞬、肝を冷やしたセイヤは、マリースの言葉ですぐに冷静を取り戻す。
「わざわざこんな細工をするということは……とりあえず、トーコは殺されたり、酷い怪我を負わされたりしてないということだな」
「……それでも心配だよ」
「大丈夫だ。アーティのことだから、彼女を守る術は考えているだろう」
俯くマリースを励ましながら、セイヤはこの後の行動について思案していた。この血だらけのドレスは、勇者が死んだと思わせるものなのだろう。そして、大衆に広めてセイヤの失態を露呈する気だ。セイヤ達が小細工を証明しても、一度根付いた人々の不安を払拭するのは難しい。このドレスは、すぐ処分した方がいい。セイヤがドレスを包み直そうとした、その時――
「入るぞ、セイヤ」
ノックもせずにハワードが部下を引き連れ、ずかずかと部屋に入って来た。部下の中に、最近は常に従っているはずのコンラートがいない。
「なんだ、それは!?」
セイヤが訝しんでいると、目敏くドレスを見つけたハワードが、わざとらしく声を上げる。
「これは昨晩、勇者が着ていたドレスではないか!こんな血だらけに……ああ、勇者は既に殺されてしまったのだな!」
「叔父上、落ち着いてください。その血は偽物ですから」
「わかるものか!どうする気だ、セイヤ!?お前が連れてきた勇者をこんな目にあわせて……お前の失態だぞ!!」
開けっ放しのドアから廊下まで響き、通りかかった者達が聞き耳をたてているのがわかる。セイヤは深く息を吐いた。
「鑑定していただいても結構ですよ。断言します、勇者は無事です。叔父上こそ、悪戯に人々を不安にさせることをおっしゃるなど、王族の自覚はおありですか?」
ここまで堂々と言われ、糾弾していたハワードの方が言葉につまった。盗み聞きしていた者達も、ハワードが言い負かされたのを悟り、部屋から離れていったようだ。
「……勇者が無事に戻るまで、お前の発言も意味を持たぬことを忘れるな!」
最後に捨て台詞を吐いて、ハワードは部下達と去っていった。
「あんなこと言っちゃって……今度こそ危害を加えられたら、どうするの?」
「犯人の目星はついている。その性格上、大丈夫だと判断した。まあ、あまり追い詰めすぎると何を仕出かすかわからんがな……それよりも、マリース。ちょっと頼まれてくれないか?」
先程立ち聞きしていた者達が、セイヤとハワードのどちらを信じるのかはわからないが、こうなっては気にしている余裕はない。セイヤは早急に犯人を完膚なきまでに打ち負かし、勇者の無事を証明する必要があった。貴族とは言え、軍人でもないマリースを巻き込むのは気が引けたが、致し方ない。
「トーコちゃんを助けるためなら、何でも協力するよ」
「すまん……」
それでも快く引き受ける幼馴染みに、申し訳なく思いながら、セイヤは周りを警戒して、耳打ちで指示を出した。
「わかった。結果が出たら報告するね」
「……マリース。お前、士官する気はないのか?」
セイヤは部屋を出ようとするマリースを呼び止めた。武術の腕はミリアを鍛え上げた程だ。気心も知れていて、傍に置けば、これ程頼りになる味方はそういない。くるりと振り返ったマリースは、にっこりと笑みを浮かべる。
「ないよ。私は軍人向きじゃないし、政略結婚要員だしね」
「それはないから安心しろ……」
一度、マリースが他国の王子に見初められた時は、本当に政略結婚の話が出たが、アーティの鬼神の如き所業により、彼女を政治利用してはいけないという暗黙の了解が出来たのだ。
「軍人が嫌なら、私の秘書はどうだ?」
「うーん……秘書をやるとしたら、お祖父様のかな?お祖父様を差し置いてセイヤくんに付いたら拗ねちゃいそう。お嫁に行くまでは傍にいなさいって言われてるし」
ジョージは常に冷静沈着で、冷淡そうにも見えるが、実は情に篤く、孫バカなのだ。本来なら、宰相より王子を優先すべきだろう。しかし、王族と宰相一家は親戚でもあり、永年この国に貢献している宰相は尊重されるべきだとセイヤも思っている。……マリースの結婚話が出た時に怖かった、というのもあるが。
「でも、協力はいつでもするからね。それじゃ、いってきます」
「無理はしなくていいからな」
「はーい」
笑顔で出かけるマリースを見送り、セイヤは仕事を再開した。結局、休憩にならなかったが、今日中に少しでも多く進めておくためだ。
「……医務室に行きたい」
しばらくは会えないだろう婚約者を思いながら、セイヤは溜め息を吐いてペンを走らせた。
誘拐されて二日目――
私は屋敷の外に出ることが許されず、屋敷内でも部屋の外へ行く時はソウマか覆面が付いてくるという軟禁状態にあった。時間潰しにと本を渡されるが、色眼鏡がないからほとんど読めない。こうなったら出来るのはおしゃべりくらいだ。あわよくば、何か情報を聞き出せるかもしれないと思いながら、私は傍に控えているソウマに声をかけた。
「ねぇ、ソウマっていくつ?」
「もうすぐ八歳です」
唐突な私の問いに、ソウマはすぐに答える。
「他の人はみんな大人みたいだけど、仲間の中で子どもはソウマだけ?」
「そうですよ」
「何でソウマはこんなところにいるの?」
それまで素直に答えていたソウマは、その問いには俯き、少し間が空いた。
「……戦争でお母さんと村がなくなって……助けてくれたのがマスターと、マスターのマスターなんです」
そんなことを聞き出してしまい、私の良心が痛んだ。
そして、コンラートさんと将軍がちょっと良い人かもしれないと思えてきた。
「誘拐は悪いことだってわかってます。でも、マスターも考えがあってのことなんです。だから僕、マスターの言う通りに猫やコウモリを操って……」
「ちょっ……待って!」
「はい?」
「猫を操ったって……まさか、子猫達に服従の魔法をかけたのは……?」
「はい、僕です。ちなみにあの場に逃げ遅れたふりをしていましたよ」
「もしかして、あの時の子!?」
本当に逃げ遅れた町の子どもだと思って、その子のためにもと頑張ったのに、それがまさか敵だったとは……。私はあの時の苦労を思い出し、がっくりと項垂れた。
「……ねえ、勇者さん」
「なに?」
「異世界から来たんですよね?勇者さんが住んでる世界ってどんなところですか?」
身を乗り出し、目をキラキラさせるソウマは、本当にただの子どもにしか見えない。私は戸惑いながらも、ソウマとお互いのことを話して時間を潰すのだった。




