女神に惚れた人間と、女神が愛した人間と・21
「ほぎゃああああ」
元気な産声があがったのは、陣痛が始まって半日、日付も変わろうという時刻だった。
「小さいな」
わが子の小さな手をつついて、ザーフは呟く。どうしても顔がにやけてしまうのは、心の底から幸せだからだ。
「本当に小さいなぁ……」
生まれた子供は娘だった。レオナの髪の色と、ザーフの瞳の色の、猿みたいな赤ん坊。
けれど、何よりも愛おしい赤ん坊。
「レオナ、本当にお疲れ様」
「ふふ、ありがとう」
疲れきった様子の妻は、それでも笑顔になった。娘を胸に抱くようにして、乳を飲ませている。
小さな小さな命が、必死で生きようとするのは、とても不思議な光景だった。
産湯を使わせた後、産婆さんとお隣さんは帰っていった。レオナの母親・エニフィーユが来ているのだからあとは大丈夫だろう、何かあったらすぐ呼んでねと言ってくれた。ありがたい。
お産の神レンゲは、のほほんとお茶を飲んでいる。茶を淹れたのはヘレンが生み出したヒドラ骨のサーバントだ。骨格の淹れた茶でも、神様、動じない。
「産後の肥立ちも問題ないわよぉー、あたしがついてたんだものぉー。だいじょーぶだいじょーぶぅー。このお茶美味しいわねぇー。下界もたまにはいいわねぇー」
「そうじゃな。レンゲがついておったのだ。問題なかろう」
義母もお茶をすすっている。山を越えたので安心したのだろう。
「レオナ様、ザーフ、何か食べますか?」
へレンが赤ん坊を覗き込みながら問いかける。
「レオナ様は食欲がないかもしれないが、ザーフ、お前つきっきりだったろ? 腹が空いているのではないか?」
「え? ああ……そういえば何も食べてなかったな」
「ザーフ、とにかく何か食べたらどうです? ヘレンのサーバントが軽い食事を作ってくれてますから」
間の抜けた声音で返答するザーフに、台所からエッセが声をかけてきた。レオナが赤ん坊にお乳をあげているので、気を使って見えない場所にいるのだ。
「そうよ、ザーフ。ご飯食べてきて?」
レオナにも言われ、ザーフは頷いて台所に行った。狭い台所の小さなテーブルにサンドイッチが乗っている。エッセが肩身の狭そうな感じで椅子に座っていた。隅っこにはヒドラ骨サーバントがちんまりと膝を抱えて座っている。邪魔にならない場所に座ってろと命令されたようだ。
「いろいろすまないな、エッセ、ありがとう」
「いやだな、水臭いことを言うなよ」
穏やかに笑い、エッセはザーフの手に癒しの魔法をかけてくれた。陣痛に苦しんでいた嫁が爪を立てていた傷も、綺麗に消えた。
「女の子か、元気に生まれてきてくれて良かった」
「そうだな。本当に、その通りだ」
サンドイッチをかじりながら、心の底から思う。
嫁も、子供も無事だ。元気に育ってくれれば良い。そうして、幸せになってくれたら、それだけで良い。
「まぁ、ザーフの子だから、もの凄く丈夫なのだろうと期待する。そして、中身はレオナ様に似ることを強く希望しておくよ」
「どう反応していいか分からんが……レオナに似てくれたらきっと優しい良い娘になるよな」
「そしてお前は娘を嫁になどやらんという頭の固い舅になるのだ」
台所に顔を覗かせたヘレンに茶化される。にやにやしているので、ザーフも軽口に付き合う。
「失礼だな。俺はそんなつもりはないぞ」
「なる。父親は娘に甘いものだ。見本がいるではないか」
と、彼女は上を指差した。
上。屋根の上。更に上。空の上。天界……嫁の父親、ザーフの舅、こちらを敵扱いしている主神ゼオ。まさしく見本。
「……いや、あそこまでは……さすがに」
日が暮れるまで、空は光が乱舞していた。娘を応援していたのか心配していたのか、ただ動揺していただけなのか謎である。夜になったらなったで、月や星が変な位置に出ていたりしていたようだ。弟神エクトもかなり動揺していたらしい。
ああはなるまい。ザーフはちょっと、心に誓っておいた。
「名前、考えないとな」
「なんだ、考えてないのか?」
「いや、レオナといろいろ考えてるよ。ただ、考えすぎてまとまらない」
苦笑する。どんな名前をつけてあげたらいいだろう。この子の未来に、素敵なことがあふれるような、寿ぐ名を。
おぎゃあ。うまれましたー。




