第67話 真珠の取引(異世界)
結局のところ、マルクナルドにはそう長く滞在しなかった。
うちの獣耳幼女たちとサリアさんは擬態薬を服用しているため、必然的にタイムリミットが発生する。加えて、サナちゃんの体調のこともある。
それでも、みんなしっかり楽しめたようだ。お腹いっぱいハンバーガーやポテトを食べて、たくさんお話をして、笑顔の絶えないひとときとなった。
別れ際には、サナちゃんを我が家へお招きする約束を交わしていた。腕によりをかけてオモテナシさせていただこう。
帰宅途中、車内で獣耳と尻尾がひょっこり姿を現しちゃったけど……到着間近だったので事なきを得た。薬の品質や体調によって効果時間が前後するみたいなので、今後はもうちょっと注意しないとね。
そして、迎えた翌日。
いつものように朝食を平らげたら、グレーアッシュの髪に寝癖を付けたままのサリアさんを虹色ゲートの向こうへ送り出す。
このあと、廃聖堂のフロアで会談を行う予定だ。無論、昨日手に入れたばかりの真珠の取引がメインである。
その準備として、彼女には諸々のセッティングを頼んだ。すっかりお馴染みとなったガーデンチェアセット、携帯コンロ、紅茶を淹れるためのティーセットやお菓子を運んでもらう。
参加メンバーは前回と同じ。獣耳幼女たちにはうんと温かな服を着せた。そろそろ風邪が本格的に流行りだす時期だから念入りにね。もちろん大喜びで、またどこかにお出かけしたいと飛び跳ねていた。トランポリンクッションの活躍が止まらない。
追加でブランケットや色々な暇つぶし道具、それに肝心の真珠を持って廃聖堂へ移動する。
フロアへ足を踏み入れると、相手方が揃って出迎えてくれた。先に到着していたようだ。場のセッティングを担当してくれたサリアさんもいるが、椅子に座ったまま半分寝ている。
「ごきげんよう、皆さん。本日はご足労いただき恐縮ですわ」
まずは、深緑のローブを纏うフィーナさんがカーテシーを交えて優雅にご挨拶。銀糸のような長い髪とアメジストのごとく煌めく紫の瞳が、やはりひときわ幻想的に映る。
こちらも笑顔で「おはようございます」と返事をする。彼女とは、月下の夜以来だ。次いで、ドワーフ兄弟やエルフの護衛騎士さんとも軽く言葉を交わす。
今日はこの四人だけでの来訪だという。大人数で押し掛けると周辺の住人を騒がせてしまう、と配慮してくれたそうだ。
それから俺は、フロアの様子につい目を奪われてしまった。塵や土埃がキレイに払われている。
欠けた屋根から落ちる陽光やガーデンチェアセットも相まって、ずいぶんと過ごしやすそうな空間が出来上がっていた。隅に放置してあった瓦礫の山も見当たらない。
「すごい……かなり丁寧に掃除してくれたんですね」
「お喜びいただけたのでしたら何よりです。けれど、大それたことはしておりませんよ。それに、皆が手伝ってくれましたからね」
ドワーフの兄弟、ガンドールさんとグレンディルさん。加えて、エルフの護衛騎士さんが掃除を手伝ってくれたみたい。瓦礫は外に移動させたようだ。
大変ありがたい。女神教の一行に非はないにもかかわらず、ここまでしっかりキレイにしてくださるなんて。
「では掃除のお礼に、今日もお茶とお菓子をご馳走させてください」
「まあ、わざわざありがとうございます。サクタローさんが淹れてくださるお茶は本当に美味しいですからね。お菓子もそうですが、とっても嬉しいです。こちらのカーティスも、今朝からずっと楽しみにしていたのですよ」
「姫様、それは……失礼、余計な口を挟んでしまいました」
フィーナさんに続き、エルフの護衛騎士が慌てた様子で口を開く。
結った金の髪が印象的なこの男性、お名前をカーティスさんというらしい。その反応から察するに、この前お配りしたお菓子を相当気に入ってくれたようだ。
ご安心ください、今日もたくさん持ってきましたから。ロールクッキーをはじめ、お徳用のひと口チョコもご用意した。お好みに合えば幸いです。
ひとまず、みんなには席でくつろいでいてもらおう。
二つ並べて設置したテーブルの片方にフィーナさんたちを案内し、もう一方にうちの獣耳幼女たちを座らせる。半分寝たままのサリアさんもこちらだ。
俺は少し離れたテーブルで人数分の紅茶を淹れていく。横目で獣耳幼女たちの様子を確認すれば、『すみっこ生活』のキャラクターケースを嬉しそうに自慢する姿が目に入る。昨日ハンバーガーショップでもらったばかりなので、今は大のお気に入りなのだ。
話を聞くドワーフ兄弟も、身を乗り出すほど興味深げ。素材やデザインが極めて珍しいとしきりに唸っている。
なんとも微笑ましい光景だ、と俺は鼻歌交じりに手を動かす。ほどなく、大人たちの前に湯気を立てる白磁のティーカップとお菓子の皿が出揃う。
「さあ、どうぞ。召し上がってください」
「ありがとうございます、サクタローさん。お言葉に甘えてご馳走になりますね」
返事をくれたフィーナさんが、まずティーカップに口をつける。
続いて、今日はそのお隣に座っていたカーティスさんが紅茶……ではなく、チョコを一つ慎重な手つきで頬張った。
彼は途端に目を細め、とても幸せそうな顔をしている。お口に合ったようだから、お土産にいくらか持たせようかな。
ゲストたちの反応に満足したら、今度はりんごジュースを注いで獣耳幼女たちに出す。ついでに、塗り絵帳とクレヨンをテーブルに並べた。加えて、縄跳びも用意してある。これから真面目な話をするから、サリアさんと一緒に遊んでいてね。
フィーナさんと同じテーブルの席につき、紅茶を啜りつつしばし雑談を楽しむ。
俺が本題を切り出したのは、カップの中身が半分ほどに減ったくらいのときだった。
「そうそう。かなり上質な真珠……海神の涙が手に入りましたよ。きっとご満足いただけると思います」
なんて謙遜はしているが、間違いなくお眼鏡に適うと確信していた。老松さんが手配してくれた真珠は、本当に見事だったから。
それでは、実物をご覧いただこう。
俺は持参した荷物をゴソゴソやり、丁寧な手つきで真珠の収まる専用ケースを取り出す。次いでテーブルの上に置き、パカリと蓋を開く。
うん。問題ないね――自分で一度中身の状態を確認してから、フィーナさんたちの方へケースの正面を向けつつ差し出した。
「まあ、なんて素晴らしい……この世のものとは思えないほどの美しさですね」
「ぬうおぉぉおお……これほど上質で大きな海神の涙、領地や爵位と引き換えと言われても驚かんぞ」
フィーナさんとガンドールさんが、揃って感嘆の声をこぼす。グレンディルさんとカーティスさんは目を丸くし、言葉も出ない様子。
どうやら、品に問題はないようだ。となれば、気になるのは対価である。
いくら女神ミレイシュへの捧げ物と同義とはいえ、損をする条件では応じられない。こちらも大切な生活費を削っているからね。
当然、相手方もその辺は心得ているようで……だが、いささか想定外だったらしい。
「困りましたね……サクタローさんにお任せしておいてなんですが、これほどの品を取り寄せていただけるとは思ってもいませんでした。ご提示する予定の報酬では、明らかに釣り合いが取れません」
「ご安心ください。こちらもいくらか譲歩できますから。よろしければ、まずはそちらの条件をお聞かせいただけませんか?」
損はしたくないが、なにもボロ儲けしようって腹でもない。繰り返しになるが、この真珠はミレイシュ様への捧げ物と同義。加えて、フィーナさんはサリアさんの友人だ。言うまでもなく、できる限り便宜を図るつもりだった。
要するに、金銭的にマイナスでなければ構わないのである。不足分は物でもなんでも追加してもらい、納得感のある条件が揃えば快く合意できる。
ここで、獣耳幼女たちがテーブルを離れて縄跳びを始めた。俺は三人が怪我などしないよう気を配りつつ、話の続きを促す。
「まずは、相応の財貨をお支払いする。これは大前提です。そのうえで私は、こう提案するつもりでした――リリさんに魔法をお教えします、と」
エルフは魔法に精通した種族で、ほぼ全ての者がその力を扱えるのだとか。そこでフィーナさんは、ご自身が師となって代価の不足分を補おうと考えついたらしい。
リリと魔法学舎の件は、サリアさんから聞いたそうだ。
昨夜寝る前に『ちょっと話をしてくる』とお願いされ、送り出していた。きっと彼女なりに気を使ってくれたのだろう。今も半分寝たままだけどね。
正直、俺の心にぶっ刺さった。
獣耳幼女たちのためになる提案は、お金なんかよりずっとずっと魅力的だ……でも、実現はちょっと難しいかな。
「ぜひお願いしたいところではありますが、この街では『魔法を習得する場は学舎のみ』と決まっているみたいで。だから、残念ですけど……」
「ええ。ですから、この聖堂をレーデリメニアの『使節館』に定めます。それであれば、ラクスジットの決まりに縛られることもありません」
現在は貴族街にある使節館を引き払い、この廃聖堂に機能を移す。その場合、敷地内ではレーデリメニアの法律が優先される。いわゆる治外法権というやつだ。
当の使節館も慣例として残してあるだけで、ほとんど使ってないそうだ。それに女神教との親和性や歴史的背景を鑑みれば、抵抗なく要望を通せる見込みなのだとか……というより、無理を押してでも通すつもりらしい。
「ということは……リリに魔法を教えても問題ない?」
「はい、問題ありませんよ。私が師となり、立派な魔法使いへと導いて見せましょう」
言って、ニッコリ微笑むフィーナさん。
想像の斜め上を行く提案を受け、俺の気持ちは瞬時に高揚する――が、いったん落ち着け。まずはリリの意思を確認せねば。
「リリ、こっちにおいで」
「はーい!」
元気いっぱいな返事と共に、縄跳びを中断して三人揃ってこちらへやってくる。可愛すぎてつい頬が緩む。
ひとまず主役のリリを膝の上に乗せ、エマとルルは左右に並べた椅子に座ってもらう。それから俺は、改めて話を続けた。
「フィーナさんが、魔法を教えてくれるって」
「え!? でもリリ、マホウやだ……みんなとおうちにいたい」
「大丈夫、ここで教えてもらえるんだ。だから、みんな一緒だよ」
「そうなの? じゃあ、エマとルルも?」
うん、と首を縦に振る。
魔法のレッスンを受けている間は、俺たちもできるだけそばにいるとしよう。それならリリも寂しくないはず。
ありがたいことに、フィーナさんも肯定するような言葉をかけてくれる。
「ええ、皆さん一緒に学びましょう。たとえ魔法を使えなくとも、知識を持っておくことは大切ですから。まあ、これは受け売りですけど」
「じゃあやるっ!」
座ったまま飛び跳ねるみたいに返事をするリリ。
これで本人の同意も得られた……というか、三人の教育については目からウロコである。
確かに知識は大事だよな。以前、筆記用具と簡単な学習ドリルなどをネットで注文したけど、棚にしまったまま一切手を付けてない。ここ最近は本当に遊んでばかりいる。しかしこれを機に、少しずつお勉強の時間を設けるべきだろう。
「ふむ。では、ワシらはこの聖堂を修繕するとしよう。かつての威容を取り戻させてみせようぞ」
さらにドワーフ兄弟が、魔法を使って廃聖堂を新品同然に修繕してくれると請け負ってくれた。扉なんかも新たに取り付けてくれるそうだ。
おまけに、賃料もフィーナさんたちが負担してくれるらしい。形式上は俺にフロアを又借りする扱いとなるため、所有権に関する移動もない。
魔法を教えてくれるだけでもよかったのに……ハッキリ言って大満足。こうなってくると、真珠の代金なんて元が取れさえすれば十分だ。
ところが、フィーナさんとしてはまだ足りないと考えているようで。
「もちろん、これでもまだ相応しい代価には及ばぬと心得ております――かくなる上は、私がサクタローさんへ嫁ぎ、生涯にわたりご恩返しをさせていただきたく存じます!」
「あ、それは結構です」
「え!?」
「え?」
俺の食い気味な返答を受け、フィーナさんは目を丸くする。
なんで驚いているのかわからなくて、こっちが逆に驚いたよ。
エルフのお姫様など、凡人の俺には荷が重すぎる。何より、これで応じると真珠で買ったみたいになる。そんなのは、うちの獣耳幼女たちの教育によろしくないじゃないか。
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