【真相】
「退魔の力って、ええ!? どういうことなの?」
これは、まったくの想定外だった。
「退魔の力のことを知っていたのか……?」
「知っているよ。どういった力なのかも、それを継承していたのが、ルーイス家であったことも」
「……そうか。なら、話が早い。母さんは、ルーイス家の血を引いているんだ。同様に、奈落の君もまたルーイス家の末裔だった」
「なっ! なにそれ……?」
思わず頭を抱えた。予想だにしなかった事実の連続だった。
ルーイス家は、かつてこの地にあった都市国家エメラルディアの有力な貴族のひとつで、王家に娘を嫁がせたことでその影響力を強めた。このとき、王家であるサウゼン家に嫁いだのが、母さんの母君だったのだという。
エメラルディアの名は知っている。今から二十年前、奈落の君を生み出してしまった最大の元凶として、その悪名を後世に残すことになった国の名だ。
「待ってよ! それじゃあ……」
「そうだ。奈落の君と母さんとは、姉妹だったんだ」
「…………!?」
「退魔の力は、自分に使うことはできないんだ。それができていたら、そもそも、あんな悲劇は起こらなかった。いや、少し違うかもしれないな。奈落の君の魂が、母さんからレイチェルに移動していたことに、気付けなかったのが最大の原因だ」
「移動、していた……?」
衝撃が強すぎて、頭の整理が追いつかない。ただ、自分の中にあった謎が、ひとつずつ解けていく感覚を覚えていた。
では、奈落の君の魂は、最初から私の中にあったわけじゃなくて、元々は母さんの中にあったということになる。……どうして、母さんの中に宿ることになったのだろう。
結論から言うと、母さんは私の中にある奈落の君の魂を完全に浄化することはできなかった。それでも、一時的に邪悪化を抑え込むことはできた。「眠っているとき以外、この指輪をしておけば、レイチェルの邪悪化は抑えられるはず」そう言って、母さんはルーチェに指輪を託して、そこで事切れたのだという。
私に致命傷を負わされた上に、能力を用いて寿命を削ったのだから当然だ。
この話を、父とルーチェは二人だけの秘密にした。私にも、屋敷の使用人にも、母さんが亡くなったのは、果樹園で狼の群れに襲われたからだと説明した。
私に、過度な心配をかけさせたくなかったから。責任を、感じさせたくなかったから。
「やっぱり、そうだったんだね。母さんを殺したのは私なんじゃないかと、薄々と勘づいてはいたの。……だから、あの日のことをずっと私に隠していたんだね?」
「ああ」
私の命は、母さんによって守られたものだった。
尊い犠牲の上に成り立っている命だ。無駄に散らしてなるものか。私は、生きのびなくてはならない。簡単に諦めてしまったのでは、それは母さんへの不義理になるから。
「……でも、ひとつだけわからない。奈落の君の魂は、どうして母さんの中に宿ることになったの? そこから、なぜ私の中に移動したの? 伝説の勇者とやらの名前が伝わっていないことと、何か関係があるんだね……?」
父さんは無言で頷いた。ルーチェの話を、今度は父さんが引き継いだ。
発端は、当時のラテルナ国王が、皇太子の妃として娘を差し出せと、近隣にあった都市国家のひとつであるエメラルディア王家に持ちかけたことから始まった。
エメラルディアの王は、このとき大病を患っており、自身の余命が幾ばくもないことを心得ていた。また、妃にと要望された自身の娘が、王太子との結婚を望んでいなかったことも。
これは、事実上の同盟締結の提案だった。もし、この婚約を拒否した場合、ラテルナ王国に侵略される可能性があった。そうなってしまえば、大国と小国の戦力差によりエメラルディアに勝ち目はない。実際のところ、要望を突っぱねたところで戦争に至るかどうかは微妙なところであったのだが、自分があと何年も生きられないとわかっていたことから、王は精神的に追い詰められてしまっていた。
国王はおおいに悩んだ。国を守るため、娘の身をラテルナ王家に差し出すか否か――。
そこで、争いになっても確実に戦争に勝てるようにと、禁断の法を用いて邪神の眷属たる魔族を呼び出すことにしたのだ。
王太子との結婚を拒んだ娘――イリヤ・サウゼン――の体を生贄にして、その体内に魔族の魂を降ろしたのだ。しかし、この術は完全には成功しなかった。契約によって魔族の魂がイリヤに受肉することはできたのだが、その身に宿った膨大な魔力量を制御できず、暴走させてしまった。
暴走したイリヤによって国王は殺され、都市国家は滅ぼされてしまった。
「これが、奈落の君が誕生した瞬間だった」
「聞いていた話とだいぶ違うんだけど……」
「……そうだな。身内の不祥事であったので、私たちもこの話を正しく伝えようとはしなかったからな」
王女の体を支配した奈落の君は、邪教徒らを束ねて侵略行動に移る。
ここから先は、伝え聞いていた話とだいたい一緒だった。奈落の君の魂は、自身を滅ぼした相手の肉体へと乗り移る。肉体を滅ぼしても意味がないので、手詰まりとなって王国軍は苦戦を強いられていた。そこで、奈落の君を討伐するために立ち上がったのが、四人の勇者だった。
「その中に、奈落の君を生み出してしまったエメラルディアの妹王女である、パメラ・サウゼン――母さんと私がいた」
「さっき、身内の罪と言っていたからね。やっぱりそういうことなんだ……」
都市国家エメラルディアの王には娘が二人いた。母さんは、奈落の君の妹だったのだ。
嫁ぎに出るまでの間だけとの条件で冒険者稼業をしていたときに、母さんは父さんと出会ったのだという。お互いの境遇が似ていたこともあって、二人はすぐに惹かれ合った。
そこに舞い込んできたのが、祖国が一夜にして滅びたとの報であった。それが、身内――自分の父――が起こした不祥事であることに母さんは心を痛めた。奈落の君が支配しているのが、姉の体であることに衝撃を覚えた。親類は、裏切り者として全員が処刑されるかお尋ね者となっていたため、母さんは身を隠すほかなかった。
激しい戦禍の中では、故郷に帰ることすらままならなかったのだ。
強い衝撃を受け、打ちひしがれていた母さんであったが、奈落の君を討つために立ち上がる。
しかし、奈落の君の力は強大で、真っ向から対峙したところで勝算は薄い。倒せたとしても、体を乗っ取られるだけになる。退魔の力を用いるとしても、対象に長時間触れ続けなくてはならないため、現実的ではなかった。
どうしたらいいのか。状況は、八方塞がりに思えた。
だが、打開策はひとつだけあった。
それは、強力な抗魔の力を持った『魔法具』を身に付けた状態で奈落の君を倒し、憑依するために移ってきた奈落の君の魂ごと、体内に封印しようという試みだった。
「それが、この指輪なのね?」
「そういうことだ。名を、抗魔の指輪という。魔力抵抗、毒中和など複数の力を持っているが、使用者の邪気を極限まで隠蔽し、憑りついた邪の物を指輪を付けるだけで封じ込めることができる」
なるほど。プレアが自分の正体を隠すには、まさに打ってつけのアイテムだったと言える。
母さんが指輪を嵌め、父さんと戦士の仲間が壁となり、聖女の仲間が奈落の君の動きを阻害している間に、母さんは奈落の君を討ち取った。
この戦いで、神をその身に降ろした聖女は魂が崩壊して、戦士が犠牲となってしまったが、彼らは目的を果たしたのだった。
母さん自身がお尋ね者であったこと。奈落の君の魂は、封印されているだけで滅びていないことなどから、勇者の名前と最終決戦の内容については、ほとんど記録として残されなかった。
こうして四人は、世界を救った、名もなき勇者となった。
「だから、父さんはそのことを私にすらも語ってくれなかったのね」
優秀な冒険者であったという父さんの活躍の記録が、ほとんど伝わっていない理由がよくわかった。
「そういうことだ。分別がつく年頃になって、母さんの死の真相を知っても理解できるようになるタイミングを、見計らっていたんだ。……それについては、本当に申し訳なく思っている」
ただひとつ、誤算があった。
母さんの体内に封じていたと思っていた奈落の君の魂は、体内に宿った新たな命へと移っていたのだ。ようは、私の体内に。そのため、母さんが四六時中身に付けていた抗魔の指輪はいっさい効力を発揮せず、あの満月の夜に、力を貯え続けていた奈落の君の魂が目覚めたのだ。
幸いだったのは、奈落の君の魂も、私の身体能力もまだ不完全であったため、比較的容易に再封印ができたことだろうか。
母さんの命を犠牲にして、ではあるが。
ふう、と大きなため息が落ちた。
「それで全部わかったよ、父さん。……実はね、何度か不思議な心の声を聞いたことがあったんだ。それが、奈落の君の魂のものだったんだね」
「本当なのですか……?」とルーチェが漂白されたみたいに青白い顔で呟いた。
「うん。本当に何度か、だけどね」
「その指輪には穢れを吸い上げて、自浄する効果がある。夜眠っているとき以外指輪を肌身離さず身に付けていれば、間違いなく大丈夫だ」
父さんの声に頷いた。
「うん。そうであることを願うよ」
「もう少し待っていてくれ。奈落の君の魂を、完全に消し去る方法を、今探しているところなんだ。……必ず、何か打つ手を見付けるから」
「期待しているよ。父さん」
父さんが何かと家を空けがちなのは、このせいなのかもしれないなと、ふと思った。
朝食を済ませて慌ただしく登校の準備をしていると、部屋の扉が開いてルーチェが顔を出した。
「お嬢様。ご友人の方がお迎えにあがっておりますが、いかがいたしましょう?」
「……もしかして、プレア?」
「はい。さようでございますが」
「……だよね。今すぐ行くから、待っていてもらって」
「かしこまりました」
さて、いよいよ最後の戦いかあ。
気合いを、入れなくては。
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