030_雇用
この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
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030_雇用
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年が明けて天文二十三年。
今年は胡蝶との間に子供ができますようにと、初日の出に願いを込める。
「新年をこんなところで迎えるのは、妾たちだけじゃな」
俺の首に腕を回し、富士山越しの初日の出を見つめるのは、愛しの胡蝶だ。
「俺の胡蝶は特別なんだよ」
「こんな空の上から初日の出を見たのは、妾たちが初めてなのじゃ」
胡蝶を抱っこして上空から初日の出を見る。胡蝶の柔らかさを感じながら見る初日の出も乙なものだ。
「寒くないか」
「忠治に抱きしめられているから、暖かいのじゃ」
「裸ならもっと暖かいぞ」
「何を言っておるのじゃ、まったく忠治は……」
言葉ではそう言うけど、嫌いじゃないだろ。
カプッ。
「ななな何をするのじゃ」
「美味しそうな胡蝶の耳を食べたくてつい」
「変なことをするでない!」
ぷくっと頬を膨らませる。その頬も大好きだ。
チュッ。
「もう何も言う気にはなれぬ」
好きなんだからしょうがないよね。
富士山から金山城に向かい、お義兄さんたちとお餅を食べる。砂糖醤油と海苔があれば、餅は最高のご馳走だ。
「美味しいのです」
お義姉さんの食欲はかなり戻った。元々食べるほうではないらしいが、蜜柑などを間食で食べて補っているそうだ。
お義兄さんの三人の側室も一緒に餅を食べているけど、お義姉さんを含めて四人の仲は悪くないらしい。嫁同士の確執があると、居心地悪いからよかったね。
しかしハーレム野郎は爆発するのが世の中のルールなのに、お義兄さんは爆発しない。俺が爆破させてやろうか!
「な、何? なんで睨むの?」
「なぜ爆ぜないのかと思って」
「はい?」
「なんでもないですよ」
きょとんとするお義兄さんに焦げた餅を取ってあげる。ささやかな嫌がらせだ。
「はい胡蝶はこれね」
綺麗に膨らんだ餅を胡蝶に。
「私のは真っ黒なんですけど?」
「お義兄さんはそれでいいんですよ」
「なんだか納得できないんですけど」
「何を言っているのですか。真っ黒な餅を食らうことで、黒星を食らって白星にする。そういう意味ですよ」
そんな意味はない。
「そ、そうか。今年は最低でも武蔵の北部を得るつもりだからね!」
苦い餅を食ってハーレム野郎は胸やけすればいいんだ。
厩橋城の蔵の中で、悪銭を良銭に替えていると爺やさんがやって来た。
「殿に召し抱えてもらいたいという者がやって来てます」
「またなの? 今度はどんな人?」
俺の家臣になりたいという人は結構いるんだよ。昨年も数十人規模でそういう人がやってきた。数人は雇用したけど、ほとんどは脳筋思考の使えそうもない人だから、上泉さんやお義兄さんに紹介状を書いてやった。
俺は文官がほしいの。脳筋要りません!
伊勢守さんは予定よりも少し長く義藤君のところに居たけど、昨年末に帰って来ている。
上泉城も爺やさんが面倒を見ていたから、爺やさんの負担が減って助かったよ。これで全然帰ってこなかったら、京都に殴りこんでいたところだ。
「正直に申しまして判断に迷います」
「へー。爺やさんが困る人なんだ。どんな容姿? 名前は?」
「容姿は出っ歯でサルのようなネズミのような感じですな」
あまりよろしくない感じか。でも人は容姿ではなく、中身だからね。
「姓名は木下藤吉郎と申しております」
「ふーん……木下……藤吉郎……? どこかで聞いたような?」
「以前は今川家の陪臣松下加兵衛殿に仕えていたそうです」
「今川ってあの今川さん?」
「駿河、遠江を治め、三河にも勢力を伸ばしている今川治部大輔殿にございます」
武田さんや北条さんと同盟をしようとしている今川さんね。
「その今川さんの配下だった人が俺に仕官したいの?」
「はい。そう申しております」
「今川さんは怒らない?」
「すでに松下殿には暇乞いをして、了承されているとのこと。問題はございません」
「まあ、会うだけは会うよ。部屋に通しておいて」
「はっ」
良銭と悪銭をちゃんと区別し、俺は木下さんが待つ部屋に向かった。
俺が部屋に入ると、木下さんは頭を下げた。顔は見えないけど、小柄な人だ。
「顔を上げてください」
「はっ」
顔はたしかにネズミっぽくもあり、サルっぽくもある。前歯の二本がかなり大く唇からはみ出ている。
「何ができますか?」
「槍働きはまったくできません。ですが、銭勘定のような仕事ならなんでもできます」
へー。面白いね。今までやって来た人は、ほとんど腕っぷしの自慢をしたんだけどね。この木下さんは、槍働きはまったくだと胸を張って言い切ったよ。
「それじゃあ、採用。まずは足軽と同じで年に米四石と銭四貫。働きが良ければ、すぐに昇進できるからがんばってください」
「へ?」
「ん? 待遇に不満があるのですか?」
「あ、いえ……その、槍働きはできないと言いましたが?」
なるほど。槍働きをできない木下さんを雇用しようとしているから、驚いているのか。
現代日本は軟弱な人が多いのに、この時代の日本は本当に脳筋が多いんだよ。本当に必要なのは、俺の代わりに政務を行っている爺やさんの負担を軽減できる人。脳筋は探さなくても見つかるし、間に合ってる。
この時代の文官はとても貴重なのよ。
「大丈夫ですよ。槍働きができる人は他にいくらでも居ますから」
「そ、そうですか……。これからよろしくお願いします」
「そんなわけで、爺やさん、あとはお願いします」
「承知しました」
あとは爺やさんに丸投げ。爺やさんも銭勘定ができる人が部下になって助かるだろう。
爺やさんに連れられて部屋から出て行く木下さんの後ろ姿が見えなくなると、小太郎さんが現れた。
「念のため監視をお願いね」
「分かった」
敵のスパイという可能性があるけど、木下さんは違うと思う。
この時代は脳筋が幅を利かせているから、木下さんが俺に気に入られようとするなら銭勘定よりも腕っぷしを自慢するはず。それをしなかった木下さんがスパイという可能性はかなり低いだろう。
俺に人を見る目があればいいんだけど、そんなものはない。だから新しく雇う人は一定の期間監視することにしている。特に両替商の内情については、あまり知られたくない。
木下さんが信用できる人だと判断できるまでは、両替商のことは秘密だね。
お義兄さんから呼び出されて、金山城へ向かった。なんでも上総の前古河公方さんが北条さんに拉致監禁されたらしい。
かなり派手に関東の人たちを煽っていたようだから、こうなることは予想できていた。それなのに、北条軍に攻められた古河城は一日で落城した。少しは警戒をするべきじゃないかな。
「前古河公方は相模国に連れ去られ、軟禁されているとのこと」
「殺されてはいないのか」
沼田城主の沼田さんが横瀬さんに、前古河公方が殺されてないことを確認する。
「今はまだ。といったところでしょうな」
沼田さんや他の人たちが唸る。
横瀬さんが言うように、下手をすれば殺されるかもしれない。前古河公方さんはお義兄さんの岳父になるから、殺されるのを指を咥えて見ているかどうかということに話が変わる。
「殿の正室である足利の方様の父君である以上、放置はできないと存じまする」
「仮に古河公方様を奪還するとして、上総や下野のことに介入するということか」
「そこまでは言っておらぬ」
「ではどこまで介入するのだ」
家臣たちは古河公方さんを奪還するに留めるという意見と、ついでに上総や下野に介入するという意見に大きく分かれる。
お義兄さんは家臣たちの議論を無表情で聞き、言葉を発しない。家臣たちの結論が出るまで待つつもりなのかな? でもさ、家臣たちの意見をまとめるのがお義兄さんの役目だから、放置していてはまとまらないよ。
「殿のお考えをお聞かせくだされ」
意見がまとまらないのを見てとった長野さんが、お義兄さんにまとめてほしいと水を向ける。
「足利の当主は梅千代王丸殿です。足利のことは足利が判断すること。もし梅千代王丸殿が当家に助けを求めてきたら、援助するとします」
家と家のことと考えると、岳父であっても簡単に介入することはないか。援軍を出すなら、最低でも現古河公方さんからの要請がないと動かないというスタンスを取るらしい。
今の古河公方さんの母親は北条一族だから、北条との結びつきが強い。うちに援軍要請することはないだろう。つまり、お義兄さんは動くつもりはないと言っているんだと思う。
今は武蔵を切り取っているところだし、武蔵を切り取っているといつかは北条家と正面衝突する。その時に前古河公方さんを助けられるかもしれないということかな。
ご愛読ありがとうございます。
これからも本作品をよろしくお願いします。
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