イレーナの使者
スフェンの街並みを歩きながらスズちゃんの体調不良の原因を教えてもらう。自然と性に対する知識は身についたものだと思っていたが、まだまだのようだ。
「昔はひどかったのですよ、何もしてないのに血が出るなんて、穢れている、呪われているからだと言われた時代もあるようですから」
伝聞調に話すのは、ラタン姉はアンジュ母さんの母親であるエンジュさんから昔聞いた話だからだという。そんな時代もあったのか。何も知らなければ、僕もそういう考えを持ってしまったかもしれない。場所を弁えずに変な事を聞いてしまった感はあったが、ここで知れてよかったのだろう。
「って、もー!この話はやめにしましょうキルヴィ!ボークーを甘やかすのですー!」
なんだか変な話の方向になってしまったのを、ラタン姉が振り払うように僕へと頭を押し付ける。気恥ずかしさもあったので、わしわしと差し出された頭を少し乱暴気味に撫でて見せるとくしゃくしゃになってしまった毛を手櫛で直しながら彼女はむくれてみせた。その可愛い顔へと吸い込まれるように唇を重ねる。
「ぷはっ。と、突然すぎますよぅ」
顔を離し、口を突然塞がれた息苦しさだけが原因ではない荒くも弱々しい呼吸でそう呟かれる。
「ごめん、可愛かったからつい」
本心を隠せずそう答える。そのままもう一度口を重ねようと思ったところで近くにいた女性に声をかけられた。そこにいた事はわかっていたが、特に知り合いというわけでも敵対しているわけでもなかったので気にもかけていなかったのだ。
「こほん。なんでしょう?」
表向き笑顔をしているが、折角のイチャイチャを邪魔された事でやや不機嫌になったのを隠そうとしない険のある声でそう尋ねるラタン姉。それに少し怯えながらもその女性は口を開いた。
「お取り込み中お邪魔してすみません。あの、先日春告げ祭で結婚していたキルヴィ・イレーナ様とその奥方様ですよね?」
そう言われて改めてその女性の顔を見る。そう尋ねてくるという事は春告げ祭に参加していた中に彼女はいたのだろうか。結婚に浮かれていたというのもあったが、失礼ではあるが記憶に残らないようなごく平凡な女性であった。接点なんかあっただろうか?
「確かに僕がキルヴィですが。どのようなご用件でしょうか」
「ああ良かった、街の中を探すもなかなか見つけることが叶いませんでしたが、これでようやく仕事を果たせます。本家より言付けを預かっております」
彼女は仕事をこなせると見て少しだけホッとした様子を見せた。その発言や取り出した書状からしてどうやらメッセンジャーらしいが、本家とはどういう事だろうか?本家と聞いてラタン姉は眉をひそめて不快感を表に見せたが、ともかく内容を伺うことにしよう。
「イレーナに名前を連ねるキルヴィとやら。我こそがイレーナの後継者、本家本元を預かるフネイ・イレーナである」
メッセージの第一声からしてラタン姉が眉をひそめた理由がすぐに理解できた。本家というのはイレーナの本家からという意味だったのか。今もつらつらとメッセージを読み上げてもらっているが、なんというか自慢がところどころに入り、差出人はこれまでに度々見かけてきた高慢な貴族みたいなんだろうなというのが伝わってくる。
「私のありがたい話は程々にして本題に入ろうか。キルヴィとやら、私に目通りもしてない癖にイレーナの名前をほうぼうで名乗っているらしいではないか」
うわ。めんどくさそうな気配が立ち込める。メッセンジャーの女性も内容を噛み締めていくうちに顔色が優れなくなってきた。
「聞けば分家筋、それも養子だという。血も繋がっていない者に好き勝手に名乗られては家名が泣くというもの。しかしながら噂に聞く貴様の実力はどうやら少しは見所があるそうじゃないか。そこで、だ。私としては実に惜しいのだが貴様には我が娘と結婚して入婿となり、名実共にイレーナを名乗る権利を与えてやっても良いと考えた」
「はぁっ!?」
どこまでも上から目線、それに身勝手な考えを聞いてラタン姉がすごい殺気と剣幕で女性に掴みかかる。あまりの怖さにヒィ、とすくみ上がる女性ではあったが、それでもメッセンジャーとしての役割を果たそうと涙を零しながら続きを読み上げる。
「秋の収穫祭まで時間をくれてやる。せいぜいそれまでに功績を積んでイレーナに恥じぬ男になるが良い。そういえば、貴様は既に精霊や使用人風情と結婚しているそうだがそんなのは勿論無効だ。どうしてもというのであれば下女としての席を設けてやらんこともないが考えてから来い、との事です」
読み上げ終わると、彼女はカタカタと震えつつ真っ青な顔をしながら僕を見上げる。僕達の前で書状の封を切ったことからも、ここにくるまで内容は知らされていなかったのだろう。使い走りとしては、あまりに不遇であった。
「キルヴィ、こんなの無視しましょう!元名家とはいえ、今はそんな権力もないはずですし横暴が過ぎます!」
ラタン姉の言う事はもっともである。こんな話など無視してしまえばいいだけの話なのだ。もっともそれは僕達にとっては、の話であるが。
「お姉さん、もしこれに返事をしなければお姉さんは困りますか?」
そう、目の前の女性にとっては厄介なことに巻き込まれた、いわば被害者ということになるだろう。
「えっ、ええ……しかし、このようなもの個人的には受取拒否して当然かなと思ってしまいます。私のことは気にしなくても」
「そうもいかないでしょう。あなたはこれを仕事として受けたはずだ。こんな身勝手な事を一方的に述べてくるような奴が、失敗報告なんかしたらあなたにどのような危害を加えるかわからない」
「あなたさえ良ければグリムであなたを保護します」そう言おうとしたが途端に口が回らなくなってしまった。それだけではない、僕の周りの建物が、女性が、ラタン姉も全てが色を失い、止まってしまったようであった。
「みかけや境遇に騙されずに相手をよく見るべきだ。情に流された今のは悪手というものだ。久しいな……と言っても君には曖昧な記憶なんだろうなキルヴィよ」
いつの間にか現れた男ーーイレーナの始祖、リゲルが色褪せた建物に背を預けながら僕へと話しかけてきたのであった。




