夫婦の決め事
「そういえば、もう力は元に戻ったかい?」
足を止めていたスズちゃんが上機嫌でスキップして行ってしまったので、ようやく移動ができると小言を言っていたクロムが声を小さくしながら訪ねてくる。昨日の夕刻より前だから、とうに半日は経っている。が、しかしながら復旧してきていない。
「いや、まだみたいだ。半日で回復はしなかったみたいだね」
「そうか。となると今日この子達を森を案内するのは危ないかもしれないな。見れて屋敷からそう離れない場所か」
安全をとるのであればそれが無難だろう。というか森の中といったって初日からどこまで案内するつもりだったのだろうか。
「午後からは休息を取れば良いさ。はい、塔の鍵」
ポイっと無造作に投げ渡すと、彼はなんてことをするんだとばかりに慌ててキャッチしてみせる。
「昨晩は譲って貰って悪かったけれど、クロム達だって新婚なんだ。モーリーさん次第だけど、夫婦の時間は大切にしないとね」
「いや、モーリーなら応じてくれるだろうけども。しかし……そうだ、それを言うならセラーノさん達は大丈夫かな」
「それは昨日塔を使うときに聞いたけど、暫くは塔を使う予定はないってさ。ね、午後からは心ゆくまで2人の時間を楽しみなよ」
これはカシスさんから貰った答えだ。それを聞いて恨めしそうにグミさんはそちらを睨んでいたが、逆に冷ややかな目で睨み返されてシュンと縮こまっていた。すっかり妻の間での主導権はカシスさんに移っている。
セラーノさんはというと、マゴマゴする訳でもなくドッシリと沈黙を通してどちらに肩入れするでもない態度をとっていた。何もしていないとも取れるが、それで均衡が取れているのだから問題ないのだろう。僕が口を出す事でもない。
クロムは暫く他の言い訳を考えようと手にした鍵を眺めていたが、観念したように肩の力を抜いて「じゃあ好意に甘えようかな」と懐に仕舞い込んだ。そして先に行ったスズちゃんを追って、早足で僕から離れていった。
その背中を追って僕もペースを上げようとした所、ハドソン君が声をかけたそうにしていたのに気がつき、足を止める。
「どうしたのかな?聞きたいことがあるなら気軽に聞いて欲しいな」
「あっ、いえ。さっきの鍵ってあの塔のですよね。清掃なら僕達に振ってもらえば良いのになって」
途端、近くにいたインベルちゃんが「このバカ!」とジト目になり肘でハドソン君の脇をつつく。結構強くいったみたいで、ハドソン君は蹲り、むせ返る。
あー、小声で話していたから会話が聞こえてなくてクロムに仕事を振ったように見えたのか。で、なんとなく事情を察したインベルちゃんのツッコミを喰らったと。
うーん、仕事熱心な事を褒めるべきか、僕らの話に耳をそばだてていた事を咎めるべきか。本来それをすべき筈の使用人頭の姿は既になく、どうしたものかと顎をかいているとラタン姉がスッと前に立った。
「あの場所はキルヴィやボク達が信頼した人にしか任せない場所ですからね、ハドソンにはまだ早いのです」
「げほっ、そうなのですか?あれ、ならなんでどつかれたんだ僕」
「聞く相手を間違えたからですよ。ね、そうですよねインベル?」
「え?え、ええそうです!奥様の言う通り、既に仕事を預かってるクロムさんにでなく、キルヴィ様にそれを聞くなんて咎めているようでしたから!」
なるほど、そういう程にしたのか。ラタン姉が出した助け舟に乗ったあたり、インベルちゃんもつい手を出したものの無策だったんだな。この辺は仕方がないがまだまだ経験不足だなぁと感じさせられる。これからだ。
「2人がどうかしましたか?」
一向についてこない事に気がついたクロムが正気に戻ったスズちゃんを引き連れて戻ってきたので何でもないと返す。
「でしたら行きましょうか。スズ……いえ、イレーナ夫人?」
「やだお兄ちゃんったら!もっとそう呼んでさあ呼んで!」
いや、僕の妻はまだ随分と浮かれているようだった。上位の兄妹のやりとりに毒気を抜かれ、和やかな空気になったところで僕達はようやく食堂に辿り着くことができたのであった。
席に着くと、すぐにクロムが食事を並べてくれる。それを真似て見習い組もラタン姉やスズちゃんの前に並べ始める。
「ああ、これはただ置けば良いというものじゃなくて……」
「そうそう、合ってる合ってる」
配膳の仕方も、指導が入る。時にスズちゃんもやってみせながらなので、なかなか彼女の食が進まない。それでも一生懸命に覚えようとしている見習いの子達にかつての自分も重なるのだろう、冷めるのも惜しむ事なく指導していた。
「ああ、キルヴィさん丁度食事中でしたかー。昨日の話なんですけどね」
厨房からトトさんが出てきた。味付けからわかっていたが、やはり今回の食事はトトさんの作ったものだったか。
「トトさん。ええ、美味しくいただいてます。もう結論が出たんですか?」
話、とは昨日打診したグリムハウスへの移住の件だろう。急ぎでもなくここに残っても良いという風に話したが、もう決めたのかな。
「ニニともう一度話してみたんですけどもー、ルルもいるので、一家全員で移動っていうのはまだちょっと」
「そうですよね、まだルルちゃん幼いですし環境変えたくないですよね。焦らせてすいません」
「いえ、ですので私だけ出向という形でどうでしょうかね?私達とてこのままずっとお世話になろうと思ってなくて」
出向、出向かぁ。その申し出はありがたいが、家族離れ離れになるというのはどうなんだろう。トトさんだって妻子を残して見知らぬ街で働くのは凄くストレスが溜まるはずだ。
そんな葛藤が顔に出ていたのだろう、トトさんが困ったように鼻筋をかきはじめた。と、一緒に居たらしく厨房からニニさんがルルちゃんをおぶってトトさんの肩へと手を置いてみせた。
「ちゃんと相談して決めた事なんでー、そんなに悲しげにならなくとも大丈夫ですよー。時折こちらに帰らせてはいただきたいですけどねー」
話し合って決めた事だというなら、食い下がる必要もないのだろうか。それでもと思ってしまうのは僕のエゴなのだろうか。複雑な気持ちや思いがぐるぐるまわりながらも、なんとか「わかり、ました」と返す。
「ふむ、それならこの際屋敷とハウスとの定期便をグリムとしての仕事の一つにしても良いんじゃないですかね?」
ラタン姉が意見を出してくる。今までツムジさん達にお願いしていた事だが、確かに人手がある今ならば可能だろう。馬と馬車も旅をしていない今は余している状況だし、僕の地図もあれば夜通しなら片道1日の距離だ、良い案だと思う。
「後は御者出来る人もいれば、ってヨッカさんいましたね。彼女なら喜んでやりたがりそうです」
スズちゃんの言葉にここにくる名目ができたと目をぎらつかせているヨッカさんが目に浮かぶ。別の心配事ができた気がしなくもないが、こと荷物の運搬に関しては彼女なら心配いらないだろう。
「な、なら用心棒も必要ですよね旦那ァ!何か作るにも、定期的に見に来た方が良いだろうし!」
実は食堂にずっといたものの、空気と化していたガトが突然活き活きとしてそう持ちかけてくる。まぁ1人での行動よりはリスクは減るだろう。いくら慣れているとはいえ、1人で往復しているツムジさん達がおかしいだけなのだ。グリムで実現するなら最低でも2人1組での行動となるだろう。
「あぁ、考えておくよ。でも用心棒を名乗るならまずはこの森に慣れる強さがないとね」
僕の言葉に冬季の間この屋敷で過ごしていた面々はうんうんと頷き、まだこの森のことを知らないガトは首を捻ってみせたのであった。




