3-4
俺は舞方に同情をしているのだろうか。同情をして隣にいるのだろうか。
いや、それは違う。それだけは違うと断言出来る。
……それにしても、少し待たせ過ぎたか。本人は否定していたが、あれは催促だよな。
「相手を縛りたくないか」
何から何まで俺と舞方は似ている。
俺も昔はそんなような考えを持っていた。
人から同情されたくなくて、人から優しくされるとそれが同情に寄るものだと思った。だけど、優しくはされたくて。でも、優しくされたくなくて。
自分が人を寄せ付けないようにしているのに、人が自分に寄り付かないのは自分の境遇のせいだと思い込んだ。
矛盾だらけの感情と矛盾だらけの思考。
全ての人が自分の境遇を知っているという妄想を抱き、常に周りに敵意を振り撒いた。隙を見せたら危険だと思っていた。だから、余計に疲れた。無駄に、勝手に、疲れていた。
自室のベッドに寝転がり、思考を巡らす。
どういう答えが、お互いにとって最善なのか。
……そもそも、そんな事を考えている時点で、まず前提が間違っている気もするが。
人の感情に最善も最低もない。あるのは、どう思うかだけ……。それなのに、俺は――
「逃げてるのか?」
自分と向き合う事から。舞方と向き合う事から。
逃げて、逃げて、逃げて……。その先に何があるというのか。逃げた結果何も得られない事は、すでに経験済みだというのに。
手を伸ばす。その先にあるのは天井と灯りだけ。
何かを掴もうとして、何も掴めなくて、結局手を下ろす。
「……ダメだ」
何も思い浮かばない。
堂々巡りの思考と無意味な逃避。最近、一人になるといつもそれの繰り返しだ。無駄な行動だと分かっていながら、止められない。止まらない。
ベッドの上に体を起こし、立ち上がる。
何か飲もう。体に何かを入れたら、また違ったものが思い浮かぶかもしれない。
自室を出て、階段を降り、リビングに入る。
リビングではソファーに座った母さんが、一人でテレビを見ていた。昼時によく流れるドラマの再放送だ。
台所に向かい、コップに飲み物を注ぎ、再びリビングに戻る。
テーブルの方に腰掛け、テレビに目をやりながらコップを口に運ぶ。
内容は頭に入ってこない。本当にただ見ているだけだ。
「ん?」
ふと母さんが俺の方を振り返る。そして、なぜかこちらにやってきて、テーブルを挟んで対面に座る。
「何か悩み事?」
「なんで?」
内心の動揺を悟られないように、平静を装う。
「恋の悩み?」
「な?」
確信を突かれ、今度はもろに動揺が口を突いて出てしまう。
「どうして分かった?」
「あ。当たった?」
どうやら、カマを掛けられたらしい。
「まぁ、アンタは頭いいから、大抵の事は一人で何とかするからね。そんなアンタが悩むとしたら、人間関係くらいかなって」
言って、にこりと笑う母さん。
ダメだ、この人には適わない。昔からそうだ。あの頃も見てないようでこの人は俺の事をちゃんと見ていてくれていた。それに俺が気付いていなかっただけで。
「母さん、愛って何かな?」
「……他者や自分に対する最大限の感情かしら」
適当にした質問に、しっかりした答えが返ってきて逆に驚く。
「ねぇ、裕也。あなたは物事を少し難しく考えすぎなんじゃない? 物事の真理は意外とシンプルでかつ簡単な物よ」
「……」
参った。全てお見通しか。
「あなたがどうしたいか、どう思っているか、どうなりたいか。たまには感覚や感情に流されるっていうのもいいじゃない。ね?」
適わない。本当に適わないな、この人には。
「母さん」
「ん?」
「ありがとう」
頭を下げる。形だけのものではなく、心から気持ちを込めて。
「いえいえ。どういたしまして」
頭を上げた視線の先にあったのは、少年のようにニカっと笑う母さんの顔だった。
なぜ俺はここにいるのだろう?
自分で来ておいて何だが、自分でもなぜここに来てしまったのか分からない。
母さんとの会話の後、自室に戻った俺は、衝動的に家を飛び出した。そして、その足は自然とある場所に向かい、今に至る。
さて、どうしたものか。
駐車場の少し低めのコンクリート塀に腰を降ろし、考える。
眼前には深早荘。ポケットには携帯。
衝動的に出たというのに、携帯だけは手元にある辺り、日頃の癖というか慣れというか……。
とりあえず、その携帯を取り出して手の中で遊ばす。
連絡を取るべきか取らざるべきか、それが問題だ。
ここまで来て帰るというのもおかしな話だが、今さっきまで会っていたというのに家まで押し掛けるというのもこれまたおかしな話である。
「やっぱり、帰るか」
そう思い、塀から立ち上がった瞬間――
「うわぁ!」
手の中の携帯が震え、思わず落としそうになりながらも、何とか寸での所で事無きを得た。
危ない、危ない。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、ディスプレイを見る。そこには着信を報せるマークと、舞方の名前が。
一つ深呼吸をし、電話に出る。
「はい」
『もしもし、私』
お互い、なぜか声に緊張の色が混じっていた。
「うん。何?」
『今、何してた?』
「散歩」
少し嘘を吐く。
『そう。……笠井君』
「ん?」
『バスではごめんなさい。変な事言っちゃって』
「変な事? 真面目な話の間違いだろ?」
少なくとも、俺はそう感じた。
『……私、不安なの。笠井君が本当は仕方なく、私と一緒に居てくれてるんじゃないかって、すごく不安なの……』
言葉の終わりの方、舞方の声はあまりに小さく、そして弱々しかった。
「なぁ、舞方」
『何?』
「俺、今、お前ン家の前にいるんだけど」
『は? え? ちょっと待って』
電話の向こうから、舞方の声の代わりに慌ただしい物音が聞こえてくる。そして、一分もしない内に、まだ制服に身を包んだままの舞方が俺の目の前に現れた。
俺の姿を見つけ、舞方が携帯を切る。それに倣って、俺も携帯を切る。
「なんで……?」
「何となく」
「そう……」
「……」
「……」
お互い、そこから続ける言葉が思い浮かばず、黙り込む。
「舞方から告白を受けて二週間と少し、色々な事を考えた。考えて、考えて……でも、答えが出なくて……」
その沈黙を破り、先に口を開いたのは、俺の方だった。
「俺は、多分怖がってたんだと思う。深い絆っていうのかな、そういうのを持つのを。……というか、失う方をかな?」
四年前、その怖さは十二分に味わった。
「だから、色々な言い訳や理由をつけて、答えを先延ばしにした」
物事の真理は意外とシンプルでかつ簡単な物、と母さんは言った。まさにその通りだと思う。
「俺は舞方と一緒にいたいと思う。それが付き合うという事かどうかは、正直俺には分からない。でも、そこに同情や仕方なくという感情がない事だけは確かだ」
ただ単純に。自分の今の気持ちを舞方にぶつける。
「舞方にはずっと俺の隣に居て欲しい。出来れば、どちらかが死ぬその日まで」
「……何それ」
それまで俺の話を黙って聞いていた舞方が、そこでようやく口を開き――
「プロポーズか何か?」
笑った。満面の笑みではないが、確かにその表情は笑顔と呼ばれるものだった。
「笠井君、あなた、深い絆を失うのが怖いって言ったわよね。そんなの私も同じよ。一度築いた深い関係は壊したくない。だから」
手を握られる。そして、それは舞方の胸の高さへと上げられた。
柔らかい物が手に当たり、そういう状況ではないと分かっていながら、ドキマギしてしまう。
「あなたが私の隣に居たいと、あなたが私に隣に居て欲しいとそう思うなら、私はあなたの隣にずっといるわ。だって、それが私の望みでもあるんだもの」
言葉を失う。あまりに真剣な言葉に、瞳に、表情に。
「笠井君」
「な、なんだ?」
流れが流れだけに、次に舞方の口からどんな言葉が発せられるのかと身構える。
「折角ここまで来たんだから、お茶でも飲んでいきなさいな」
「……は?」
握られていた手がぱっと解かれ、舞方の体が俺から離れる。
何? お茶? え? どういう事?
思わぬ展開に、頭が軽くパニックになる。
「おい、舞方」
踵を返し、深早荘の方に帰っていこうとする舞方を呼び止める。
「何? 上がってくでしょ?」
足を止め、舞方が振り返る。
「……あぁ」
「じゃあ、行きましょう」
再び、一人歩き出す舞方。
「……はぁー」
溜息を一つ吐き、その背中を小走りに追う。
やはり、俺の予想は外れないな。




