第27話 襲撃
一二月一〇日未明、ソル砂海軍潜砂艦イ五八は、シアム王国国境とマーレイヤ軍港の中間地点に進出していた。
言うまでもなく、輸送船団を狙うサピエント艦隊の動向を探り、機会があればこれを攻撃するためだ。砂嵐が去った砂海面に浮上し、艦橋に見張り員を配置して周囲を警戒している。当然艦長も艦橋に上り、双眼鏡をのぞき込んでいる。
細かい砂塵は辺りに漂っているが、狭苦しい艦内よりは遙かにマシだ。
敵に発見されないようにタバコを吸えないことが、この場において唯一の不満だった。
「艦長、せっかく浮上したのに禁煙とは、やり切れませんね」
周囲に対する警戒を解くことなく、ベテランの下士官がぼやく。
「仕方ねぇよ。
一服点けた途端に弾が飛んでくるんじゃ割に合わねぇだろ」
同世代といってもいいが、軍歴では後輩ともいえる艦長は気安く答える。
規律が厳格な戦艦に比べ、少人数で艦を運用しなければならない潜砂艦や駆逐艦は、艦長と下士官兵の距離が近い。階級も戦艦や制式空母の艦長が大佐であるのに対し、潜砂艦や駆逐艦では大尉が普通だった。年齢も近いこともあり、艦内は比較的生温かい雰囲気に包まれている。弾一発で轟沈しかねない小型艦艇は、乗組員全員が一蓮托生という意識が強く、細かいことをとやかく言うことは少ない。
締めるところさえ締めていれば、それで充分という考え方の指揮官が多かった。
「そりゃぁそうですがねぇ。
やっぱり浮上したときくらい、気兼ねなく一服点けたいってもんですぜ」
もう一人の下士官も軽口を叩く。
だが、その眼光は鋭く右舷を窺っている。
「じゃあ、貴様は転属願いでも出してみるか?
なんなら『アーストロン』に、推薦状でも書いてやろうか」
艦長も負けじと答えるが、その目は艦の前方をしっかりと見据えていた。
「冗談じゃありません。
誰があんな蛇の『アーストロン』なんぞに」
下士官は大仰に身を震わせて答える。
とかく規律に厳しい戦艦では、新兵に対するしごきが酷く、鬼の『キュラソ』地獄の『アロン』音に聞こえた蛇の『アーストロン』と言われている。
もちろんベテランの下士官に対して、今さらしごきも何もあったものではないが、それでも新入りに対する陰惨な虐めは当然ある。
肉体的な暴力はなくとも、サボタージュや村八分、パワーハラスメントといった精神的な嫌がらせは、相手をノイローゼに追い込むまで手を緩めない。それが判っていて、居心地のよい潜砂艦から出たいという者は、下士官に限っては皆無に等しかった。
もちろん、いきなり潜砂艦に配属になって、どうしても馴染めない新兵や、人間関係が上手くいかない場合は別だったが。
「貴様ならどの艦でも――」
「右二〇度六〇〇メートル、駆逐艦!」
艦長が混ぜっ返そうとした言葉を食いちぎり、下士官の叫びが上がった。
「急速潜航!
深度一五!
急げ!」
問い返すことも、確認のため右舷に双眼鏡を向けることもせず、艦長は伝声管に怒鳴り込む。
艦橋にいる見張り員全員がハッチに飛び込んだ後、右舷を一瞥してから自らもラッタルを駆け降りる。艦の潜航に伴い、頭上から降り注ぐ砂を浴びながら、艦長はハッチを渾身の力で閉め切る。
そのときには既に艦は前のめりに潜航を始め、艦長が司令塔に降り立ったときには砂深一五メートルに懸吊し、水平を保っていた。
「潜望鏡深度!
相変わらず速いな、おい。
ハッチを閉め切るまで待ってくれよ」
艦長が潜行の指揮を執った航海長に文句を言う。
「艦長こそ、もっと早く閉めてください。
待ってる間に弾が飛んで来ちまいます。
砂の掃除する者の身にもなってください。
一番訓練が必要なのは、艦長なんじゃないですか」
航海長が言い返すが、そのときには艦長は潜望鏡に取り付いていた。
「どうやらこちらには気付いてないようだ
……でかいのがいるな。
ふたつ、か
やり過ごしてから魔通。
敵主力反転、針路一八〇度!」
潜望鏡から目を離さず、艦長は下命した。
「通報だけですか?」
不満げな声が砂雷長から上がる。
「まずは触接を保つことだ。
慌てるな。
機会があれば、ぶっ放させてやる。
航海長、しばらくしたら浮上して追跡。
その後は――」
「先回りして待ち伏せですね」
三人は満面の笑みで頷き合った。
イ五八がサピエント艦隊に触接を続けている頃、ゴール植民地に進駐している第二二航空戦隊第一航空部隊基地では、女性飛行士官のアズファ少尉が眠れぬ夜を過ごしている。
僅か数時間前の悪夢はアズファの心を掴み締め、睡眠すら仕事の内といわれるパイロットから貴重な時間を奪い去っていた。
滑走路に降り立ったアズファを待っていたものは、司令の厳しい叱責に、あからさまな怒りとあざけりを乗せた下士官パイロットたちの視線だった。もちろん、弁明の余地もないことは、アズファを始めとした第二中隊第二小隊三機の搭乗員全員が理解している。それに反抗する気も、当然ない。
特に敵艦隊発見の第一報を送ったアズファ機の偵察員は、首を括るのではないかと思わせるほどの憔悴を見せていた。
司令の叱責は厳しかったが、それでも鉄拳が飛んでくることも、必要以上に睡眠を削るような罰直を与えることもなかった。
膨大な時間と経費をかけて育てたパイロットや偵察員を、一度や二度の失敗で陸上勤務に放逐できるほど、ソル砂海軍に余裕はない。はらわたが煮えくり返るような失態だが、明日以降の働き如何でいくらでも汚名返上の機会はある。
明日に備えて寝ろ、と吐き捨てるようにではあったが、司令は焦燥を滲ませてアズファたちを解放していた。
南遣艦隊司令長官から直接叱責を受けるのは当の司令であり、今さら殴られたりはしないだろうが、この後の出世はないものと考えるのが自然だ。
敵味方を間違えただけではなく、直属の長官に対して雷撃をかますなど、決して許される失態ではない。
アズファはそれが申し訳ない。
同様に、こうして自分はベッドに身を横たえていることができるが、明日の出撃に備えて、夜を徹して機体の整備に当たっている整備班にも申し訳が立たない。
小莫迦にしていたはずのエルミだけでなく、自分の一歩も二歩も先を行くルックゥやファルを始めとした同期たちにも申し訳が立たない。
腹を切るなり、首を括るなりといったこの時代にありがちな責任の取り方もあったが、それを今することは逃げとしか思えなかった。
汚名返上してからでなくては。自分のではなく、女性飛行士官の汚名を雪がなくては、死んでも死にきれない。
アズファの精神は、平衡を失いつつあった。
一二月一〇日に日付が変わり、時計の針が一時三五分を指した頃。
眠れぬ夜に苦しむアズファとはまったく別の眠れぬ夜を、心の底から楽しむ一団が砂海の砂面下で息を潜めている。
「艦長、『敵主力反転、針路一八〇度。〇一二二(まるひとふたふた:午前一時二二分)』、送信しました」
通信長が報告を上げてきた。
「よし、魔通発信の間も気付かれていない。
あちらさん、当然傍受はしているんだろうが、まるで針路を変える気配がないぜ。
じゃあ、一丁やったろうじゃねぇか」
艦長の言葉に司令塔は歓喜に包まれた。
もちろん、静粛性を最重要視する潜砂艦内で、大歓声を上げるほど彼らは素人ではない。
「当艦は今より一〇分後、敵主力艦に雷撃を敢行する。
落ち着いてそれぞれの責務を果たせば、必ず全弾必中と艦長は確信する。
かかれ!」
ぼそぼそ声の命令と乗組員の士気を鼓舞する訓示が、伝声管から全艦に知らされた。
ここでも歓声を上げるような不届き者はひとりもおらず、全員が黙って、速やかに所定の部署に就き、艦長からの雷撃命令を待つ。
僅かに艦内がざわめき、やがてそれが一斉に静まる。
各所から雷撃戦準備良しの報告が上がった後、一切の人為的な物音が途絶え、ストップウォッチを睨んでいた先任将校が笑顔を艦長に向けた。
「先任のしごきが実を結んだな」
潜望鏡から目を離さず、艦長は笑いを含んだ声で背後の先任将校に声をかけた。
「ご冗談を。
しごいていたのは艦長だけです。
私はその後始末にどれほど苦労させられたことか。
包丁を持った兵がうろうろしてるときなんぞ、ドアを開けちまおうかと思いましたよ」
戦闘直前の緊迫感など微塵も感じさせず、先任将校は答える。
「本当です。
一度ならず、私は先任を羽交い絞めにしたとこともありますよ」
水雷長が尻馬に乗り、艦長をからかった。
「用意……」
艦長の号令がかかった瞬間、司令塔の空気が一変した。
先任はストップウォッチを握り直し、水雷長は伝声管に手を掛ける。
「って!」
短く簡潔な命令が下され、圧搾空気が放出される音を残し、砂雷が砂中へ撃ち出される。
燃料の酸化剤に圧搾空気ではなく純酸素を用い、直径五五.三センチ、全長七一五センチ、重量一.六六トンの本体を、砂中疾走速度四五ノットなら一万二〇〇〇メートル、四九ノットでも九〇〇〇メートルを走らせるソル砂海軍の秘密兵器五型一式酸素砂雷は、弾頭炸薬重量四〇〇キロを誇る。
余分な窒素を排出しない分、砂面上に航跡を残さず、極めて発見が難しい。酸化剤の容量自体が少なくて済む分、長射程、高速である上、炸薬量を増やすことが可能だった。
当然この利点に目を付けたソルを始めとした列強砂海軍は酸素砂雷の開発に努めたが、爆発事故が頻発し、実用化にこぎ着けたのはソルのみだった。
このとき扇状に放たれた砂中の長槍は、前部発射管から計五本。
信管調整の不手際から一本は発射を見送られ、艦長の命令から僅かにタイミングをずらしてしまっていた。
「用意……
じかーん!」
設定された速力から、敵艦への到達時刻を割り出し、ストップウォッチでそれを計測していた先任将校がそのときを告げる。
爆発音で鼓膜を破られないように、聴測員は聴音機のヘッドフォンを耳から外す。
司令塔だけではなく、機関室に至るまで誰もが砂を通して伝わってくる爆発の音と振動を待っている。
だが、イ五八の誰もが待ち望む音も、振動も伝わってくることはなかった。
「残念だが外れだ。
遠すぎたのかもしれんな。 もうしばらくしたら、浮上して送り狼だ。
どうやらあちらの車曳きは居眠りしてるみたいだぜ」
誰よりも空振りを残念に思っている艦長だが、指揮官があからさまに落ち込んでいる暇などない。
敵がこちらの存在に気付いていないなら、ひたすら食いついて行き先を突き止め、それを南遣艦隊司令部に知らせるまでだ。砂雷を撃ち尽くしてしまった状態で、イ五八にできることはそれしかない。
敵艦、特に駆逐艦の動きに注意していた艦長は、やがて浮上航行の命令を下した。
イ五八は、その後サピエント艦隊を追いながら、逐次一と進路を南遣艦隊司令部と第二艦隊司令部に送信する。
魔通は受信機さえあれば、どこでも傍受することが可能だ。第二二航空戦隊や、いつどこから敵が現れるか、常に怯えている輸送船団にも情報提供が可能だった。もちろんどの艦艇にも敵信傍受班がおり、あらゆる魔通を逃すまいと耳を澄ませている。
イ五八の発した魔通は、サピエント艦隊でも把握しているはずだ。
魔通を受信すれば、その魔力の強度や感度から、おおよその発信位置を特定できる。
つまり、夜間に目視できる距離で魔通が発信されたなら、その位置の特定は容易いということだ。駆逐艦が全力航行すれば、砂中の最大速力がたかだか六ノットでしかない潜砂艦など、二〇分程度で捕捉されてしまう。
イ五八の行動は、それほどまでに危険を伴うものだった。
「敵の魔通は何度傍受したかね?」
既に黎明を過ぎた早朝、僅かな仮眠から戻ってきたサピエント大東砂海艦隊司令長官マスフィ大将は、長官席に腰を下ろすなり参謀たちに訪ねる。
「はい、これまでに至近距離から発せられた魔通は二回です。
一回目が午前一時三〇分頃。
二回目が今から三十分ほど前の、三時五〇分です」
解読された暗号文の綴りをめくり、通信参謀が答える。
「我々がマーレイヤ軍港に戻ろうとしていることは、もう知られているとみてよいな。
このまま進めば待ち伏せを受けかねん。
一旦韜晦し、場合によっては『ラバナスタ』と『ビュエルヴァ』はマーレイヤには入らず、駆逐艦だけを先行させ、敵潜砂艦を狩る。
艦長、艦隊針路二四〇度。
もちろん、急接近する気配があれば撃沈したまえ」
マスフィの落ち着いた声が艦橋に流れた。
「さすがに気付いたか。
送り狼もここら辺りが限界か」
イ五八の司令塔で、潜望鏡を覗きながら艦長が呟く。
夜が明ける前に砂上航行で距離をできる限り詰め、日が昇ってからは引き離されることを覚悟の上で潜航している。
サピエント艦隊は、進路を変えた。
「魔通深度まで浮上。
いや、砂上航行だ。
あちらさんが反転したら逃げるが、できる限り食いついていこう」
艦長の命令でイ五八は浮上し、つかず離れずの位置を保ってサピエント艦隊を追い続けた。
『我『ビュエルヴァ』ニ対シ砂雷ヲ発射セシモ命中セズ。敵針路一八〇度。敵速二二ノット。〇三四一』
『敵ハ黒煙ヲ吐キツツ二四〇度方向二逃走ス。我之ニ触接中。〇四二五』
『我触接ヲ失ス。〇六一五』
六時一五分にイ五八から送信された魔通を最後に、サピエント艦隊の動向は全くつかめなくなった。
この三通の魔通からは、サピエント艦隊がマーレイヤ軍港を目指していることが窺える。
「どう見る、参謀長」
通信文の綴りを前にして、ハルミは腕を組んでいる。
「遠すぎます。
最大戦速で追っても、追いつく前にマーレイヤに逃げ込まれますし、敵の哨戒域に入ります。
そうなれば、第二艦隊の『キュラソ』と『ギラドラス』はともかく、重巡以下の艦艇にとって航空機は脅威です。
航空攻撃がなくとも、潜砂艦の待ち伏せもありますし」
参謀長が悔しさを滲ませつつ、それでも冷静に、用意していた答えを返す。
「長官の持論が証明できるのではないですか?
ここは二二航戦に任せてはいかがでしょう。
護衛の戦闘機に不安はありますが、マーレイヤに配備されているサピエントの戦闘機は一世代前の旧式機と聞いております。
圧倒的多数に押し包まれてしまえばそれまでですが、倍くらいの戦力差であれば零戦の戦闘力を以ってすれば容易に撃退できるものと考えます。
爆撃機や攻撃機の護衛は、何も敵戦闘機を撃墜する必要はありません。
爆撃機や攻撃機に対する攻撃を妨害できればそれで充分です」
航空参謀が発言した。
「確かに、私は航空機による攻撃で戦艦を撃沈できると結論付けているがな。
だが、これではまるでそのためにサピエント艦隊を見逃したかのように見えてしまうな」
ハルミの声には笑いが含まれている。
「まさか、そのようなことを長官がされるとは思いたくありませんし、思いません。
残念ですが、敵戦艦への雷撃は次の機会に譲りましょう。
どう考えても、ここからでは追いつきません。
時間や物理法則は、精神力でどうこうできるものではありませんし」
水雷参謀が悔しさを露にした表情で言う。
「よし、じゃあ、決定だ。
二二航戦の司令であれば、余計なことはいわなくても大丈夫だろう。
また敵と間違えられてはかなわんが、戦争に絶対はない。
討ち漏らしたことも想定し、我々もサピエント艦隊を追う。
艦長、艦隊針路このまま」
南遣艦隊司令長官ハルミ中将は、砂上打撃部隊と潜砂部隊による追跡を諦め、九日に続いて陸攻部隊にサピエント艦隊への攻撃を託すことを決意した。
ほぼ同時刻、やや北方の砂海域に展開している第二艦隊司令長官ノーブ中将も同様の結論に達し、艦隊針路を百八〇度に取っていた。
一二月一〇日六時二五分。
第二二航空戦隊第一航空部隊基地から、索敵機九機が放たれた。
イ五八のが触接を失った位置情報から、四時間程度でサピエント艦隊は発見できると予想されていた。
索敵機の発進後、攻撃隊も各基地から出撃する。
敵の正確な位置は未だ不明だが、既にマーレイヤ軍港に近いと考えられていた。索敵機からの報告を待って出撃したのでは、間に合わないと司令部では判断している。このため、攻撃隊もおおよその位置に向けて飛行し、索敵機からの報告を受け次第、各航空部隊は現場に急行すると決められていた。
まず七時五五分に第二航空部隊基地から雷装一七機、爆装九機の六型陸攻が飛び立った。
続いて八時一四分、第三航空部隊基地からは全機雷装の一型陸攻二六機が出撃する。
直後の八時二〇分に第一航空部隊基地からは雷装八機、爆装二五機の六型陸攻が出撃した。
サピエント艦隊を追うすべての機体が離陸したのは、九時三〇分のことだった。
「今日こそ……」
第一航空部隊第二小隊三番機の操縦桿を握るアズファの口から、小さな呟きが零れた。
「気負わないことです、少尉。
肩の力を抜いて。
いざって時に操縦を誤りますよ。
戦死を恐れるもんじゃありませんが、事故死ってのはぞっとしませんや」
シューン一飛曹が気配を悟り声をかける。
「え?
あ、はい」
エンジンの爆音に掻き消され、呟きなど聞こえるはずはないと思っていたアズファは、シューンの言葉に心臓が止まりそうだった。
「聞こえなくたって解りますって。
少尉、適度な緊張感は大事ですが、ガチガチになっちゃダメですぜ。
こう、柔らかく、男――」
「解りますけど、解りません!」
間違いなく続くだろう下ネタを予期し、アズファは怒鳴り返す。
背後の偵察員たちから笑いの気配が伝わるが、声は相変わらずエンジンの爆音に掻き消されている。
魔力の行使に伴い奪われる水分量が急増したような気がして、アズファは喉を鳴らして水を飲んだ。
「少尉、水は大事にしてくださいよ。
どうせ投雷の辺りで大量に使うんだから。
帰れなくなっちゃ困りますからね」
偵察員から伝声管を通して、笑いを噛み殺したような冷やかしの声が届く。
誰もが昨夜の失態を取り返そうと、気負いこんでいた。
ベテランパイロットのシューンですら、飛び立つ前は目つきが悪くなっていたことを自覚している。搭乗員の闘志が空回りしていることを察知したシューンは、敵戦艦発見までになんとかそれを解消したかった。開戦初頭の重要な作戦とはいえ、敵戦艦一隻と引き換えに自爆で死ぬなど、シューンは真っ平ごめんだった。
死んでしまえば、それまでだ。
血の滲むような思いで身につけた技術も、経験も、夢も希望も全てが消え失せる。そのあとは戦功を上げるどころか、国許に残してきた妻子を守ることすらできない。解ってはいるが、昨夜の失態を取り返すためには大きな戦果を挙げてやると、心が望んでしまっている。旺盛な闘志と激情に駆られた蛮勇は別物だ。それが今は一緒くたになり、危険な状態に陥っているとシューンは自覚している。
どうやって搭乗員全員に平常心を取り戻させるか、シューンは頭を悩ませていたが、結果的にアズファの呟きは、それを見事に解消することになっていた。
一路マーレイヤ軍港を目指していたサピエント艦隊だが、ソル軍が上陸をしたといわれた商港に針路を変更していた。
七時一八分、商港の偵察を密にするため、『ラバナスタ』から偵察機を一機発艦させ、昨夜分派した駆逐艦一隻を追わせた。だが、どこを探してもソル軍の部隊どころか、ひとりのソル人すら発見できなかった。
偵察機と駆逐艦からの魔通を受け、サピエント艦隊本隊は再び南へと針路を取った。
一方、ソル軍もサピエント艦隊を未だ発見できていない。
とりあえず、サピエント艦隊は南を指していた。だが、それが韜晦航路で所在を眩ませ、輸送船団に襲い掛かる危険性はまだ残っている。万が一、哨戒網をすり抜けられ輸送船団に襲いかかるようなことがあれば、ソルの南方資源地帯制圧の目論見は脆くも瓦解してしまう。
何よりも、この砂海域にサピエント艦隊がいるというだけで、今後の作戦方針が大きく変わる。常に敵の脅威を感じながら南進するのと、ある程度の安全が確保されているのでは大違いだ。ソル本土からベロクロン大岩盤に物資を送り込むにも、南方資源地帯からソル本土へ輸送するにも、砂海を輸送船団で運ばなければならない。
サピエント艦隊を無力化は、南遣艦隊、第二艦隊に課せられた使命だった。
索敵の空振りを誰もが覚悟し始めた一〇時五二分、基地に引き返す途中の四番索敵機がマーレイヤ軍港へ帰還中の駆逐艦を発見した。
近距離にいた五〇〇キロ爆弾を装備する爆装陸攻隊が急行するが、この駆逐艦を戦艦と見誤って攻撃してしまった上、命中弾は得られず、貴重な時間と少数とはいえ爆弾を無駄にしてしまった。
敵主力撃沈を一瞬でも期待した司令部の落胆は大きく、駆逐艦すら撃沈できなかった事実に、航空優位を証明できなくなるのではという恐怖感が司令部を被い始めていた。
「どう、見えない?」
第二航空部隊に所属する六型陸攻のコクピットで、機長を務めるケッティ少尉が偵察員に声をかける。
今のところ副操縦士のジャクロ一飛曹に操縦桿を預けているため、ケッティ自身も海面を凝視しながらの言葉だった。午前六時二五分に基地を出撃して以来、単調な飛行が続いている。
「ダメですね、少尉。
この線は外れです」
偵察員からは口々に同じような答えが返ってくる。
「あまり南に行くと、敵の哨戒圏に入ります。
いくら旧式とはいえ戦闘機が出てきちまったら、この機じゃちとしんどいですぜ、少尉。
そろそろ戻りましょう」
ジャクロの声は悔しさも気負いも感じさせない落ち着いたものだった。
「うん、解ってるわ。
こんな所で戦闘機に食われちゃたまらないものね。
あと一〇分飛んで、何も見えなかったら帰りましょう」
ケッティの声にはどこかほっとしたような雰囲気がある。
アズファ同様、空母航空隊に憧れ訓練に励んでいたが、配属は基地航空隊。
ケッティに中攻操縦の才能があって是非にというのではなく、空母航空隊に配属するには技量未熟しいうのが理由なのは、アズファと同じだ。
腐るなという方が無理だった。それでも表面上は不満を表すこともなく、ケッティは黙々と軍務をこなしていた。たまに近くの町でアズファと顔を合わせることがあれば、ふたりで愚痴の言い会いになるのが常だった。
昨夜のアズファが気負いのあまり味方撃ちをやりかけたことは、魔通の傍受記録から第二航空部隊でも掴んでいる。第二航空部隊司令はケッティたちの出撃に当って、二の舞を演じないよう厳命していたのだった。
同期をどうやって慰めようか頭を悩ませながらも、心のどこかでライバルが消えたことを喜ぶ自分がいた。
自分ならそんなヘマはやらない。
そう考えていたが、受けた命令は偵察だった。
嫌を言えるはずもない。
必死の努力で落胆の表情を表に出さずに、ケッティは
三番偵察線を引き返しながら、ケッティはこれで攻撃に参加できる可能性が出てきたことを喜んでいた。
急いで引き返せば、爆弾を積んで午後には出撃できる。
午前中にサピエント艦隊が発見されたとしても、そうそう簡単に撃沈できるとは思えない。第二次第三次の攻撃隊が編制されることを、ケッティは信じていた。
ふと、視界の片隅に黒い影と煙が見えた。気がした。
「攻撃隊への参加は、なしね」
小さく呟くと、ケッティは魔通員に基地へ報告するように命じる。
サピエント艦隊発見の武功を上げたことを喜ぶ自分と、これで敵主力艦撃沈の栄誉は逃げていってしまったことを悔やんでいる自分がいた。
「仕方ないですね。
ここはひとつ、裏方に徹しましょう。
まだ敵の空母が後方に残ってるらしいじゃないですか。
そいつをいただくことにして、ここは我慢ですぜ、少尉」
ジャクロがケッティに声をかける。
ケッティがジャクロの顔を覗くと、嬉しさを垣間見せながらも悔しさに顔を歪ませ、自身の感情をねじ伏せようと必死になっている。
「そうね、ここはひとつ、私たちのおかげでサピエント艦隊を殲滅できたって言わせるようにしてやりましょうか。
攻撃隊が傍受できるかもしれないから、続報は長めの文で送るわ。
高度三〇〇〇で触接を維持!」
魔通員に命じ、サピエント艦隊の針路、天候、航行序列を送信する。
単座、二座、三座の艦戦や艦爆、艦攻と違い、中攻には機内には多少ではあるがスペースの余裕がある。魔通の送信受信とも、艦上機とは格段に性能がよいものが搭載されていた。
ケッティ機の魔通は、攻撃隊も傍受するだろう。そうなれば、基地からの指示を受けるより早く、この砂海域に友軍機が飛来する。そのときの目印になれるように、ケッティは攻撃隊の標準飛行高度で触接を保つことにした。
ケッティは機内を振り向き、偵察員たちの顔を見回す。
直接攻撃に参加することはないが、間違いなく戦闘行動に入っている男たちの顔が並んでいた。誰もが口を真一文字に引き結び、サピエント艦隊の挙動をひとつも見逃すまいと砂海面を凝視している。だが、どの顔にも喜びと悔しさが同居していた。
ジャクロの顔を思い出してケッティは吹き出しそうになり、操縦を自分に切り替えて力一杯操縦桿を引き付けた。
私だけじゃないんだ。
取り逃がしてしまうのではないか、誰もがとろ火で炙られるような焦燥感の中で、待ちに待った魔通だった。
『敵主力見ユ、北緯四度、東経一〇三度五五分、針路六〇度、一一四五』
一一時四五分、ケッティ機から待望のサピエント艦隊主力発見の魔通が飛び込んできた。
続けて続報の魔通が、二通飛び込んでくる。
『敵主力ハ三〇度ニ変針ス、同砂海域ノ天候ハ快晴ナリ、一一五〇』
『敵主力ハ駆逐艦三隻ヨリナル直衛ヲ配ス、航行序列、『ラバナスタ』型、『ビュエルヴァ』、一二〇五』
司令部はすぐさま各攻撃隊に魔通を転送し、各攻撃隊はサピエント艦隊主力めがけて翼を翻した。
「ケッティ、やったぁ!
いくよっ!」
アズファが歓喜の咆哮を上げ、操縦桿を大きく倒す。
中攻とは思えない機敏な機動で、六型陸攻は左旋回を開始した。
「俺たちが行くまで獲物は取っておいてくれよ。
ここまで来て、着いたときにはきれいさっぱりなんて、ご勘弁願いたいってもんですぜ」
シューン一飛曹が大声で同意を表した。
「艦長、あれはソルの中攻だな」
『ラバナスタ』の将官艦橋で、マスフィは、『ラバナスタ』艦長リッチ大佐に言った。 マスフィが見上げた約三〇〇〇メートル上空を、ケッティの六型陸攻が旋回している。
「対空戦闘用意!」
頷いたリッチは間髪を入れず命令を下す。
艦内の各所で命令と復唱、ラッタルを駆け上がり、駆け下りる靴音、水密ドアを開け、締め切る音が響き渡り、ほどなく潮が引くように静まっていく。
「長官のおかげで、乗組員たちもかなり素早く動けるようになりました。
まだ、満足はしませんが」
おそらく、より手早く対空戦闘の準備を完了したであろう僚艦『ビュエルヴァ』を眺めつつ、リッチがマスフィに声をかける。
「私は、何もしていないよ、艦長。
すべては艦長の指導の賜物だ」
微笑の形に頬を緩ませ、マスフィは返答する。
「いえ、私も厳しく指導していますが、長官の旗艦であるということが乗組員たちの自覚を増しています。
サピエント本国を出たときにはどうなることかと思いましたが、これであれば充分すぎるほど戦闘に耐えることができるでしょう」
同様に微笑みながらリッチは言った。
「そうか。
艦長の見立てではどうかね。
ノーブの艦隊が出てきたときに撃ち勝てるか?」
マスフィは、ハルミが率いる重巡を基幹戦力とした南遣艦隊を脅威と看做していない。
重巡以下が装備する豆鉄砲など、『ラバナスタ』の装甲にとって蚊が刺したほどの痛痒も与えられないとマスフィは信じている。
巨大な破壊力を持つソルの酸素砂雷も、命中しなければどうということはない。砂雷の射点につく前に、重巡以下の小型艦艇などは『ラバナスタ』の主砲が撃ち砕いてしまうだろうとマスフィは考えていた。
万が一撃沈できずとも、砂雷の照準を定めさせず、雷撃を諦めさせるだけでも充分だ。
「はい、現在ノーブ提督の下には『キュラソ』と『ギラドラス』が配備されていますが、我が『ビュエルヴァ』より遥かに前世代の艦です。
主砲も一四インチ(三五.六センチ)と『ビュエルヴァ』より小口径です。
『ラバナスタ』とは同口径ですが、射撃速度はこちらが上。
乗組員たちの錬度も上がってきた今、撃ち負ける要素はひとつも見られません」
リッチはそう言って胸を張る。
決して驕り高ぶった振る舞いではなく、静かな内に決意と自信を秘めた態度だった。
「そうか。
それを聞いて安心したよ、艦長。
まずは我々が『リンドブルム』を沈めた戦訓に倣うだろう。
砲戦の前に航空機などに手傷を負わされるようなことがないようにしてくれたまえ」
頼もしげな視線を送りつつ、マスフィは言った。
アレマニア砂海軍最大最強の戦艦『リンドブルム』は、ソルとの開戦に先立つこと五ヶ月前の今年の五月、北部大西砂海で生起した砂海戦で撃沈されている。
『リンドブルム』出撃の報に接したサピエント艦隊は、当時世界最強の巡洋戦艦と謳われた『ファルガバード』と最新鋭戦艦『ラバナスタ』を中心とした艦隊で迎え撃った。
前大戦後に竣工した『ファルガバード』は、三八センチ連装主砲塔四基八門の強力な武装と、全長二六二・三メートル基準排砂量四万二七五〇トンの巨体を二九・五ノットの高速で疾走させる世界随一の性能を有していた。
艦齢二〇年を越える老齢艦であったが、乗組員たちはよく訓練されており、使い込まれたサーベルを思わせた。
だが、防御力より速力を重視した巡洋戦艦である『ファルガバード』は、大角度で落下してくる砲弾に対する水平防御に不安を抱えていた。前大戦後期に生起した史上最大規模の砂海戦の戦訓から、『ファルガバード』も水平装甲を強化する計画が立てられていたが、アレマニアによる第二次世界大戦勃発により棚上げのままにされてしまっていた。
その状態で遠距離砲戦に臨んだ『ファルガバード』に、『リンドブルム』の第五斉射が直撃した。
大角度で落下した砲弾は、薄い水平装甲を紙のように突き破り、高角砲用の四インチ砲弾薬庫に突入して信管を作動させた。轟音と共に巨大な炎と衝撃が破孔を通して上部構造物を舐めたが、同時に一五インチ主砲弾薬庫との隔壁を吹き飛ばす。弾薬庫内に整然と並べられた砲弾が、衝撃波に吹き飛ばされた瞬間、信管が作動した。『ファルガバード』は大きな火柱を沖天高く吹き上げ、艦橋と第二主砲塔との中間で艦体をふたつに分断されて轟沈した。
生存者は乗員一四一九名中、僅か三名。
戦闘開始から僅か六分後のことだった。
『ラバナスタ』はまだ就役してから四ヶ月と慣熟訓練が未了であった上、主砲塔に機械的な問題を抱え、造船所の技師を乗せたままの出撃だった。
しかし、轟沈した『ファルガバード』の怨みが乗り移ったかのように『ラバナスタ』は善戦し、『リンドブルム』に直撃弾を与えることに成功していた。だが、『リンドブルム』からの激烈な反撃を受けて司令塔を破壊され、艦橋要員をリッチ艦長の他僅か一名を残して抹殺され、戦闘の継続を不可能にされてしまった。
撃沈こそ免れたが、這々の体で退却した『ラバナスタ』は、『ファルガバード』の復讐戦を指をくわえてみているしかできなかったのだった。
復讐の意気に燃えるサピエント砂海軍空母『ソーヘン』から飛び立った艦攻が、『リンドブルム』砂雷を二本命中させる。
撃沈には至らなかったものの、そのうち一本の砂雷は右舷後部に命中し、三軸あるスクリューのうち中央の一本を衝撃で捻じ曲げた。艦底に食い込んだスクリューが操舵装置を破損させ、『リンドブルム』の舵は左舷一二度に固定されてしまった。
運良く生き残った左右の推進機交互運転によって操舵することになった『リンドブルム』は僅か七ノットしか出せなくなり、航行に致命的な障害を抱えることになってしまった。
『リンドブルム』はアレマニアに撤退することも不可能になり、占領していたゴールへの退避を余儀なくされた。
だが、追撃してきたサピエントの砂雷部隊、続いて戦艦部隊に捕捉され、戦艦同士の壮絶な砲撃戦の末、撃沈されていた。
この砂海戦の結果、航空機が戦艦に手傷を負わせることが可能であると、一定の有用性は認められた。
だが、戦闘行動中の戦艦を航空攻撃で撃沈することは、たとえ対空火器が減少していようとも不可能という結論も、同時に世界中の砂海軍関係者、主に大艦巨砲主義者たちにもたらしていた。
「間違いなく、その通りでしょう。
まずは航空攻撃で我々の脚を止め、その後、ナルミとノーブの艦隊が追いかけてくるはずです。
行動が阻害され、傾斜によって測的が困難となれば、砂雷戦隊のような小艦艇でも戦艦にとって脅威となり得ます。
我々を範としたソルであれば、そうするでしょう。
ですが、彼の砂海戦の戦訓は、彼らだけのものではありません。
我々がアレマニアとは違うことを、たっぷりと教育してやりましょう。
かつて、我が先人たちがソルに対してそうであったように」
リッチは当時の屈辱を思い出し、しばし瞑目してから力強く返答した。
リッチにしても、今は亡き怨敵同様の途を『ラバナスタ』に辿らせる気など、さらさらない。
今のところ『リンドブルム』のように、航空攻撃の前に損害を受けているわけではない。ソルが倣った砂海戦とは、既に前提条件が異なっている。
動きが鈍重な中攻如きに、この『ラバナスタ』の脚を止められるものか。
近寄るそばから叩き落してやる。
思惑通りに運ばせるものか。
リッチは眦を決して、上空の機体を睨みつけていた。
「敵を莫迦にすることは危険だが、必要以上に恐れることもまた危険だ。
さっきはあのように言ったが、貴官の操艦術を以てすれば、ソル機の空襲など恐れる必要はないと思うがね。
彼らにできることは、せいぜい不意打ちで安穏としている泊地の艦に爆弾を叩き付ける程度のものだ。
ついこの前までカタナを振り回す近接戦闘に明け暮れていた後進……いや、ソルが、航空攻撃で作戦行動中の戦艦に手傷を負わせるなどできまいよ」
リッチの操艦に全幅の信頼を置くマスフィは言った。
「はい。
私は、ハトーの惨劇は大きな人的要因があると考えます。
いくら不意打ちとはいえ、魔探知を備えたハトーが一〇〇機以上のソル機接近を見過ごすとは思えません。
何らかの連絡ミスや思い違いがあったものと思われます。
そうでなくては、あれほどの被害は考えられません。
一〇〇機以上の大編隊が来るのであれば、事前連絡があるはずであり、それ以外であれば敵と判断するはずです。
魔探知がソル機の編隊を捉える距離を考えれば、充分に迎撃機を上げることは可能だったでしょう。
ハトー空襲は、ソルにとっては幸運、オリザニアにとっては不運の結果だと私は考えます。
そして、今戦闘態勢を整えた我々に、僅かな不運も、ソルの幸運もあり得ません」
リッチは気負うことなく答える。
砲戦の結果対空火器をある程度削られていた『リンドブルム』と違い、『ラバナスタ』も『ビュエルヴァ』も、機銃一丁たりとも失っていない。
濃密な弾幕は、近寄るソル機を片端から叩き落とすだろう。空を埋め尽くすほどのソル機であっても、何ほどの驚異ではない。ましてや、技術先進国といわれている母国サピエントの機体ですら、戦艦を撃沈できなかったのだ。ちょうど三〇年前の二六一一年に、ようやく航空機の国産化に成功したソルが、短期間で戦艦と渡り合える攻撃機を生産できるはずがない。
戦艦とともに軍歴を重ねてきたリッチは、そう信じている。
「確かにソルの建艦能力は、高い。
それは認めよう。
ソルの『ガイロス』級重巡三番艦『ペガッサ』が我が国王の戴冠式に派遣されてきた際、我が砂海軍の『ギーザ』艦長が同じ重巡同士ということで代表してスピーチし、『初めて軍艦に乗った』と評したことがあったな」
マスフィが四年前の出来事を口にした。
二六三七年に行われたサピエント国王戴冠記念観艦式に、ソルは重巡『ペガッサ』を招待艦として派遣した。
『ガイロス』級重巡洋艦は、基準排砂量一万トンの艦体に二〇.三センチ連装主砲塔を前部に三基六門、後部に二基四門の計十門、六一センチ砂雷発射管四基一六門を備えている。、全長二〇三.七六メートル、全幅二〇.七三メートルのスマートな艦体を巨体を三三ノットの高速で走らせる重武装高速の重巡洋艦だ。
ソルに古来から伝わる独特の刀剣を彷彿とさせる鋭い艦影と重武装から、サピエント国民は『ペガッサ』を『飢狼』というニックネームて呼んでいた。
サピエント砂海軍重巡の艦長が言った『初めて軍艦に乗った』という言葉とともに、ソル砂海軍関係者は最大の讃辞と受けとった。
「あれは、彼一流のユーモアに溢れた皮肉と、私は理解していますが?」
マスフィまであの発言を額面通りに受け取ったのかと、リッチは怪訝な顔をする。
サピエントの人々は狼に対してよい感情を抱いておらず、『餓狼』というニックネームは攻撃一辺倒に傾いたソル人特有の極端に走る性質を揶揄したものだった。
重巡艦長の言葉も、居住性を無視した艦内構造や優雅さ、ゆとりをまったく感じさせないことへの皮肉だ。
「考えて見たまえ、リッチ艦長。
本国から遠く離れた植民地に行かなければならない我々の艦と、近砂海で一度の決戦に備えるソルの艦では、自ずと建艦思想は異なってくる。
我々は、ろくに武器も持たない現地人を威圧できれば充分だ。
しかし、彼らは大東砂海を押し渡ってくるオリザニア艦隊を、撃滅するという使命がある。
攻撃一辺倒の艦を造りたくなるというものじゃないか。
彼は皮肉を言ったのだろうが、図らずもそれはソルにとっては最大の讃辞だったのだよ」
マスフィ自身は、ソルの造船能力に一定の評価を与えていた。
「確かに、おっしゃるとおりです。
我々は、仮にオリザニア艦隊と雌雄を決することになっても、充分な戦力を保持しています。
ですが、ソルは我々やオリザニアに対して戦艦で約六割、補助艦艇で約七割の保有トン数です。
それでは攻撃一辺倒になろうというものですな」
多少の哀れみを含んだ笑みでリッチが答える。
哀れみには、同時に嘲りも含まれていた。
「我が国から『キュラソ』を購入し、建造の際には多くの技官や技師が我が国の造船所に訪れ、素晴らしい勤勉さで学んで行った彼らが、一流の造船技術を身に付けたことは、至極当たり前だ。
我が国を手本としたのだからな。
だが、基礎工業力が低く、資源に恵まれないソルが、高性能の航空機を作り出せるとは私には思えない。
機体は何とかなろうが、エンジンの小型化は絶対に我々やアレマニアの水準までは達しないだろう。
長く軍令部に身を置いていた私だが、決して他国戦力の情報収集や研究を怠ってきたわけではない。
いや、逆にそれこそが重要な仕事だったと言ってもいいだろう。
ソルの機体は、カタログデータでは優秀かもしれないが、それを活かせるだけの技術力はないと、私は判断している」
マスフィはそこで言葉を途切り、上空を見上げた。
「長官が警戒されているのは、ノーブ、ナルミ両提督が率いる砂上打撃部隊であり、今上空に集まってきた航空機は驚異と見なしておられない。
ということですね」
リッチも上空に視線を向け、刻々とその数を増やしつつあるソルの中攻を見ながら答える。
「その通り。
見たところ艦攻はいないようだ。
鈍重な中攻など、貴官の操艦術と乗組員諸君の射撃技術を以てすれば、ただの一機も近寄らせることもないと、私は信じている」
頼もしげな視線をリッチに向けると、マスフィは踵を返し、長官席に腰を下ろした。
「対空管制室に上がります。
ここでは敵機の動きが見えませんので」
リッチはマスフィに見事な姿勢で敬礼し、将官艦橋を出て行った。
南遣艦隊司令長官ナルミ中将は、第一航空戦隊司令官時代に『リンドブルム』撃沈の戦闘経過を駐在武官を通して入手し、詳細な検討をしていた。
そして、戦艦は航空攻撃で撃沈できると、結論付けている。
現在『ラバナスタ』に迫りつつある六型陸攻は、サピエント艦隊の脚を止めるために征くのではない。
息の根を止めるため。
それ以外の意思は持っていない。
ケッティがサピエント艦隊の位置を知らせてから、約一時間が経過している。
比較的近距離にいた第一航空部隊の爆装隊の一部六型陸攻八機と、第二航空部隊の雷装六型陸攻一七機が、先を争うようにサピエント艦隊に殺到した。
「射撃開始!」
「突撃!
我に続け!」
それぞれの指揮官から、ほぼ同時に戦闘開始の命令が下される。
『ラバナスタ』と『ビュエルヴァ』、そしてエスコートの駆逐艦から、無数の火箭が六型陸攻に向かって撃ち上げられた。
天地を逆にした赤い豪雨を突き抜けて、第一航空部隊第一中隊八機が、高度四〇〇〇メートルからレパルスを爆撃したのは、一二時四五分のことだった。
『ビュエルヴァ』の艦上に閃光が走り、大音響とともに爆煙ガ奔走する。
ほぼ同時に、砂面に突っ込むのではと思えるほど低空に舞い降りた六型陸攻が、対空射撃をかい潜り砂雷を投下する。
『ラバナスタ』の艦腹に、丈高い艦橋と高さを競い合うように砂柱がそそり立った。
二本目の砂柱をかわして飛び去ろうとした第二航空部隊第一中隊三番機を、『ラバナスタ』の対空砲火が絡め取る。
それぞれの主義主張を押し通すため、そしてそれとは別に、生き残るための戦いが始まった。




