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第16話 激流

 第一航空艦隊が新設されて三ヶ月が過ぎた七月末、第二航空戦隊は訓練のためソル東方の近海を遊弋していた。

 旗艦『デットン』は艦攻隊収容のため、艦首を風上に向けて驀進している。その小振りな艦橋では、第二航空戦隊司令官オーキキ少将が厳しい目つきで艦攻隊の着艦を見守っていた。


「飛行長、まるでなっとらん。

 暫時休息の後、もう一度だ」

 苦い表情を崩さず、オーキキは飛行長に命じた。


「お言葉ですが、司令官。

 艦攻にあれ以上高度を下げさせるのは、自殺行為でしかありません。

 敵艦の対空砲火を避けるために、砂海の起伏に突っ込んでしまっては本末転倒です」

 飛行長は搭乗員の苦労が分かるだけに、オーキキの仮借のない言葉に反発を覚えていた。


 理屈の上では、あと十メートル以上高度を下げることは可能だった。

 雷撃に際しては、極力低空から、かつ一定の速度以下で投雷しなければ、精密機械でもある砂雷は着砂の衝撃で破壊されてしまう。そして、重い砂雷を腹に抱えた艦攻の運動性は悪く、対空砲火に捕らえられやすいため、それを避けるには対空砲の俯角以下の空域に潜り込む必要がある。低空飛行は艦攻乗りにとって、生き残るためには必須の技術だった。

 どれほど大量の弾幕を張ろうが、その下を飛んでいる限り打ち落とされることはない。


 だが、砂海上は平坦ではない。風や艦の航跡が作り出した起伏がそこらじゅうに散在し、いつ突風によってそれが移動や増加するか分かったものではない。咄嗟に高度を上げてそれを避けても、操縦を少しでも誤れば、機体は簡単に数十メートル上昇してしまう。そうなれば濃密な対空砲火の中に自ら飛び込んでいくことになり、撃墜してくれと言っているようなものだ。

 ある程度、砂面からは余裕を持って飛ばなければならなかった。


「搭乗員たちが手を抜いているとはかけらも思わんが、これではあたら若者を砂海の塵にするだけだ。

 あと五メートル、高度を下げさせるんだ。

 それから投雷後、不用意に高度を上げる機体が多すぎる。 死にたくなければ、敵艦の土手っ腹に突っ込むつもりで飛べと、搭乗員に伝えてくれ」

 第二航空戦隊司令官就任以来、何度目になるか分からない同じ命令を、オーキキは飛行長に下した。



「冗談じゃないわ、これ以上高度を下げろって、砂海に突っ込んで自爆しろってこと!?

 いい加減にして欲しいわね、あの人殺し重ね丸餅は!

 その上、投雷後は敵艦に突っ込めですって!?

 私たちは砂雷や爆弾じゃないっての!」

 オーキキからの命令を伝えた飛行長が出て行った後の搭乗員待機所に、エルミの怒声が響いた。


「落ち着きなさいよ、エルミ。

 司令官は死ねとは言ってないでしょう?

 私たちのことを思ってのご命令だと思うよ」

 同じく艦攻隊で、パイロットを務める飛行士官学校同期のルックゥがたしなめるように言った。


 ルックゥは魔法の腕こそエルミに一歩譲るものの、抜群の飛行センスを持つ女性パイロットだ。周囲のベテランたちからもその腕前には太鼓判が押され、今すぐにでも予科練の教官が務まるのではとまで言われている。

 総合的な実力では、エルミの一歩先を行く女性だった。


「そうだぞ、エルミ候補生。

 司令官は、我々を殺したいわけじゃない。

 死なせないために技量を上げさせようと、司令官なりに必死なんだ。 言い得て妙だが、あまりでかい声で言うな」

 笑いを噛み殺しながら、エルミがパイロットを務める機の機長であるエンザが言った。

 司令官の丸々とした堅太りの体型と、満月のような相貌を見事に表現したエルミの悪態に、今にも噴き出しそうになっている。


 エンザ中尉は、人当たりの良さそうな雰囲気を纏ったベテランの男性偵察員であり、優れた統率力を持つ『デットン』艦攻隊第三小隊の隊長でもある。

 パイロットの経験も豊富に有しているため、部下のパイロットに過酷ではあっても無理を言うことはない。それだけにエンザの言葉には説得力があり、逆らいがたいものがあった。


「分かっています、中尉。

 でも、こうつらくちゃ文句の一つも言いたくなるじゃないですか。

 ルックゥはできない人の気持ちも分かってよ」

 エルミの愚痴に、周囲から一斉にブーイングがあがった。


 エルミ自身、飛行術はルックゥに次ぐ腕前と見られている。

 なにしおう猛訓練を潜り抜けてきた二航戦のベテランパイロットに混じって、何ら遜色のない技術を身に付けつつあった。


「エルミ、貴様にそれを言われちゃ、俺たちの立つ瀬がないだろ!」

 先輩パイロットたちや同期たちの悲鳴にも似た罵声に、エルミは笑いを凍り付かせていた。




 二航戦が殉職者を出しかねないほどの訓練に明け暮れていた七月二三日、オリザニアのローザファシスカ大統領は、義勇空軍のメディエータ配置を認可し、軍事援助を明らかにした。

 メディエータ共和国政府とソル公国政府は、昨年の一一月三〇日にソル・メディエータ基本条約を締結していた。だが、これを良しとしない共和国政府の一部が袂を分かち、メディエータ国民政府を樹立し、今ではメディエータ国内は三つ巴の内戦に突入していた。この国民政府首相の妻がオリザニアに留学していた経歴があり、その縁でかねてからローザファシスカに対して対ソル参戦を何度も要請していた。

 メディエータに権益を確保したいオリザニアにとって、ソルを後ろ盾とした共和国政府が内戦を勝ち抜いては不都合だ。かといって共産主義国家がベロクロン大岩盤に二つも成立することは、自由と平等を標榜するオリザニアにとって容認できることではない。

 国民政府を援助することは、オリザニアのベロクロン大岩盤における権益を守ることに直結していた。


 しかし、ベロクロンとドラゴリーの量大岩盤で繰り広げられている戦争に参戦しないことを公約に三選を果たしたローザファシスカに、公然と軍を派遣することはできなかった。 そのため、メディエータにはソルの航空部隊を撃退できるだけの兵力を、義勇空軍という形で送り込むことで精一杯だった。だが、現役の軍人を送り込んでしまっては、参戦と何ら変わりはない。この辻褄を合わせるため、オリザニア騎兵軍と砂海軍から戦闘機パイロットを合計一〇〇名抽出し、一旦退役させた上で身分保障の密約を交わし、一般人としてメディエータに送り込むことになった。


 本来であれば地上兵力も送り込みたいが、退役に際しては退職金を払わねばならず、充分な地上兵力を組織するほどの退職金を議会に通せるはずはない。

 そのように莫大な退職金が発生するなど、軍の崩壊を意味することであり、議会がその裏に隠された大統領の真意に気付かないはずはなかった。そうなってはローザファシスカは破滅だ。納税者に嘘をついた大統領を、オリザニア国民は決して許さない。支持率は瞬時に下落し、早晩辞任に追い込まれるのがオチだ。

 義勇空軍の派遣が、この時点でローザファシスカにできることの限界だった。



 だが、メディエータは巨大な市場であり、ここに進出が叶えばオリザニア経済は大きく発展できる。

 世界恐慌の傷がまだ癒えていないオリザニアにとって、未開のメディエータ市場はなによりも必要なものだった。既にローザファシスカは、大統領府のスタッフに対しソルをメディエータから排除する方策の研究を、秘密裏に命じていた。同時にドラゴリー大岩盤列強国の植民地を、そっくりオリザニアの経済圏に飲み込む方策についても研究させている。この時点で、ローザファシスカの頭の中には、ひとつのシナリオが完成していた。だが、それはスタッフたちが研究成果を積み上げ、導き出すべき回答だ。

 もし、ローザファシスカが書き上げたシナリオを、スタッフの研究成果の積み上げを待たずに動かすよう命じてしまったら、自身が忌み嫌う独裁者になってしまうことを彼は本能で理解していた。


 スタッフたちは、操られていることは半ば承知で動いている。

 主が望む解答を、この日も上げていた。即ち、在オリザニアのソル資産の凍結だった。ローザファシスカは満足げに頷き、スタッフの作り上げた草案を議会に諮った。

 義勇空軍の派遣発表から二日後の七月二五日、外貨獲得のためにオリザニアに渡り、地域に根ざして働いていたソルの人々の資産が凍結された。


 追い討ちをかけるように、翌日にはサピエントが追随し、国内のソル資産を凍結した。さらには、アレマニアに国土を蹂躙され、血みどろの死闘を繰り広げているティスチ王国の在植民地ソル資産が凍結される。

 もちろん、ソル側も報復として国内のオリザニアやサピエントなどの資産を凍結しようという議案が提出されたが、完全に戦争に突入してしまうという配慮から、これは実現しなかった。しかし、この措置がオリザニアやサピエントに対するソルの国民感情を、悪化させていったことは確かだった。

 そして、ティスチ王国からソル皇国の運命を左右する、もうひとつ決定的な通告があった。



 ソル・ティスチ魔鉱石民間協定の停止だ。

 これにより、ソルに入ってくる魔鉱石は、オリザニアが僅かに民間ベースで輸出許可を出していたものだけとなった。もともとソルは魔鉱石の輸入量のうち八割をオリザニアに頼っていた。それが三国同盟に対する牽制でほとんど入らなくなっていた状況では、ティスチ王国の植民地からの魔鉱石が命綱となっている。

 それを、止められた。

 この措置を受けて、ソルは南方資源地帯の一部であるゴール植民地に進駐した。

 ところがその行動がオリザニアの態度を硬化させた。八月一日、オリザニアは対ソル魔鉱石輸出完全禁止を決定した。




「しかし、災難だったな、チェル。

 まさか親方が商売替えするとは」

 八月一日にオリザニアから通告された、魔鉱石完全禁輸にソル中が混乱する中、ガルは夏休みで村に戻っていた。


「うん……

 でも、しょうがないよ。

 メディエータに肩入れしたりしてるって思われたら、お店自体たたまなきゃいけないもん」

 憮然とした表情でチェルが答える。

 帝都での再会を約し、第二学年の第一学期のため先に帝都に出たガルだったが、夏休みに入ってもチェルが帝都に戻ることはなかった。


 チェルの修行先は、メディエータに対する風当たりの強さと、常につきまとう特高の目に堪えかね、大衆ソル料理店に鞍替えしてしまっていた。

 店主としては断腸の思いだったが、材料自体手に入らなくなりつつあったこと、一部を除いて外国料理は愛国心が足りない証拠と陰口を叩かれることも、鞍替えの理由だった。さらには贅沢禁止令の影響も大きく、時間のない労働者が安い麺類を食べに来る程度しか客が入らなくなっていた。

 弟子を抱えておくことは無理だと判断した店主は、五月に入ってチェルたちに一時休職の魔導通報を送ったのだった。


「チェルまでいないと、帝都も寂しかったぜ。

 レグルもエルミも休み無しで戻ってこないしな」

 人並みに友達付き合いはあったため、帝都で孤独を感じることはなかったが、四人で会えないことはガルにとっては耐え難い寂しさだった。


「こんなご時世だもん、休むなんて言ってられないんでしょ。

 でも、ふたりとも、身体壊してなきゃいいんだけどね。

 やだなぁ、やっぱりオリザニアと戦争になっちゃうのかなぁ」

 ふたりを気遣いつつ、チェルは溜め息を漏らす。


「大丈夫だろ、あのふたりは。

 体力だけは無駄にあるんだからさ、特にエルミ。

 だけど、ゴール植民地に進駐したってだけで、完全禁輸なんてするかね、オリザニアは。

 だいたい、その前にソルの資産凍結なんてするからだし、ティスチ植民地の自治政府が魔鉱石協定を破棄なんかしなきゃ、進駐なんてしなかったのにさ」

 ふたりに対するチェルの心配を解すように言ってから、ガルはオリザニアの行動を非難するような物言いをする。


「でも、ドラゴリー大岩盤全部が戦争になっちゃってるでしょ。

 三国同盟の一角だもん、ティスチがソルに態度を硬化させちゃうのはしょうがないよ」

 チェルは暗い表情に変わっていく。


「大東砂海共栄圏は植民地解放の大儀もあるんだから、正義の行いだろ?

 なんでそれにオリザニアが文句を付けるのさ。

 オリザニアの領土に攻め込んだわけでもないのに。

 ゴールとはちゃんと取り決めもしてるんだしさ」

 ガルは合点が行かないという顔で疑問を口にした。


 実際には、ガルが考えたような、西部大東砂海共栄圏を一気に確立しようとは、この進駐計画では考えていなかった。

 この時ソル軍は南方資源地帯のティスチ植民地からメディエータに抜けるルートで国民政府に物資が運ばれるのを、なんとしても遮断したかった。そして、魔鉱石に限らず、南方資源地帯のゴムやスズといった戦略物資を、確保することも重要だった。ソルのゴール植民地への進駐は戦術的、経済的な意味合いが強い。


 しかし、オリザニアはそう受け取らなかった。

 自国民のガルですらそう考えるくらいのことだ。ソルの進駐は、西部大東砂海共栄圏の思想に基づく東南ベロクロン一帯を支配する第一歩だと捉えていた。そして、そのまま放置すればメディエータの権益を独占されるだけではなく、事実上オリザニアの植民地となっているネグリットオアシス群が脅かされると解釈したのだった。ソル・オリザニア交渉の打切りと、ソル最大の弱点であった魔鉱石や屑鉄といった重要な戦略物資の輸出禁止は、ゴール植民地から撤退しろという警告だった。


「多分、ネグリットオアシス群をソルが欲しがってると思ってるのかな?」

 チェルが答える。


 南方資源地帯を抑えても、ソル本土までの輸送経路はネグリットが友好的でなければ安全ではない。

 ネグリットが事実上オリザニアの植民地である以上、ソルはオリザニアと協調路線でいなければ、例え南方資源地帯を確保できても物資は運べない。ベロクロン大岩盤とネグリットオアシス群の間しか、南方資源地帯とソルを結ぶ砂海航路はないからだ。ネグリットを迂回していては、コストばかりかかってしまい国家経営が成り立たない。

 西部大東砂海共栄圏はそれを意識したものでもあり、ネグリットの参加は絶対条件でもあった。


 資源を求めて南に下がっただけで、オリザニアがなぜこれほど激怒するのかソル政府には理解できなかった。

 これは単純に、認識の相違だった。ゴール植民地に対するソルとオリザニアの認識が、完全にずれていた。ソルにしてみれば、アレマニアに降伏したゴール共和国の植民地に進駐しただけのことだ。

 サピエントに亡命したゴール臨時政府は進駐を認めないと声明を出したが、アレマニアに対し降伏したゴール現地政府との取り決めに従って正当に進駐しただけのことだ。

 決して戦争でもなければ、侵略でもない。正当な進駐だというのが、ソル側の理解だった。そして、そこはオリザニアの領土でもなければ、植民地でもない。オリザニアがどうこう言える資格など、ないものだとソル側は考えていた。


「ソルは、ネグリットオアシス群に領土的野心なんかないだろ?

 ゴール植民地に軍を進駐したって、ネグリットの安全は保障するんだし。

 隣のティスチ植民地には脅威かもしれないけどさ、そこはオリザニアの領土じゃないんだぜ。

 ティスチ植民地自治政府が、平和にソルの経済的交渉に応じてくれさえすれば、ソルはこれに対する領土的野心を抱かないし。

 ティスチ植民地自治政府との平和交渉を妨げているのは、ティスチ本国とオリザニアだ。

 だったら、ハトーにオリザニア大東砂海艦隊が基地を持ってる方が、よっぽど皇国には脅威だろ。

 大東砂海艦隊がハトーにいるからって、ソルはオリザニアに撤退を求めたり、戦争をふっかけたりしないからね。

 だからゴール植民地帯進駐は、オリザニアが対ソル戦争をしかける理由にはならないよ」

 ガルが言ったことは、奇しくも進駐を強く主張した、ソル騎兵軍の言い分と同じだった。

 ソル国内でオリザニアの出方について警鐘を鳴らした者は少数で、威勢のいい者たちが戦争の危険など考えもしないで行動していた。

 これまで不敗で来たのだから、対オリザニア戦も何とかなるという傲りが、騎兵砂海軍ともにあった。




 戦艦『アーストロン』の長官公室で、連合艦隊司令長官ゴトム大将は渋面を作っていた。

 正面には、作戦計画書を持った先任参謀が立っている。


「突っ返されました」

 無表情のまま、先任参謀はゴトムの前にハトー奇襲計画案の綴りを置く。


「なんと言って突っ返されたかね」

 苦々しい表情を崩さず、ゴトムは問う。


「いきなりハトーを攻撃などと……無茶だ!

 皇国から ハトーがどれだけ離れているか知っているのか!?

 博打だ!

 そんな前例のない荒唐無稽な作戦、認めるわけにはいかん!

 まずは 南方資源地帯を押さえるのが先だ!」

 先任参謀は楽しそうに、対応に出てきた軍令部職員たちの口まねをした。

 砂海軍の作戦計画を立案する軍令部では、ゴトムのこの計画には大反対だった。

 計画案を持って行った先任参謀は、軍令部から猛反発を受ける。内容を検討する会議すら開いてもらえず、各課の事務室で門前払いに近い扱いを受けていた。


「あの莫迦どもに理解できるとは思わなかったが、誰一人として相手にしなかったか?

 リューモ君やトウセイ君はなんと言っていた?」

 ゴトムが連合艦隊司令長官に就任するに当たり、当時砂海軍大臣を務めていたヨシゴーは人事権を行使し、ゴトムのシンパを軍令部に送り込んでいた。

 当時の軍令部総長が皇族提督で対オリザニア強硬派の総帥であったため、次官には避戦派のトウセイ少将を就けていた。

 そのあと、騎兵軍参謀長が交代したのと同じ理由で軍令部総長も交代したが、トウセイは相変わらず次官の地位に置かれている。


 「会わせてももらえません。

 もちろん、非公式には会っていますが。

 ですが、総長が……」

 先任参謀は、ここで初めて困ったという顔をする。

 現在の総長であるノシュウ大将は、どちらかといえば避戦派ではあるが、軍人は政治に口出しすべきではないという姿勢を堅守していた。そのノシュウが、ハトー攻撃には懐疑的な立場を取っているらしい。


「戦争を避ける方法が他に無いとするのならば、機動部隊によるハトー奇襲攻撃は、わたしの信念だ。

 もう一度、赤煉瓦に行け」

 そう言ってゴトムは、先任参謀を送り出した。




 政府は騎兵軍の進駐について、諸手を挙げて賛成していたわけではない。

 オリザニアの態度が硬化したことに狼狽し、八月一八日には新外相がソル・オリザニア首脳会談を要請している。

 現内閣となり,外務大臣が交代し、ソル・オリザニア国交調整の打開策としてソルの首相とオリザニア大統領ローザファシスカの首脳会談が話題に上ったときに、再び和平へのチャンスが訪れた。

 首相は、これに全面的な期待をかけた。

 ローザファシスカも、会談場所はソルに近いオリザニア北部の都市にてと、返事を寄こしてきた。

 ソル側は空母に改造予定であった豪華客船のドック入りをを急遽中止し、外務省と騎兵砂海軍の随員も決めた。


 しかし,オリザニア国務省で大きな力を奮っていた政治顧問が、この首脳会談に猛然と異を唱えた。

 九月三日、オリザニアは、正式に首脳会談を拒否してきた。

 だが、ローザファシスカ自身、最初から会談など行う気はなかった。既にローザファシスカはソルとの戦争を決意しており、いまさらソルとの実質的な妥協など考えていない。国務省政治顧問による首脳会談反対は、オリザニア国民にローザファシスカの真意を悟らせず、大統領はあくまでも平和を望んでいると見せるための演技だった。

 しかし、ローザファシスカのリップサービスを本音思いこんだソル政府首脳は、見事なまでにこれに騙されてしまった。



 九月六日、御前会議にて『皇国国策遂行要領』が決定された。

 これはオリザニアとサピエントに対する最低限の要求内容を定め、交渉期限を一〇月上旬に区切り、この時までに要求が受け入れられない場合、オリザニア、サピエント、ティスチに対する開戦するという方針が定められた。

 その際、黙って会議の行方を見守るだけだった皇王アッキカーズが、二代前のアッキハール皇王の詠んだ歌を突然詠み上げた。


『四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ』

 アッキカーズはオリザニアとの開戦に反対であり、この決定を拒否したかった。そもそも、メディエータとの戦争自体にも反対だった。だが、皇王は『君臨すれども統治せず』が原則であり、これを自らに厳しく科していたアッキカーズは、あからさまに決定を覆すような振る舞いはできなかった。皇王あくまで外交により解決を図るよう命じたかったが、それを歌に託したのだった。

 皇王は歌に『軍部も政府に協力して平和的な外交に努力せよ』という意味を込めたのだが、御前会議構成員からその意を汲んだ発言が出ることは、ついになかった。



 オリザニアとの交渉は暗礁に乗り上げたまま時は無為に流れ、気力体力をすべて削ぎ落とされた首相は辞職を申し出、一〇月一六日に内閣は総辞職した。

 翌一〇月一七日、前内閣で騎兵軍相を務めたジョウエイ大将に組閣の待命が下る。このときアッキカーズ皇王からは、ジョウエイ内閣に組閣の条件として白紙還元の御諚が発せされ、九月六日の決定を白紙に戻すように『希望』が出された。


 戦線の拡大に積極的な騎兵軍の総帥を首相に推すことを、皇国の姿勢をオリザニアに誤解されるという危惧の声が、当然のように上がった。

 だが、ジョウエイは消極的ではあるが騎兵軍の軍縮の必要性を認めている避戦派に理解を示す人物だった。そして皇王に対する忠誠心は誰にも負けないと、自他ともに認められた人物だ。必ずや皇王の意を汲んだ政策を進めるものと、周囲は期待したのだった。

 さらに、会議や討論に際しては、徹底的に他者の発言をメモに取り、それを元に的確な反論をするため、最後には自分の思うとおりに事を運んでしまう手腕にも、周囲からは大きな期待を寄せられていた。

 一〇月一八日、ジョウエイが内閣総理大臣となり、ジョウエイ内閣が組閣された。

 だが、ジョウエイは生来の生真面目ゆえ、皇王の眼前で自らも参加して決定した『皇国国策遂行要領』を覆す事は不忠にあたるとの信念を持っていた。そのため、実際には白紙化は行われず、再検討という名目で、そのまま方針が引き継がれることとなってしまったのだった。



 翌一九日、ついにノシュウ軍令部総長がハトー攻撃作戦案を内諾した。

 それを受けて連合艦隊は、作戦の準備を本格的に始める。ゴトムのハトー作戦ついては、その投機性の高さから軍令部内では反対する意見が根強くあった。当初、ノシュウ自身もオリザニアとの戦いについては、南方資源地帯の確保と本土防衛を主軸とした漸減邀撃作戦を構想しており、大東砂海まで出てオリザニアと直接対決する想定しておらず、『あまりにも投機的にすぎる』と慎重な態度を取っていた。しかし、本作戦が通らなければゴトムは連合艦隊司令長官を辞職すると、先任参謀が強く詰め寄ったため、最終的にノシュウが折れる形で決着した。

 軍令部の職員たちはこうなることを恐れ、先任参謀からの面会申し入れをノシュウに取り次がずにいた。


 業を煮やした先任参謀は正規の取り次ぎを諦め、突然ノシュウの自宅を急襲したのだった。

 このとき、かつては自信を大秀才と公言してはばからず、誰に対しても自信に満ち溢れた態度を崩すことのなかったノシュウも老境に差し掛かっており、往年の覇気は陰を潜め始めていた。このときばかりは、老いがもたらす頑迷さと気弱さのうち、先任参謀の剣幕に気弱さが顔を覗かせてしまった。取り巻きに囲まれた軍令部であれば部下がなんとかしたのだろうが、自宅とあってはどうしようもなかった。

 ゴトム以外にこの難局を任せられる者が見当たらなかったことも、ノシュウに首を縦に振らせた大きな要因になっていた。




 十月月三〇日、第二艦隊に所属する第八戦隊の重巡洋艦『ドラコ』は、燃料となる魔鉱石や飲料水、食料、弾薬を載み込むため、そのスマートな艦体を南工廠泊地の艤装岸壁に係留していた。


「レグル少尉、本艦は第二艦隊を離れると聞きましたが、いったいどのような任務に就くのですか?」

 作業の小休止の際に、レグルが属する第一分隊のランツ一等兵曹が聞いた。


「知らないんだ。

 近くユーメイ湾に移動して訓練を行うとは聞いているが、それ以上は知らされておらん」

 ひと月前、少尉に任官し初めての部下を持ったレグルが答える。

 自分よりひと回り以上年上の者に対し、敬語を使わずに喋る違和感はまだついて回っている。


「そうですか。

 たかが訓練に出るだけというのに、弾薬を満載状態にするなんて、今までにないことだったものですから」

 納得いかないという表情のまま、ランツはタバコ盆に吸い殻を押し込むと立ち上がる。


「すまない。

 どうやら厳重な箝口令でも敷かれているのか、誰も知らないんだ。

 艦長に聞きにいった奴もいるらしいんだが、艦長も行き先だけしか知らされてないらしい。

 貴様の方が、その辺の事情には詳しいんじゃないか?」

 意識して上官としての物言いに努めるが、内心は申し訳なさで一杯だった。


「確かに、我々の方が多少軍の内情に通じてはいますが……

 越えられない壁はありますので。

 作業に戻ります」

 魔鉱石の搬入はあらかた片付いていたが、甲板にぶちまかれた魔鉱石の破片の片付けを、第八分隊は命じられている。

 早くこれを終わらせないと、本来所管する砲弾の搬入が始められない。


「そうか。

 まずは目の前のことだな」

 班の指揮は下士官であるランツの仕事であり、レグルはいくつかの班をまとめて監督する立場だ。

 レグルは大きな声で、辺りにいる分隊の下士官兵たちに作業の再開を命じた。


 深夜までかかって物資の積み込みを終えた『ドラコ』の士官次室で、レグルは机に向かって手紙を書いていた。

 もちろん、出航の日取りや行き先といったことなど書けるはずもなく、魔鉱石搬入についての泣き言なども書けるはずもない。日々軍務に精進し、皇国の盾となる意気込みを綴るだけだが、それだけでもチェルに無事を知らせるためには充分だ。短い手紙を書き終え、便せんを丁寧に折り畳むと封筒に入れ、一応封をする。必ず検閲で開封されてしまうのだが、これで少なくとも艦内の者に盗み読みされる心配はない。従兵に手紙を預けたあと、レグルはもう一枚便せんを取り出しペンを走らせ始めた。

 なんとなく、遺書を書いておこうと思ったのだった。




 翌一〇月三十一日、艤装岸壁を離れて沖合のブイに係留された『ドラコ』の艦内に、艦長からの高声放送が鳴り響いた。

 ユーメイ湾への到着予定日は、一一月二日の安息日だ。この日は平日だったが、第八戦隊司令官の独断で半舷上陸が認められた。ここしばらくの間、訓練に次ぐ訓練で乗組員たちはまともな休暇を取っていない。ユーメイ湾に移動してしまっては、家族を持つ者は妻子の顔すら見られなくなってしまう。

 当分母港には帰れないだろうと判断した第八戦隊司令官は、変則的な上陸許可を出し、艦長がそれを乗組員に報せたのだった。

 艦内に、大歓声が上がった。



「すまんが、先に行ってくる」

 レグルは部下のランツに言うと、内火艇へと階段を降り始めた。


「お気になさらず。

 私は入湯上陸組です。

 それより少尉、艇長の大役しっかりお願いいたします!」

 妻帯者であるランツは、敬礼でレグルを見送ったあと、その背中に声をかけた。


 独身者は半舷上陸。

 艦の居住区を右舷と左舷に分け、交代で上陸する制度だ。さすがに全員が一度に艦を離れることなどできないため、このような制度になっている。


 妻帯者は、入湯上陸が許された。

 艦内では水は貴重品なため、帰港時は交代で風呂にはいるための上陸が認められている。慌ただしく入浴を済ませて帰艦するのではなく翌朝戻ればよいため、妻帯者は家族と過ごす貴重な時間を得ることができていた。独身者たちは、共同で借りている下宿で上官の目を気にすることなく伸び伸びと自由を満喫したり、普段は許されない深酒をしたり、料亭に繰り出して馴染みの芸者と夜を過ごしたりすることが、ほとんど決まりのようになっている。だが、ここしばらくは水の消費を覚悟の上で、入湯上陸は行われていなかったのだった。

 馴染みの芸者がいる独身者から多少の不満は漏れていたが、家族持ち優先とほとんどの者が納得していた。


「任せておけ。

 貴様の教育の成果、見せてやる」

 レグルは笑って手を振ると、内火艇に降り立った。


 下士官の仕事は実際に兵に命令し、現場を動かす役割を担っている。

 その他にも多岐に亘り、新米少尉の現場教育も、ー重要な仕事だった。指揮官として赴任してくる少尉は、階級は上だが年齢は若く経験も少ない。下士官ともなれば、軍には長く在籍し、裏も表も知り尽くした者ばかりだ。もちろんすべての者が人格者というわけではないが、それなりの人生経験もあり、部下の兵をとりまとめる器量も磨かれている。

 年下の上官を立てつつ、軍務のなんたるかを叩き込むにはうってつけの者ばかりだった。


 舷側から手を振り返すランツから視線を艇内に移し、乗り込んだ者の点呼を取ったのち、レグルは兵に出航を命じた。

 内火艇は静かに滑り出し、南工廠の桟橋を目指す。砂海は砂嵐で荒れることもなく、穏やかな微風が吹いていた。初めての艇長という重責に、レグルは緊張の面持ちを隠せずにいた。艇の航進が巻き起こす風に、レグルの顔に砂の微粒子を叩き付けるが、顔をしかめたのは砂のせいだけではなかった。部下の下士官兵や、他の艇を指揮する同期や先輩、上官に無様なところは見せられない。

 その緊張が、レグルをガチガチにしていた。



「レグル、なんだおまえの艇は。

 危なっかしくて見ていられないぞ」

「まあ、その辺にしておけ、アルデ。

 貴様だって初めての時は散々だったそうじゃないか。

 他の艇にぶつけなかっただけ、貴様よりは随分とマシだ。

 だがな、レグル。

 部下に良いところを見せようと気負ってしまうと、ああなるんだ。

 帰艦時はしっかりやれよ」

 レグルに厳しく言い募る同僚を制し、直属の上官でもあるザン大尉が注意を与える。


「申し訳ありません、アルデ大尉、ザン大尉。

 帰艦時は充分に注意致します」

 桟橋に横付けする際、停船の命令が遅れ、内火艇を止めきれなかったレグルは素直に頭を下げた。

 操船に当たっていた兵はベテランなのだが、レグルの危なっかしい指揮に気を取られ、逆進をかけるタイミングを逸してしまったのだった。


 操船を誤ったのは兵だが、指揮をしていたのはレグルであり、兵を責めるのは筋違いだ。

 厳密に言えば、もし、兵が機転を利かせてレグルの停船命令前に内火艇を止めてしまえば独断専行ということになり、処罰の対象になってしまう。指揮官とは、何かあった際にすべての責任を背負うために、普段から尊敬とそれなりの俸給が与えられている。今回は顛末書にすらならないレベルのミスだが、それでも叱責を受けるのは指揮官たるレグルだった。

 久々に動かない足元を満喫するはずの半舷上陸のほぼ半分は、指揮官の心構えを説教されるために費やされていた。



「では、行ってまいります」

 第一分隊のランツは、レグルに挙手敬礼して内火艇へと降りていく。


「ゆっくり、母ちゃんの顔と子供の顔を拝んでこい」

 レグルはランツを送り出すと、そのまま士官次室に戻る。


「どういたしましたか、ルカ中尉?」

 士官次室には先客がいた。


 レグルはそう言うと、ルカを抱え上げた。

 艦の中は通風が悪く、鼠を始めとした害獣や害虫が繁殖しやすい。次々と補給される積荷に混入してくるため、完全に根絶するのは難しかった。どの艦でも鼠や虫をたくさん取ってきた水兵には、褒賞として入湯上陸を与え、衛生の保持に努めていまる。もちろん、人間がすべての鼠を追いきれるはずもなく、これを捕獲するため猫が飼われている艦も多かった。艦によっては備品扱いだったり、マスコット的な存在だったり、普段の功績を讃えて士官扱いだったりもした。

 ルカは、レグルより一年前に『ドラコ』にやってきた、推定二歳の雌のキジトラ猫だった。



「酒保開け。

 各分隊は酒を受け取れ」

 『デットン』艦内に高声放送が響く。


 レグルがルカと戯れている頃、エルミは既にできあがっていた。

 レグルの乗艦である『ドラコ』が所属する第八戦隊と違い、『デットン』が所属する第二航空戦隊は、ユーメイ湾からさらに南にあるキンコー湾への移動を命じられていた。二航戦司令官オーキキ少将は、出航前日も通常の訓練を実施し、西工廠沖の砂海上に停泊したままだった。爆弾は二五〇キロのみ搭載し、対艦水平爆撃に用いる『アーストロン』型戦艦の主砲弾を改造した八〇〇キロ爆弾は搭載していない。

 司令官の地位にあるオーキキは、今回の命令が意味するところを知っている。

 乗組員に半舷上陸や入湯上陸の許可を出さない代わりに、無礼講の壮行会を実施することにしたのだった。


 いつ出撃命令が下るか、現状では全く予断を許さない。

 キンコー湾から次の目的地への移動の前に、余裕を持って上陸許可を出せる保証はない。僅かではあるが、憩いと息抜きの時間を作ろうという、司令官としての心遣いだった。


 一升瓶を両手にぶら下げ、オーキキは各分隊を回っていた。

 常日頃から部下将兵には気さくに声をかけ、乗組員の掌握に努めていた甲斐もあり、通路ですれ違う兵が固くなることはない。濃紺の第一種軍装に包まれた巨躯は威圧感を与えるが、その上に乗せられた満月のような顔と垂れ気味の目が見事に緩和している。戦闘艦橋にあっては、闘志を剥き出しにして近寄りがたい雰囲気を纏うことが常だが、課業や訓練が終れば若い兵には慈父を思い起こさせる佇まいを持っていた。

 士官には常に厳しい態度で臨むが、今は無礼講だ。そのような場では、士官に対しても厳しいことを言う気はかけらもなかった。



「大いにやっているようだな?

 私も混ぜてもらおうか」

 ガンルームのテーブルに一升瓶をどんと置き、居並ぶ若い尉官たちに声をかける。


「司令官、望むところです。

 私たちが迎撃して、今夜はここで砂海に沈めて差し上げます。

 日頃の敵討ちですからね」

 日常では考えられない発言と態度で、ルックゥがオーキキに一升瓶を突き出した。

 日頃から訓練でしごかれているパイロットたちは、ここぞとばかりにオーキキに酒を注いでいく。

 既に下士官兵のパイロットたちから手荒く飲まされているはずだが、オーキキは崩れることなく杯を干していく。やがて杯がぐい呑みになり、茶碗になってガンルームの尉官がひとまわり注ぎ終わったところで、オーキキは途中から抱いた違和感を口にした。


「そういえば、エルミ少尉の姿が見えんが、どうしたのかね?」

 ガンルームに入ってきたときと変わらぬ口調で、辺りを見回しつつオーキキは聞いた。


「エルミは艦長に突撃して、見事に撃ち落とされましたぁ」

 呂律が怪しくなったルックゥが答え、エンザの苦笑いが続いた。


 一〇月一六日に、新任の艦長ホンリュウ大佐が赴任していた。

 新艦長は強烈な精神主義者だが、同時に柔軟な考え方もできる合理主義者でもあり、妙にエルミと馬が合った。この日も艦攻隊士官のガンルームに艦長が訪れるや否や、エルミは酒瓶片手に艦長に突撃したのだった。そして艦長に飲み比べを挑み、あっさりと撃墜されていた。

 艦長が艦爆隊のガンルームへと去り、ルックゥたちがエルミを士官次室に放り込んで飲み直し始めたところに、オーキキがやってきたのだった。


「皆、大いに飲んで騒いぎ、鋭気を養ったことと思う。

 明日はキンコー湾への移動だ。

 明後日、一一月二日からは、今まで以上に厳しい訓練が始まろう。

 皆野双肩には皇国の未来がかかっている。

 本職は、各員がその義務を果たすと確信する」

 高声放送からオーキキの声が流れ、無礼講の壮行会は終わりを告げた。



 後片付けを済ませたルックゥが自室である士官次室に戻ってくると、中からはルームメイトであるエルミの声が聞こえてきた。


「はい、申し訳ございません。

 この件につきましては、いずれ改めてお話させて……

 ……はい、はい、仰る通りです。

 ええ、充分にそれは……」

 エルミは何やら必死に弁解しているようだった。


 エルミが敬語で謝る相手といえば、上官しかいないはずだ。

 しかし、初代の女性士官である以上、女性の上官などいるはずがない。となれば、男子禁制の女性士官次室に、男性が入っていることになる。風紀の乱れと取られては、どちらの経歴にも傷がつくだけでしかない。ここは大事になる前に何とか取り繕い、時間と場所を改めてもらわねばならない。

 事態の打開のため扉を開けたルックゥが見たものは、士官次室のベッドに向かって床に正座し、ぺこぺこ頭を下げるエルミだった。


「エルミ、何やってんの?」

 不思議そうな顔でルックゥが訊ねる。


「見て分かんない?

 説教されてるの!」

 エルミは必死に頭を下げつつ、下から覗くような視線をルックゥに向けて答えた。


「説教って、レックスに?」

 呆れ顔になったルックゥの視線の先には、迷惑そうな顔で欠伸をするレックスという名の雄猫が座っていた。

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