第55話 アウレリア・ミノル
「黄金の地、ですか? それは」「コホン」
シュウが続けようとしたところで、アヤナの咳払いが響いた。
「大変な発見のようで、もう一度祝辞を。皆さん、興味深いお話は、食事を取りながらにしませんか?」
そう言いながら、彼女はかき混ぜている鍋を木のヘラで軽く叩いた。それから、それぞれがアヤナから夕食の載った皿を受け取り、思い思いに焚火を囲むように座った。今日の疲れを追い払うように、ゆっくりと匙を運ぶ者もいれば、空腹に任せて掻き込む者もいた。人心地着いた頃、ロレンツィオが口を開いた。
「アウレリア・ミノル、現代の言葉で黄金の地という意味だが、金の採掘場や、その近くの街や村がそう呼ばれた」
シュウは当然の疑問を口にする。
「じゃあ、この近くに金の採掘場がある、金が沢山取れたということですか」
「規模までは分からん。大きかろうが小さかろうが、どちらもアウレリア・ミノルと呼ばれることがあるからな」
興奮から冷めるようにロレンツィオが息を吐いた。逆に金という言葉に反応したシュウが食い下がる。
「でも、この近くに黄金があるってことですよね」
「黄金があった、というのはどうでもいい。重要なのはジルバータール王朝の街がある、ということだ。これは埋もれた歴史のまさに道標なのだ」
少し焦れてきたバルドが口を挟む。
「黄金はあるのか、ないのか。どっちなんだ」
何も言わないがアヤナも、うんうん、と頷いている。その手は、会話を脱線させそうなフィオの口を塞いでいた。
「取り尽くされたのかもしれないし、コボルトが作っているのかもな」
ロレンツィオの言葉に一瞬、焚火の音だけが響く。沈黙の中、皆の胸の内を代弁したように、シュウがぽつりと呟いた。
「結局、行ってみなければ分からないということか」
沈黙が深さを増していく中、アヤナの手を外そうとモゾモゾしていたフィオが、ついにその手を押しのけ、指差して言った。
「火がついてるよ」
彼女の言葉に一斉に振り返る。猟師が示した岩山の根元。そこから、天に上るように黄金の柱が立ちのぼっていた。
「あれが、財宝の光」
誰が呟いたのか分からない。一同は息を呑んだまま、その光景に見入った。夕陽の残光のような、蛍の冷たい燐光のような、仄かな煌きが細い線のように立ち昇っていた。
「何かしらあの色は。銅の燃える青緑でもない、鉄のオレンジでもない。見当がつかないわ」アヤナが口元を押さえた。
「あんな現象、私も聞いたことがないぞ」ロレンツィオの目が見開かれる。
「こりゃ、黙って帰れねぇな」バルドの口の端がわずかに吊り上がる。
「あれよ、あれ。コボルド達の燃える黄金、鏡の宝剣に煌く首飾り~!」一回転してはしゃぐフィオ。
そんな中、ただ一人シュウだけが心の中で、LEDライトみたいだな、と呑気に考えていた。その後、ロレンツィオとアヤナが持論を語り、バルドでさえ口数が増えた。フィオは止まることができずに動き回り、気づけばシュウは彼女の相手をさせられていた。
光の柱はいくら眺めていても消える気配はなく、やがてそれぞれが今日に区切りをつけて明日に備えて寝るのだった。
夜明け前の冷たい空気が、まだ眠りの残る野営地を薄く包んでいた。最初に身を起こしたのはシュウだった。周囲に耳を澄ませると、森の奥から鳥の短い鳴き声が返ってくる。彼は焚き火の残り火をそっとかき分け、体を伸ばしながら、木々の切れ目から見える岩竜を眺めた。
光の柱は、もうない。
あの不思議な光跡は跡形もなく、どこまでも曖昧な朝靄が森の上に広がっているだけだった。思わず眉をひそめる。夢だったのかと錯覚するほどの静けさだ。
しばらくして、アヤナがテントから顔を出し、同じ方向を眺めた。
「……消えてますね。本当に何だったんでしょう、あれは」
二人の声で、他の仲間たちも次々に目を覚まし始める。昨夜の出来事を思い返してか、皆どこか落ち着かない表情だ。フィオが肩を抱きながら周囲を見回し、昨夜の光を思い返すように目を細めた。
「やっぱり、あそこにあるんだよね。コボルトの黄金が」
小声ながらも興奮の混じるその言葉に、バルドはブーツに足を突っ込みながら鼻を鳴らす。
「行ってみりゃ分かることさ」
その言葉を合図に、皆が手早く朝の準備へ取りかかった。アヤナは焚火に鍋を掛け、根菜や葉野菜とともに干し肉を放り込む。シュウがテントを畳み始めると、バルドが大斧の錆びを取りはじめ、ロレンツィオは岩竜の様子をスケッチし始める。姿を消したフィオは、しばらくして木苺を食べながら森から出てきた。
まだ弱い光しか差し込まない森の中、朝食を終えた一行はそれぞれ立ち上がり、持ち物を確かめる。布の擦れる音や金具の触れ合う音が、冒険の幕開けを告げていた。シュウは肩掛けを締め直し、荷を背負いながら岩竜の方向を確かめた
「さあ、歴史を起こしに行こう」
ロレンツィオの声が響き、一行は静かに歩き出した。
丘をゆっくりと降りるシュウ達。朝の森はまだ露に濡れ、草葉が光を反射して微かに煌めいている。やがて、丘の上から見えていた倒木地帯にたどり着いた。大木といえるのは一つだけで、それがこの状態を引き起こしたのであろうが、巻き込まれたのであろう若木が幾本も倒れている。
木々を乗り越えなければならないだろうが、小山のように積み重なった幹は少し押すだけで不安定に揺れる。間に落ちたり挟まれたりすれば、大怪我は免れないだろう。木を揺らしていたシュウは、バルドにお願いしてみた。
「バルドさん。ロープを持って最初にここを乗り越えるルートを、探っては貰えませんか?たぶん、他の者では体格的にも筋力的にも難しいと思うので」
バルドはしばし考えてから口を開いた。
「メダリオンだな」
それは、黄金の酒杯に続き、メダリオン、戦士の勲章のような物、も寄こせという意味だろう。これにはロレンツィオが閉口する。
「随分と欲張りだな。全体利益のために奉仕しようとは思わないのかね」
自分は決してしないだろう男の言葉に、バルドは素っ気なく「思わないね」と言い放った。アヤナがため息をついて、口を開いた。
「目的の場所はすぐそこで、あまり汗を掻かずに行きたいのでしょう。ここを最初に乗り越える者には、ちょっとした記念品を対価にするのに納得のリスクがあると思いますよ」
「ふん」
ロレンツィオが鼻を鳴らしたのは、同意の印だろう。それからバルドが先頭を行き、他の者はロープを頼りに乗り越えて行ったが、一か所どうしてもアヤナが自力で上がれない場所があった。彼女はしばし、汗を掻いた後、感情のない目でシュウに言った。
「後ろから押して下さい」
「え、いいけど。どこを押したらいいんだろう」
思いもよらない申し出に、面食らうシュウ。しかし、彼女の次の言葉はもっと彼を驚かせた。
「お尻を押して下さい。信じていますから」彼女は再び感情のない目で言った。
「分かったよ」彼はドギマギしながら承諾した。アヤナがロープに手を掛け、木に足を掛けて身体を持ち上げた。そこで後ろに回ったシュウが、彼女のお尻を押した。柔らかい。それでいて中に芯があるように、筋肉に力を入れているのが分かる。シュウは邪念を振り払うように押し、アヤナはやっと登り切ることができた。
倒木を越えた一行は、慎重に足場を確かめながら岩竜の方角へと丘を下り始めた。林冠に穴が空いた一帯には陽光が差し込み、背丈ほどの下草や藪が縦横無尽に広がっていたが、数十歩も進むと光は急に弱まり、再び森特有の薄暗さが戻ってきた。
最初のうちは岩竜の巨大な影が梢越しに見え隠れし、それを目印に進路を定められたが、やがて丘の半ばまで降りると木々が密になり、岩竜の姿も少しずつ下へ沈むように隠れていった。こうなると猟師がいないことが、実感として全員にのしかかってくる。
一行は、古道の続きと思しき方向へ向かうが、木漏れ陽こそ射し込むものの、少し離れた森の奥は濃い影に沈み、先がどうなっているのか見通せないことが多い。
バルドを先頭に藪を掻き分けて進むと、彼の背丈の倍はありそうな岩壁に行き当たる。ところどころに赤茶の斑のある薄灰色のまだらな岩は、ザラザラした表面を茶色くなった厚いコケに覆われていた。
「こりゃ、無理だな」厚い手でパンパンと叩いたバルドがそう言うと、一行はしぶしぶと引き返す。このように行く手を妨げられながら、もどっては別のルートを探すことを繰り返し、丘を下っていった。
丘の底まで降りると、森がやや開け、倒木や低木の間を縫うように細い小川が流れていた。水面は枝葉に遮られてちらちらと光を反射し、せせらぎの音が静かに耳に届く。一行は、小川の畔に開けた場所を見つけると、そこで休憩を取ることにした。
それぞれが倒木や岩を見つけて腰を下ろし、パンや干し肉を出して食べる。シュウなどは水袋が空になっていたので、小川の水で補充し、アヤナは小川の水で手拭いを洗ってから、顔や首筋を拭く。食事が終わると、バルドは岩竜があると思われる方を眺め、ロレンツィオはスケッチを始めた。
フィオはいつの間に集めたのか、木の実やキノコをモグモグしていた。シュウはいつものように、自分の体で隠してコーヒーを召喚した。いよいよ財宝が近いので少し気合いを入れ、青い看板の輸入食材店で挽いたコーヒーを思い浮かべる。ロレンツィオのは少し薄め、アヤナには帝都ホテルのを出した。
「気のせいか、いつもよりコクがある気がするが」首を捻るロレンツィオにシュウは言った。
「きっと、ここで飲むコーヒーが格別なんですよ」
それにアヤナがクスリと笑って、自分もそっと味わう。
「本当に格別ですね。ここは名作の一場面ですから」
彼女の言葉にシュウが頬を緩ますと、ロレンツィオは肩を竦めた。「私は記録しか読まないがね」
休憩を終えた一同が腰を上げる。バルドは肩の大斧を担ぎ直し、ロレンツィオがスケッチを描いた書き付けを鞄にしまう。フィオですら、くの字の短剣を差し直して気合十分だ。アヤナが静かに息を吐き、「いよいよですね」と呟くと、シュウも前を向いて「行こう」と答えた。
一行は再び岩竜を目指して歩き始めた。




