第52話 雨宿りの小屋
青年の後について集落を進むと、家の外で作業していた村人たちの視線がこちらに集まった。だが、誰ひとり声を掛けてくる者はいない。空模様を気にしているのか、彼らは軒先に干していた麦束を取り込み、庭先の薪を運び込む作業に追われているようだった。
やがて案内された村長の家では、初老の男が渋い顔で出迎えた。
「この村には空き家はないですな。ロレンツィオ殿とバルド殿くらいなら儂の家に泊められるが、他の家も旅人を泊める余裕はないでしょうな」
これといった特徴のない男だったが、ロレンツィオやバルドには丁寧に接する一方で、シュウたちには明らかに素っ気ない。そのせいか泊める余裕がないという話も、家の広さ以外の意図があるようにシュウには思えた。
コボルトの噂や遺跡のことを尋ねても要領を得ず、猟師の話題になると途端に口を濁す。村と猟師のあいだに、触れられたくない事情があるのは明らかだった。
シュウとアヤナは仕方なく外へ出た。家の裏手の厩で馬からテントを降ろそうとしていると、案内してくれた青年がまだ待っていたようで、アヤナに声を掛けてきた。
「何か悲しいですか」
事情を話すと、彼はしばらく考えてから提案した。
「僕の家、泊れるです」
そう言われてシュウは考えたが、彼の家は四人も泊まれるようなものではなかったハズだ。
「ありがとう。でも、私達三人が泊まるのは難しいのじゃないかしら」
「一人なら泊れるです」
アヤナが聞き返すと、青年はアヤナだけを見てそう言った。シュウは呆気に取られたが、アヤナは微笑みながらも澱みなく断った。
「ごめんなさい。三人一緒じゃないと困るのよ。それにこの人が私の夫なの」
そう言って、肩を撫でる彼女の指先の感触にシュウはゾワッとした。うわっ、魔性の女だ。でも彼女は平気で女を武器にするような子じゃない。たまたまそうなった時に、それに気づかないフリをして利用するだけだ。シュウは誰に言うでもないが、心の中で彼女の名誉のために弁解した。
そして青年は露骨に顔をゆがめ、泣きそうになっていた。そんな彼を彼女は申し訳なさそうに微笑みながら見つめた。
しばらくして青年は泣き止むと、別の提案をした。
「兄の小屋が村の外にあるです。そこならみんな泊まれるです」
その小屋は若者の家とはちょうど反対側、集落を出て森に向かっておよそ十分ほど先にあった。猟師の扱いを考えれば意外に近くにあったが、外部の者がここを見つけるにはそれなりに手間が掛かるだろう。
まだ、森というほどではなく、木々の疎らな林の中に立つその小屋は、集落の土壁の家々とは違い頑丈な木で造られていた。しかし窓には木の柵が打ちつけられ、まるで牢のようだった。おそらくは、動物の進入を防ぐためだろう。
若者に従い中に入ると、十畳ほどの大きさで三人で泊まるには十分な広さがあった。だが、天井の梁からは猪が一匹と、ウサギやイタチなどが数匹吊るされ、床には血や脂の跡が残り、獣の匂いが立ち込めていた。アヤナは顔を顰めていたが、それでも雨の中の野宿よりはマシだろうとシュウは思った。
若者は自分も泊まると主張したが、アヤナが上手く取り成し、礼を言って自分達だけで泊まることを了承させる。そして、ついに雨が降り出すと、青年は「薪が濡れるです」と言って、あわてて駆け出していった。
真ん中の炉で火を焚き、アヤナが夕食の準備を始める。小屋に落ち着くと、シュウは匂いにも次第に慣れ、内部を見回した。壁際には粗末な作業台が置かれ、獣の革や骨、罠の部品のような木の小物が散らばっている。部屋の隅には動物の皮が積まれ、矢のシャフトや研ぎ石も置かれていた。
シュウは見回していただけだが、露骨に怪しい動きをする者がいた。フィオである。彼女は実際にそこにある物に手を伸ばしていたし、彼女のポケットは不自然に膨らんでいた。
「おい、フィオ」「な、何なのよ」
シュウは遠慮なく彼女の腕を掴み、ポケットの中身を取り出した。さきほど机の上で見たような品々である。
「フィオ、人の家で泥棒するなよ」 「泥棒じゃないわよ。欲しくなっただけ!」
品物を元に戻したあと、三人で夕食を取り、柱の間にロープを張って布を掛け、寝床を仕切った。男女を分けるためにいつもやっていることだが、今回は男はシュウだけで、炉はアヤナたち側となった。布越しに火の揺らぎが見え、子供のような影が行き交っていた。シュウは息を吐く。
「シュウ!」
仕切りの端から顔を出して呼ぶフィオ。あまり何も考えずに近付いたシュウだったが。
「ジャン!」 「コラ、フィオ!」 「フゲッ」
一瞬、仕切りが開かれて、すぐに閉じられた。だが、シュウは見てしまった。フィオの不穏な気配に気づいたのか、脱いだ服を胸元に引き寄せるアヤナ。その白い足は長く伸ばされ、フィオを踏みつけていた。シュウと目が合った時、彼女の顔は確かに引き攣っていた。彼はカマキリと捕まったイモムシを連想してしまった。
しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。彼が今見た光景を脳内から消し去ろうとしていると、突然背後からガタリと音がし、扉が開く。
「お前ら、何してやがる」
低く殺気の籠った声に振り向くと、矢を構えた男が立っていた。
シュウは手を上げて敵意がないことを示すと、何とか男を落ち着かせようと言葉をしぼり出した。
「待って下さい。僕たちは旅人で、仲間は村長さんのところに泊まっています。僕たちはそこに泊まれなかったので、村の入口近くに住む青年が、兄の小屋なら今日は誰もいないから使っていい、って言ってくれて」
「ああん? アイツが余所者にそんなことを言うなんて、信じられね~な。同じ村の奴とでも碌に話せないのによ」
シュウは申し訳ない気持ちになったが、うちの交渉役のお愛想にやられて、弟さんが張り切ったとは、言えなかった。
「その、僕たちは物取りとかじゃないです。村長さんのところにいる仲間に聞いてもらえれば、それは分かってもらえます。それで僕たち、厚かましいとは思いますが、この雨が止むまではここにいさせてもらえませんか?」
「確かに厚かましいお願いだな……お?」
後ろでシュルシュルと音がして、仕切り布が下ろされた。
「女と、子供。いや、小人か?」
アヤナとフィオに気付いた男は、視線を彼女らに向けた。
「小人じゃないよ。クルルボーよ!」
「少し黙っててフィオ。猟師さん、でいいのかしら? さっき夫が言ったように、私達は雨宿りができる場所を貸して欲しいのだけど、お願いできないかしら。僅かな銀貨ぐらいしか差し出せる物がないのだけれど」
アヤナの言葉に、男は彼女の全身を舐めるように見回した。
「アンタを一晩貸してくれるなら、いくらでもいていいぜ」
「それは無理よ。夫の前でそんなことをするほど、ふしだらな女ではありませんもの」
「俺がその気なら、アンタの夫はいなくなる事だってあるかもしれないぜ」
「巨人殺しのバルド。私達の連れに彼がいます。私は彼の愛人ではありませんが、私がいなくなったり、傷付いて明日から旅の食事を作れなくなったら、彼は冬のさなかに叩き起こされた熊のように怒るでしょうね」
そう言って、アヤナはニコリと笑った。
「そりゃゾッとする話だな。猟師だって熊を狩るのは命懸けだからな。たかが女でそんなことはしたくないね」
男は彼女の言葉に噴き出した。
「お分かりいただけて幸いですわ。よかったら火に当たって、宿代について相談しないかしら。猟師さん?」
「猟師さんでいいぜ。英雄として名前を売りたいわけじゃないんだ。特に領主様に俺の名が届くことは、御免を蒙りたいんだぜ」
いつの間にか張りつめていた空気が溶けていた。シュウはアヤナのそばに寄り、男に場所を譲った。
宿代についてはすぐに話が付き、アヤナが鍋に残ったスープを供すると、彼の態度もだいぶ打ち解けてきた。
「それでお前ら、何でこんなところまで来たんだ?」
シュウはアヤナがうなづくのを確認すると、順に説明していった。コボルトの宝を探していること、岩竜の森に古代の遺跡があるかもしれないこと、隣の集落でコボルトを見たという猟師が一年前に失踪したこと、近くに他に猟師がいれば森について何か知っているのでは、と訪ねてきたこと。
「美人が俺に会いに来るなんて、人生初めてだぜ。男連れなのが気に食わないがね。それにしてもアイツ、最近見ないとおもったら、そんなことになっていたのか」
「知ってるんですか?」
シュウの問いに猟師は頷く。
「同業者だからな。だが、他のヤツのことはあまり知らねぇ。俺らはしょせん日陰者。領主が捕まえる気になったら困るから、なるべく目立たないように生きてるからな」
どうやら彼らは無許可の猟師で、領主が管理しきれない森でお目こぼししてもらっている、ということらしい。それで周囲とも最低限の関りしか持たないようにしている、シュウはそう理解した。
「森の中に、コボルトがいるとか、遺跡があるとかいう話は知りませんか?」
「コボルトは知らねえが…」
シュウの問いに、悩むように答える猟師。何か含みを持った言い方に、アヤナが切り込む。
「コボルトと関係あるかは知らないが、森の中の財宝に心当たりがある、ということですか?」
「何でそう思ったのか、恐ろしい嬢ちゃんだな。じゃあ、猟師たちの間の、ちょっとした言い伝えを教えてやろう。夜な、森の奥が燃えていることがあるんだ」
「それって山火事ってこと?」 今まで黙っていたフィオが、我慢できずに口を開いた。
「もちろん、山火事の火じゃねぇ。既に陽が暮れているのに、遠い森の奥で夕陽みたいな色の光がぼうっと空へ昇っていくんだ。そういう光の根元にはな、財宝が眠っているっていう話さ」
「あなたも、そんな光を見たんですか?」 アヤナはそう言って、目を細める。
「俺なら見ても行かないね。そういう財宝の前にはたいてい恐ろしい怪物がいて、人間を頭からバリバリ食っちまうんだ」
男は皮肉気に笑ってそう言った。誰もが言葉を失い、しばらく火のはぜる音と外の雨音だけが聞こえた。
フィオが体を揺らしていると、何かを考える風に唇に指を当てていたアヤナが再び口を開いた。
「あなたはその光を見たんですね。そして隣の猟師に教えた、そうですね」
男はアヤナの言葉にしばらく黙った後、降参したとばかりに両手を上げて話し始めた。
「よもや、お前が森に住む化け物ではないんだろうな。そうさ、俺はずっと前に森の奥、岩竜の一つの根元に火が立つのを見た。だが、俺は行く気はなかった。化け物をおいといても、そもそも森の奥に行くこと自体が危険だからな」
男は部屋の隅から小さな甕を取り出し、中身を口に流し込んだ。少し中身が垂れた口元をぬぐってから話を続ける。
「ある日、そいつが来たんだよ。そういう事もたまにはある。十年に三回くらいはな。それでここで飲んでいて、森の火の話をしちまった」
そう言って、苛立ちを隠すように床を叩く。
「俺が気付いた時、そいつの目はギラギラと燃えていやがった。飢えた獣の目だ。俺はそいつを止めたが、上手くやって財宝を手に街に行くと言っていた。猟師なんてやめたかったんだろうな。俺がそいつに会ったのは、それっきりさ」
その場には再び沈黙が訪れた。




