第51話 集落の秘密
どうやら男は、情報を売るためにシュウ達が出てくるのを待っていたようだ。彼は三枚目の銀貨を受け取ったところ話し始めた。
「あれは一年前のことだ。森に狩人が住んでいて、この村はソイツから森で狩った動物を受け取り、穀物や野菜を渡したりしていた。まあ、どこの村でもやっていることだ。だが、ソイツが一週間ほど姿を消した。森の中のヤツの小屋まで見にいった者がいるから、間違いない。
そして一週間後、ソイツは村にやってきた。だが、ずっと森で彷徨っていたようで気が狂っちまっていた。ヤツは森でコボルトをみた、ヤツらは恐ろしい、そんなことばかりを呟いていたかと思えば、いつの間にか村からもいなくなっていた」
「それがこの村が隠していた事ですか?」
アヤナの問いに、男はより顔をニヤけさせた。
「ああ、そうさ。この村の近くにコボルトがいる。しかもソイツら森の狩人を狂わせるほど恐ろしかった。それが知れ渡って余所者が来ないのは歓迎だが、行商人まで来なくなったら困る。そんな風に村長や村のヤツラは考えたんだろうな」
そこまで聞いたシュウは質問した。そっと、顔の高さに手を上げていたが、その意味を理解できたのはアヤナだけだっただろう。
「聞いといてなんだが、そんなことを教えて良かったのか?」
「へっ、賢いオレさまはこの金で、アローデールかグラウエンブルグまで高飛びさ」
「そ、そうか」
銀貨三枚、日本円で約三千円。足りるのかと考えるシュウだったが、他人事だしと考えるのを止めた。
「じゃあな」
男は話し終わると、ホクホク顔で帰っていった。
「この辺りにコボルトがいるのは本当みたいだね。でも、ここでは道案内は頼めそうもないし、どうしようか?」
シュウは一行を振り返る。
「森に行ってみようよ。きっとコボルトがいるのよ」
「そうだな。どのみち猟師はいない。森を探るほかあるまい」
フィオは元気よく言い、バルドも森に行く気配を見せる。
「ちょっと待って下さい。他にも猟師はいるはずです。隣の集落でも聞いてみましょう」
「ふん。気の狂った男の言うことに意味はない。さっさと次に行くぞ」
アヤナは案内役が欲しい様子で、ロレンツィオはそもそも話を信じていなかった。シュウが迷うと、アヤナが提案する。
「意見が割れましたが、どちらも確実性があるわけではありません。こういう時は人数の多い方に従いませんか?」
「ふ~ん。あとは……シュウ?」
無邪気なフィオの言葉に、一行の視線が集まる。急に注目されビクリとしたシュウは、しばし視線を彷徨わせてから、硬い表情で言った。
「じゃ、じゃあ。まず隣の村で他の猟師を探してみて、いなければ戻って森に入る、でどうかな?」
しばしシュウが反応を窺っていると、ロレンツィオが口を開いた。
「まあいい。これ以上先に進むには準備がいるしな」
「そうですね。食料の残りを考えると今回はそこまでで、ちょうど良いでしょう」
「うん、いいよ~」
アヤナとフィオも同意し、バルドが肩を竦める。それぞれが固まっているシュウを置いて進み始めた。「あ、待ってよ」 シュウは慌てて荷を載せた馬の手綱を握り、皆の後を追う。
しかし足元の土は柔らかく、一足ごとに半ば蹄が埋まる馬の歩みは遅い。前を行く彼らの背が、少し前に生えるハシバミの木の陰に消えようとすると、彼の焦りは一層募り、手に力を込めずにはいられないのだった。
疎らな木々の間を縫うように続く道は、いよいよ草木の下に溶け込んで消えてしまいそうだった。左右にはハシバミやカエデの若木が枝葉を茂らせ、かつて刈り払われた跡も、今は蔦やススキの穂に飲まれかけていた。
午後の明るい日差しが一行を照らすが、草木を揺らす風は湿り気を帯びていた。しばらく雨などなかったが、今夜あたりはこの辺境が大いに潤されるのかもしれない。ときおり木立が途切れると、揺れる金色の草原が姿を現し、足元ではうるさいくらいにコオロギ達の音が聞こえていた。
先頭を歩くバルドが藪を払って進んでいたが、それでもアヤナは枝を長い髪に絡めては、不機嫌そうに直す。一番苦労していたのは馬を引くシュウで、まめに道に張り出すそれらを押さえながら進んでいたが、あまり気にするでもなく自然豊かな景色を楽しんでいた。
やがて道は丘を越え、窪地の奥にいくつかの藁ぶき屋根が見えた。太陽はすでに西に傾き、空には灰色の雲が広がり始めていた。
「こりゃあ、ちょっと。屋根のあるところを借りて、明日まで籠らせてもらった方がいいかもな」
遠い雲を見上げながら、シュウが呟く。
「私、雨も好き~」フィオが楽しげに言う。「パチパチ、トントンいろんなところから音がするし、水たまりの輪っかも面白いし、下の凹んだ丸パンみたいな形も美味しそうなのよ」
それを聞いたシュウは目を丸くする。確か、昔何かで見たのは、雨粒が大きくなると底が少し凹んだ円盤みたいになる、という話だった。しかし、雨粒を目で追えるなんて。シュウが空を見上げると、フィオはクスクスと笑った。
集落に入って最初に出会ったのは、道沿いに村の一番外側の家の前にいた青年だった。その家は藁ぶき屋根が傾いており、外壁もいたるとこで土壁にひびが入り、剥がれ藁がむき出しのところがあれば、完全に穴の開いたところさえあった。
家の外には、焚き付けに使うのであろう枯れ枝の山が積み上げられていたが、その青年は背を向けてそれらを抱えようと四苦八苦しているようだった。一行が近づいても気付かなかったので、先頭にいたバルドが声を掛けた。
「おい、お前」「ひぃ?」
その声に驚いたのか、青年は跳ね上がるように立ち上がり、抱えていた枝を全て足元に落としてしまう。
「ひぃ!」
そのまま振り返った彼は、斧を担いだ大男を見てもう一度悲鳴を上げ、腰を抜かしたようにその場にひっくり返ってしまう。その様子に肩を竦めるバルド。埒が明かないと思ったのか、バルドは無言で一歩退いた。すると今度は、ロレンツィオは前に出た。
「おい、私は無駄な時間は使いたくない。全ての質問に速やかに、端的に、客観的に答えよ。一つ目だがお前はコボルトについて何か知っているか?」
「ひっ」
青年はひっくり返ったまま、体をロレンツィオに向けてさらに悲鳴を重ねる。こんなところで、白いシャツを着ている奴なんて、貴族の関係者だとまで想像がつかなくても、とにかくヤバイ奴だと分かるのだろう。シュウはそこまでの彼を見て、何とも気の毒に思う。首を振って場所を開けるロレンツィオ。
シュウは自分が適任だろうと前へ出ようとしたが、それより早くアヤナが前に出た。彼の傍に屈んで話し始める。
「脅かしてごめんなさいね。私達、この辺の森にコボルトがいるって聞いて、探しに来たの。こちらの白いシャツの人は神官様でね、コボルト達は古代の遺跡にいるなら神殿としてそのままにしておけないって。話を聞かせてもらえないかしら?」
アヤナは優しげ微笑んで、まつ毛をパチパチとさせる。そして小首を傾げると、それにつれてポヨンと揺れる。彼女を見上げる青年は何かで恐怖心が上書きされたのか、少し落ち着いて返事を始めた。
「ぼ、僕はコボルトとか、遺跡とかは知らない、で、です」
「そうなの。じゃあ、隣の村にいたっていう猟師は知っているかしら? あと、この村にも猟師はいるの? 猟師だったら森のことに詳しいでしょうし」
「他の猟師は知らないです。でも、僕の兄が猟師をしている、です。でも、兄のことは秘密、です」
「どうして秘密なのかしら?」
「森は領主様のものです。でも兄は猟をして村にも分けてるです。ここは遠いから領主様の部下はこないです。でも内緒です」
シュウは、全部バラしてるじゃないかと呆れつつ思った。彼の兄は村公認の密猟者で、それは村としても外聞が悪いから秘密だということだろう。案外、前の集落でも、狂人になる前から猟師のことは公然の秘密扱いなのかもしれない。
「教えてくれてありがとう。それで私達、今日はこの村に泊まりたいんだけど、誰に聞いたらいいかしら? よかったら案内もして欲しいのだけれど」
そう言って、アヤナは逆向きに小首を傾げ、優しく微笑む。ポヨン。
「そ、村長です。案内するです」 「うふ、ありがとう。優しいのね」
アヤナに優しいと言われた彼は、顔を真っ赤にして集落の中へと進み始める。ロボットのようにというべきか、彼の右手と右足、左手と左足は揃って動いていた。




