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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第4章 岩竜の森のコボルト編
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第49話 辺境の館

 川を越えたシュウ達は、夕方まで街道を進み、辿り着いた集落で一泊した。アローデールを出て三日目、再び彼らが街道を進んでいくと、昼過ぎに右手に広大な森が見えてきた。どこまで続くのか切れ目が見えないほどの大きさで、森の奥には木々の上へと岩山のようなものがいくつも突き出している。


 「あれが岩竜の森かな。思ったよりずっと大きいな」


 「そうですね。あの森でコボルトを探して回るなんて、ちょっと気が遠くなりそうです。フィオ、どの辺りか分かっているんですか?」


 その大きさに息を吐いたシュウに、アヤナが現実的な問いを重ねる。


 「え? そんなの行けば分かるのよ」 あっさりと返すフィオ。


 「そうですか。では、周辺の村を巡ってコボルトの目撃情報を探すしかなさそうですね。そもそも街道を外れたら、どこまで馬車で進めるのでしょう。ロレンツィオさんは、どうお考えですか?」


 アヤナは軽くため息をつき、しばし考えてから、ロレンツィオに聞いた。


 「わざわざ口に出さなければ分からないのか。ルヴォン川の南岸、岩竜の森の一帯はヒュートヒェン男爵の領地だ。まずは男爵を訪ね、助力を願う。他に無かろう」


 彼は嫌味っぽく答える。


 「そうなのですか。男爵様を訪ねるというのは、初めて聞きました」


 「言ってなかったからな」


 ちょっとムッとしたように言うアヤナだったが、素っ気なくいなされる。




 それからは村人に道を教わりながら進んだ。道端では農夫たちが、今年の収穫が多いだの少ないだのと談笑しており、この時期らしい穏やかな空気がどこにも漂っていた。四日目に街道を外れると、途端に道は狭くなり、車輪が跳ねるような凸凹道に変わったが、それでも馬車が通れないほどではない。

 そして五日目の午後、緩やかな丘を越えた先で、一行は高台に建つ男爵の館を見上げた。館を囲む板塀は風雨で黒ずみ、古びた木の門だけがしっかりとした存在感を放っている。屋敷の屋根は藁ぶきで、秋の陽を受けて鈍く光った。

 丘を登り、シュウが門を叩くと、しばらくして中年の男が顔を出した。色褪せたウールの外套に、継ぎの当たったズボンを穿いている。半身を門から出しているが、奥の手では警戒のためか杖を持っているのが伺えた。彼は斜視のようで、藪睨み気味にシュウ達を順に眺めると、胡散臭さそうに尋ねた。


 「誰だ、お前ら? 何の用だ?」


 「僕たちは...」


 シュウが答えようとすると、荷台から起き上がったロレンツィオがそれを遮った。


 「私はロレンツィオ。クロワサン子爵の子であり、アローデールの神官でもある。用事はお前には関係のないこと。さっさと男爵閣下に私が来たことを伝えるがよい」


 「へ、へひっ」


 顔を青ざめさせた男は、返事もそこそこに、慌てて門の中へと引っ込んでいく。それから、そう時間を置かずに斜視の男を伴って、シュウ達と同じくらいの年格好の青年が現れる。背はシュウより少し高く、ややぽっちゃりしているものの筋肉質。ニキビの目立つ顔には、侮蔑と愛想笑いの中間のような表情を浮かべていた。


 「私はヒュートヒェン男爵の長男、ルートヴィヒ。ロレンツィオ殿、よくお越しくださった。館の中で父がお待ちです」


 「これはルートヴィヒ殿。会えて光栄だ。よろしく頼む」


 挨拶を終えると、二人が門の中に入り、バルドも後に続いた。フィオが弾むように入ろうとすると、斜視の男が手を前にかざして止める。


 「お前達は、ここで待っていろ。部屋を用意しているところだ」


 呆気に取られるシュウが前を見ると、門の中のルートヴィヒが首だけを回し、下卑た笑みを浮かべてアヤナを眺めていた。そのまま三人が館の中に消えると、門は静かに閉ざされた。


 「ひっどい、締め出されちゃったのよ」


 「そうね」


 憤慨するフィオに、今日ばかりはアヤナも同意する。


 「まあ、部屋は用意してくれるみたいだし…って、コラ、フィオ。やめなさい!」


 シュウが二人を宥めようとしていると、フィオが塀に手を掛け、よじ登ろうとしていた。


 「何よ。ちょっとお屋敷を覗くだけよ」


 「大人しく待とうよ。貴族の人は怒らせたら怖いって」


 「同じ男爵でも、アローデールのロスチャイルド男爵に比べると粗末な屋敷ね」


 「いや、アヤナもやめて」


 フィオを宥めようとするシュウに、締め出された事を怒っているのか、ルートヴィヒのやらしい視線を怒っているのか、アヤナまで嫌味を言い始める。アタフタし、早く入れてくれと願うシュウだったが、それは叶わなかった。荷馬車が館の納屋に収められ、シュウ達が入れたのは、凡そ二時間後、夕食の時間になってからだった。




 シュウ達が通されたのは、玄関のすぐ近くの四、五畳ほどの小部屋だった。少し埃っぽいその部屋には、片隅に木箱と箒などが置かれ、それでも真ん中には衝立が、その両側に藁とシーツを敷いた寝床並んでいた。


 「わあ、シーツがあるよ。えへへ…って、カビ臭~い。あはは」


 寝床を見つけて飛び込むフィオ。その様子にアヤナは額を押さえ、ため息をついた。


 「それでも衝立がある分、気を使ってもらったということでしょうか」


 「何か、納屋か何かを慌てて片付けたって感じだけど、家に入れてもらえただけマシじゃないかな」


 「そうですね。明日の予定を確認したいのですが、こちらからロレンツィオさんを訪ねるのはやめておいた方が良さそうですね」


 そうして、衝立を境に男女に別れ、それぞれがシーツに座ってくつろいでいると、突然扉が開かれた。見ると、先ほどの男が木の盆を抱えて立っていた。


 「飯を持って来てやったぞ」


 「やったー、ご飯だ!」


 大喜びするフィオ。男が床に置いた盆には、黒パンが三つに、豆や野菜くずが見える煮込みが大きな木鉢に入れられ、匙が三つ添えられていた。盆を置いた男の目がアヤナに留まり、いやらしく緩む。じゅるり。男の舌なめずりの音が聞こえた時、アヤナは衝立を寄せてその後ろに隠れた。

 ちっ。男ははっきりと分かる舌打ちをして出ていった。緊張しながら様子を窺っていたシュウは、そこで安堵の息を吐く。その時には既に、フィオは木匙を取って食べ始めていた。

 これまで宿の食堂だったり、自分達で用意したので、このような大皿をみんなでつつくのはこの世界に来て初めてだった。アヤナの目が細まる。家族でも食べかけは食べない、と言っていたのを思い出し、シュウは提案した。


 「あ~、アヤナ。フィオはもう食べ始めちゃったけど、僕は後でいいから先に食べなよ。女の子同士ならまだマシじゃない?」


 それを聞いたアヤナが渋い顔をし、それから覚悟を決めたように言う。


 「いいえ、シュウも食べて下さい。これからきっと、これぐらい食べられなければ、やっていけませんから」


 そう言って匙で煮込みを掬うアヤナ。


 「味が薄いですね」などと文句を言いながらも、食べ始める。シュウもアヤナの顔色を見ながら食べ始めた。それから食べ切った二人は、いつものようにコーヒーを召喚して飲み、一息を入れた。フィオは「べぇ~、あの苦いヤツ」と言って嫌そうな顔をしていた。コーヒーがどこから出たかは、気にしていないようだ。




 食事が来てから二時間もすると、再びあの男がやって来た。盆を片付けに来たのかと思えば、そうではなくロレンツィオが呼んでいるというのだ。顔を見合わせたシュウとアヤナは付いていくことにする。フィオはもう藁に包まれて寝ているので、おいて行くことにした。

 廊下に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。男の持つランタンの灯が、壁の梁や柱の影を長く伸ばし、軋む床が二人の足音を吸い込む。壁にはやや擦れていたが、葡萄の蔓を織り込んだタペストリーが掛けられていた。窓は板で覆われ、外の月明かりは届かない。

 「ここだ」男はそう言ってから、中に声を掛ける。


 「ロレンツィオ様、二人を連れて参りました」


 すると、すぐに聞き覚えある声が聞こえた。


 「入れ」


 男は扉をガチャリと開け、二人を中へと促す。中は神殿の彼の部屋より狭く、六畳ほどにベッドと木箱、入口向きの机が押し込まれたように配置され、その隙間はやっと通れる程しかない。その机に革装丁の羊皮紙本を何冊も広げ、燭台の灯りで頭を捻るロレンツィオの姿があった。


 「ロレンツィオさん、明日の予定についてでしょうか?」


 最初に口を開いたのはシュウだった。だが、これは肩透かしをくらうことになる。


 「いや、食事の後にコーヒーを飲みたくなってな。そこに持って来てくれ」


 どうやら、机の上の僅かな隙間を指しているようだ。


 「それはいいですけど。持ってきたら明日の予定も聞かせて下さいよ」


 ああと生返事をした彼に、シュウは肩を竦め、アヤナを伴って一度部屋を出た。シュウは部屋の外で待っていたランタンを持った男に声を掛ける。


 「あの、ロレンツィオ様が荷物を取って来るように言われて。一度、僕たちの部屋に戻るのですが」


 「ここで待っててやる。余計なところに近付くんじゃないぞ。その女はここで待っててもいい。げへへ」


 「いえ、彼女にも仕事があるので」


 どうやらここで彼の持つランタンを頼りに、暗い廊下を歩かなければいけないようだ。アヤナをここに残す選択は無いので、適当な理由を付けて部屋に戻る。それから五分くらい準備に時間が掛かったように見せかけて、ロレンツィオの客室へ戻った。

 相変わらず彼は資料に夢中であり、コーヒーを置くとそれを飲むものの、シュウ達に話し掛けることはない。このまま部屋へ戻るのも面白くないので、シュウは明日の予定を聞く事にした。


 「それでコボルトについて、何か情報は入りましたか?」


 「いや。だがこの先は馬車が通れないからな。荷車は預けて、ここを拠点に森周辺の村を回る」


 「そうですか」


 「私の考察の邪魔だ。用が済んだら帰りたまえ」


 彼の物言いに納得はいかないが、これ以上の話は聞けないと思い、二人はすごすごと部屋を出る。すると、外の男はいなくなっており真っ暗だった。だが、少し離れた部屋から明かりが漏れ、誰からの話声が聞こえた。そしてその部屋から明かりが近付いて来た。




 少し、自分達の部屋に戻りかけたシュウ達だったが、向こうもこちらに気付いているだろう。このまま何も言わずに立ち去っていいのか分からず、そのまま待つ事にした。そして、現れたのは斜視の男と男爵の長男ルートヴィヒだった。長男は近くまで来ると、アヤナの身体を舐めるよう見回してから口を開いた。


 「おい、流民の女。お前、ロレンツィオ殿かバルド殿の愛人ではないだろうな」


 いや、と言おうとしたシュウをアヤナが制する。


 「どうでしょうか。私の口からは何とも。お二人にお聞き下さい」


 アヤナの言葉に目を丸くするシュウ。


 「部屋に戻ってもよろしゅうございますか?」


 「いや、待て。お二人とも、お前については何も言っていなかったからな。少し遊んだところで何も言うまい。俺はこの地の領主の息子なわけだし」


 帰ろうとするアヤナを、ルートヴィヒが呼び止め、怪しいことを言い始める。シュウが間に入ろうか逡巡しているうちに、長男は下卑た笑みを浮かべながらアヤナの胸へとゆっくり手を伸ばす。その手が触れそうになり、あっ、とシュウが声を出し掛けた時、近くの扉がガチャリと開く。


 「ああ、ルートヴィヒ殿。男爵閣下はまだ起きていらっしゃるかな?」


 ルートヴィヒは手を素早く戻して、答える。


 「父上はまだ起きてらっしゃるはずだ。そうだ、ゲゲ。彼をご案内しろ。…それと、この流民の女と少々遊んでも気にされないだろうか?」


 「私には関係のないことだ。では」


 そう言うと、ロレンツィオは斜視の男を伴って奥へと立ち去ってしまう。取り残される三人。


 「へへ、思わせぶりなことを言いやがって。貴族の情けを貰えるのは名誉なことだぞ。男子を身ごもれば、一生面倒を見てやるかもしれん」


 ロレンツィオが去って勢いづく長男。


 「こちらは私の夫です。夫の前で無体な真似はご勘弁ください」


 「逆らえばどうなるか、分かっているんだろうな」


 そう言って再び手を伸ばすルートヴィヒ。この野蛮な世界では、ちょっと貴族の気に障ることをしただけで殺されかねない。シュウは間に入りたかったが、躊躇した。その間に彼の手が、アヤナの胸を鷲掴みしそうになる。あっ、とシュウが声を上げそうになった時、また、別の部屋の扉がバタンと開く。

 ルートヴィヒの手が再び戻る。部屋の中からは誰かが出て来たようで、灯りと共に近付いて来る。ギッギッとなる床の音は、それでも軽そうに聞こえた。そして現れたのは、鈍色のドレスに腰布を付けた痩せぎすの中年の女だった。


 「ルートヴィヒ様、何をしておいでで」


 彼女は鋭い目で問いかけるが、何をしているか分かっているのは明らかだった。


 「ポーラ、何でもないぞ。お前はもう行っていい」


 「あなたは次の領主様なのですよ。流民の女なんぞ相手にするのはお止めください。子ができれば、要らぬ諍いが起きかねませんし、この股の緩そうな女が病気を持っていることだって大いにあり得ます」


 長男の誤魔化しなど相手にせず、ズバズバと言い捨てるが、そこにはアヤナへの侮辱が当たり前のように含まれていた。胸に手を伸ばされた時とは別の意味で、アヤナの顔が引き攣る。だが、緊張する周囲をものともせずに、彼女がアヤナの胸に手を伸ばした。


 「あっ」シュウとルートヴィヒの声がシンクロする。そして、「いっ!?」とアヤナが声を上げる。アヤナの胸がガッチリと掴まれ、捻られる。


 「このいやらしい体で若様を誘惑して。さっさとあっちへお行き」


 身体を引くアヤナ。ハッとしたシュウがアヤナの背を押して、自分達の部屋へと足早に進む。なお、ポーラは絶壁だった。


 「あっ、お前達」


 「若様」


 二人を引き留めようとするルートヴィヒに、今度はポーラの手が彼の頬を掴む。


 「イチチチッ。おい、ポーラ、止めろ。俺は領主の息子だぞ。こら、待て、イチチチ。そ、そこは持つところじゃないのよ。イチチチ」


 明らかに体格に劣るポーラが、それでも彼を怯えさせるのか、何もさせずに彼を引きずるように連れて行く。部屋に戻って扉を閉めてから、シュウは心配顔で聞く。


 「アヤナ、大丈夫?」


 「ええ。犬に噛まれたと思って忘れることにします」


 アヤナの言葉に、シュウは何も言えずに口を閉ざす。気まずい雰囲気に動きを止める二人に、小さな燭台の灯だけが揺れていた。




 それからもアヤナが館に泊まるたびに、ルートヴィヒは懲りずにがちょっかいを掛けてきた。だが、いつも必ずポーラが現れて彼を引きずっていくのだった。

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