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この瞬間が世界を名作にする。~異世界でコーヒーを飲もうよ~  作者: きゅっぽん
第2章 異世界生活編(読み飛ばし可)
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第24話 市の日の広場

 朝食を終え、簡単に荷を整えた二人は、家を出る前にしっかりと戸締まりを確認した。シュウは折り畳んだ屋台用のテントを背負い、アヤナは手桶に木のカップ数個を入れて持つ。通りには、洗濯物を干す婦人や薪を運ぶ少年の姿があり、暮らしの気配が漂っていた。だが、大通りに近づくにつれて、行き交う人の数は目に見えて増していった。


 小道の角を曲がるたびに、人の姿が増えていく。籠を手に持った町の婦人や、手を引かれて駆け出す子ども、買い物帰りか大きな布袋を肩に担いだ男の姿もある。どこからか香辛料の混ざった香りが流れてきて、それが市の日であることを改めて思い出させた。


 「やっぱり、いつもよりずいぶん人が多いですね」とアヤナが漏らす。

 「うん……思ったより人が多いな。こんなに集まるもんなんだな」とシュウも小さく頷いた。


 やがて、大通りに出ると景色はにわかに賑やかさを増した。広場に近い一角には、布をかけた露店がいくつか並び、干し肉やチーズ、果物、手工芸品が所狭しと並べられていた。呼び込みの声と買い物客の足音が混ざり合い、朝の通りに市の日らしい活気をもたらしていた。


 大通りを抜けて広場に入ると、そこにはさらに多くの人々が集まっていた。朝早いというのに、すでに場所取りを終えて品を並べる商人、準備に追われる者、露店を見て回る買い物客たちが入り混じっている。


 「おー、すごい……!」


 思わずシュウの口から声が漏れる。大きな木箱や麻袋に詰められた野菜、頭と脚がついたまま吊るされた豚の胴体、無造作に並べられた陶器や積み上げられた編み籠。整然と商品を並べる現代のスーパーと違い、野蛮で混沌としながらも人々の暮らしの熱量を感じて心が躍る。


 「うぷっ、これは想像以上ですね」


 逆にアヤナは口を手で押さえて青い顔をしている。アヤナはぶつかり合うような人混みと、ハエが飛ぶ中で売られる原形に近い姿で吊られた豚、むせるような汗や脂の匂いにかなり引いていた。二人は人の波を縫うようにして広場を進み、やがて商業ギルドの建物に辿り着く。

 その前では、台車を止めた農夫が足早に中へ入っていく。残された台車にはカブが積まれているようだ。そばにはチーズを載せた別の台車も停められており、ほどなくギルドから出てきた別の農夫が、それを引いて広場の奥へと急いでいった。どうやらシュウたちと同じく、出遅れた者らしい。


 シュウたちも商業ギルドに入ると簡単な手続きを済ませ、出店料として平時の二倍半、銀貨二枚を支払った。どうやら場所の指定はなく、自分たちで空いた場所を探さなければならないようだ。二人は軽く頭を下げてギルドをあとにした。


 シュウはテントの重さを肩に感じながら、アヤナと顔を見合わせた。


 「さて、場所を見つけないとね」


 「そうですね。いい場所……は望み薄としても、空きが見つかればいいですね」




 シュウとアヤナは、広場の喧騒へと足を踏み出した。陽はかなり上がってきており、広場は色とりどりの布張りの屋台でびっしりと埋め尽くされている。どこかで焼かれた肉や野菜の匂いが漂い、市に集まった人々の体臭が鼻を刺す。行商人の怒鳴り声に混じって、子どもたちの笑い声や、値切り交渉をする婦人の鋭い声が飛び交っていた。二人は空いた場所を探しながら、露店の間をゆっくりと歩いた。


 市の中では干し肉や燻製肉が木製の横棒に吊るされ、その下では男が肉片を噛みしめつつ、店主と値段をめぐって激しくやり合っていた。またネギやキャベツ、カブなどの野菜が大きな麻袋に詰め込まれ、その前では主婦がカブを持ち上げては、重さを確かめるようにそっと揺らす様子も見られる。

 古着が無造作に積まれた露店の前では、年配の女が一枚ずつ手に取って広げ、縫い目や汚れを念入りに見ていた。革製品の露店には靴やベルト、ポーチなどが木箱の上にずらりと並び、老いた男が擦り減った靴底を指差して、店主に食い下がっている。

 他にも、鍋や農具を扱う金物屋や、木製の椅子や小物を売る露店、香辛料や雑貨を並べた屋台、さらには干し魚や書物など珍しい品を扱う露店もある。所々では肉が焼かれ、温められたスープが湯気を立てて売られ、ハチミツやハーブの焼き菓子の甘い香りがあたりに漂っていた。屋台の間の通路には人があふれ、まっすぐ進むことすら難しい。


 ようやく露店の並ぶ通りの合間、少し開けた袋小路の先にぽつんと空いた一角を見つけた。近寄ってみると建物の影で暗くなっており、地面は少し湿ってぬかるんでいる事が分かる。

 左隣には古道具を並べた男の露店があった。傾いた台の上に木製の杓子や取手の欠けた鍋などが山のように積まれ、石で囲った小さな炉の上では小鍋の中の金属がぐつぐつと煮えている。壮年の男が鍋の縁を火ばさみでつまみ、溶けた金属で手早く穴を塞いでいた。周囲には金属臭が、漂っている。

 右隣には、革の端切れや壊れた袋を並べた屋台があった。毛羽立った茶革、焼け焦げた黒革、穴の開いたサンダルの甲皮などが無造作に積まれ、その中から一枚を取り出した中年の女が、太い針で静かに縫い合わせている。近くを通ると少し革臭い。


 「……ここしかなさそうですね」


 肩をすくめたアヤナが小声で言い、シュウもテントを肩から下ろしてうなずいた。




 「すみません。この場所、使っても大丈夫でしょうか?」


 シュウが遠慮がちに尋ねると、金属を扱っていた男はちらりとこちらを見やり、火ばさみを動かす手を止めることもなく言った。「好きにしな。誰も使っちゃいねえよ」隣で革を縫っていた女も手元を見つめたまま、「ずっと空いてるわ」と短く返した。

 両隣の了承を得た二人は、空き地の中央、少し奥まった位置にテントの支柱を立てた。地面がぬかるんでいるせいか、支柱を揺らすとぐらついて今にも抜けそうだったため、さらに深く押し込んで固定する。だがそのせいで支柱がやや短くなり、掛けた布が弛んで少し不格好になってしまう。

 それでもシュウの召喚を隠せれば問題ないと考え、二人はそのまま作業を続けた。


 「……桶に水を汲んで来ないといけませんね」そう言ったアヤナは、迷うように桶とテントの間に視線を行き来させる。そうか、美人で胸の大きいアヤナがこの人ごみで一人になれば、ちょっかいを掛けられたり、誘拐されたりする恐れがある。そう思ったシュウは、自分が水汲みを買って出ることにした。


 「僕が汲んで来るよ。アヤナは目立たないように、テントの中にでもいてくれたらいいから」


 「ありがとうございます。お手数ですがよろしくお願いします」


 アヤナの言葉を聞いたシュウは、肩に桶を担いでテントを後にした。広場には何度も来ていたため井戸の場所は分かっていたが、今日は様子が違った。普段は閑散としている広場に所狭しと露店が立ち並び、通路は細く曲がりくねり、まるで迷路のようだ。井戸にたどり着くまでに何度か立ち止まり、回り道を強いられた。

 帰り道はさらに厄介だった。水の入った桶の重さに肩を引かれながら、人混みの中をかき分けて進まなければならない。同じような露店がずらりと並ぶなかで道を一本間違え、気がつけば見覚えのない通りに出てしまうこともあり、思いのほか時間がかかってしまった。




 一方、シュウと別れたアヤナは、何気ない様子でテントの中に滑り込む。その時、隣の古道具屋で鍋の修繕をしていた男と目が合い、背筋を寒気が襲った。その目は日本でも時折向けられた、自分に欲情している目だった。日本ではそういった男たちに強引に迫られることもあったが、周囲の人々を巻き込んでうまく撃退できていた。

 だが、ここでは同じように助けてもらえる気がしなかった。魔物のいる森を越えて街に入り、気が緩んでいたうえ、これまでシュウがずっと一緒にいてくれたため、そこまでの危機感はなかった。それなのに、たった数分一人になっただけで、こんな目に遭うとは――。


 「シュウ、早く帰ってきて……」

 そう念じながら、アヤナはテントの中に身を潜めた。シュウが戻ってくるまで、どれくらいかかるのだろう。井戸までは遠くないから五分もかからない? でも、露店の人混みによっては、もっと時間がかかるかもしれない。十分? 二十分?

 気持ちを落ち着けるため、アヤナは自分の手首に指を当て、脈を計りながら時間を測り始めた。




 アヤナが不安に胸を締め付けられていると、テントの入口の布がめくられた。一瞬、シュウが戻ってきたのかと安堵しかけたが、まだ五分も経っていない。胸がきゅっと縮み、不安が一気に膨れ上がる。


 テントをめくった手は、節くれ立ち、土で黒ずんでいた。そして、もう片方の手には金槌が握られている。


 「ひっ……」アヤナの喉の奥で小さな悲鳴が漏れた。


 屈んで中に入ってきたのは、やはり隣の古道具屋の男だった。その男の服はこの世界では珍しくないが、日本で言えば浮浪者のようにボロボロで、悪臭を放っていた。


 「勝手に入らないで。出ていって」


 アヤナは恐怖を押し殺して、毅然とした声で拒絶の言葉を口にした。だが男はそれを無視し、テントの中を物色するように見回すと、口を開いた。


 「何もねぇじゃねぇか。売り物はどうしたんだよ」


 「今、夫が持ってくるところよ。いいから、早く出てって」


 アヤナがきっぱりと告げても、男は怯む様子もなく、彼女の体を上から下まで舐め回すように見つめる。狭いテントの中、距離が縮まっていく。


 「太ってんのかと思ったが、胸がでかいだけか。……なるほどな、このテントでお前が“営業”するってわけだ」


 「いいから出てって! 夫がすぐ戻るわ!」


 アヤナは声を強め、外を指差して威嚇する。しかし男はアヤナの胸や腰を凝視しながら、金槌をポンポンと手のひらに叩きつけていた。


 「へっ、旦那は水を汲みに行ったんだろ? こんな人混みじゃ、すぐには戻れねぇよ。……ははーん、なるほど。お前の旦那は、お前が売れやすいように、わざと離れたんだな。ってことは、俺が買っても文句はないってわけだ。小娘なら、銅貨五十枚で十分だろう」


 銅貨五十枚。それはパン数個分、日本円にして五百円程度だ。アヤナはあまりの侮辱に言葉を失いそうになる。「ふざけないで」と言い返そうとした瞬間、テントの外から人影が差し込んだ。


 「何してんだい?」


 声の主は、革の端切れを売っていた女だった。鋭い目で男を睨みつける。しかし、男は金槌を手にしながら「なんでもねぇよ。ただ中を覗いただけさ」としらばっくれる。


 しばし、睨み合いが続いた。だが、女は男の金槌に危険を感じたのか、黙ってその場を離れてしまった。


 「えへへへっ」


 不細工な男の顔が、いやらしく緩んだ。それがますますアヤナの嫌悪感を掻き立てる。男はゆっくりとアヤナに近づき、身体が触れそうな距離まで迫ってくる。


 「何してる!」


 その声と共にテントへ飛び込んできたのは、今度こそシュウだった。


 「ッ!」


 男は咄嗟に金槌をシュウに向けた。だが、シュウはすぐさま腰のショートソードを抜き、男の喉元に突きつける。


 しばしの沈黙の後、男は気まずそうに笑いながら言った。


 「冗談だって、マジになるなよ」


 そして、すごすごとテントから出て行った。


 「大丈夫か?」


 腰が抜けたように崩れ落ちそうになるアヤナを、シュウが抱きとめる。二人はそのままテントの中に座り込んだ。


 「大丈夫です。何もされませんでした。……まだ」


 アヤナがそう呟くと、言葉の最後に微かに震えが混じっていた。顔は伏せられ、肩はまだ小刻みに揺れている。目の端に涙が浮かんだ気がしたが、すぐに彼女は顔を両手で隠してしまった。少しの沈黙の後、シュウが言った。


 「何もなかったなら、良かったよ」


 また、沈黙が周囲を支配した。


 「動けそうかい?」


 シュウの問いかけに、アヤナは小さく首を振った。


 「……いえ、少し座っていたいです」


 「そうかい。実は僕もだ。ちょっと腰が抜けた」


 シュウは苦笑を浮かべると、背後の布地にもたれかかり、深く息を吐いた。その様子にアヤナがクスリと笑う。シュウは、やっと日常が戻ってきた気がした。

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