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39.その聖女、魔族の訪問を受ける。

 あからさまに、アルに避けられている。

 理由が分からない私は、定例の見回りの休憩中に川のほとりで手紙を取り出す。


「……魔ノ国、荒れてるんだろうなぁ」


 手紙の差出人は大賢者(ラウル)で、枯毒竜の調査結果と近況が綴られていた。

 通常ではあり得ない場所での魔獣や魔物の活動が起きていること。

 壊れた結界を修復できず、荒れた領地がいくつかある事。

 そのほとんどの原因は、魔ノ国から流れてくる瘴気の影響である事。

 そして、私が生きてラスティで生活している事をすでに陛下と教会が把握している事も明記されていた。


「このままだと、召集かかるかもなぁ。新聖女様じゃちょっと役に立ちそうにないし」


 後半部分は新聖女と王子に振り回されている愚痴で、浄化と結界維持のための助言が求められていた。

 このままでは私のスローライフが維持できなくなるかもしれないのだけど。


「帰って来いって言わないあたりがラウル様のいいとこよね。西方部の教会の紹介状書いて返信しよ」


 独り言をつぶやいた私は、空中で指をくるくると回し、光を帯びた蝶を出す。


「……伝令蝶、ですか」


「光魔法っていうのは、ちょっと特殊でね。極めるといろいろ便利なのよ」


 そう言って私は、指に止まった蝶に伝言を託して飛ばす。


「随分、遠くから話しかけるのね」


 私は声がした方に視線をやる。黒い燕尾服を着た茶髪の男が、かなり離れた場所から恭しく礼をした。

 顔を伏せているので目は見えないが、茶髪から見えるツノが、ヒトではないことを表してした。


「動じませんね、聖女様」


「私を害する気がない相手に動じる必要があるの? 攻撃してくれば、容赦なく叩きのめすけど」


 私は2丁の拳銃を取り出して、構えることなくそう言った。


「指一本触れるな、と主人より言い遣っておりますので」


 なお頭を下げたまま、彼はそう言った。


「……主人、ってもしかしてアルのことかしら? あと頭あげてくれる?」


 私の声かけに顔を上げたその人と視線が交差する。紅茶色の瞳は、決意を持ってここに来たのだと分かる強いものだった。

 この目は何度も見たことがある。

 聖女(わたし)に、何かを願う目だ。


「生憎と、聖女は廃業したんだけど、アルの話については興味があるわ。私はセリシア。シアでいいわ。あなた、お名前は?」


「クロードと申します。シア様。その出立ち、先代聖女セイカ様を彷彿させますね」


「……セイカ?」


 その名に私は目を見開く。それは、アルが寝言で呼んだ名だ。


「ええ。人間の周期的におそらくあなたの曽祖母か高祖母かにあたる方かと。ピンク色の髪をはためかせ、護りの拳銃片手に魔ノ国に単身で乗り込んで来て、あろう事か我が王をアルなどと気安く呼び傍若無人に振る舞って死ぬまで居座った先代聖女セイカ・エリアス様によく似ている」


 クロードと名乗った魔族の青年はつらつらつらっと流れるようにそう言った。

 声も顔もにこやかだけど、コレ絶対怒ってるやつ。


「…………なんか、ご先祖様がすみません」


 全然知らない人の知らない話だけど、居た堪れなくなって私はとりあえずそう謝っておいた。


「謝罪は結構。約束を、果たして頂きたいのです」


「約束?」


 眉を顰めた私を見ながらクロードは頷く。


「俺の聖女に近づくな、と仰せですが、あのヒト、あなたに関してはどうしようもないレベルでポンコツなんで、私が契約の回収のお願いに参った次第です」


 普段の主人はそれはそれは強く、無双してなんて、クロードによるアル語りが始まり、長くなりそうだったので話を遮って私は続きを促した。


「我が主人の今の状況、あなたはご存知か? 魔力を碌に補給できず、飢えているにも関わらず、呪いの対価を払い続けている。だというのに、瘴気を払う天敵を側に置き、その聖女から神気も魔力も奪いもしない」


「……それ、どういうこと?」


「やはり、話していないのですね。あのポンコツがっ」


 死ぬ気かあのバカと舌打ちして悪態をつくクロードの様子を見て、私はこのヒトが自分のためではなく、アルのために私に会いに来たのだと知った。

 アルに、味方がいるらしい。

 それがなんだか嬉しくて、私は顔を綻ばせ銃をしまった。


「私、あまり魔族の生態に詳しくないの。アルと今の魔ノ国の状況について、詳しく教えてくれないかしら」


「話ができるタイプの方で安心しました。セイカ様は本当にヒトの話を全く聞かない方だったので」


 ウチの主人といい勝負ですけどね、とため息を吐くクロードに、


「えっと、なんか、本当にごめんね?」


 非常に居た堪れない気持ちになった私はお詫びに手持ちのサンドイッチを献上した。


 ーー小一時間後


「何でもかんでもひとりで抱え込みやがって! タスク管理下手かっ!! 言えよ! 面倒臭いんだよ、この察してちゃんがぁぁあぁあ!!」


「分かる、それ超同意っ! 言わなきゃ分かんないってーの、あのカッコつけがぁぁ。顔が良ければ何しても許されると思うなよ! いつまでも誤魔化されるか、アルの阿呆っっっ!!」


 私はガシッとクロードと握手を交わす。アルへの不満という共通の話題があった私たちは、種族の垣根を超えてあっという間に仲良くなっていた。


 クロードから聞いた話は、全部私の知らないアルと魔族とそして先代聖女の話だった。


「要約すると、国のために結婚するなんて冗談じゃないって、私のひー? おばあちゃんが身重の状態で、魔ノ国に亡命して城を占拠し居座った挙句、次代の聖女を好きにしていいからうちの子よろしくって我が子押し付けて死んでいったと。子どもの父親誰よ」


「それは聞いてないな。身分違いらしくて、貴族なんて滅んでしまえって言ってたから相手は平民なんじゃないのか?」


 エリアス家は聞いた事がないので、おそらく先代聖女のやらかしで没落したのだろう。

 もともと貴族であるラウル様あたりは知っているかも知れないが、もう私には関係のない話だ。


「それにしても、律儀に約束守るだなんて、アルは昔から真面目なのね。そんなもの、放っておけば良かったでしょうに」


 私は自分の左手の甲に視線を落とす。昔、ここには不思議な形のあざがあった。おそらくそれが目印で、そして契約書だったのだろう。


「そういう一面もあったのかもしれない。だから、破壊の限りを尽くしたあとは、大人しく淡々と国を治めたんだろう」


 クロードが話したアルの昔話は、私には信じられないもので、私の中のアルと一致しない。

 まるでゲームのように力を誇示して、奪い、破壊し、そうして自分より強い者がいないと悟って、仕方なく国の頂点に君臨することになったつまらない顔をしたアルの姿なんて、私は知らない。


「だが、いくらでも反故にしようと思えばできたはずの誓約魔法の約束を律儀に守ったのは、その相手がセイカ様だったからに他ならない」


 その言葉に私の胸はチクリと痛む。先代聖女とアルがどんな関係だったかなんて、今更掘り起こしたところでどうにもならないのは分かっている。

 それでも100年近くたった今でもアルの心の中にいるくらい、深くアルと関われた彼女の事が羨ましい。


「不機嫌と面倒以外ほとんど感情らしい感情なんて表に出さなかったアルバート様が、傍目からみても気にかけているのが分かるくらいセイカ様とは打ち解けているようだった」


 まぁ2人の交流なんて、ほとんどボードゲームをしているだけだったけどなとクロードはそう付け足す。


「笑ってないアルなんて、想像つかないな」


 そちらの方が想像できないとクロードは怪訝そうに眉を寄せる。さっき食べたサンドイッチが実はアル作だと教えたらきっと驚くだろうなと密かに笑った私は、


「百聞は一見にしかずよ」


 ニヤニヤしながらカフェのチラシをそっと渡した。尚も怪訝そうなクロードは話を進める。


「セイカ様が居なくなってからは、また元の不機嫌な王に戻られて、ただ淡々と国を守っていた」


 ああ、でも子どもの頃出会ったばかりの時は、いつも仏頂面で口も悪かったなと思い出す。


「そんなアルバート様が毎月満月の晩に出かけるようになった。行く時も帰ってきたあともそれはそれは不機嫌で嫌そうなのに、毎回出かけていくんだ。そのうちに、仏頂面は変わらないのに、自分は食べない菓子だのリボンだの子どもが好みそうなモノを用意するようになって、いつしかその日を心待ちにされているかのように月を見上げる日が増えた」


 私は子どもの頃に思いを馳せる。アルはいつも見た事ないような色とりどりのお菓子をくれたし、可愛いリボンで髪を結ってくれた。

 私が毎月満月の夜を楽しみにしていたように、アルも私に会うのを楽しみにしていてくれたのだろうか?

 そう、だったらとても嬉しい。


「本来、魔族にとって魔力の源になる瘴気を一瞬で消してしまい、それを元に生成された体内の魔力すら消し飛ばし弱体化させる聖女は天敵と言ってもいい存在だ。だが、聖女の持つ神気は瘴気から得た魔力よりもずっと強い力と回復力を与える。聖女は奪いもするし、与えもする。まるで気まぐれな神のように」


 私がこの土地に住んでもうすぐ1年。ずっと瘴気を祓い続けている。それは、アルにとってどれほど負担だったのだろう?

 魔族にとって魔力がどんなものなのか考えた事もなかった。

 自分の浅はかさが恥ずかしくて、悔しくて、私は拳を握り締める。


「セイカ様は、自分がいなくなった後のアルバート様を案じて約束を残したのだと俺は思っている。セリシアが今代の聖女だというのなら、あの方にも救いを与えてはもらえないか?」


 クロードは私のことをまっすぐ見据え、そう願った。


「私は気まぐれな神様なんかじゃないし、物語の聖女のように誰にでも手を差し伸べるほど、慈悲深くもない」


 私は自分の指先を見つめ、私に託されたものを考える。


「先代聖女との約束? 契約の回収? そんなの、私には関係ないわ」


 私はアルと同じ紅茶色の瞳を持つクロードの事を真っ直ぐ見つめ返し、


「これは、アルと私の問題だわ」


 そう、はっきりと言い切った。


「私は、ここにスローライフを送りに来たの」


 聖女として王都にいたときは、ずっと忙しくて、積み上がった仕事をこなすことに精一杯で、何も考えられないような毎日だった。

 ここに来て、アルのおかげで時間ができて、私は沢山の事を知って、学んで、経験して、考える事ができた。

 スローライフの定義が、日々の生活と丁寧に向き合って、自分の時間を大切に生きていく事なら、間違いなく私がここで過ごした日々はそうなのだろう。


「でも、それは誰かの犠牲の上に成り立たせたかったものじゃない」


 ずっと、こんな毎日が続けばいいなと思っていた。

 でもそこにアルがいないのなら、それにはきっと何の意味もない。


「私、腹が立っているわ。自分にも、そしてアルにも」


 クロードの話を聞いて、アルが子どもの頃の私の前に現れた理由を今更ながら知り、そして結局一緒に背負わせてもらえないほど、私はアルにとって子どもでしかないのだと言う事を知った。

 でも、できればそれはクロードではなくアルの口から聞きたかった。

 そうできなかったのは、私達がお互いに踏み込む事を躊躇って、言葉を交わす努力を怠ったからだ。


「私に、アルが救えるかなんて分からないわ。神気を差し出せと言うのならいくらでも差し出すけれど、きっとそれは根本的な解決にはならないでしょう?」


 そして、きっとアルはそれをとても嫌がり許してくれないだろうことが容易に想像できる。


「クロードが来てくれて良かった。コレで腹が括れそうだわ」


 私はクロードに笑いかける。

 アルの事を待っているヒトがいる。心配してくれるヒトがいる。

 それなら、私はこの名前のない関係にそろそろ終止符を打つべきだろう。


「アルとちゃんと向き合って話してみる。それでもダメならプランBを強行するわ」


 私はクロードにそう宣言する。


「プランB、とは?」


「魔ノ国に乗り込む。ヒトの国への影響も魔ノ国での異変も突き詰めれば根本的な原因は瘴気の濃さとそれを管理してくれるヒトがいない事でしょ? 私ほどうってつけの人間いなくない?」


 このまま各地の異変を放っておけば、どうせ召集されかねない。


「魔王が一番強くて瘴気管理できる者なら、聖女から魔王にジョブチェンジも有りかもしれないわね」


 今のアルなら倒せそうな気がするし、子どもの頃実際倒した実績だってある。

 ドヤ顔でそう言い切った私を見て、しばらく固まっていたクロードは腹を抱えて笑いだす。


「えー結構真面目に考えたんだけど?」


「あはは、いえ、血だなぁって」


 セイカ様が乗り込んできた時を思い出しますと、楽しそうに笑ったクロードは、


「乗り込んでウチの城を制圧できた暁には誠心誠意お仕えしますよ、魔王さま」


 恭しく礼をした。


「あら、悪くない響き。その時はよろしくね」


 できたらプランBにならない方がいいけれど、と思いながら、私はアルと向き合う決意を固めた。

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