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38/50

38.その聖女、約束する。

 同じ季節を2回ずつ経験した頃には、満月の晩に待ち合わせるのが当たり前になっていた。


「アル! 今日は遅かったのね」


 長いピンク色の髪をはためかせ、シアは無邪気に笑う。


「ん、ちょっと厄介なのを撒くのに手間取って」


 近づいて来たシアの髪を撫でる。それだけで先程まで、魔ノ国で積み上がっていた面倒な政務に向き合って疲れていた気持ちが癒やされる。


「お疲れ様とこんばんはとよくがんばりました」


「ん、ありがとう」


 直した言動が随分板につき、自分でも驚くほどにシアの前では笑うようになったと思う。

 いつもギリギリまで張り詰めていた神経をシアの前では尖らせる必要はないのだと理解してからは尚更、この穏やかな時間が手放し難いものになっていた。


「シア、またちょっと大きくなった?」


「ひと月でそんなに変わらないよ」


 変なアルと大人しく抱っこされるシアは、今日あった事を楽しそうに話し出す。

 そんなシアを見ながらアルは思う。

 この子はいつまで自分に笑いかけてくれるだろうか、と。

 ヒトの子の成長は早い。自分が生まれる遥か前に、先代聖女に煮るなり焼くなり好きにしろと魔族に売却されているだなんて知ったら、シアはどう思うだろうか?

 それに魔族は人間からすれば、恐怖の対象でしかない。シアは聡い子だ。そう遠くないうちに、自分が魔族であることもきっと気づかれる。


「……アル、どうしたの? 難しい顔してる」


「ふふ、シアはどんな大人になるんだろうなって」


 アルはそう言って、シアのピンク色の髪を梳く。

 年齢とともに体内に保有する魔力量が増していき、シアの髪の色は随分濃いピンク色に染まっていた。

 そのうち、魔力持ちであることも、聖女であることも隠しきれなくなる日が来るかもしれない。

 人間は欲深い生き物だ。今代聖女が生まれていると分かれば、こちらが不干渉を貫いていても、魔ノ国の資源に目が眩んだ人間が何かと理由をつけて領域を超え魔ノ国に乗り込んでくる可能性だってある。

 そうなれば戦場でシアと対峙する羽目になる。そうなったとき、彼女を殺せる気がしない。


「シア、あのね。シアに伝えておきたい事がある」


 これ以上、情が湧く前にさっさと誓約魔法を解除して離れたほうがいいのかもしれない。

 シアとの時間に手放し難さは感じている。だけど、ここらが潮時だろうと、アルは覚悟を決めた。

 ストンとシアを地面に降ろして、彼女と目線を合わせたアルは、黒のフードを外し月光にその姿を晒した。


「俺は魔族なんだ」


 黒い髪にヒトにはないツノと紅く染まっただろう紅茶色の目の変化を見ても、シアはとくに驚くことはなく、見返してくる。


「シアに近づいた理由はね、ずっと前にした約束を解きたかったからなんだ」


 怖がらせまいとなるべく穏やかな声を心がけ、アルは言葉を紡ぐ。


「シアが同意してくれたら、すぐ終わるから、怖いかもしれないけど、一度だけこの手で直接シアに触れてもいいかな?」


 手袋を外した爪は黒く、ヒトのそれとは異なる。

 これだけ懐いてくれていたシアに怯えられるのは辛いなと思いながらアルはそう尋ねた。


「……アルが魔族なの知ってた。初めて会った日、倒れたときにフードの下見ちゃったから。でも、アルが隠してるみたいだから黙ってた。勝手に見て、ごめんなさい」


 シアは怯えてなどおらず、小さな手をアルの手に重ねた。


「爪黒いのね。それは知らなかった」


 長い爪とツノかっこいいとシアは空いている方の手でヒトにない黒い爪とツノに触れる。

 驚いたアルに、シアは続ける。


「ふふ、変なアル。怖いわけないじゃない。だって、アルは私の事傷つけたりしないのに」


 そう言って、いつもと変わらない顔で笑った。

 

「どうしたの、アル? そんな悲しそうな顔をして」


「悲しそう? 俺が?」


「だって、泣きそう。誰かに魔族だからって虐められたの? 私がやっつけてあげようか?」


 いい子いい子とフードがなくなったアルの頭を撫でたシアは、


「私がアルの事を守ってあげる! 私結構強いのよ?」


 と得意げに笑う。


「守る? シアが?」


 何にもできなさそうな、こんなか細い手で? と首を傾げたアルに、


「うん! アルの事大好きだから、守ってあげる」


 シアはそう言って抱きついてくる。魔族であると知ってもシアは変わらずシアのままで、そんな彼女に大好きだと言われてアルは戸惑う。


『一度くらい、愛し、慈しみ、育て、愛される喜びを知ってはどう?』


 セイカの声が耳元で聞こえた気がした。


「だから泣かないで。アルが泣いたら私も悲しい」


 戸惑うアルの背を優しく叩きながら、シアは言葉を選び、一生懸命伝えようとする。


「アルが魔族でも大好きだよ」


 なんの利害も駆け引きもなく、無条件にこんなに真っ直ぐ信頼を向けられたことなど、魔族として生きてきた長い生で初めての事だった。


「アルは、私が人間だから嫌い? 私のこと、怖い?」


 アルは今まで一緒に過ごしてきた時間を思う。シアの事を嫌えるはずがなかった。


「俺もシアのこと大好きだよ。人間とか関係なく」


 例え、彼女が魔族にとって脅威になり得る聖女であったとしても。


「……良かった。もう会えなくなるのかと思った」


 安堵したようなシアの声に、アルは彼女を抱きしめ返して頭を撫でる。


「シアは強いなぁ。俺、一応魔族の中で一番強いんだけど」


 小さな小さな子どもなのに、どうやってもこの先シアに勝てる気がしない。


「えーアルがぁ? じゃあ魔族って大したことないのね。おもちゃの銃で倒れるし」


「……アレは本当に痛いんでやめてください」


 聖女である事を知らず、その力をコントロールできないシアの全力の攻撃はまともに受けたら冗談じゃなく倒れてしまう。


「シア、誰にも見つからないで。誰にも奪われないで。どうか、いつまでも笑っていて」


 アルは懇願するように、シアにそうつぶやく。


「俺の聖女」


「どういう意味?」


 腕の中できょとんと首を傾げるシアに、アルは答えず穏やかに笑う。


「シアが俺のこと守ってくれるなら、俺もシアの事守ってあげるから。俺は、俺の聖女を傷つけないから。もう少しだけ、一緒にいてもいいかな?」


「少し? ずっと一緒にいればいいじゃない。大きくなっても、ずっとアルといてあげる」


 そうだったら、どれだけ良かっただろう。返事ができない代わりに、アルはシアの髪を優しく撫でる。

 先代聖女との約束も、誓約魔法も関係なく、ただシアが大きくなるまで見守ってやりたいとそう思った。

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