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37.その聖女、交流する。

 前回やられたのは子どもだと舐めてかかり、全く警戒してなかったせいだ。今回の満月の夜こそ、この悪縁断ち切ってやるとその後アルは不本意ながら幾度となく今代聖女と接触を試みることになる。

 が、その聖女は自分の姿を見つけるとまるで猫のようにすばしっこく路地裏を駆け抜け捕まらない。

 そんな事を繰り返すこと数回。

 何度も何度も追いかけまわすことに、アルは疲れていた。


(そもそもどうやって察知しているのか)


 少女を見た限り、まだ自分が聖女であると自覚していないどころか、魔法の構築の仕方さえ知らず、魔力を持っている事にすら気づいていないようなのに。


(防衛本能? 子どもだから? 傍若無人って遺伝するのか?)


 満月で力が落ちている上に、無自覚な聖女は無意識に瘴気を浄化し、魔族である自分を無力化する。

 誓約魔法は刻まれた魔法陣に触れ、互いの同意がなければ解除できない。

 見つけることはおろか、近づくことすら難しければ到底無理だ。


(いっそのこと、物で釣るか?)


 いや、流石にこれだけ警戒心の強い子どもが釣れるわけがないか。

 そう、思っていたのだが。


「ふわぁぁーコレ、貰ってもいいの?」


 あっさり釣れた。そんなにがっつくほどお腹が空いていたのかと呆れるほどの勢いで、少女は差し出したパンを食べていた。


「……これ、持って帰っていい?」


 半分ほど食べたところで、少女は大事そうにパンを抱えて尋ねる。


「もう一個やるから、食えよ。空腹満たされてないんだろ」


「あなた、パンの神様!?」


「いや、違う。絶対違う。ていうか、パンの神様って何だよ!?」


 なんか嫌だ。とりあえずすごく嫌だ。

 理解できない発言に失笑したアルからパンを受け取った彼女は、


「いい事してたら誰かが見ててくれるって、お母さん言ってた」


 いい事? 今のところ攻撃を受けた記憶しかないがと思い、そういえば介抱されたかと納得した。


「なぁ、俺が言うのも何だが、知らない大人がパンくれるって言っても付いてっちゃダメなんだぞ? お前の警戒心どこに行ったんだよ」


「……じゃあ、私の事売り飛ばすの?」


 と、少女は首を傾げておかしそうに笑う。


「売らない。けど、今更だがお前、よく分からない相手から差し出されたものよく食べたな」


 どれだけ食い意地張ってるんだと呆れた口調でそう言ったアルを、少女の碧眼はじっと見上げてくる。


「……確かに名前すら知らないけど、あなたは少なくとも悪いヒトじゃないでしょ? それに弱いからいざとなったら倒して逃げるし」


 と、全魔族の頂点に立つ魔王に向かって平然と言い切った。


「……何を根拠に」


 パンで誘き出した理由なんて下心満載だが、と内心で毒づくアルを見ながら、隣で無防備に残りのパンを頬張る。


「顔がいい男は大概詐欺師か貴族だから気をつけなさいって言われてるんだけど」


「すごい偏見だな」


 まぁ、どちらにも該当しないが、ヒトから見れば悪党の部類であることは間違いない。

 続きを促すアルに焦った少女は、もぐもぐと頬張っていたパンを喉に詰まらせる。

 世話が焼けると悪態を吐きながら、背中をさすってやり水を飲ませたアルに、


「根拠。嫌なら放って置けばいいのに、こうやって助ける。初めて会った時から、そう。お兄さん魔法使いなんでしょ? 瓦礫も当たらないように避けてくれてたし、落ちてきた看板も元に戻すし、最初に貸してあげた布の代わりに可愛いハンカチ置いておいてくれた」


 と、指を折りながら少女は話す。驚いたように目を丸くしたアルに、


「息をするように他人の世話を焼く悪党なんて聞いた事ないわ。お礼言いそびれちゃってた、ありがとう」


 少女は花が綻んだような笑顔を向ける。


「私の名前はセリシア、シアでいいわ。パン代分くらいは話を聞いてあげる。あなたお名前は?」


「……アルバート・ベルク」


 名を名乗る義理などなかったのだけれど、なぜか子どもらしく屈託なく笑う少女を見ていたら、そう口にしていた。

 少女は口内で名前を転がして、


「じゃ、アルで」


 これで私たち友だちねとそう笑った。

 にこっと笑って手を出して来た少女の無邪気な顔を見ながら、やっぱり子どもは苦手だと口の中で不満を転がしたアルが、その晩シアから差し出された手を握ることはなかった。


『条件をつけるわ』


 と、先代聖女は弱々しくそう言った。


『満月の夜。一番聖女の力が強くなる日以外は解除できない。それくらいのハンデはくれてもいいでしょ? あなたは全魔族の頂点に君臨しているのだから』


 コレで、本当に最期。

 そう言った彼女の中にはもう、聖女の力も魔力も残っていなかった。

 アルは知らなかった。身重の先代聖女が押しかけて来た日から、昨日に至るまでずっと魔族のために、彼女が自身の聖女の力を使い続けていたという事を。

 そして、それが余計に彼女の寿命を縮めたという事も。


『そんな顔をしないで。ただの宿代よ。力は、使い方次第だわ。私がいなくなった後も魔族と人が争わないで済む事を祈ってる」

 

 先代聖女はそっと眠る我が子の頬を撫でる。その顔は慈愛に満ちていて、聖女と呼ばれるに相応しい光景だった。


『ねぇ、アル。この子の事、お願いね』


 だけどアルには理解できなかった。最期のその瞬間まで、他人の事だけを考えていた彼女のその生き方が。

 ただ、魔族である自分の事を"友人"と呼んだ彼女の目が2度と開かれることはないのだと知って、無性に胸が詰まった。

 ヒトはこんな時感じるこの感情をなんと呼ぶんだろうとぼんやり考えたその答えは、未だに得られていなかった。


「……で、お前は勝手に何やってんの?」


「お前じゃなくてセリシア。アルは人の名前も覚えられないの?」


 今日こそは、そう思って何度目の夜を迎えただろう? 

 アレから満月の度にやってくる自分の事をどう解釈したのかは知らないが、今代聖女は自分の事を見かけると楽しそうに寄ってくるようになった。

 餌付けが効いたらしいとぼんやり考えていたアルに、シアは更に花を追加する。


「……なんか、元気ないみたいだったから」


 お花あげるとアルの頭に花びらを降らす。


「何? 慰めてんの?」


「笑えばいいのに。せっかくきれいな顔してるんだから」


 笑うといい事いっぱいあるのよ? とシアは得意げにそう話す。


「楽しくもないのに笑えるか。第一、いい事って何だよ」


「んーパンの耳おまけしてもらえるとか! このお花もお嬢ちゃん可愛いから特別ってお庭に入れてもらえたからここにあるのよ」


「へぇ、それはそれは。そんな貴重な花を俺にくれると」


 降って来た花びらを掌に乗せたアルは、つまらなそうにそう言った。

 アルお花似合うね、と笑ったシアは地面に落ちた花びらを拾う。


「いっぱい花びら貰ったけど、砂糖ないからジャムにできないし。いい匂いだからポプリにでもしたらいいわ。売れるから」


「食べる用かよ。そして売るのかよ。花くらい普通に愛でらんないのか?」


 そう呆れたように口にするアルにシアは同じくらい呆れた口調で言い返す。


「アルは食べる事に苦労した事がないのね。お金大事。愛でてくれる人に売った方がお腹も膨れる」


 シアにそう言われ、彼女の事をまじまじと見返す。痩せすぎなくらい痩せていて、年齢のわりに発育状態も良くない。


「……売り物撒くなよ」


「いいの。今はアルの事元気にする方が大事だから」


 きれいなものを見ると幸せになるんだって、とシアは笑う。


「……何で?」


「わかんないけど、なんかとっても寂しそうに見えたから」


 シアはフードの上からアルの頭に花冠を乗せる。そしていい子いい子と背伸びをして頭を撫でた。


(寂しい? 俺が?)


 馬鹿らしいと嘲笑してしまいたかったのに、何故だかその言葉が引っかかる。

 勝手に無遠慮に触ってくるその小さな手を振り払ってしまいたいのに、そうできなかったアルはされるがままただそうしてそこにいた。


 そんな風に交流を重ねながら月日は流れていった。


「フード取らないの? この時期暑くない?」


「……いいんだよ。コレはこのままで」


 満月のせいで魔族のツノは隠せないし、月明かりが眩しい。無駄に浴びたら目の色も変わるので、誤魔化しようがなくなる。

 とはいえ、さすがに真っ黒な羽織りを着込むのは時期的に浮くなとぼんやりとアルは考える。


「ねぇ、魔法見せてよ!」


 シアが興味本意でそう口にする。


「無駄に使う気はない」


 キッパリそう言い切るアルに、


「できないんだ。ダサっ」


 とシアはそう言う。


「お前、日に日に口が悪くなってるだろ」


「アルの方が悪いもーん。ウザい。ところで何読んでるの?」


 ダサいだのウザいだの今まで聞かれなかった単語がシアの口から出てきてアルは少なからずショックを受ける。


「ところで、何見てるの?」


「……ガキの手懐け方」


「育児書って書いてあるけど、アルガキできたの?」


「お前、字読めたのかよ。あとガキはいないし、結婚もしてない」


「もちろん。物覚えいいっていつも褒められるんだから」


 ドヤっと胸を張るシアは小生意気なのだが、その得意げに笑う顔は嫌いではないなとアルは思う。

 誓約魔法を解除するにも、きっとシアは自分が納得できない事には同意しないだろうことはこの交流を通して学んだので、まずはヒトの生態を学んでみる事にした。

 そうして読みはじめた参考書の一文にアルは固まる。


「アル、どうしたの?」


『子どもは大人の事をよく見て真似ます。子どもの良きお手本となるために、まずは我が身を見直してみましょう』


 きょとんと不思議そうに見上げてくる碧眼と目が合い、アルは盛大にため息をつく。


「……もう少し、これからは言動に気をつける事にする」


 シアの言葉遣いが荒れはじめた原因は自分かもしれないと、アルは反省した。


「じゃ、まずはお前っていうのやめてよ」


 ずっとそう言ってると頬を膨らませたシアを見ながら、アルは少し不器用な笑顔を浮かべて、


「……シア」


 と初めて彼女の名を呼んだ。


「アルが、笑った」


 碧眼を丸々大きく見開いたあと、満面の笑顔を浮かべて抱きついてきた。

 小さな小さな熱の塊。アルにとっては犬猫と変わらないくらい儚い命。


「ダサいとかウザいって言ってごめんなさい」


 顔を伏せたままぼそっと謝るシアの髪を撫でる。されるがままの無防備に笑うシアを見ながら思う。

 いつでも捻り潰せるほど脆弱な存在なはずなのに、そうしたくないし、誰にもそうさせたくない。

 たったこれだけの事を喜ぶ彼女に抱く、この感情をヒトは何と呼ぶのだろう? 

 シアといると、知らない名前の感情ばかりが積み重なっていく。

 撫でられる感触が気持ち良かったのか、そのまま小さくあくびをしたシアは眠ってしまった。


「天敵と、好んで関わるなんてどうかしてる」


 そう思うのに、このまま聖女であることにも魔力を持っている事にも気づかずに、彼女がヒトの中で健やかに大きくなればと良いと思っている自分に驚き、苦笑する。


「どうせ、大した時間でもないし。もう少しだけ、このままで」


 おやすみ、そう言ったアルの表情が仏頂面でなくなっていた事に、本人も気づいていなかった。

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