34.その聖女、想いを込める。
冬のギルドはとても静かだ。まるで私が初めてここを訪れた時の様に閑散としている。
そんなギルドの共有スペースの一角を陣取った私は黒色の羽織りを広げて、刺繍を行っていた。
「セリシア様、カフェは放置でよろしいのですか?」
「ん、アルがいれば回るからいい」
サービスです、とシェイナがインスタントコーヒーを出してくれる。
初めてシェイナに出された色のついた水、もといお茶の時と比べて、本当に懐事情も食糧事情も改善されたのだなと実感する。
「風除けをしにいかなくていいのか、と言う意味でお聞きしたのですが」
「んーいいよ。アルはどうせ、誰にも応えないから」
投げやりにそう答えて、私は糸の色を変える。
ふむ、と頷いたシェイナはそのまま椅子に座って自分の分のコーヒーに口をつけ、
「……時に、セリシア様は一体何をされているのです?」
私の手元をじっと見て尋ねる。
「自分の煩悩を滅却しながら、呪ってる」
キッパリそう言い切った私は、慣れた手つきで刺繍を続ける。
黒の羽織りをこっそり準備するはずだったのに、うたた寝してしまったせいでアルにバレてしまったが、あの時はまだ刺繍前だったから目的までは気づかれていないと思いたい。
どうせ、この寒さでは夜の散歩なんて出られないし。
刺繍や小物作りは孤児院時代にチャリティーバザー用に飽きるほどやったし、聖女になってからも図案と魔力入りに内容が変わっただけでいくつも作らされたから割と得意だ。
「それはまた物騒な」
おかしそうに笑ったシェイナは、
「アル様と何かありました?」
と尋ねる。
「そうねぇ、何もないけど」
手を止めて深いため息をついた私は、
「私、このままだとアルが可愛過ぎて押し倒して既成事実作りかねない」
と割とガチなトーンでそう言った。
シェイナは飲んでいたコーヒーが気管支に入ったらしく、ゲホゲホむせてコーヒーをこぼした。
「はっ? ちょ、いつの間にそんな間柄に」
「なってない、なってない。なってないけど、寒くなってからアルの寝起きが弱いのが可愛いくて、ついそんな事を考えちゃうのよねぇ」
誤魔化すように笑ってシェイナにハンカチを渡す。大人しくハンカチを受け取ったシェイナは口元を拭きながら、またゴホゴホとむせた。
「最近のアル、キラキラした笑顔じゃなくなってね」
「……? 見慣れたのでは?」
「いや、ふわって笑うの。作ってない感じの笑い方。それが嬉しいなぁと思うと同時に欲が出てきちゃって」
困ったなぁと私は肩をすくめる。
これは紛れもなく独占欲だ。アルの口から寝言で出た"セイカ"という人が気になって仕方ない。
「アルはいい子で子どもな私でいて欲しいみたいだけど、私はいい子じゃないみたい」
そしてそんな子どもじみた独占欲で、勝手にアルにキスしたことを、私はすごく後悔していた。
アルが誰かを想っているのだとしたら、線を引かれている先に踏み出したら、今ある関係を失うことは確実で、聞くことも言葉にすることも全部が怖かった。
「昔、娼館のお姉様方に言われたの。押してダメなら押し倒せって。案外、有効なのかしらって。ほら、アルって世話好きの上に押しに弱いじゃない?」
まだ押してすらないけど、と笑ってお姉様方の名言を教える。
「なんで娼館!? と気になるところですが、不純異性交遊ダメ、絶対。というか、お姉さん的にはまずは健全に告白するあたりから始めて欲しいです」
アウトーと大きくバッテンを作って私を止めるシェイナに、
「だから、まだやってないってば。というか、誰ともそういうことした事ないから」
だって、ほら私は国で管理された聖女だったじゃない? と苦笑する。
「これからもやったらダメです。アウトです。私セリシア様には"恋せよ! 乙女"くらいでいて欲しい」
「ちなみに娼館は修行時代に勇者様に連れて行かれたわ。私はお姉様方に色々教えてもらいながら待ってた」
13〜15才の時かなぁと懐かしそうに私は話す。
「……色々、とは?」
「下手な男ほど自慢げによく喋るとか、冒険者や為政者の懐事情とか、お金の巻き上げ方とか」
他にも娼館のお姉様方に吹き込まれた数多の名言と知識を披露するが、耐えかねたシェイナが、
「今すぐ、忘れてください! いたいけな子どもに何吹き込んでるんですか!! というか、ノエルは娼館通いなんてしてるんですか!?」
と止め、イラっとしたように私に問う。
「してないよ。勇者様とその御一行の冒険者達は男の人ばっかりで、夜飲み歩くのに未成年を連れていけないからって、娼館に置いて行かれてただけ。子ども一人だと危ないし」
何か地雷を踏んだらしいので、一応ノエルのフォローをするが、
「碌な大人がいやしない。……セリシア様、よく今までご無事でしたね」
よしよしと子どもみたいに私を撫でて、シェイナはノエルめっと舌打ちした。
「全く、ノエルにも困ったものね」
とため息をついたシェイナに気になったことを尋ねる。
「……いつから名前で呼ぶ間柄になったの?」
ノエルがラスティに居着いていたときはまだ勇者様呼びだったはずなのに、と首を傾げる私に、
「……大人の事情、です」
ふふっとシェイナはキレイに笑って人差し指を唇に当てる。
「付き合ってるの?」
そういえばずっと一緒にいたなと思い出し、マジマジと見ながら尋ねるが、シェイナはおかしそうに首を振る。
「いいえ〜ノエルはこんな田舎町に引き留められる人じゃありませんから。それに私は領主の一人娘。いずれはここに留まれる方と家庭を持たねばなりませんので」
ただの憧れですと言い切るシェイナの顔がいつもより少し寂しそうで、私はなんだか胸が苦しくなった。
「後悔、しないの?」
「私、この町が好きなんです。出ていく気はありません。そして、自由に生きているノエルの話を聞くのが好きなのです。たまに、思い出したようにふらっと立ち寄ってくれたとき、会えたら嬉しい、くらいでいいのです」
そんな相手の想い方もあるのかと、シェイナを見て知る。
「シェイナは、大人だね」
「……どうでしょう。臆病なだけ、かもしれません」
ふふっとキレイに弧を描くシェイナの唇を見ながら、やっぱり私が出会った中で一番素敵な大人の女性だと思う。
私は、生きる長さの違いに躊躇って、誰かを想っているかもしれない可能性に怖気づいて、アルの事情なんかこれっぽっちも考慮せず、距離を取られていることに拗ねながら、身勝手な感情を抱えて、ぐるぐる同じところを迷走しているだけなのに。
「ねぇ、シェイナ。人間のたった100年も生きないような短い時間で、一体何ができると思う?」
私はふと、シェイナの意見を聞いてみたくなって言葉を投げかける。
謎かけのようなその問いに、シェイナは少し考えて、
「なんでもできるし、なんにもできないかもしれません」
と静かに答えた。
「ヒトの寿命が長いか短いかは置いておいて、時間というものは生きとし生ける全てのモノに等しく有限です。その限られた時間にどれだけの価値をつけられるのかは、きっとそのヒト次第で、価値があるかどうかを決めることができるのも結局は自分次第、なのかなと」
私はシェイナの答えを聞いて眉根を寄せる。そんな私を見て、クスッと笑みを漏らしたシェイナは優しい口調で言葉を紡ぐ。
「例えば、恋をして、子を成したとしたら、その恋は血筋という形で永遠に遺ると思いません?」
私は自分の指先に視線を落とす。歴代の聖女達は、誰かに恋をして、この力を今日まで残してきたのだろうか?
私は母を思い出す。父親だと名乗ったノートン伯爵からこっそり採取した魔力データと私の魔力データに一致する項目が一つもなく、親子関係が成り立たない事は知っていた。
語る事はなかったが、母も誰かに恋をしたのだろうか?
そして思う。誰かを愛した証がココにあるなら、時間の長さなんて大した事ではないのかもしれないと。
「そうね、その考え方は嫌いじゃないかも」
私は途中までしかできていない刺繍を手で撫でる。
「時間が限られていると分かっているからこそ、きっとヒトは何かを遺そうとするのね」
私は刺繍を再開する。私が今入れているこれは古術式と呼ばれる昔のヒトが遺した魔法陣。
「で、呪いは完成しそうです?」
非常に複雑な構図なので、完成までもう少しかかりそうだ。
「ええ、脆弱だと宣った人間の底力見せてやるわ」
黒い羽織りに古い魔法。足らないパーツはあとひとつ。
きっとアルはアレに私を近づけたくないのだろうけれど、いつまでもアルにだけ肩代わりなんてさせない。
『もう、知らない間に護られるだけなんて絶対嫌』
必ず、返り討ちにしてやるんだと息巻いて、私はひと針ごとに祈りを込めた。
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