32.その聖女、帰宅を待つ。
大賢者も去っていき、平穏な日常を繰り返すうち、冬がやってきた。ここに追放されて4つ目の季節。もっと本格的に寒さが厳しくなれば、雪景色が見れるのだろう。
雪が積もったら、何をしようとアルがいない家で、ぼんやりそんな事に思いを馳せた。
新月の夜は、アルがいない。
静かに家を出ていくのには、アルが子どもの姿だった時から気づいていた。
きっとまた、アレを倒しにいったのだろう。私が察していることが分かったのか、アルは家から出ちゃダメだよ、と念押しをして、おやすみをいいながら私の額にキスをした。
大人の姿に戻ったアルが私にそうやって触れるのは、新月の夜だけだった。一度気づいてしまえばその呪いに効果はなく、案の定目が覚めた私はアルの部屋に人気がないのを確認し、ダイニングルームの明かりをつけた。
「怖いの、怖いの、魔ノ国まで飛んでいけ」
私は食卓テーブルにホットミルクを置いて椅子に座り、ひとり小さくつぶやいた。
「怪我、してないといいけど」
本当はこっそり後をつけて追いかけたかった。
だけど、新月の夜は私にとって一番聖女の力が陰る日で、そんな私が行ったところで足手まといにしかならない。
私にできることなんてないのだろうけれど、せめて灯りをつけてアルの帰りを待っていたかった。
満月の夜に見た黒いモヤの塊を思い出して、背筋が凍る。アレに捕まったら最後、全てを持って行かれてしまう。そんな気がした。
「……何年、アレとやり合ってるんだろう」
子どもの頃アルと最後に会ったあの日がいくつだったのか思い出せないので、正確な年数は分からない。
だけど、アルがアレに付き纏われているのは、全部私のせいなのだ。肩代わりさせてしまった呪詛を祓うのは、新月の夜では難しい。
「また、アレが満月に来る日もあるかしら?」
周期が狂っているとアルは言っていた。なら、次こそ呪詛を引き剥がしたい。
そんな話をしようと思っていたのに、風邪が治ってからもアルの態度はなんだかとてもよそよそしくて、いつも距離を取られてしまう。
「寒い、な」
真っ暗な外を眺めて独り言を漏らす。
寒い日の夜は苦手だ。流行病で亡くなった母の事を思い出すから。
何かしていないと落ち着かなくて私はキッチンに立って野菜とベーコンを刻み、ミルク煮を作り始める。アルが帰ったら食べるかもしれないし、明日の朝ごはんでもいいだろう。
ついでにお茶も入れてティーポットカバーをかける。
私が作ったものに神気が宿るなら、少しはアルの役に立つかもしれない。
アルの帰りを待っている間、こんな事しかできないのがとてももどかしかった。
手持ち無沙汰になった私は作りかけていたフード付きの羽織りを縫い始めた。
遮光性の高い真っ黒な布を手に入れたので、アルの月光対策も兼ねてこっそりコレを作ることにしたのだ。
昔、アルに会ったときも、こんな感じの服を着ていたなと思い出す。ひと針、ひと針、祈りを込めて丁寧に縫う。
『怪我をしませんように』
『痛い思いをしませんように』
『満月の光から守ってくれますように』
『彼が無事でありますように』
どれくらい時間が過ぎただろう? 大分集中していたので、わからないが最後のひと針を縫い終わって糸を切る。
「変じゃない、かな?」
出来上がりを確認し、羽織ってみる。
アル用に作ったので、私が着るとかなり大きいそれは、初めて作ったにしては上出来だ。だけど、コレが構築された呪詛に対して力を発揮するにはまだ足らない。
「早く、帰ってこないかな」
椅子に座った私はそうつぶやいて、あくびを漏らす。流石に眠たいと目を擦ってうとうとし始める。
不覚にもそこから眠りに落ちるまでは一瞬で、私はそのままテーブルに顔を伏せて寝落ちした。
◆◆◆◆◆◆◆
今日は、片付けるまでに随分時間がかかったなとアルはため息を漏らす。
年単位で構築されるこの呪詛はシアの力が強くなるに従って、大きな力を発揮する。
もう、呪詛は完成間近なのだろう。間違ってもシアに付き纏うことがないように、最後の時は確実に仕留めなければ、とアルは心に刻む。
寝ているであろうシアを起こさないように気配を絶ってそっとドアを開けるとダイニングルームから灯りが漏れていた。
不審に思ってそこを覗けば、真っ黒な羽織りをすっぽり被ったシアがテーブルに伏せて寝息を立てていた。
視線をずらせば鍋に入っているミルク煮とティーポットカバーのかけられた飲み物が目につく。
「待ってた、のか」
今日はひと月の中で一番力が弱いはずなのに、途中で目が覚めたということはもう呪いは効かないらしい。
それでも言う事を聞いて大人しく家で待っていたあたり、本当にシアは素直でいい子だなと思う。
アルはティーポットからお茶を注いで一口飲む。カバーのおかげでまだ温かいそれにはシアの神気がいつもより多く宿っていた。
自分が何をして来たのかもう分かっているだろうシアは、どんな祈りを込めてコレを用意して待っていたのだろう。
こんな夜更けに自分のためにわざわざ用意してくれたのかと思うと、その気遣いが嬉しくて、先の掃討でささくれだった気持ちが溶けていく。
「ありがとう、シア」
起こさないように小さく囁いた声が夢の中に落ちているシアに届くわけないのだが、タイミングよく幸せそうに笑った。
「ふふっ、どんな夢を見ているんだか」
シアのその顔が子どもの頃の寝顔と同じで、アルはつられたようにふわりと優しく笑う。
アルはシアをベッドに運ぶためそっと抱えた。
シアは随分小柄な方だし、寝顔を見ていると幼く感じるが、近くで彼女の高い魔力を感じ、本当にもう大人になってしまったんだなと実感する。
「それにしても、なんでこんなぶかぶかな羽織りなんか着てるんだか」
まぁ寝るにはいいのか? と思いながらシアをそっとベッドに下ろそうとしたところで
「……アル?」
と寝ぼけた声で名前を呼ばれた。
「起こしちゃったね」
まだ寝てていいよと静かにそういうと、シアは腕を首に回してきて子どものように抱きついてきた。
どうやら本当に寝ぼけているらしいと察したアルは苦笑しながら寝かしつけるようにトントンと背中を叩く。
「寒い」
「早くベッドに入りなよ」
「ん〜……一緒、寝る」
子どものようにそう言って、イヤイヤと首を振る。
「寝るの」
と寝ぼけながらそう言って離してくれそうにない。仕方ないなと寝付くまで添い寝することに決めたアルは一緒にベッドに入ると、シアは寝ぼけたまま身体を寄せてくる。
アルがトントンと背を叩くと、シアは幸せそうに笑った。
「あったかい」
「シアの体温の方が高いと思うけど」
「アル、おかえり」
「ん、ただいま」
「アル、おやすみ」
「ハイハイ、おやすみなさい」
落ち着いたのか、そのまますぐシアは眠りに落ちる。
「ふふ、こうして見たらやっぱりまだまだ子どもだな」
シアの規則正しい寝息を聞いて、アルはとても穏やかに笑う。
そっと顔にかかった髪を払ってやって、その寝顔を見つめながら、今度はちゃんとシアと話をして、さよならをしようと決める。
シアが大事だから、彼女が危ない目に遭う事がない様に。
「……アル」
「うん?」
名前を呼ばれたが、その先はなかったので寝言らしい。シアの夢に出るほど、近い存在なら悪くないなと思ったところで、
「……大好き」
にへらっと子どものような笑顔を浮かべて無防備にシアはそう言った。
やはりその先はなく起きた様子もない。
そのあとは寝言もなく、ただ規則正しく寝息が聞こえるだけ。
「本当にどんな夢を見ているんだか」
呆れたような、困ったような感情を紅茶色の瞳に浮かべて、アルはシアの髪を撫でる。
起きる気配のない無防備な彼女はされるがままで、何も知らない純真無垢な存在に見える。
「……はぁ、何、この可愛い生き物は」
抱きしめるわけにはいかないので、アルはそのままシアを鑑賞しながら、ラウルの言葉を思い出す。
『大事に、護って、育てて、そして最期は自らの手で手折るのか?』
そんな事はしない。
だけど、とは思う。
「俺、こんな無防備な生き物を本当に他の野郎にやれるのか?」
吐き出された自問の解を得ることはなく、長い魔族の生で子など持ったことはないが、娘を嫁に出す父親とはこんな心境なのだろうかとそんなことを想像して苦笑した。
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