26.その聖女、特権を行使する。
家に帰って改めて見たアルの怪我は、酷い有様だった。
細くて長い指も掌も火傷だらけで、腕全体が裂傷で赤黒くなっている。
「痛いよね。大賢者の魔法陣を力押しで強引にドアごと壊すとか、無茶しすぎよ」
手順を踏まずに魔法陣を壊せば、そこに込められた魔力が全て壊した者に跳ね返る。
大賢者レベルのモノを壊したなら、普通は即死だ。両腕だけで済んでいるのだからすごいことなのかもしれないが、通常の怪我とは異なるのか回復魔法の効きがかなり悪い。
「王都から来た人間に拘束されたって聞いて、考えるより先に動いてた」
流石に痛いなと苦笑したアルは、
「シアが連れて行かれるかと思った」
とぽすっと私の肩に頭を乗せて、額を擦り付けてくる。さらりとした黒髪が普段触れる事のない首筋にあったってこそばゆく、まるで甘えられているかのような仕草に熱が上がりそうになる。
(落ち着け、私。アルは純粋に心配してくれただけなんだからっ。集中しないと)
心配症ねと軽口を叩きながら、私は回復魔法を重ねがけする。
「昨今の若者は勤勉だなぁ。魔法にガッツリ魔族対策組み込んでる。まだ指先がビリビリするや」
「対魔? ラウル様がなんでそんなものを……。だから回復魔法効かないの?」
焦る私とは裏腹に驚いたーとこちらの気が抜けてしまいそうな声でアルがそう言って、顔を上げる。
すぐ近くで紅茶色の瞳と目が合う。
「もう、血も止まったし、あとは自力で治すから大丈夫だよ。ありがとう」
ふわっと優しく笑ったその顔は、いつものキラキラ眩しい笑顔とは違って、アルの本物の笑顔なのだと分かって、私の心音は早くなる。
「……治るの?」
「魔族は丈夫なんだ。ちょっと時間かかりそうだから、それまでシアの頭撫でられないのが残念だけど」
アルはヒラヒラと手を振って大丈夫大丈夫とそう言った。
「アルが怪我したら治してあげるって言ったのに、私全然役に立たない」
人間相手ならすぐ治してあげられるのにと落ち込む私に、
「まぁ、心配ならまた神気分けてよ」
そしたら怪我の治り早まるからとアルにそう言われ、私は満月の夜の出来事を思い出す。
引き留めたくて言われるがままアルに口付けてしまったけれど、アレ以降特にそのことに触れられる事もアルの態度が変わることもなかった。
確かに人工呼吸と一緒だと言ったのは私だけど、アルにとってアレはただ本当に神気を得るための手段で、他意はないのだろう。
「……いいよ、分けてあげる」
(私だけが意識しているんだって、分かってる)
それでも怪我を治すことを口実に、聖女だけが持っている特権を使って、アルに触れたいなんて、私はどうしようもなく欲深い。
満月の夜は引き留めたくて必死だったから、あまり考えて無かったけれど、改めてアルにキスするのは緊張するなとドキドキしながら顔を寄せる。
が、私が触れるより早くアルの指先が私の唇に触れ、私を止めた。
「俺の聖女は一体何をしようとしているんだろうか」
私はアルの手を取って、首を傾げる。
「何って、アルが神気分けてって言うから」
「俺は、お茶でも淹れてくださいって言う意味で言ったの。こういうことを気軽にしちゃいけません」
やや呆れたような声音でアルが諭すようにそう言った。
どうやら私の勘違いだったらしいと悟り、急に恥ずかしくなり、視線を落とす。そして落とした先で、痛々しい指先が目につき私はその手をそっと撫でた。
声を漏らすことはなかったが、やはり痛いのだろう。撫でた手の指先がピクッと反応し、私は邪な感情を抱いたことを酷く反省した。
「……一体、何杯お茶を飲めばコレが治るっていうの? 第一、その手じゃコップを持つのも大変でしょ」
私なら確実に治せる手段があって、効果も実証済みだ。私の個人的な願望はとりあえず横に置いて、どうしてもアルの怪我を今すぐ治してあげたいと、素直にそう思った。
「……すぐは無理だけど、数日もすれば治るから。手も動くし、コップくらい持てる」
「1回も2回も大して変わらないんだから、大人しく我慢しときなさいよ」
強情なアルに私はやや苛立って、そう捲し立てる。
「そこまで緊急性高くないから」
「緊急性高いに決まってるでしょ!? こんな手じゃ私の夕飯作ってもらえないじゃない。今日はアルの当番でしょ?」
「シア普通に自炊できるよね!? そこはシアが作ってくれたらいいんじゃないかな」
「嫌よ。私は今日アルのハンバーグ食べる気満々なんだから。人工呼吸と一緒だって言ったでしょ? それが嫌なら犬にでも噛まれたと思って諦めなさいよ」
「ハンバーグって、そんなもののために安売りしないの。大体人工呼吸ってシアした事あるの?」
アルにとってこそたいした事ではないだろうにここまで拒否されると流石に凹む。
「した事もされた事もあるわよ。大体みんな川で溺れながら泳ぎを身につけるものでしょ!? 孤児院の子達を助けた回数なんて両手の指じゃ足らないわ」
ここまで来たら引いてやるものかと意地もあって、私は自分の経歴を晒す。
「大体、アルは気にしすぎよ。川で溺れてたらシェイナでもリトでも私は助ける。なんなら勇者だろうが大賢者だろうが必要なら助けるわね」
まぁ、その場合は回復魔法かけますけどねとは言わずに、今更こんな事くらいで動じないと言い切った。
「……つまり、シアは人助けなら誰とでもすると」
「ええ、そうよ」
嘘も方便とばかりに全力で頷いた私は、
「だから、アルの怪我も治させてよ」
そう言って懇願した。
長い沈黙のあと、息を吐き出すついでのように、
「もう、勝手にして」
とアルは諦めたような声でそう言って折れた。
「えっと、じゃあ失礼して」
そう言ってアルに声をかけたけれど、紅茶色の瞳はマジマジと私を見つめる。
「目、閉じてくれない?」
強引に了承を取ったとはいえ、流石にガン見されると気まずさが募る私はアルにそう頼む。
「慣れてるんじゃなかったの?」
「普段するのは意識のない相手なので」
人工呼吸ってそういうものでしょ? と私が言うと、おかしそうに肩を震わせて笑った後、アルは素直に目を閉じた。
(改めて見ても、整った顔立ち。まつ毛長いな)
アルに見るなと目を閉じさせたのに、私はマジマジとその顔を見つめる。
素直に待っているアルが可愛くて、ああやっぱりこのヒトが好きだなとそんな思いが募って最低な自分に胸が痛んだ。
私は目を閉じて呼吸を整える。
(コレはあくまでヒト助け。邪な考え、ダメ絶対)
目を開けた私は、アルの頬に手を触れてゆっくりと近づく。
(どうか、アルの怪我が全部治りますように)
私はそう祈って、アルに口付けた。
ほんの数秒触れて、唇を離した瞬間、
「足りない」
と、声が聞こえそのままアルから口付けられた。驚いたのは一瞬で、まるで自分が食べられているかのような、アルからのキスがあまりに気持ちが良くて、私はされるがまま何度もそれに応じていた。
息が苦しくなって、頭がぼんやりしてきた頃名残惜しそうに離された瞬間、私はぐったりと倒れ、アルに受け止められる。
「神気抜きすぎちゃったかな」
(……ああ、足らないって、神気がか。……満月じゃ、ないから?)
確かに少し身体がダルい気がして、それを言い訳に私はアルに身を寄せる。
(キス、したらないのかと思ったなんて絶対言えない。そんな事、あるわけないのに)
こんな時に邪な事を考えてしまう私はやっぱり聖職者に向いていない。
何も言わないアルはそのまま私の事を抱きしめて優しい手つきで何度も髪を撫でる。
その感覚とアルの体温があまりに心地よくて、そのまま眠ってしまった私が、アルの怪我が治った事を確認できたのも、アルお手製のハンバーグにありつけたのも翌日の事だった。
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