17.その聖女、護られる。
草木も眠る、深夜過ぎ。アルは家の外、森の入り口周辺で立ち止まって空を仰ぐ。
今夜は新月で、光源が乏しく闇が深い。こんな日は、魔が満ちる。
(シアはさっきかけた呪いの効果で多分朝まで起きないから、物音は気にしなくていいかな)
アルは自分の指先に視線を落とす。シアの神気を摂取した後だからだろう。いつもよりも感覚がずっと鋭い。
アルは手に黒い槍を表出させた。そのタイミングを見計らったかのように、地面から黒いモヤのようなものが湧く。
「今日はまた、随分と多い。俺の魔力が戻ったせいか、シアの聖女の気が満ちているせいか、いずれにしても居場所が割れるのは時間の問題、か」
黒いモヤは何の形も作れず、ただ大きな塊となって蠢く。
『シね、……イね、………がっ』
アルの形の良い眉が顰められ、紅茶色の目が赤く光り見開かれる。
「ついに言葉まで喋るようになったか」
アルはその黒いモヤの塊に槍を使ってフルスイングを決める。
一つ目のモヤが消失すると同時に、地面から数えきれないほどの黒いモヤの塊が現れた。
それら一つ一つに赤く光る眼のようなものがあり、一斉にアルを狙い向かっていく。
『シネ!……がっ…………赦す、な』
『裏切リ……ガ』
『……セ、コロせ……』
「ガヤガヤうるさい。万が一俺の聖女が起きたらどうしてくれる」
アルは嫌そうにそう言って舌打ちすると、躊躇いなく黒い塊を踏みつけ、槍で薙ぎ払い、圧倒的強さでそれらを倒していった。
「亡霊に構ってやる暇はない。さっさと闇に還れ」
10分ほど戦った後、最後のひとつに留めを刺したアルは辺りを見渡す。
アルを中心に赤黒い液体が飛び散り、液のかかった草木が枯れその周辺だけが更地になっていた。
「さて、明日はなんて誤魔化すか」
ため息をついたアルはとりあえず赤黒い液体だけでも片付けるかと、地面に手をついて詠唱する。アルが呪文を唱え終わるとそれらは一瞬で離散して無くなった。
「それで、覗き見なんていい趣味とは言えないけれど、勇者様がこんな夜更けに俺に何かご用かな? ウチのカフェ、深夜営業してないんだけど」
アルは怪しく紅く光る眼のままで、気配のする方に視線をやって問いかける。
元々隠れる気はなかったのだろう。険しい表情を浮かべた勇者、ノエルが姿を現した。
「それで用件は?」
早く帰りたいんだけど、とノエルのことなど興味ないと言わんばかりの態度で、アルは問う。
「同族殺しの先代魔王アルバート・ベルク、という名に聞き覚えは?」
そんなアルの態度など一切気にする様子を見せず、ノエルは淡々と静かにアルを見据えて尋ねた。
「そんなまどろっこしい聞き方せずに、本人ですか? って聞けばいいのに。人間って奴はどうして寿命が短いくせに遠回りしたがるのか」
恍惚と紅く光る目を瞬かせたアルは、おかしそうにそう言って肩をすくめた。
「ああ、でもシアには内緒ね? 俺の聖女は俺の正体を知らないし、今のところ教えるつもりもないから」
しーっと人差し指を唇に当てて小首を傾げてそういった。細められた目は笑ってなどおらず、お願いというよりも脅しに近い。
否定されなかったその正体に息を飲んだノエルは、剣を構える。
「"俺の聖女"だと? セリシアをどうする気だ?」
「勇者とやり合う気は、とりあえず今はないから、それしまってくれる?」
アルはそれを見ながら呆れたように眉を顰め、両手を上げて敵意が無いことを示すと、シアから人を襲うなと強く言われているんだとため息をつく。
「俺は、俺の聖女を傷つけないし、俺の聖女の命令に逆らえない。そう先代の聖女と約束している」
「……先代聖女って、何十年前の話だよ!?」
「さぁ? 人間の時間軸で生きてないから詳細は分かんないけど。100年かそこらじゃない? 多分」
アルは昔を懐かしむように目を細め、少し寂しげに笑う。目を閉じて、次に開いた時には元の紅茶色の瞳に戻っていた。
「さっきの質問の答えだけど、別にどうもしないよ。強いて言えば、シアがスローライフ? って言うのを送りたいらしいからそれをサポートするくらいで。君が心配するような事は起きない。だから、見逃してくれないか?」
「そんな事、信じられるわけがないっ」
魔族の手によって沢山の人間が殺された。それは何百年も昔の御伽話の世界なんかの出来事ではなくて、ほんの数年前起きた現実で。その被害者の中には、ノエルの親しい友も居た。
「お前たち魔族は、いつだって人間から奪ってきたくせに」
自分、というよりも魔族全体的に向けられているかのような憎悪を感じながらアルはそうだよね、と小さく呟いた。
「じゃあ尋ねるが、人間は何者からも、何も奪わないのか?」
アルから射抜かれるように向けられた視線には怒りが感じられ、ノエルはたじろぐ。
「シアをボロボロになるまで傷つけて、聖女の能力を酷使させて、シアから聖女の力を略奪し続けたのはお前達人間だろう」
ノエルはそう言われて言葉を飲む。魔王討伐後のシアは逃げ出したくなるほど聖女として酷使され、精神が擦り切れるほど心に傷を負った。
魔王討伐後も首都になど留まらせず、連れ出していれば、それが敵わなくてもせめてもう少し気にかけてやれていたら、馬車馬のように働かされたシアが濡れ衣を着せられ、追放されるようなこともなかっただろう。
「だけど、俺は個人的にはシアにはヒトの世界で幸せに生きて欲しいと思っている」
ふっと、アルから怒気が消え、そして寂しそうな目をしてそう言った。
「彼女が笑って暮らせるようになったら、ちゃんと手を離して離れるから、俺が居なくなった後は君がシアを守ってやって」
押し黙ったノエルに、願うように言葉を紡いだアルは、静かに微笑む。
「……何故、それを俺に言う?」
「君はシアを心配しているようだし、シアは君に懐いているように見えたから」
アルは自身の手に視線を落とす。真っ黒に染まった爪は明らかに人のそれとは異なる。
『取引しましょう。次に生まれる、希望をあげるわ』
それは先代聖女との約束だった。彼女はとても変わり者で、笑った顔がシアに似ていた。
『だから、そんな顔をしないで、生きてみなさいよ。あなたの聖女に会えるまで』
シアを見ているとどうしても彼女を思い出す。彼女とシアは違うと分かっているのに。
「きっと、人は人と暮らす方がいい」
時間軸の違う種族が一緒にいるには相当の覚悟がいる。それをアルは知っている。
「聖女は、その力を持っているが故に人間にも魔族にも狙われるから。だから、勇者様が守ってやって」
その役目はきっと、人間では無い自分には担えない。
「シアの大切なものと争いたくないんだ。だからそれまで、見逃して」
懇願するようにそうつぶやくその姿に、以前討伐した魔王のような禍々しさは感じられなかった。
「信じたわけじゃないから」
アルの言い分を完全に信じたわけではない。それでもここひと月この2人や町の様子を見て、今すぐ排除しなければならない存在には見えなかったから。
「何かあれば、すぐにその首落としてやる」
「まぁ、そう簡単にはこの首やれんのだけど、チャレンジする分は止めないよ。正当防衛ならシアも許してくれるだろうし」
剣を納めてそう言ったノエルに、それで充分だよとアルは礼を言った。
「変な魔王だな」
「まぁ、今は玉座を追われた身だから魔王じゃないけど。君はまだ魔族を語れるほど俺たちの事を知らないだろ?」
だから調べに行くんだろ? とアルは笑う。
「ああ、そうだ。冷凍庫付き冷蔵庫早めによろしく。アイスクリーム作りたいし」
「…………何気にアンタが一番スローライフ楽しんでないか?」
「いやぁ、責任のない立場って気楽でいいよね」
そんな気の抜けた返事をする元魔王にため息をついて、了承を告げたノエルは背を向けて歩き出した。
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