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14.その聖女、選択する。

 食べ終わった食器を洗いながら、私はこれからについて考える。

 非常に不本意ではあるが、アルが言った通りお腹が満たされたからか、勢いに任せて今すぐ追い出してやるといった気持ちはすっかり大人しくなってしまっている。


「……爪、黒いのね」


 私から食器を受け取り拭きあげるアルの指に視線を落として私はそうつぶやく。

 昨日までとは違ったアルの指先。爪全体が黒く、するどく伸びている。その指自体も細く長く子どものものではないそれになっていて、なんだか落ち着かない。


「まぁ元に戻ったからね。どうしても色は染まる。けど、爪はヤスリで落とそうかな」


「それは魔族的にいいの?」


 わざわざ伸ばしているって言う事は、その鋭い爪は動物のそれと同じで、魔族にとっては武器なのでは? と私は勝手に思っていたのだけれど。


「長いといろんなところ引っ掛けて、不便だし。それにシアや他の人のこと傷つけちゃうかもしれないし」


 アルはなんてことのないように当たり前にそういった。


 食器の片付けが終わるとアルは本当にあっという間に爪を落としてしまった。


「もう色はどうしようもないから、手袋でもはめておこうかなぁ。そうそう、魔力戻ったから、実はツノもしまえたりするんだよ」


 ちょっとうれしそうに、ツノを消して見せた。


「これは魔族みんなできることなの?」


「……みんな、ではないかな」


 つまりアルが特殊と言うことなのか、それとも魔力の差によるものなのか。

 言い淀んだその間でアルが何を思ったのか、なんとなく聞いてはいけない気がして、私は問い詰めることができなかった。


「アルに言ってなかったことがあるの」


 静かに椅子に腰掛けて、私は口を開く。

 聞けなかったことの代わりに、これからについて確認する。


「もう、気づいていると思うけど、私は聖女だったの。そして、魔王討伐にももちろん関わっている。つまりあなたの国を荒らした人間なのだけど、あなたはそれでもここにいたいの?」


 立ったままのアルは私のことを見下ろして、静かに慎重に言葉を紡ぐ。


「ここにいたい、って言ったらシアはおいてくれる?」


 紅茶色の瞳はなぜだかとても弱っていて、大人の男の人なのに、今にも泣き出しそうで。そんな顔は、やっぱり子供のアルと同じで。突き放してしまいたいのに、なかったことにするには、この半年は重すぎた。


「事情を話してくれる気は、ないんでしょ」


 私はため息まじりに、そういった。


「全部は、今はまだ話せない」


 アルは申し訳なさそうにそう告げる。まだ、と言う事はいつかは話せる日が来るのだろうか?

 考え込む私に、アルは言葉を紡ぐ。


「あの魔王はシア達が討伐に来なかったとしても、いずれアレは排された。そうしなくちゃいけなかった。その役目を、シア達に背負わせてしまった事は申し訳ないと思っている。だから、魔王討伐については、気に病まないでほしい」


「あなたは、まるで自分がそうしなければならなかった立場のように事を語るのね」


 私の言葉に対して、アルはただ静かに微笑んで、


「……シア、言えないことが多くてごめん」


 と、だけ謝った。


 アルも"どこか"の"何か"から、逃げてきたのかもしれない、と唐突に思った。初めて会ったときの、あの傷は明らかに誰かに害されたものだった。

 きっと狙われたのはあの時だけではないだろう。アルの体には痛々しい無数の古傷があった。その傷跡を思い出して、私は言葉を紡げなくなる。


「言えない事が多いけど、これだけは言える。俺は、"俺の聖女"を絶対に傷つけない」


 紅茶色の瞳は、まっすぐに私を見つめて揺らがずに、そういった。

 アルの言葉を聞いて私は急速に気持ちが冷めていく。

 結局、必要なのは私自身セリシアじゃなくて、聖女なのかとなんだか泣きたい気持ちになった。

 アルだけは、聖女なんて関係なく私と居てくれたのではないかと、勝手に期待をして、それが勘違いだったって気づいただけなのに。

 "私"(セリシア)なんてただの孤児で、"聖女様"でなければ誰も見向きもしない存在なんて、知っていたのに馬鹿みたい。


「事情は話せないけど、ここに置いてくれるなら、俺のこと好きにしていいよ?」


 そう言ってアルは対価に自分自身を差し出す。


『この土地は大体訳ありさんばかりが流れてくるんですよ〜』


 そう言ったシェイナの言葉を思い出す。

 逃げ出した聖女に、追われている魔族。ホント、その通りだわ。


「……そう。でも、アルの目的が呪いを解く事で、そのために聖女の力が必要だったなら、勇者に居所がばれて追われるかもしれないリスクを背負ってまで、ここにいるメリットなんて正直ないんじゃないの?」


 目的ならもう果たしたでしょ? それとも、あなたも私から能力を搾取するの? そんな非難めいた言葉が口をついて出そうになり、アルから目を逸らした私は爪が食い込むほど拳を握りしめる。


「シア、説得力がないかもしれないんだけど」


 アルは私の前に跪いて、握りしめていた私の両手を開かせ、アルの手を重ねた。触れた手の温かさに、私は顔を上げる。


「シアが聖女だって事は、本当は最初から知ってたよ。でも、俺は別に呪いを解きたくて、シアのそばにいたんじゃないよ。それだけは、できたら信じてくれたらうれしいな」


 言葉を選びながら、とても困ったような、見ているこちらが泣き出したくなるような、そんな顔でアルは静かに、そういった。


『良い事をしていたらね、きっと誰かが見てくれているから、ね?』


 不意に母の言葉を思い出し、私はアルと過ごした半年を思う。


(アルは、全部見ていてくれた。私が瘴気を払っていた事も、薬草を育てて傷薬をこっそり渡していた事も、全部)


 私は、結局どこまでいっても"聖女"である自分から逃げられない。

 だけど、ここで過ごした日々のおかげで随分自分を取り戻せたのも、やさぐれていた私を支えて安息をくれたのも、間違いなくアルだから。


「信じるわ」


 騙されるなら、アルがいい。


「もう何も聞かないから、好きなだけいればいいわ」


 私は手を離してアルの黒髪をそっと撫でる。アルは少し驚いた顔をしたけれど、されるがままで私に身を任せていた。


「今度は私がアルを守ってあげる。私、これでも結構強いのよ?」


 紅茶色の瞳から今度は目を逸らす事なく私はそう笑った。


「だから、まぁここにいる間は、馬車馬のように働いてよ」


 アルが聖女としての私を必要とするのなら、私はそれに応えよう。それが"これでいいの"と思える私の選択だった。

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