父の日
通園バッグから連絡帳を取り出すと、印刷物がヒラリ。『父と子のふれあい』イベントのお便りだ。
ざっと目を通すと、父か祖父か、とにかく男の家族が行くことになっている。親子競技は子どもを持ち上げて走ったりがあるから、腰を痛めたお祖父ちゃんには無理だろう。うちには――不本意ながら――他に男手がない。保育園も罪作りなことをする……。
「周くん。今度の保育参観、お姉ちゃんがお兄ちゃんになって行こうか?」
「やだ」
「一緒に行かない?」
「行かない」
年中さんともなると、頑固になる。いくら水を向けても「否」の一点張りで泣きじゃくる。
「お姉ちゃん、嫌い! お父さんがよかった! 周だけお父さんいない! どうして!」
私もこみ上げてくる。知らず、周を抱きしめてしまう。
「ごめんね、ごめんね……」
私には、それしか言えなかった。
子ども達を寝かしつけた後、独り、書斎でコニャックの水割りを飲むが、酔えない。涙だけが、後から後から流れる。
気がつくと夜中の二時過ぎ。いつの間にか眠っていたようだ。背中にタオルケットが掛けられている。
不意にこみ上げてきた感覚に慌ててトイレに駆け込み、それを吐き出した。吐く物が無くなっても、胃袋は吐こうとする。常温のミネラルウォーターを飲んでは吐くことを繰り返してようやく治まる。
翌朝も、周は口をきいてくれない。
ため息を一つ、携帯をバッグから出して書斎に行った。
コールすること三十秒、なかなか出ない。昨日は花金だったのだろうか? 諦めようというとき、コール音が止まった。
「あい、小畑です」
「あ、篤志、おじさん? 私。朝早くごめん」
「なんだ、あに……きらちゃんか。珍しいな。なんか用か?」
「一つ、頼みがあるんだけど。来週の土曜、空いてる?」
「空いてるけど、なんだ?」
「えっと、周の父親参観というか、父の日イベントに出て欲しいんだ。『私』の代わりに」
私は事情を話した。
「出るのは構わんが……、俺が出てもいいのか?」
篤志はそれで話が余計に拗れないかが心配なようだ。
「せめて、参加だけでもさせてあげたいし……。
でも、当日になって『やっぱりイヤ』もあり得るから、そういうつもりでいて欲しい」
「まぁ、いいよ。……でも、高いぞ」
「私でできる範囲でならお返しするよ」
「そうだな、後輩が紹介してくれって言ってたんだけど、一日どうだ?」
「十八禁なことさえ無いなら、構わないよ」
「冗談だよ。終わったら昼飯でもおごってくれればそれでいい」
「うん。わかった。
ありがとう」
「気にするな」
土曜日、なだめすかして何とか『父と子のふれあい』イベントに。運動公園に隣接した緑地だ。ここと河川敷の堤防を使ってオリエンテーリングをするのだ。
今回、周には『姉』である私と叔父がつく変則チーム。
初めはみんなで準備体操をし、カードを受け取る。このカードにチェックポイント毎にシールを貼っていくのだ。それとは別に、カードの裏には『鳥』『クモの巣』『カエル』『オタマジャクシ』といったイラストがある。途中で見つけられたらこれらにもチェックしてゆくのだ。
園児の五分の一ずつが時間差をつけて出発する。周は最初の出発だ。早速、用水の中にオタマジャクシを発見したので、シールを貼る。他の園児達からも「みつけた!」とかの声が上がっている。
偶然にも田んぼと畦の境に立った竿で、トンボが羽化するところを発見した。早速トンボのイラストにもシールを貼るのだが、周はしゃがみ込んで動かない。トンボがしっぽを引き抜くところをじっと見ている。
これは座り込んで、気が済むまで動かないパターンだ。
「ごめん、おじさん。気が済むまで見せてやって」
「時間、大丈夫か?」
「まだ、出発していないグループがあるから大丈夫だと思う」
「そうか。滅多に見られるもんじゃないしな」
羽自体は十分ほどである程度伸びたが、しっぽはまだ太いまま。多分羽がそこそこ乾いたらしっぽを伸ばし、残った体液を捨てるのだろうけど、それって半日ぐらい先なんじゃないだろうか?
篤志も退屈してきたのだろうか、小声で私に羽が伸びる原理を説明する。
「それぐらい知ってるよ。あと、微妙にセクハラ」
「お、ちょっと女子になってきたな?」
周も退屈してきたようだ。こちらを見て「飛ばないね」と言う。うん。この様子だとあと何時間かはこのままなんだろうな。
「いつ飛ぶの?」
「しっぽが伸びて身体が乾いたらだよ」
「そう。ちっぽがピンとなって、先っちょから汁が出たらだよ」
「変な表現しない! 周が真似するでしょ!」
「はっはっは、すまん」
「どれぐらいでピンとなるの?」
「よく知らないけど、昼前にはなるんじゃないかなぁ。きっと、ゴールする頃までかかると思うよ」
「じゃぁ、早くゴールしてもう一回見にこよ?」
「うん。そうしよっか」
周囲りを見ると、最終スタート組もかなり進んでいる。トップスタートなのに最下位グループだ。私達は慌てて追いかけることにした。
途中のチェックポイントでのゲームはすんなりとこなし、堤防でボール紙を尻に敷いての草滑りは二回余分にする。最後のポイントで記念撮影をしてゴール。所要時間は堂々の最下位だろう。
でも、こうやって外で遊ぶのも久しぶりだな。
園長先生の挨拶も終わり、お土産のパンを受け取ると、周は羽化の続きを見に走って行く。しかし、そこにはヤゴの抜け殻だけが残されていた。トンボは飛び去ったらしい。
「飛んでっちゃったねぇ」
「見たかった……」
「また、見られるといいね」
「何、食べる?」
私が訊くと、篤志は周の前にしゃがんだ。
「周クンは、何を食べたいかな?」
「モスバーガー!」
「よし、じゃぁ、おっちゃんとそこに行こう!」
どうやら、先日のオニオンリングが気に入ったようだ。
「篤志叔父さん。ごめんね」
「なに、いいって。
でも、男の子ってのもいいな。うちは娘だし」
「でも、毎日だと、なかなか大変だよ」
「そうだろな。たまにだからいいんだよ」
その後、カラスノエンドウのサヤで笛を作ったり、ススキの葉で笹舟を作ったりして時間を過ごす。確かに娘が相手じゃ、こういう遊びはなかなかできない。
食事を終え家路につくと、周は車の中で眠ってしまった。
家に着くと、篤志が抱き上げて、車からリビングのソファーへ。
「ありがとう。篤志叔父様」
「なに、案外楽しかったよ。
でも、この埋め合わせは別の機会ということで」
ニヤリと男臭い笑みを浮かべる。やっぱり此奴はちゃっかりだ。




