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甘い香りは終わりの始まり(旧題:芳香罪)  作者: 奏多悠香


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 乾杯も終わったところで皆がブッフェの食事を取りに行き、私は席に残ってひとりレストランを見渡した。新井さんと来た時は奥の個室だったけど、今日は手前の広いフロアだ。貸切りのパーティー仕様でちゃんと高砂も設置され、お花やキャンドルで華やかに装飾されている。

 この装飾を彼も手伝ったのだろうか、なんてことを考えていたら、すぐ脇から声を掛けられた。


「お客様、お食事をお持ちしました」


 顔を上げると、蝶ネクタイをした彼が微笑んでいた。


「……カズくん」

「ブッフェの人ごみで肩をぶつけでもしたら大変だから、テキトーに麻衣の好きそうなもの見繕って持ってきた」

「わ、ありがとう。少し空いてから取りに行こうと思ってたの」


 彼が「テキトーに」と言った割に、ものすごく丁寧に盛り付けられている。


「カズくんに会えるかなってちょっと期待してたけど、本当に会えた。嬉しい」


 そう言うと、彼は微笑んだ。


「バックヤードが慌ただしいからすぐ仕事に戻るけど、とりあえず食事だけ届けとこうと思って。鎖骨大丈夫か。痛んだりしてない? ヒールで転ばないように気をつけてな」

「うん。大丈夫だよ。ありがとう」


 左手でストールをたくし上げて鎖骨を覆いながら、彼から漂うオレンジに鼻をひくつかせる。


「帰りはどうすんの?」

「父が迎えに来てくれる予定だよ」

「そうか。俺が送って行けたらいいけど、たぶんこの後の片付けに時間かかるから……ごめんな」

「ううん。全然。久しぶりに顔見れて良かった」


 じゃあな、と手を振って彼はまた仕事に戻って行く。

 オーナーという立場ながら、時間が許す限りはこうしてレストランに出てスタッフの人たちと一緒に働いている。そういう真面目でまっすぐなところを好ましいと思っているから、会えなくてもそれほど辛くはない。


「あれ、麻衣、もう戻ってたの? 早かったね」


 食事を取りに行っていた同期が戻ってきて、私の前に並んだお皿を見て驚いた顔をする。


「あ、ううん。スタッフの人が持ってきてくれたの。実は一月の頭に鎖骨を骨折して、人ごみがちょっと危ないから。気を使ってくれたみたい」


 嘘は言っていない。

 同期は着席しながら痛ましい表情を見せた。


「そうそう、事故に遭ったって聞いたんだった。びっくりしたよ。今はどうなってるの?」

「金具みたいなので骨を固定して、くっつくのを待ってる感じ」

「金具って一生入れっぱなしなの?」

「ううん。半年くらいしたら取る予定」

「えっどうやって取るの?」

「もう一回ここを切って……」

「ぎゃあ、ゾクゾクする」


 同期は大げさに肩を竦め、ブルブルと震えた。


「あ、傷口、見る? 縫うんじゃなくてホッチキスみたいなので止めたからね、プツプツ穴が……」

「やだ、やめてやめて」


 それから続々と戻ってきた同期たちと笑い合ったり、幸せな新婦さんと記念撮影をしたり、全員参加のゲームを楽しんだり。お酒もすっかり回って皆がいい感じに出来上がってきたところで、二次会の定番の話題になった。


「次は誰が結婚するかな?」

「涼子が早いのが意外だったよね。バリッバリのキャリア路線で三十超えてから結婚しそうなタイプだったのに」

「たしかに」


 ここまで来ると、もうノリは完全にただの同期会だ。


「麻衣は? 予定ないの?」


 急に話を振られ、答えに窮した。


「あー……まぁ、その……」

「なに、その歯切れの悪さ」

「麻衣はモテるからなぁ」


 彼女たちは私の恋愛遍歴を知っているだけに、やりづらい。


「あのー誰だっけ? 新井さん? あの人とは?」

「あ、新井さんとはもう……」

「去年の夏くらいに別れたって話聞いたよ」

「うん、そうなの」

「で、今は? 彼氏いるの?」

「一応いるよ。あの、そういえばね、」

「だれだれ? どんな人?」

「ええと、高校のときの同級生。そんなことより、」

「それって、高校時代の元彼ってこと?」

「うん。初めて付き合った人で、それはいいんだけどね、」

「初カレってこと? それはそれは」

「原点回帰的な?」

「麻衣の原点、気になる」

「うん、まぁね」


 質問攻めに遭いながら何とか話題を変えようと頑張ってもみたけど、皆の関心を逸らせない。入行以来定期的に恋愛系の話題を提供してきてしまった我が身を心底呪う。


「復活愛って展開早いって言わない? お互いのことももうよくわかってるし」

「どう、だろう。その……付き合ってたのは高校生のときだし」

「いつ復活したの?」

「えっと……去年の秋くらいかな」

「ってことは、もう半年くらいか。麻衣にしては結構長い方じゃない?」

「結婚の話が出たりしないの?」

「てか、結婚とか考えられる相手?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に戸惑っているうちに、その場にいる十人くらいの同期の視線を一身に浴びて、消えてしまいたくなった。


「ええと、その……」

「あ、じゃあ、プロポーズされたらどうする?」


 どうするか。

 答えは明白だ。

 なぜなら、今まさにその状況だからだ。


 プロポーズされたらどうするかって? 

 答えは「返事をしない」だ。


 手術の前日にそれらしいことを言われて以来、私はいまだに何の返事もしていなかった。もちろん、このままで良いと思っているわけではない。

 ただ、あれからバタバタと忙しすぎた。彼と会っても食事をするくらいが関の山だし、車に乗れないせいで移動手段が専ら父の車になり、彼と遅くまで一緒にいるのが難しくなった。そしてこういうことは時間が経てば経つほど切り出しづらくなるもので、もはやどうやってその話に持っていけばいいのかわからない。そんなこんなでズルズルとタイミングを逸したまま、ここまで来てしまったのだ。

 彼にもしていない返事をこの場で口にするわけにもいかず、もごもごと言う。


「あの、そうなったらいいなって、思ってはいるけど」


 何とかそう絞り出すと、同期から「おおーっ」と歓声が上がった。


「麻衣くらい恋愛経験が豊富だとさ、何を決め手に結婚しようって思えるの?」

「いや別にそんなに豊富なわけでは」

「だって元彼の人数、十人は超えてるでしょ?」

「あ、うん、まぁ、超えてはいるけど」


 思わずきょろきょろして彼の位置を確かめてしまう。彼が随分離れた席で給仕をしている姿を確認して、ホッと胸をなでおろす。

 別に過去の恋愛を彼に隠しているわけではないけど、彼と同じ空間に居るときにこの話題で盛り上がるのはかなり気まずくて変な汗が出る。


「麻衣って性格的に誰と付き合ってもうまくいきそうじゃん?」

「えっ、そんなことはないよ」


 誰ともうまくいかなかったから十人も元彼がいるわけで。人数の多さはモテることの証というよりも失敗の証だから、口に出すのも恥ずかしいくらいだ。


「だって、彼氏と喧嘩になったりしないでしょ?」

「ええと、そうだね。付き合ってる人と喧嘩したことはない、かな」

「ほらぁ。私なんて毎回喧嘩別れだよ」

「っていうか、喧嘩しないのに何で別れるの?」

「えっと、それはその……」

「誰とでもうまくやれるってなると、逆に相性の良し悪しがわからなそうじゃない?」

「えっいや、」

「たしかにー」


 収集がつかなくなってきた話をどうしようかとまごついていると、背後から逞しい手が私の前に伸びてきた。


「お客様、こちらデザートのケーキになります」


 声の主は彼だった。

 恐る恐る見上げると、彼は可笑しそうに私を見下ろしている。


「あれ? ブッフェなのに?」

「あ、私その、骨折が」

「骨折のせいもありますが、これはどちらかというと彼氏としてのサービスです」

「え、ちょっとカズく……」


 宴もたけなわという盛り上がりの中、もともとザワついていたレストランに同期たちの叫び声が響いた。


「ええっこの人が麻衣の彼氏?」

「何この登場の仕方! 意外すぎ!」

「どうも、上村です」


 にっこりと言いながら彼が私の前に置いたお皿には、ご丁寧にケーキの端っこが乗っている。


「ぎゃあ、爽やか風~」

「風ってあんた失礼だよ」

「大きい、身長差やばい」

「『上村』だったら結婚しても苗字あんまり変わんないじゃん、麻衣!」

「えっあの、別にそんな」

「結婚式でお姫様抱っことか普通にできそう、やってよ」

「いや、だから、そんな話はまだ……」

「それいい! お姫様抱っこやってほしい!」


 更なる盛り上がりを見せはじめた同期たちは、もはや私の手には負えなかった。

 元凶となった彼は涼しい顔でお皿を回収し、去り際に何気ない口調で言う。


「そろそろ新郎のスピーチが始まるようですね」


 それを受け、すっかり話に夢中になっていたみんなの視線が高砂に流れた。


「あ、ほんとだ」

「ってか旦那さん優しそう」

「娘さん可愛い」

「涼子が母とはねぇ」

「シーッ」


 口々に言いながら、同期たちはみんな居住まいを正して新郎を見つめた。ザワザワしていた会場が徐々に静まっていく。

 私もとりあえず解放されたことに安堵しながら、新郎とその横に立つ涼子、それに玲那ちゃんを見た。


「みなさん、本日はお忙しい中……」


 定型文で始まったスピーチは、玲那ちゃんや涼子に対する想いが溢れていてとても素敵だった。

 会場中が聞き入っている間に、彼を含むレストランのスタッフたちが空いたお皿やグラスを回収して行く。その合間に一度、彼が耳元で「料理美味かった?」と囁いた。大きくうなずいて返事をすると、彼は満足げに笑った。

 そんな彼の背を見送って、私はひとり決意する。


 ――今度会ったら、ちゃんと話をしなくちゃ。



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