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甘い香りは終わりの始まり(旧題:芳香罪)  作者: 奏多悠香


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 実母が吐いた最大の嘘を知ったのは、年が明けてすぐのこと。支店近隣の商店会主催のチャリティーバザーに出品するものを探そうと、四畳半の部屋をゴソゴソしていたときだった。

 今はすっかり物置と化しているけど、元は私が引き取られる前に亡くなった父方の祖母が使っていたらしい。その小部屋に、旅行のお土産にもらった正体不明のキャラクターTシャツや贈答品のタオルセットなど、ありとあらゆるものが詰め込まれているだ。「あの部屋にある物なら何でも持って行っていいよ」という父の言葉を受けて、結婚式の引出物らしい未使用のワイングラスを発掘し、他にも何かないかと、目についた衣装箪笥の引き出しを引いた。細々としたものが雑然と詰め込まれた引き出しは、何かが奥に挟まっているらしく、途中まで開けたところで動かなくなった。隙間から奥に手を入れ、ごそごそと探る。

 引っかかっているのは何か紙の束のようだ。

 破いてしまわないようにと慎重に引っ張り出すと、古びた大判の封筒だった。

 中身にそれほど興味があったわけではなかった。ただ「何が入っているのだろう」とぼんやりと思ったくらいだった。さきほど来のお宝さがしの延長気分で何とはなしに封筒を開け、中の書類を取り出した。


「父子関係不存在の場合の法的手続きについて」


 最初に目に飛び込んできたのは、そんなタイトルだった。

 書類の右上には日付があった。私が生まれた年の末。依頼人の名は、墓参りの度に目にしている祖母の名だった。


 ――父子関係不存在


 頭の中で反芻した言葉が、唐突に意味を持った。

 手がわなわなと震え、封筒は手から滑り落ちた。

 バサバサと音を立て、紙が散らばる。


 見てはいけない。

 見てはいけなかった。

 見なかったことにしなくては。


 頭の中で響いたのはそんなことばかりだった。

 床に這いつくばって無心で紙を拾い集め、封筒に入れていく。

 順番も方向も、どうだってよかった。

 引き出しの中にもどして引き出しを閉じれば、すべてが元通りになるような気がした。次に引き出しを開けた時には、もうこの封筒も消えているような気すらしていた。

 床に落ちた細かなゴミも一緒に封筒に詰め込んで、最後に一番遠くに落ちた紙を拾って封筒に入れようとしたところで手が止まった。

 それだけが手書きだったからだ。

 たぶん、話をしながらメモを取ったのだろう。

 ボールペンで書かれ、ところどころ修正のためにぐちゃぐちゃと塗りつぶしてある。


 ――見てはいけない。


 そう、わかっていた。

 それなのに、どうして人は「いけない」とわかっていることほど、したくなるのだろうか。


 生まれて一年足らずの孫が息子の子どもではないと判明したこと、夫婦の婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定されること、推定を覆すためには夫が訴えを提起しなければならず、その期限が迫っていることなどが人物相関図と共に走り書きの字で綴られていた。誰の字なのかはわからない。祖母のものか、相談を受けた弁護士のものか。


 ――ああ。


 私は父の子ではなかったのか。

 それでは、私は。


 封筒を引き出しに戻し、すぐに部屋を出た。

 出たところで部活帰りらしい弟にぶつかったけど、謝りもせず家を出て車に乗った。

 どうしてだか、助手席には発掘したてのワイングラス。

 どこへ向かっているのかなんてわからなかった。

 ただ、逃げ出したかった。

 家から、じゃない。

 事実から。

 決して逃げられないものを振り切るように、アクセルを踏み込んだ。



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