第71話 工場長、私はただの技術屋です
あれはなんだったのか?
今思い出そうとしてもよく思い出せません。すくなくとも宴会ではありませんでした。
工場の敷地内にそこのローカルスタッフ数十人(十数人かな?)と日本人スタッフ、つまり工場長と、若い社員ふたり、そしてなぜか私がいました。
ひょっとしたら、工場長よりスタッフたちに、「いよいよ工場が稼働するから、よろしくおねがいします」といった話があったのかもしれません。
(なぜ、私がそこにいたのかはまったく不明です。記憶の片隅にもございません)
私はそこで若い社員の人と雑談をしていました。
「みんなでカラオケに飲みに行ったとき、そこの女の子が、こういう水商売じゃなくて、昼間工場で働きたいっていうんですよ。工場長はやとってやるっていいませんでしたけどね。わはは」
ノリのいい人です。ちなみに酒は飲んでません。
そのうち、話は変な方向に進んでいきました。
「南野さん、ここらで一発歌でも歌ってくださいよ」
「は?」
ちなみに酒は飲んでません。
「でも、カラオケもなにもないし」
「だいじょうぶですって。さあ、お願いします」
酒も飲まず、カラオケもなし、とうぜん生演奏なんてあるわけもない。それどころか歌詞カードすらない。
どんだけ無茶降りなんだよっ!
一曲まるごと歌詞を覚えている歌なんてない私には無理な相談です。
「さあ、さあ」
「いや、かんべんしてください」
「しょうがないなあ」
「じゃあ、私が」
もうひとりの社員が立候補しました。ちなみに酒は飲んでません。
曲は忘れましたが、一曲歌いきりました。けっこう好きなようです。っていうか、慣れてる? ちなみに酒は飲んでません。
「さあ、次は南野さんの番ですね」
「……」
「みっなみのっ、みっなみのっ、みっなみのっ、みっなみのっ」
ちなみに酒は飲んでません。
すみません。私はただの技術屋です。営業職じゃないんです。ましてや宴会部長じゃありません。
そこに工場長の優しいお言葉。
「まあまあ、南野さん困ってるじゃない。まあ、次の機会ということで」
「はは~っ」
こうして私はその集まりから脱走しました。
でもあの人たちはいつもあんなノリなんでしょうか? 酒も飲まずに。




