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第2話 おめでとうございます。自由です

「……何だ?」

 

王子の苛立ち声が落ちた瞬間、大広間の“明るさ”が、もう一段だけ薄くなった。

 消える。というより、引き抜かれる。

 誰かが背中から熱を抜かれたみたいに、光が痩せていく。


 ぱちり。

 先ほど消えた灯りの隣で、もう一つが落ちた。

 ぱち、ぱち。

 間を置かず、宝石灯が消える。

 天井画の星屑が、順番に消されていく。


 ざわめきが広がるより先に、人々の息が同時に詰まった。


「そんな……」

「冗談でしょう……?」


 誰かが笑いに変えようとして、声が裏返る。

 奏楽隊の音が途切れた。

 弦を擦るはずの動きが止まり、余韻だけが空中で迷う。

 音楽の“綺麗さ”が、急に嘘みたいに軽くなる。


 香りも、薄れる。

 濃いはずの花と酒が、空気の奥へ引いていく。

 更新されていた匂いが、更新されなくなる。


 ――そして、王子の手元が光った。


 否。

 光っていたものが、光らなくなった。

 王子の婚約指輪。

 そこに嵌められた宝石が、ふっと色を失った。

 さっきまで燦々と場の中心にいた“王家の輝き”が、濁る。


「……っ」


 王子が無意識に指輪へ視線を落とす。

 それだけで、貴族たちの目も同じ場所へ吸い寄せられた。


 細い、嫌な音がした。

 石の表面に、ひびが走る音。

 パキ、ではない。

 もっと小さく、乾いた、爪で裂くような音だ。


 宝石の中に、黒い線が一本。

 二本。

 蜘蛛の巣のように広がっていく。


 王子が指輪を外しかけて、止まる。

 外した瞬間に“何かが確定する”と本能が告げたみたいに。


 そのときだった。


 ゴォォ……。

 低い音。胸の奥まで押し込んでくる重さ。

 鐘の音というより、巨大な装置が唸る音だった。


 大広間の壁のどこか――見えない位置から、結界管理装置の異常警告が鳴り始める。


 ゴォォ……ゴォォ……。

 一回ごとに、床が微かに震える。

 石床の下で、魔力の循環が乱れている。

 それが“音”になって、空気を押し潰す。


 貴族たちのざわめきが、悲鳴へ変わるまでに、時間は要らなかった。


「警鐘……?」

「まさか、結界が……」


 言葉の最後が、音に飲まれる。


 ゴォォ……。

 鳴るたびに、灯りが弱くなる。

 鳴るたびに、笑い声が消える。

 鳴るたびに、祝祭が“祝祭でいられない”表情になっていく。


 王子が顔を上げる。

 その目は、怒りより先に、理解できないものを見る目だった。


「おい……誰が、止めろと言った」


 しかし、止まらない。

 止まるのは、こちらの方だった。

 大広間の光。王家の指輪。

 そして、国を支えるはずの装置の、低い警告。


 ズゥゥゥ……。

 音が、もう一段、深くなる。


 グォォ……という低い唸りが、途切れずに大広間を押し潰していた。

 誰かが息を吸うだけで、音に引っかかって咳き込む。


 王子は指輪を握り締めたまま、私を見た。

 怒りが先に来る。いつも通り、命令が先に来る。


「――何をした!」


 声は大きいのに、唸りに削られて歪む。

 王子の声が、装置の警告に負けている。

 それだけで、貴族たちの顔色が変わった。


「今すぐ元に戻せ! 結界が揺れている……! 王都が――」


 言葉の最後が、床の震えに飲まれた。

 石床の模様が、ひと呼吸ぶんだけ脈打つ。

 細い魔力回路が走っていた部分が、淡く光って、すぐ消える。


 ジジ……ッ。

 焼ける音。

 どこかで、回路が無理に流れを受けて焦げている。


 貴族の一人が悲鳴を上げた。

「床が……!」


 別の者はシャンデリアを見上げ、言葉を失う。

 煌めきが鈍り、光が“重く”なっていく。


 王子はそれを見て、さらに声を荒げた。


「セラフィナ! お前の仕事だろう! 聖女の義務だ!」


 義務。

 その言葉が場を支配しようとして――支配できない。

 唸りが、また深くなる。


 私は膝を折ったままではない。

 立っている。けれど一歩も前に出ない。

 距離を詰めない。感情の舞台に乗らない。


「……何もしていません」


 私の声は小さかった。

 小さいのに、妙に通った。

 装置の唸りの隙間に、刃物みたいに滑り込む。


 王子の眉が跳ね上がる。


「嘘をつくな! 灯りが消えた! 指輪が――っ!」


 王子が指輪を掲げる。

 宝石は濁り、ひびが増えていた。光は戻らない。

 王家の象徴が、ただの石へ剥がれ落ちる途中だった。


「……ただ」


 私は首を傾げた。

 挑発ではない。哀れみでもない。

 本当に“確認するだけ”の仕草。


「契約が、解除されました」


 その言い方は、告白ではなく報告だった。

 紙に書く事務連絡みたいな温度で、私は事実だけを告げる。


 一瞬、場が静まりかける。

 そしてすぐ、悲鳴が押し寄せた。


「契約……?」

「まさか、結界の……?」


 床がもう一度、震える。

 今度は分かりやすく、石の中を何かが走った。


 ジジジ……ッ。

 焼ける音が長くなる。

 光っていた回路の線が、黒ずんでいく。

 魔力循環が乱れているのが、“見える形”になっていく。


 王子は一歩踏み出した。

 いつもなら、その一歩で全員が黙る。

 だが今回は違う。


 護衛が出ない。

 前に立つはずの影が、王子の前に生まれない。

 代わりに、視線だけが出口へ滑る。


 近侍の一人が口を開きかけ――閉じた。

 頷くより先に、足元を見た。

 床の一部が、王子の一歩に合わせて、かすかに沈んだのを確かめてしまった顔だった。


 ほんの数ミリ。

 それだけで、王子の顔から血の気が引いた。


「……何だ、これは……」


 怒りが、怖さへ変わる瞬間。

 しかし王子はそれを認めない。認められない。


「お前がやったんだろう! 今すぐ戻せ! 命令だ!」


 背筋に、短い冷えが走った。

 それでも私は、目を逸らさない。


 命令。

 けれど、その言葉にはもう“効力”がない。


 私は、王子の目を見たまま、言う。


「命令は、契約の中にしかありません」


 ――床の震えが収まる前に、私はゆっくりとアルベルトへ視線を向けた。

 怒りでも、涙でもない。

 言い返しの“感情”を用意する時間すら、ここには残っていない。


「王家と聖女の契約は、“婚約”を鍵にして結ばれています」


 ざわめきの中、言葉だけが妙に澄んで落ちる。

 貴族たちの顔が、意味を理解する前に固まっていくのが見えた。


「婚約者である私が供給する魔力は、結界炉へ流れ続けてました」


 空気の温度が一段、下がる。

 魔力循環が乱れたシャンデリアが、不規則に瞬く。

 その光が、今度は“焦り”の色に見えた。


 私はそこで一拍だけ区切り、言い切る。


「だから、あなたが婚約破棄を宣言した時点で――鍵が外れた」


『義務』という言葉に、誰も救われない。

 貴族の一人が口を開きかけて、すぐ目を逸らした。

 味方に回れば、次は自分だと気づいたからだ。


 私は、微笑む。

 嘲りじゃない。慰めでもない。

 ただ、事実を置くだけの表情。


「おめでとうございます。自由です」

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『短編版』婚約破棄で聖女契約が切れました。――この国は“5分後に”崩壊が始まります。
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