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第14話 署名は、取り消せない――逃げ道のない問い

 通行棒が上がり、馬車は再び進んだ。

 だが道は細く、列は詰まったままほどけない。

 鎖と車輪止めの乾いた音が近くで繰り返され、兵の影が窓を横切る。


「詰めろ」

「次、右へ」

「臨検、通行税」


 決まり文句が速く流れた。


 向かいのゼクスは書類を整え、署名と公印の位置で指を止める。

 偽造や強要の痕跡がないか、

 その一点だけを確かめる。


 外の金具音と槍の石突が石を打つ音が混じる中、ゼクスが確認の声を差し込んだ。


「結界の鍵の登録を決めたのは、どなたですか」


 私は答えない。

 膝の上で指先を揃え、そのまま動かさない。


 ゼクスは視線を落としたまま続けた。


「この署名に、不正も強要も見当たりません。……殿下がご自身で、この責任を引き受けたと示す証拠は揃っていますか」


 責める言い方ではない。

 それでも喉の奥がかすかに熱くなる。

 沈黙を崩せば、積み上げてきた理性が溶けそうだった。


 私は目を上げない。

 揃えた指先に、あの日、王子の手にペンを握らせたときの感覚だけを呼び戻す。


 沈黙が、私の中で「過去」を輪郭づける合図になった。



 ◆勝利を信じた部屋


 ゼクスの問いが、耳の奥に残っている。

 私は一拍置き、視線を落として息を整えた。

 必要なのは名前ではない。署名へ流れ込んだ、あの澱みのない「手順」だ。


 王宮の執務室は整いすぎていた。

 決裁書、羽根ペン、封蝋、公印。

 紙と印が揃えば、それだけで「正しい」になる部屋。


 アルベルトは勝利の熱に浮かされ、短く言い切った。


「結界は王家の印で動く。ならば、俺の署名一つで決まる」


 即座に、周囲が形だけを持ち上げる。


「殿下のご決断こそ、国の安寧でございます」


 中身は見ない。

 整った言い回しが揃えば、反論の余地は消える。

 空気が、先に「決定」を作っていく。


(……この部屋に、正しい判断を求める必要はない)


 私は争わない。

 争えば「感情」の烙印を押される。

 ここは真実ではなく、手続きの部屋だ。

 ならば入口は、短く、きれいでいい。


 私は一歩前へ出て、彼らが最も好む一言だけを言った。


「……気高き誓いとして、公的な記録に残しましょう」


 それで十分だった。

 貴族たちの目が、同時に明るくなる。

「誓い」として残れば、触れられない聖域になる。


「そうだ。誓いだ」


 拍手が一度だけ起きた。

 止んだ拍手の余韻が、次の言葉を拒む。

 場の熱が、「決定」へ寄っていく。


 アルベルトの目が、うっすら曇る。

 都合のいいものだけを映す目だ。

 私を見るのは信頼ではない。最初から、手続きの部品としての確認。


「セラフィナ。お前も分かっているだろう。国のためだ」


 “国”。

 その言葉を出せば、横暴が正当化されると信じている口調。

 周囲が頷く。頷けば、自分たちも正義の内側にいられる。


 私は膝を折り、儀礼だけを捧げた。

 必要なのは熱ではない。整った所作。淀みのない手順。


 ここから先は、彼らが自分で手続きを進める。

 私は止めない。止める理由すら与えない。


 署名は向こうの手で書かれる。

 私はただ、その筆先が紙に触れる瞬間を待った。


 アルベルトが頷く。

 その動きに合わせ、係の者が新たな書面を机の中央へ差し出した。


 私が事前に整えておいた誓約の書。

 内容は削ぎ落としてある。

 主語も、逃げ道も、残さない。


 一、新たな維持管理体制の確立

 二、王家による全責任の所在


 記載はそれだけ。

 残りは広い署名欄の空白だ。

 空白が大きいほど、名前が入ったときに整って見える。

 形式に酔う者ほど、その「完成」を欲しがる。


 私は一拍だけ置く。

 場の熱が十分に高いのを確かめてから、口を開いた。


「殿下」


 呼び方だけを整える。

 その一言で、視線が集まる。


「誓いを“鍵”として登録いたしましょう」


 ざわめきが走る。

 耳あたりのいい答えは歓迎される。

 誰も中身を見ない。形だけが先に前へ出る。


 アルベルトは即座に乗った。


「ほう。いい。国の象徴としても、見栄えがする」


 私は頷き、先へ進める。

 技術は語らない。必要なのは形だけだ。


「手順は簡単です」


 私は机上の記録簿を示す。

 係の者が儀式記録の末尾を開き、紙が短く鳴る。


 図は線が少ない。

 通り道だけが引かれている。


 図の下に短い二行。


「鍵登録:婚約指輪(王子)」

「運用意思:王家(署名)」


 そのすぐ下に署名欄。

 空白が広い。そこへ名前が書かれれば、形が揃う。


 私は視線を上げず、言葉だけを続けた。


「この二行に沿って、署名を残していただくだけで結構です」

「殿下の意思として、国と民を守るのです」


 アルベルトの耳に心地よい形へ、言い換える。


「俺が守る。……当然だ」


 追従が重なるほど、殿下の背筋が伸びていく。

 傍らのリュミナは言葉を発さない。

 ただ、吸い寄せられるようにペン先を見つめている。


「よし、俺がすべて決めてやる」


 アルベルトが羽根ペンを握った。

 迷いはない。

 誇らしげな手つきで、空白の上へ先端を運ぶ。


 インク壺にペン先が浸り、黒い雫が落ちる。


 静けさが、見守りに変わる。

 誰も口を挟まない。

 止めない。決まる瞬間だけを待っている。


 アルベルトが言い切る。


「よし。俺の権威で動かす」


 私は内側でだけ確かめる。

 声にはしない。表へは出さない。


 ——踏んだ。



 ◆確定の音


 机の上に広げられた羊皮紙が、白い布の上で妙に冷たく見えた。ここは飾りの場ではない。

 効力が刻まれる場所だ。


「では、殿下」


 余計な熱を入れず、手順を進める声だけを置く。

  アルベルトがペンを取った。さっきまで鳴っていた拍手が止まり、静まり返る。


 ペン先が紙に触れる。 さらさら、という小さな音。署名は大きく、権威を誇示するように。

 最後に筆圧が強まり、紙がわずかに鳴った。


「これでいい」


 勝利を確信したような言い方だ。 係員が公印を取り、温められた赤い蝋が紙に落ちる。


 とろり。


 落ちた蝋の表面が固まり始める瞬間、公印が振り下ろされた。


 ゴトン。


 鈍い音。金属が蝋を噛み、力で押し切る確定の音。

 説明も賛美も不要だ。戻せなくなるのは、この音と手つきだけで十分だった。


「次は、登録です」


 係員が、結界炉に繋がる銀の登録盤を運んできた。 机に置かれた瞬間、金属が冷たく鳴る。

 アルベルトが顎で示す。


「やれ」


 命令口調が、いつも通りに出る。


 私は頷き、婚約指輪を盤の上に置く。 指輪には触れない。

 触れれば感情の話にすり替えられるからだ。距離を保ったまま、起動の合図だけを口にする。


「登録の儀を」


 誰かが祈りの言葉を添えた。愛、安寧、永続。 どれも意味を伴わない「整った音」として流れていく。


 王宮の床下、結界炉のある方向から低い脈動が返ってきた。

 遠い振動が一度だけ強まり、空気が薄く張る。そして。


 チン。


 一瞬だけ、澄んだ音がした。祝祭の鐘ではない。鳴ったと思った次の瞬間には消えている、鋭い音。

 同時に、登録盤に刻まれた魔導線が、逃げ場を塞ぐように「環」となって閉じた。


 誰も「成立した」とは言わない。けれど、全員の息が同時に止まり、次に戻る。

 それだけで十分だった。


 貴族たちは、今の音を「祝福」だと信じて微笑んでいる。

 アルベルトも、自分の権威が世界に刻まれたと確信し、満足げに頷いた。


 私は顔を上げない。あの音の意味を説明する理由もない。 登録盤の光が消え、静かな金属の塊に戻る。


 赤い蝋はもう乾いた。欠ければ痕が残り、その痕は消えない。 私は手順の最後を締めた。


「以上です」


 短く。

  いま縛られたのが、結界ではなくアルベルト自身であることに、まだ誰も気づいていない。

読んでくださり、本当にありがとうございます!

皆さまからいただく感想や応援が、この作品を前へ進めるエネルギーになっています。


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これからも、さらに楽しんでいただけるよう力を尽くしますので、どうぞ応援よろしくお願いします!

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