第12話 検問の灯、壊れた針――国境への境界線
検問の灯りが窓の端に増え、詰所へ寄るほど道幅が絞られて馬車列ができる。
木枠が軋み、車輪の噛む音が途切れ途切れに続く。
「検問です。減速します」
護衛の低い声。金具が鳴り、足音が散って配置につく。
槍の石突が乾いて地面を打つ。
通す側が先に“形”を作る場所だ。
馬車が止まり、揺れが切れる。
車内に残るのは外の号令と通行証を求める声だけ。
耳の奥には王都へ走った魔導信号の低い圧が残る。
向かいのゼクスは姿勢を崩さず確認だけを差し込んだ。
「いつから、戻れない方へ――破綻の側へ傾き始めたのですか」
逃げ道のない問いだ。
外で列が少し進み、車輪が半回転だけ石を噛む。
その瞬間、検問灯が風に煽られ、光が跳ねた。
ひとつだけ弱くなる。消えはしない。ただ薄くなる。
反応するように、護衛の鞘が鳴る音が少し早まった。
現在が進む音を聞きながら、私は言葉を短く選ぶ。
「……決めた日があります」
それ以上は言わない。外で、こちらへ近づく足音がする。検問の番が来る。
光が窓の縁をなぞり、車内の影がもう一度だけ形を変えた。
◆削られた循環
馬車の外で、斥候が護衛へ短く何かを告げた。返事も短い。
外側の配置が一段と締まる。
その音を合図に、私は「決めた日」へ意識を落とした。
裁可の小部屋は、飾り気がなかった。
机の上に広がっていたのは、結界維持の予算表。
『補修・点検費用』
『循環路の清掃費』
並ぶのは、地味で目立たないが、国の命脈を繋ぐ数字。
アルベルトは、迷いなくその列を横線で塗り潰した。
「ここを削る。これも不要だ。代わりに――」
削った余白へ、別の紙が差し込まれる。
『祝祭の装飾費』
『王宮の更新費』
見栄えのいい項目が、当然のように優先されていく。
「……殿下、これでは維持精度が下がります」
誰かが小さく進言したが、殿下は顔も上げず、冷淡な一言で切り捨てた。
「代わりの数字がある。測定局が示した値だ。
だから、制御側で多少の余裕は作れるはずだ」
反論を許さない、結論の押し付け。
私は怒鳴らなかった。
ここで声を荒げれば、ただの「感情論」として処理される。
私は視線を落としたまま、指先だけで机の端に触れた。
机の下を通る細い魔導線が、指の腹へかすかに震動を伝える。
いつもより滑らかではない。
循環が途切れかけるような、不吉な引っ掛かり。
同時に、廊下側の魔導灯が一拍だけ弱くなった。
誰も騒がない程度の、一瞬の暗転。
けれど、運用の側にはわかる。これは明確な「揺れ」だ。
(削るなら、飾りだ。流れではない)
心の中で、それを確信した。
机の上で最後の紙が揃えられ、朱の印が押される。
確認でもためらいでもない、ただの作業音。印影が紙に残り、決裁が終わった。
立ち上がる足音がし、椅子が引かれる。
私は紙の端を見つめたまま、静かに息を整えた。
廊下へ出た瞬間、また魔導灯が瞬いた。
すぐに戻る。戻るからこそ、無知な者たちは誰も「故障」とは呼ばない。
私はその暗転の周期を、脳内の記録に刻み込むことにした。
◆「八倍」という虚飾
測定局は、汚れを許さない白一色の空間だった。
床に刻まれた幾何学的な魔導円だけが、ここが冷徹な「証明の場」であることを示している。
中央に立つリュミナが、詠唱を短く切り、両手を前へ揃えた。
迷いのない、訓練の形。魔導円が淡く光り、床のラインが一本ずつ立ち上がる。
周囲の視線が、一斉に数値表示板へと吸い寄せられた。
表示が走り、針が跳ね上がる。
だが、その数値は安定しなかった。
急上昇しては揺れ、途切れ、また無理やり這い上がる。
係員が明らかに眉をひそめ、記録と表示板を何度も往復させた。
周囲が息を呑み、静まり返る。表示板が一度、激しく明滅した。
次の瞬間、数字が強引に固定される。
『聖女様の八倍』
空気が爆発するように切り替わった。
拍手が先に鳴り、遅れて歓声が混じる。
「素晴らしい!」
「やはり彼女こそが真の……!」
口々に上がる賞賛。リュミナは胸の前で手を一度だけ握り、安堵に肩を揺らした。
その仕草が「成功」を示すより早く、周囲の熱狂がそれを「正しさ」へと塗り替えていく。
アルベルトが満足げに頷く。
反対派を黙らせるための「数字」という盾を手に入れ、彼の目は早くも次の政争へと向いていた。
リュミナがこちらを見た。優越感ではない。
ただ、この法外な数値によって得た自分の居場所を、必死に肯定したいという縋るような目。
「……数字だけが、私をここに立たせてくれましたの」
言い終えた途端、拍手がさらに一段強くなった。
表示板の点滅に、人々の叩く手の音が揃い始める。揃わされていく。
そこに意志はなく、ただ「異常な数字」に呑み込まれた集団の、奇妙なリズムだけがあった。
私は言葉を返さず、ただ静かにその光景を拾い続けた。
係員は、数値の不安定さに目をつぶり、次の準備を始めている。
貴族たちは、安心という麻薬に酔って笑っている。
反対派は、「八倍」という凶器の前に口を閉ざした。
ここで何かを指摘すれば、私は「正しさを邪魔する者」になる。
だから、言葉は飲み込んだ。
点滅する表示板と、鳴り止まない拍手。
終わったはずの測定が、歪な残響となって広間にこびりついていく。
その「数値の裏にある空洞」を、私は脳の奥底へ刻みつけた。
◆測定器の破綻
拍手が残る中、係員が次の手順へ入ろうとしていた。
表示板が待機の符号へ戻り、記録官がペンを整える。
私は一歩、前へ出た。張り合うためではない。
この国の計器が、私の魔力の「質」に耐えうるかを確認するためだ。
私は無言で頷き、測定器のガラス面に指先を触れた。
流すのは、全力の半分以下で十分だった。数字を競う必要はない。
ただ、回路を繋ぐ。
刻印円が淡く反応し、表示板の符号が流れ始める。
だが、その流れは瞬時に乱れた。
針が跳ねた。上ではない。
あり得ない方向――逆方向へ、一気に振り切れた。
戻らない。揺れが収束せず、針は反転した位置で固まった。
数値表示板が固定を拒否するように激しく点滅し、計器の内部で、何かが噛み合っていない金属音が小さく響いた。
「……測定器が」
誰かが短く漏らした。拍手も、笑いも、一瞬で消えた。
誰もが何が起きたのか理解できず、広間を冷たい静寂が満たす。
係員が手を伸ばしかけて、触れていいのか迷うように止めた。
私は静かに手を離した。意地も勝ちもない。
残ったのは、計器そのものが「壊れた」という事実だけだ。
(数字で、魔力の質は判りません)
胸の奥に、別の違和感が重なる。流した量は少ない。
それなのに、魔力がどこかへ「抜けていく」感覚。
この測定器では拾いきれない歪みが、常にどこかへ向かっている。
私はそれを口にしない。
ここで理屈を説けば、彼らはただ「故障」という言葉の裏へ逃げ込むだけだ。
背後で、リュミナが短く息を吸う音がした。
彼女は点滅する表示板を、縋るように見つめている。
何が起きたのか分からないまま、それでも数字という虚像を信じようとしている。
誰も、彼女に真実を知らせない。知らせる理由も、資格も、この場にはもう存在しない。
「本日は……測定を中断します。至急、機器点検が必要です」
係員の震える声を、私は頷きだけで受け流した。折れ曲がった針の角度。
それが、私がこの国を捨てる「決めた日」になった。
◆守る対象の切り替え
測定器の針が戻らないまま、あの場は流れた。
「点検」「中断」という言葉で包まれ、誰も深追いしない。
拍手の熱だけが先に消え、残ったのは不吉な沈黙だった。
その数日後、私は平民区画へ出た。
――「結界維持費削減」の影響がどこに出ているか、その実地を確認するために。
夕方だというのに、通りの明るさが揃っていない。
角の魔導灯は点いているが、光が極端に弱い。
人は慣れた手つきで足元を確かめ、立ち止まらずに歩く。
ここでは暗さは「異常」ではなく、受け入れるべき「順番」になっていた。
坂を下りるほど、灯りが先に痩せていく。
上の通りは保たれ、下の路地ほど早く薄くなる。
決まった順番で、命の優先度が削られている。
灯りが弱くなるたび、誰かが蝋燭を足す音がした。
扉が閉まる音が増え、人々の声が小さくなる。
私は壁際の配線溝に目を落とした。補修痕が少なく、埃が溜まっている。
維持の手が入っていない場所ほど、先に弱る。
溝の端に、薄い札が半分だけ残っていた。
点検日と担当の欄――剥がれた紙の繊維が毛羽立ち、最後の文字だけが読める。
『確認済』
確認したはずなのに、貼り替えられていない。
回収もされていない。
紙一枚の後始末さえ、ここでは終わらないのだと分かった。
路地の奥で、子どもが転びかけた。母親が腕を掴んで引き寄せるが、叱りはしない。
暗いのが当たり前だからだ。子どもは唇を噛み、何も言わずに立ち上がった。
私は声を上げない。ここで感情を出せば、ただの「同情」で終わってしまう。
灯りがさらに一段弱くなった。通りの空気が冷え、人々の足が速くなる。
誰もが「これ以上暗くなる前に」という境界を知っている。
私はその順番を見て確信した。
結界の維持は国の看板の下にあるが、守られる順番は別だ。
玉座が残っても、末端から先に崩れる。
(……体裁が残っても、息が残らなければ意味がありません)
自分の中のスイッチが切り替わる音がした。守る対象を「国」から、「人」へ移す。
帰り道、王宮の回廊で護衛の小声が耳に入った。
「……バルハイムの外交団が、また来ているそうだ」
「窓口はシュバリエ卿だろう。あの方なら、国境側の判断も握っている」
シュバリエ。派手に目立つタイプではないが、常に要点だけを確認して去る男。
私はその名を、以前から知っていた。
廊下ですれ違った際、彼は王宮の装飾ではなく、いつも足元の魔導配線に視線を落としていた。
私は足を止めない。けれど、その名前だけを記憶の前面に残した。まだ、頼るとは決めない。
ただ、「国境管理の手順に通じ、事実で動く人物」がいる。
それだけで十分だった。
灯りの弱い路地を抜け、上の通りへ出る。
光量が戻るからこそ、見捨てられた下の階層との対比がはっきり見える。
私はもう一度、足元を見て歩いた。
決めた。
もう、この国はお終いだ。
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