第11話 「紅い花が咲く」
燦々と辺りを照らす太陽が、いつの間にか頂点を越えている。
一行が獣人族の里を出発してから、すでに三時間ほど経過していた。
眼前には目的地の『樹海迷宮』。
その入り口は、大木をぶち抜いた大穴から地下に続いている。
休憩がてら軽い食事を取った一行は、万全の準備を整えてから、迷宮に足を踏み入れた。
内部は土や石で囲まれていて、それに巻き付くように伸びている樹木の根がところどころに散見される。
迷宮特有の僅かに光る石質のおかげで、内部は隅々まで見渡せる明るさを保っていた。
以前、士道が潜ったことのあるローレン大迷宮とあまり違いはない。とはいえ迷宮に関して士道は初心者も同然だ。罠に引っ掛かり、最下層まで落とされた経験もある。
慎重に進みたいところだが、ギラン達は拍子抜けするほどに迷いのない歩調で進んでいく。
冷静に考えると交易ルートに使っているのだ。
道順は覚えているのだろう。
「……しかし、本当に信用に足る実力なのか? その"聖女"とやらは」
士道は鞘に収めた刀に手を置き、いつでも抜き放てる態勢を保ちながら、先頭を歩くギランに尋ねる。
世間話も兼ねて情報収集だ。話を総合する限り、その"聖女"は転移者である可能性が高い。これから接触するのなら、出来る限りの人となりは知りたいところだった。
「ルナールが言ってたのさ。奴は昔から旅好きでな。『向こう』についてもよく知っている女だ。"聖女"にも数度会ったことがあるっていうから、実力は確認済みらしい」
「……あまり聞きたくはないが、そのルナール本人については信頼できるのか?」
「……あー、なるほど。それは考えてなかったな」
ギランは驚いたように呟くと、
「まあアレもまた変わった女だが、同じ里の仲間だしなぁ」
ギランのその言葉に、周囲の戦士たちが頷く。
レーナも微笑みながら、
「わたしもそう思ってます」
「何より、この里の食糧事情が大変だった頃、この迷宮から『紛争地帯』への交易ルートを見つけ出したのはルナールだからな」
「だから、わたしが冒険者として出稼ぎしなくてもよくなったんです。まあ、もともと第三級程度にしかなれなかったんですけどね……」
どんよりとするレーナに、第五級のリリスが刺々しい視線を向ける。
士道はそれをスルーしながら、
「……なるほどな」
獣人族は仲間意識が強い。士道もあの里の暖かな雰囲気は気に入っている。結束が固いことも良いことだと思う。
しかし、どうにも嫌な胸騒ぎがする。
とはいえ、それを口に出しても士気を低下させるだけである。
士道は無意識のうちに感覚を徹底的に研ぎ澄ましていた。誰が何処から攻めてきても、完璧な形で対応できるように。
(大友、葉山が仕掛けてくるとしたら何処に現れる? 考えろ……俺ならどこを戦場に定めるんだ)
士道の予感とは裏腹に、実に順調に一行は迷宮を踏破し、ついに地下十四階まで辿り着いていた。
途中何度か魔物と遭遇しかけたが、その度にレーナの鋭敏な五感が感知して避けながら進み、罠の類は超級冒険者のミレーユがすべて手慣れた様子で取り外していた。
「レーナは随分と成長してるな」
「えへへ」
『鑑定』した時点でレベルがかなり上がっていたことは分かっていたが、それ以外にも五感の知覚や戦闘経験なども洗練されているようだ。
戦士団のなかではかなり逸脱した実力を誇っている。その長であるギランもそれなりだが、レーナのステータスには及んでいない。
冷静に分析しながらも、士道はミレーユに声をかけた。
彼女は無言で前を見据えていた。微妙に目の焦点が合っておらず、迷宮全体を満遍なく捉えている。
迷宮専門の冒険者なら必須の技術であるらしい。そう講釈をするミレーユは、先ほどから随分と頼りになっている。
「迷宮ならお手の物ってところか?」
「まあこのぐらいの迷宮なら平均的な第四級でも十分なぐらいなのです。ただ、この罠配置の仕方、どうにも人為的ですね。というか、この攻撃的な配置、どこかで見たことがあるような……」
ブツブツと呟くミレーユ。
罠の配置が人為的ということは、大友あたりの暗躍でもあるのか。
思考を進めている間に下り階段を発見。『転移魔法陣』があるのはこの下の階の大広間である。
士道はいっそう気を引き締めながら、階段を降りていった。
◇
四面ある野球場ぐらいの広さはあるだろうか。
それなりの空中戦がこなせる程度には天井も高い。
そんな大広間の中央は、六角形型に数段ほど盛り上がっていて、その位置には血のような赤色の光が灯る魔法陣が刻まれている。
不可思議な文字が円状に連なり、一つの紋様を形成しているのだ。
「あれが『転移魔法陣』か」
「違う……」
「何?」
士道は眉をひそめる。
ギランは厳しい表情で中央にあるそれを見つめながら、
「俺たちがこれまで使ってきたのは、あんなに禍々しい色じゃなかったはずだ……」
その言葉を受けて、士道はミレーユに視線を向ける。
冷静に魔法陣を観察していた魔術師の最高峰は、少し考えるような素振りを見せてから、
「あれは『転移魔法陣』ではないのです。……いいえ、かつてはそうだったのかもしれませんが、今はもう違う。あの紋様は……強化? いいえ、まさか、これは――」
淡々と真実へと進むミレーユの思考を遮るように、
「――ようこそ」
声が、響いた。
雑踏に紛れてしまいそうなほど何の変哲もない声質。しかし士道はこの声に聴き覚えがない。だからこそ致命的な違和感があった。
つまり、それは謎の第三者がこの広間に侵入していることを意味しているのだから。
気づけば。
数十メートル先の『転移魔法陣』の上には、三つの人影が現出していた。
背筋が凍るような驚愕と共に、冷や汗が滴り落ちる。
士道にはいつ現れたのか、まるで知覚することができなかった。
だが、そのことについて考えている暇はないらしい。
現れた三人の中央に立っていた青年が、己の背中に生えている翼を羽ばたかせ、宙に浮き上がる。
その翼の色は黒でありながら、蝙蝠にも似た悪魔の翼とは似て非なるものだ。不死鳥の羽根にも近いそれが意味しているのは、
「堕天使、だと……!?」
戦士団の誰かが、呻くように答えを出した。
士道もその種族は知っている。
生まれながらにして女神の配下である天使族だが、稀に女神への忠誠を失う者がいる。そのような連中は翼の色が黒に染まってしまい、堕天使へと堕ちるのだという。
女神の寵愛を失ってはいるが、天使族としての強大な能力は健在であり、地上の人間に大きな被害を与えるのが問題となっているらしい。
「否定はできませんが、私はあまり堕天使という呼称は好きではありませんね。それに、私にはカイザー・エッフェンベルグという名前がありますから」
士道は『鑑定』を行使したが、面倒臭そうに弾かれる。
その堕天使は鼻白んだように自らの名を告げながら、
「無事に獣王ガレスを連れてきてくれたようですね。いや、本当にありがとうごさいます。これで貴方がたの役目はお終いです」
「何だと!? どういう意味だ!?」
ギランが噛みつくように叫ぶ。戦士団の面々はざわつき始めていた。
(……堕天使とは予想外だが、やはり獣王絡みで何かの計画があったか。だとすれば、まずは――)
対して士道は冷静だった。大友の襲撃の時点で、すでにさまざまな可能性は考慮している。
「ギラン、ガレスさんの馬車を動かして下がれ。この迷宮から脱出するんだ」
「何!? それでは獣王様の病は……」
「ここまで来れば分かるだろう。ガレスさんは病なんかじゃない。いや、本当にそうかもしれないが……だとしても、あいつらに何かを仕込まれた結果だ」
「そもそも、あれはもう『転移魔法陣』ではないのです。つまり『紛争地帯』まで転移できない。なら、奴らの目的だと思われる獣王をこの場から引き離すのが最良でしょう」
士道に続けてミレーユが言う。流石は伝説とされている超級の冒険者である。場数の違いか、士道よりもさらに冷静だった。
周囲を落ち着かせるような淡々とした口調で述べる。
しかし。
この状況に陥った時点で、すでに敵の策に嵌っていることを忘れてはならない。
それを証明するように、
「良い判断やけど、そう簡単にやらせると思う?」
カツン、と。
士道達が降りてきた階段から、妖艶な雰囲気を漂わせる美しい金髪の女性が現れる。狐のような耳に、美しい毛並みを持つ黄金の尾。
それは獣人である証明だった。
「ルナール……!?」
そして、どうやら士道の嫌な予感は当たったようだった。
ギランが叫んだその名前は、先ほどの会話に出ていた人物だ。
「……どういうつもりだ!? まさかとは思うが、お前は……」
「今更やなぁ。うちがこういう現れ方をした時点で察するべきやと思うよ」
訛りのある声で、ルナールは言う。
"聖女"に関する情報提供者である彼女が裏切ったということは、おそらくこの場所まで誘導されていたのだろう。
ギラン達もそれに気づいたのか、信じられないような瞳のまま呆然としている。
だが、フォローしている余裕はない。
何故なら、堕天使カイザーの横に佇んでいた二人が、士道達に向けて走り出してきているからだ。
一人は葉山集だ。赤いラインの入った高級そうな純白のローブに、先端に紅の宝玉が設置された木製の杖を手にしている。
もう一人は口元に豪気な笑みを刻む、鍛え抜かれた大柄な肉体に一本角を持つ赤髪の男。
『鑑定』によると、名前はアイザック・クラインだ。
直後に、士道は戦慄する。その名前を知っているのだ。
"赤鬼"の異名を持つ、世界にたった三人の超級冒険者の一角。絶滅寸前の鬼族のレベルオーバー。
並々ならぬ覇気は、ミレーユに向けて一直線に放たれている。
「よぉ! 二年ぶりか、ミレーユ!」
「アイザック……っ!!」
同じ超級冒険者。既知であるらしい二人は、しかし互いに話し合うつもりはないらしい。臨戦態勢に入る。
ミレーユがひどく哀しそうな表情をしていたのが気にかかったが、
「フン。余所見をしている場合か?」
適当なところで立ち止まった集が、士道に杖を向けて牽制のように"火炎弾"を連射した。速い。その上、逃げ道を塞ぐような角度で肉薄する。地味に厭らしい狙いだ。大雑把な制御しかできない士道としては見習いたいところである。
士道は体を振り回すように火の玉を回避しながら、
「レーナ。リリス。二人はガレスさんの身柄を守れ。それと、ギラン達は動揺を捨てろ! そいつはもう仲間じゃないと思え!」
レーナとリリスが了承の声を上げ、馬車の両側で身構える。
狼狽する戦士団に対する士道の叱咤する声に、リーダーたるギランは歯軋りしながらも、己の決意を示した。
「分かっている! ルナールは……裏切り者は……俺たちが、やる!!」
「気をつけろ! 多分お前らが思っているよりも強いぞ!」
『鑑定』によれば、レベル80を越す強者だ。第一級冒険者にも肉薄するほどのものである。
ステータスだけで考えるならギランよりも遥かに強い。
士道の警告を聴きながらも、ルナールは薄笑いを浮かべている。
「ふむ」
カイザーはその翼を以って宙に浮き上がりながら、文字通り高みの見物の態勢に移っていた。
士道は睨むように目を細めるが、『鑑定』を弾くような敵だ。集の片手間に相手にできるような実力ではないだろう。
いろいろな考えを巡らせる士道を嘲笑うように、彼は告げる。
端的に。
「やってください」
「了解」
まるで聴き覚えのない落ち着き払った声が聴こえたのは、馬車の片側を守るレーナの方向からだった。
「なっ――」
その直後に、体を斬り裂くような音が鳴り響く。
士道は思わず絶句した。
「――レーナ!?」
驚愕。一瞬、心臓が凍った。
焦燥に駆られ、士道は目を剥いて振り返る。
だが、その行動は既に遅い。
「……な」
そして、呆然とする士道の背中に向けて。
「――隙だらけだぞ、奇術師」
集が、渾身の火魔法を叩きつけた。




