第5話 「墜ちた天使」
夜の帳が下りて数時間が経過した頃。
二代目獣王を名乗るガレス・ランズウィックは、寝台の上に寝転がりながら激しい咳をしていた。
「ゴホッ! ゴホッ……くそ」
どうやら、ただの風邪ではないようだ。
ガレスは体にまとわりつくような倦怠感を覚えながら、面倒くさそうにため息をつく。もしかすると重い病かもしれない。
「くそ、これから世界が荒れるかもしれないってときに……」
ガレスは吐き捨てるように呟いた。タイミングの悪さに吐き気がする。里の民を守ってこその獣王なのだ。
もし魔王軍がこの森林にまで侵攻してきたときに「病で動けませんでした」では話にならない。
だが、現実は受け止めなければならないのもまた事実だ。薬でも、治癒術でも何でも良い。この病をどうにかする方法が必要だ。
頭痛を堪えつつ、そんなことを考えた、その瞬間。
「やぁ。お呼びですか?」
「!?」
一瞬の空白。
猛烈な危機感に襲われたガレスは体を引きずるようにして立ち上がると、唐突に部屋に現出した人物に向けて声を上げた。
視界がぼんやりとしていて、体のレスポンスが遅い。
「誰だ!?」
いったい、どのタイミングで現れた。まさかとは思うが最初からこの部屋に居座っていたのか。いくら病で感覚が鈍っていたとはいえ、この近距離だ。気配を隠す程度でガレスを誤魔化せはしない。
だとすると、何らかの固有スキルによるものだろう。
「テメェは――」
侵入者の姿を視認して、ガレスは驚いて目を見張った。
顔立ちも、体格も、何の変哲もないただの青年だ。
だが、その背中にはまるで悪魔のような漆黒の翼が生えている。それは悪魔とは似て非なるものであり、むしろ対極に位置する存在――純白のはずの天使の翼。それが、違和感を覚える程にどす黒く染められていた。
ガレスは知っている。
それは、女神への忠誠心をなくし、天使だと認められなくなった存在。
「堕天使、だと……!?」
眼前に佇む、翼以外は何の変哲もない青年が僅かに眉をひそめる。
「その呼ばれ方はあまり好きではありませんね。いずれ、元に戻るものですし」
「……どういうことだ。そもそも、なぜ堕天使がこの里にいる!?」
「さてはて。それはご自分の体調に聞いてください」
堕天使は芝居がかった仕草で肩をすくめる。その立ち姿に隙は少ない。獣王たるガレスでも、打倒することは困難だという印象を受けた。
そう。困難とはいえ可能ではあるだろう、とガレスは相手の力量を正確に見抜いていた。
――万全の体調であったなら。
「ようやく効いてきたようで何より。流石は獣王といったところでしょうか」
堕天使の淡々とした口調に、ガレスの嫌な予感が増幅する。
(この病を仕組んだのはこいつか。なぜ堕天使が俺を狙う? 何のためにそんな周到な計画を……)
意図的に病に罹らせるなど、そんな所業が可能なのだろうか。
そもそもレベルオーバーたるガレスの体は頑強だ。毒関連の魔法など寄せ付けはしない。
そもそも、いくらもう若くないとはいえ、この頑強な肉体が体調を崩した時点で少し不思議だとは感じていたのだ。
ならば固有スキルの類いか。
しかし、そうだとしても身に覚えはない。病に罹らせるスキルなど聞いたことがない。
呪術師の類なら知っているが、その場合は呪いが罹ったことを正確に認識できるはずだ。
だが、いつ発動されたのかガレスにはまるで分からない。
「……ああ、別にあなたのそれは病というわけではありませんよ」
「何……!?」
堕天使の何気ない言葉に対してガレスは吠えるように尋ねるが、彼はそれ以上答えるつもりはないようだった。
その体に、ゆっくりと魔力が集う。
「……さて、計画も第二段階ですし、あなたには少し眠っていてもらいます」
堕天使は恐るべき速度で術式を構成。簡易な魔法陣を展開する。
天使や堕天使は人間と比べて魔力への親和性が高いので、魔法構築の手順もよりスムーズなのである。
僅か一秒の出来事。ガレスに向けて何かしらの魔法が発動する。
「――ッ!」
その瞬間。
ガレスはすべての疑問を脇に置いた。
何にせよ、この堕天使を潰せば後でどうにでもなるのだ。
確かに体調は悪いが、それでもガレスは歴戦の強者――ひとつの領域の壁を越えたレベルオーバーだ。
堕天使は確かに種族的に強い存在である。だが、その程度の差は経験でカバーしてみせよう。
そう考えたガレスが、今まさに放たれんとしている魔法を躱すために膝をぐぐっと曲げる。
刹那。
鋭く言葉が通る。
「頼みます」
「了解だ」
真後ろから、声。
(くそっ!? 堕天使のあからさまな魔法行使は陽動か――!)
咄嗟に振り向くと、そこには幽霊のように体の輪郭が希薄な青年がいた。
落ち着いた雰囲気のあるその男は、殺気を剥き出しにしてふりむくガレスに対して、掌を向けて一言。
「活動を停止せよ」
直後。
ガレスは意識を失った。
◇
翌日は、雲ひとつない青空だった。
神谷士道は北方の大陸らしい冷涼な空気を肌で感じながら、観光気分で里を散歩している。
とはいえ士道は一人ではない。
その後ろでは、何故かついてきたレーナ、リリス、ミレーユの三人がわいわいと騒ぎ立てている。
獣王たるガレスはまだ体調が治らないようで、屋敷で大人しく休んでいるようだった。
「あ、シドーさん、食べますか? この串焼き美味しいんですよ」
「ん、ありがと。……うん。いけるね」
「ちょ、リリスさん!? 当たり前のように取らないでください!」
「え、いまレーナ、食べますかって言ったじゃん」
「あなたに言ったわけじゃなくてですね……!」
「喧嘩はやめるのですよー!」
女の子のノリについていけない士道は安定のスルーを決め込んでいた。というか、この世界に来てからまともに男友達を作っていない気がする。気安く話せる相手が欲しい。
そういえばレーナが昨夜の会話を盗み聞きしていたようで謝罪をしてきたが、士道としては別に気にするようなことでもなかった。異世界人であることは隠すようなことでもない。
士道がそんなことを考えつつ歩いていると、
「ねえねえ。お姉ちゃん達は外から来たんでしょう? お話聴かせてよ!」
「あ、ぼくにも!」
「たしか冒険者だったよなぁ。レーナの奴とパーティを組んでたとか?」
「ん? そうだな。一時的にだけど」
「あれえ!? もしかして超級冒険者のミレーユさんですか!? サインください!」
「本当に? こんな子供が?」
「マジなのですよ! 私は凄い人なのですよ!」
「自分で言っちゃうのね……」
気づけば、気安い雰囲気を漂わせる里の人々に囲まれていた。
彼らはこの前まで閉鎖的な生活をしていたが、最近では『紛争地帯』を相手に交易もしている。
外の人間と確執があるわけではないようだった。
ちらりと見渡せば、猫や犬、狐など様々な特徴を持つ獣人達がいる。
(異世界ならでは……って感じだな)
士道は頬を緩める。
加えて言うなら子供が多い。いつの間にか士道の周りには、獣人の子供達が群れを成して集まっていた。
「おれも将来は冒険者になるんだ!!」
犬耳の鼻垂れ坊主が笑顔でそう言ってくる。周囲の子供達も、まるで士道が英雄であるかのように輝く目で見つめてきていた。
どうも、レーナが"上位悪魔討伐戦"における士道の活躍を脚色して子供達に語り聞かせているようだった。
「まあ俺もあんまり冒険者稼業に詳しいわけじゃないが……聴きたいのか?」
「聴きたい!!」
この里には、どこか暖かさを感じる。あまり覚えのない感覚だった。
現代日本では、何が起ころうと無関心な人が多かったからだろうか。
士道はニヤリと笑うと、
「よし、少年。友達を集めてこい。俺とレーナがこわーい悪魔を倒した話について話してやろう」
子供達は湧いた。リリスとミレーユも興味があるらしい。
士道は素直に笑いながら、のどかで平和なこの空気を楽しむことにしたのだった。




