閑話 「伯爵と竜騎士の対話」
「悪いな」
そう呟いたのは竜騎士アルバート・レンフィールドだった。
ソファに座っている彼は申し訳なさそうに俯いている。
その対面にいるノーランド・サザルーフ伯爵は薄い頭髪をガリガリと掻きながら、
「セドリックを失ったのは痛いが、冒険者勢の損害は許容範囲内だ。魔王まで現れたのにあの程度の被害で済んだのは奇跡といっていい。あまり気にせんでくれ」
「なら、いいんだが……」
アルバートは歯切れの悪い口調だった。彼が伯爵に謝罪をしている理由は単純なものだ。
魔王の封印が解かれたとき即座に駆けつける契約をしていたのに、到着するまでにかなりの時間を要したからである。
普段はライン王国王都を警護しているアルバートだが、ノーランドが魔道具を使って呼び出したとき、たまたまアクアーリアから遠く離れた場所に出張していたのだ。
それでも竜の速度は凄まじいので、何とか戦闘中に間に合うことはできた。
しかし犠牲を増やしてしまったのだ。
ノーランドは慰めるように、
「そもそも、『水天の輪』を悪魔に盗られたのは私の落ち度だよ。まさか古代魔法を行使してくるとは予想していなかった。済まない」
「どうせ封印は老朽化してた。そのうちに魔王は解放されていただろうし、時間が少し早まっただけだ。それ自体は大した問題じゃない」
二人が会話している場所は、アクアーリアの中央付近に位置する伯爵邸の応接室だった。
貴族らしく周囲には豪奢な意匠と飾り付けがなされている。
二人の会談は交渉という名目になっているのだが、実際はただの世間話だった。
いくら竜騎士とはいえ所詮は騎士爵であるアルバートは、伯爵であるノーランドにこれほど気安く話しかけるのは通常ならありえない。
つまり、二人は旧知の仲だった。
「魔王につけてる『ベル』はどうなんだ?」
「まだ気づいてないみたいだ。できればこのままアジトまで案内してくれると助かるんだけどね」
「そう都合良くはいくまい。そもそも、ライン王国付近に悪魔達のアジトがあるというのは本当なのかね?」
「まず間違いないさ。侵略された百年前とは違い、悪魔達が大手を振って歩ける場所は魔大陸ぐらいしかない。この地で活動するためには人の目に触れない場所に潜伏する必要がある。そして完全に隠し通せるものでもない。王国では悪魔らしき者の目撃情報が幾つも上がっている」
「とは言っても、帝国などでも似たような話は聞くぞ。最近は悪魔残党の動きが活発らしいからな」
「だが、今回の件は決定的だ。確か、上位悪魔――バーン・ストライクだったか? 奴の出現もかなり唐突だっただろう。有象無象ならまだしも、上位の悪魔が我々の網をかいくぐっているんだ」
「ふむ、理には適っているな。場所の目星はつけられているのか?」
「候補は幾つか。ただ、いずれもライン王国内なのが問題だな。……不死魔王リーファが向かってる方角から推測すると、おそらくは迷宮都市ローレンの近くにあるピレーヌ峡谷の所か」
「そもそも、単体で一国を滅ぼすとも伝えられる魔王が潜伏しようとする理由は何かね?」
「それは昔の伝承さ。あの頃とは違い、今は人間も強くなった。いくら魔王でも仲間を集めて機会を見計らわなくては、簡単に滅ぼせはしない。ましてやこのライン王国は世界屈指の強国だ」
「魔王派残党の悪魔狩りは進んでいるのだろう? この国でそう簡単に数が集まるか?」
「世界は広い。暴れ回るしか脳がないような奴らは討伐したが、黙して機会をひたすらに待っている奴だって相当数いる筈だ」
百年前。
サタン王国という強大な国があった。
それは屈強な魔物が数多く存在する魔大陸に築かれていて、人口の大半を悪魔が占めていた。
『三大魔王』と呼ばれる当時の王国首脳陣は、人間が支配している中央大陸やユーレンザラード大陸へと侵攻。
黒い翼に強大な魔力、高い身体能力を所持していて、当時は数も多かった悪魔達は猛威を振るった。
対する人間側は強国同士が手を結んだが、それでも魔王の脅威に屈して滅亡の危機に瀕していた。
そんな情勢の中、女神の光に導かれて光臨したのが勇者である。
魔を滅する聖剣を握った彼は、そのカリスマを以って人間側を指揮した。
勇者の絶大な強さと人々の士気の高まりによって、見事に形勢を逆転。
精鋭を連れて魔大陸にまで斬り込んだ彼は、ついに『三大魔王』を倒した。
その後、世界を滅ぼしに現れた魔神を相手にして、天使と呼ばれる存在の手を借りながらも、己の命と引き換えに封印に成功した。
そう伝えられている。
ノーランドは何となくその伝承を思い返し、ハッと気づいた。
「……待て、その迷宮都市ローレンには今、勇者がいるんじゃなかったのか?」
「……そうだな」
一月ほど前のことだ。
唐突に現界した『光の柱』に導かれ、世界に五人の勇者が光臨した。
そのうち四人が現れた位置は、ライン王国、ヴァリス帝国、ミラ王国、レーノ共和国。俗に『四強』と呼ばれる世界屈指の強国――その首都である。
最後の一人は運が悪かったのか、魔大陸の大迷宮『奈落』に落ちたと予測されている。
いくら勇者とはいえ生存は絶望的だという話だ。
「二代目の勇者達、か」
"世界に再び災厄迫りし時、光に導かれて勇者は再び光臨する"
「女神の伝承通りの出来事さ。流石に五人も現れるなんて予想はしてなかったが」
「それだけ世界が危険だという証ではないのか?」
「かもしれないな」
アルバートは楽観論は述べなかった。
今回の魔王復活にいろいろと思うところがあるのだ。
もしかして、百年前の戦争が再来するのではないかと。
深刻そうな顔をするアルバートに対してノーランドは葉巻に火をつけながら、
「フー…………。そういえば、まだ民衆には勇者の存在を公表していなかったな」
『光の柱』の出現により民衆に噂はされているが、まだ正式な公開はしていない。
勇者が光臨したということは、百年前のような世界の危機が訪れる前兆に他ならないのだから。
「まだ公開しないのか? 私はこのアクアーリアという貿易をメインとする都市を治めている。つまり耳が早いんだが、ヴァリス帝国は少し前に発表したようだぞ」
「まあ、いずれバレることだ。うちの王様もその辺は分かってる。大々的な発表の準備をしてるさ」
アルバートは肩を竦める。
彼はノーランドが言った言葉を思い返し、
「しかし勇者が迷宮都市にいるのは正直マズいな。おそらく鍛錬のために迷宮に潜っているんだろうが……いくら勇者と言っても彼はまだ成長途中だ。一度手合わせしたから分かるが、まだ魔王と戦えはしない。まさかとは思うが、リーファがリスク覚悟で動いたら殺されかねないぞ」
「あの不死魔王は気分屋だと云われているしな。それに、他の『三大魔王』は一人は死んでいるが、もう一人は行方不明だったか。百年も姿を見せないからまさかとは思うが……」
「流石にライン王国付近のアジトにはいないだろう。あれ程巨大な"災厄の龍魔王"を隠せる場所なんてそうはない」
それなら良いが、とノーランドはため息をついた。立ち上がって窓の外を見やる。
街はがやがやとした喧騒で賑わっていた。その光景を見て、ノーランドは頬を緩める。
この"いつも通り"を守ることが、貴族の責務だと改めて自覚した。
アルバートが来るまでに、上位悪魔を倒してしまったあの少年には、感謝してもしきれないだろう。
「あの少年のことか?」
アルバートはノーランドの思考を見透かしたように呟き、
「奴は怪物だよ。下手に利用しようとか考えない方が良い。直感だがな――いずれこの俺を越えるほどに強くなるだろう」
「王国最強と名高いお前を越えるのか。それは凄まじい逸材だな」
「一度会話しただけだが、この先が楽しみだよ。奴とはきっとまた何処かで会う。そんな気がする」
アルバートはそう言って楽しそうに笑みを浮かべた。
そういえば、とノーランドは呟き、
「前々から気になってはいたんだが、この国に光臨した勇者はどんなお人なのかね?」
そう尋ねるとアルバートは急に難しい顔になる。
「うーむ。まあ何というか、アレだな」
「どうした? 悪人なのか?」
「いや、ハゲだ」
「は?」
「だから……この国の勇者は……毛根が絶滅している」
「何だそんなことか。ハゲぐらい大したことではないだろう。私だってそう遠くない将来そうなるかもしれん」
「言うなよ」
「?」
「勇者の前でそんなことを言うなよ。この国に甚大な被害が出る。いいか? 決してハゲの勇者(笑)とか言うなよ。死人が出るぞ」
「あ、ああ」
ノーランドはアルバートの謎の迫力に押されて頷いた。
その後も暫く雑談をして、キリのいい所でアルバートは立ち上がった。
「もう帰還するのか?」
「竜騎士は忙しいものでね。人々の希望って役割が勇者に移れば、多少暇ができるかもしれない。……いや、無理かな。悪魔のアジトが見つかれば襲撃作戦が練られるだろうし」
嘆くアルバートを、ノーランドは愉快そうに笑う。
騎士学校時代の親友だった二人の間には、確かな重みのある絆を感じ取れた。
「……また会おう、アルバート」
「ああ。いずれ、必ず」




