表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/66

2.1

 道中初日。夕暮れ前のサラの宣言。

「あなたと結婚する気はありません!」

 10日後。道中最終日。夜明けのサラの発言。

「婚約ならいいですよ」

 即落ちではない。

 レイモンド・ギルマンが食べないせいだ。

 馬と御者が疲れたら休憩。その間に排泄と食料の補給を済ませる。休憩以外はすべて馬車に揺られて移動する。

 この間、レイモンド・ギルマンに熱心に口説かれ続けた、わけではない。

 逆だ。必要最低限の連絡事項しか話していない。

 現在地点はどこであるかと、時刻は何時であるかと、次の休憩はいつになるかと、向かい合っている席を交代しないかと、「あなたは食べないのですか?」しか話していない。

 初日に結婚する気はないと宣言したサラに、レイモンド・ギルマン伯爵は残念そうに、

「そっか……。気が変わったら教えてね」

 と返答した。

 下手に気を持たれてはたまらない、とサラが

「なるべく話しかけないでください」

 と自分でも感じが悪いと思う言い方で伝えた。

 伝えた結果である。

 本当に一切の雑談がなかった。

 最初は機嫌を損ねたのかと思ったサラであったが、レイモンド・ギルマンの表情は穏やかだ。

 サラの視線が自分の方に向いているのに気づくと、にこっと笑って手を振る。サラは気まずくなって視線をそらす。

 なんだか、いじめてしまっている気になるのだ。

 お互い馬車の中ですることもないのだ。座っているか寝ているか食べているか、いずれかしかない。

 サラから話しかければ済む話なのはわかる。

 しかし、サラには、必要最低限以上の言葉を口に出す能力がない。

 相手から話しかけられなければ、雑談というものは不可能なのである。

 自縄自縛とはまさに今の状況だ。

 いったい世の中の人間は、どういう能力で天気だの季節だの暦だの他人の噂だの、何も得るものが情報を口に出しているんだ!

 実力を買ってくれた王には悪いが、王さえ口を挟まなければ「普通に世間話ができる」能力のみで妹が聖女になっていただろう。

 あげく、レイモンドは食べすらしない。

 休憩の度に、御者が馬車の中で食べられる物を買ってくる。

 サンドイッチや干しぶどうから、新鮮なサラダ、フルーツ、鳥のテリーヌやゆで卵。申し分の無い食事だ。

 それなのに、御者が買ってくる食べ物に、レイモンド・ギルマンが食べる分はない。

 サラの分もある。御者の分もある。主人であるレイモンド・ギルマンの分だけがないのだ。

 サラが眠るために目をつぶったタイミングで、隠れるように水を飲み干すだけで、レイモンド・ギルマンは一切の食物を口にしない。

 ごちそうを受けている自分だけ食べるのも気が咎め、サラはレイモンド・ギルマンに毎回問うた。

「あなたは、食べないのですか?」

 返事は毎回こうである。

「今、おなかいっぱいなんだ」

「ちょっと食欲がなくて」

「私は大丈夫、気にしないで」

 休憩中に、あれは大丈夫かと御者に聞くも、答えられないと言われてしまう。

 明らかに、レイモンド・ギルマンに口止めされている。

 馬車に酔ったにしては、吐いた様子もない。

 やはり最初に見た印象のまま、何かの病気なのだろうか。

 なら、サラは病気を押して駆けつけてくれた赤の他人に、とんでもなく冷たくしてしまっている。

 病気でなくとも、だ。

 レイモンド・ギルマンは食べ物を食べないだけで、腹は空かしているのである。

 サラが食べているときに、サラの方を見ない方にする上、食べ物を見てしまったら、一瞬目を奪われている。

 食べない者につきあって空腹でいてやる気は毛頭無いが、腹ぺこの人間の前で食べる食事がうまいはずもない。

 あげく、レイモンド・ギルマンはどんどん弱っていくのだ。

 出発して4日目あたりから、起きているのもつらいらしく、馬車の座席で横になっている。

 そして、9日目の真夜中。

 明日で10日。人間が水だけで生きる限界日数。実際の人間の体は、そこまで(しやく)()(じよう)()ではない。

 初対面で求婚して直後に餓死するな。

 夜道を馬車は走り続ける。馬車に取り付けられたカンテラが照らす道は、山間の一本道である。

 スナイパーは夜目が利く。

 レイモンド・ギルマンはぐったりと座席に横たわり、腹を抱えるように丸くなっていた。

 彼の身長では、横になるにはその姿勢しかないのだが。

 弱い生き物の眠り方だ。

 彼はなぜ絶食を続けているのか。なぜ絶食するにもかかわらず、サラを助けに来てくれたのか。

 一歩間違えただけで、30人の魔人どもに、彼は八つ裂きにされていた。

 サラは前回の補給で受け取った、ゆでたカボチャををティースプーンで、たんねんにスープ皿におしつけてつぶしていた。

 絶食が続いた人間が、急に消化の悪いものをたべると死ぬ。

 レイモンド・ギルマンから寝息が聞こえる。よくない兆候だ。空腹で失神したのと同じ眠りだ。

 ペトルシア領の街が近いのだろう、山道にも関わらず、舗装されているため馬車の揺れが少ない。

 音を立てないよう、粉になるまでつぶしたカボチャに、サラは水と砂糖を少し注いで練った。

『サラが好きだよ』

 スープ皿を手に椅子から降り、彼が寝ている側の席の下に膝をついた。

 そっと静かに、スプーンで練ったカボチャをすくい、彼のくちびるの隙間に差し入れる。

 眠ったままの、19歳の青年は、ひな鳥のようにスプーンの中身を飲み込んだ。

 空が白み始めた。夜明けで目を覚ます前に、しかし喉に詰まらせないようゆっくりと、注意深くサラは、彼の口の中にスプーンを差し入れた。

 スープ皿が空になる、太陽が明るくなる。レイモンド・ギルマンが夢うつつに言う。

「おいしい……」

 サラはさっとスープ皿をかくす。レイモンド・ギルマンが目を開けた。

「おはようございます」

 サラは、何事もなかったかのように挨拶をした。

 レイモンド・ギルマンはとても幸福そうに笑った。

「おはよう、すごくいい夢見てた気がする」

 まだ起き上がる力のない彼に、サラは話しかけた。

「レイモンド様」

「わ、伯爵じゃなくて、名前で呼んでくれた」

 サラが抱いた感情は恋ではない。

 この奇妙で支離滅裂な行動ばかり取る破綻者に、恋愛感情を抱く女などいるものか。

 ただ、ほうっては、おけない。

「婚約ならいいですよ」 

即落ちではない(と、主張するコミュ障スナイパーであった)。

次回更新は12月23日(月)! よろしくです!

お気に召したら評価をポチっとお願いします♡

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ