2.1
道中初日。夕暮れ前のサラの宣言。
「あなたと結婚する気はありません!」
10日後。道中最終日。夜明けのサラの発言。
「婚約ならいいですよ」
即落ちではない。
レイモンド・ギルマンが食べないせいだ。
馬と御者が疲れたら休憩。その間に排泄と食料の補給を済ませる。休憩以外はすべて馬車に揺られて移動する。
この間、レイモンド・ギルマンに熱心に口説かれ続けた、わけではない。
逆だ。必要最低限の連絡事項しか話していない。
現在地点はどこであるかと、時刻は何時であるかと、次の休憩はいつになるかと、向かい合っている席を交代しないかと、「あなたは食べないのですか?」しか話していない。
初日に結婚する気はないと宣言したサラに、レイモンド・ギルマン伯爵は残念そうに、
「そっか……。気が変わったら教えてね」
と返答した。
下手に気を持たれてはたまらない、とサラが
「なるべく話しかけないでください」
と自分でも感じが悪いと思う言い方で伝えた。
伝えた結果である。
本当に一切の雑談がなかった。
最初は機嫌を損ねたのかと思ったサラであったが、レイモンド・ギルマンの表情は穏やかだ。
サラの視線が自分の方に向いているのに気づくと、にこっと笑って手を振る。サラは気まずくなって視線をそらす。
なんだか、いじめてしまっている気になるのだ。
お互い馬車の中ですることもないのだ。座っているか寝ているか食べているか、いずれかしかない。
サラから話しかければ済む話なのはわかる。
しかし、サラには、必要最低限以上の言葉を口に出す能力がない。
相手から話しかけられなければ、雑談というものは不可能なのである。
自縄自縛とはまさに今の状況だ。
いったい世の中の人間は、どういう能力で天気だの季節だの暦だの他人の噂だの、何も得るものが情報を口に出しているんだ!
実力を買ってくれた王には悪いが、王さえ口を挟まなければ「普通に世間話ができる」能力のみで妹が聖女になっていただろう。
あげく、レイモンドは食べすらしない。
休憩の度に、御者が馬車の中で食べられる物を買ってくる。
サンドイッチや干しぶどうから、新鮮なサラダ、フルーツ、鳥のテリーヌやゆで卵。申し分の無い食事だ。
それなのに、御者が買ってくる食べ物に、レイモンド・ギルマンが食べる分はない。
サラの分もある。御者の分もある。主人であるレイモンド・ギルマンの分だけがないのだ。
サラが眠るために目をつぶったタイミングで、隠れるように水を飲み干すだけで、レイモンド・ギルマンは一切の食物を口にしない。
ごちそうを受けている自分だけ食べるのも気が咎め、サラはレイモンド・ギルマンに毎回問うた。
「あなたは、食べないのですか?」
返事は毎回こうである。
「今、おなかいっぱいなんだ」
「ちょっと食欲がなくて」
「私は大丈夫、気にしないで」
休憩中に、あれは大丈夫かと御者に聞くも、答えられないと言われてしまう。
明らかに、レイモンド・ギルマンに口止めされている。
馬車に酔ったにしては、吐いた様子もない。
やはり最初に見た印象のまま、何かの病気なのだろうか。
なら、サラは病気を押して駆けつけてくれた赤の他人に、とんでもなく冷たくしてしまっている。
病気でなくとも、だ。
レイモンド・ギルマンは食べ物を食べないだけで、腹は空かしているのである。
サラが食べているときに、サラの方を見ない方にする上、食べ物を見てしまったら、一瞬目を奪われている。
食べない者につきあって空腹でいてやる気は毛頭無いが、腹ぺこの人間の前で食べる食事がうまいはずもない。
あげく、レイモンド・ギルマンはどんどん弱っていくのだ。
出発して4日目あたりから、起きているのもつらいらしく、馬車の座席で横になっている。
そして、9日目の真夜中。
明日で10日。人間が水だけで生きる限界日数。実際の人間の体は、そこまで杓子定規ではない。
初対面で求婚して直後に餓死するな。
夜道を馬車は走り続ける。馬車に取り付けられたカンテラが照らす道は、山間の一本道である。
スナイパーは夜目が利く。
レイモンド・ギルマンはぐったりと座席に横たわり、腹を抱えるように丸くなっていた。
彼の身長では、横になるにはその姿勢しかないのだが。
弱い生き物の眠り方だ。
彼はなぜ絶食を続けているのか。なぜ絶食するにもかかわらず、サラを助けに来てくれたのか。
一歩間違えただけで、30人の魔人どもに、彼は八つ裂きにされていた。
サラは前回の補給で受け取った、ゆでたカボチャををティースプーンで、たんねんにスープ皿におしつけてつぶしていた。
絶食が続いた人間が、急に消化の悪いものをたべると死ぬ。
レイモンド・ギルマンから寝息が聞こえる。よくない兆候だ。空腹で失神したのと同じ眠りだ。
ペトルシア領の街が近いのだろう、山道にも関わらず、舗装されているため馬車の揺れが少ない。
音を立てないよう、粉になるまでつぶしたカボチャに、サラは水と砂糖を少し注いで練った。
『サラが好きだよ』
スープ皿を手に椅子から降り、彼が寝ている側の席の下に膝をついた。
そっと静かに、スプーンで練ったカボチャをすくい、彼のくちびるの隙間に差し入れる。
眠ったままの、19歳の青年は、ひな鳥のようにスプーンの中身を飲み込んだ。
空が白み始めた。夜明けで目を覚ます前に、しかし喉に詰まらせないようゆっくりと、注意深くサラは、彼の口の中にスプーンを差し入れた。
スープ皿が空になる、太陽が明るくなる。レイモンド・ギルマンが夢うつつに言う。
「おいしい……」
サラはさっとスープ皿をかくす。レイモンド・ギルマンが目を開けた。
「おはようございます」
サラは、何事もなかったかのように挨拶をした。
レイモンド・ギルマンはとても幸福そうに笑った。
「おはよう、すごくいい夢見てた気がする」
まだ起き上がる力のない彼に、サラは話しかけた。
「レイモンド様」
「わ、伯爵じゃなくて、名前で呼んでくれた」
サラが抱いた感情は恋ではない。
この奇妙で支離滅裂な行動ばかり取る破綻者に、恋愛感情を抱く女などいるものか。
ただ、ほうっては、おけない。
「婚約ならいいですよ」
即落ちではない(と、主張するコミュ障スナイパーであった)。
次回更新は12月23日(月)! よろしくです!
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