1.4
「わーい、トントン拍子に結婚できちゃった」
馬車に乗りこんだとたん、レイモンド・ギルマン伯爵は、手足を伸ばして歓声を上げた。 年齢に似合わぬ幼い喜び方に、サラの張り詰めていた気がゆるむ。
タイミングのいい冗談だ。トントン拍子、まったくである。
レイモンド・ギルマン伯爵の唐突なサラへの求婚に、長老は即答した。
「認める」
長老の一言で、30人の魔人どもはいっせいに矛を収め、ぞろぞろと聖堂から立ち去り始めた。
「待ってよ! お姉様はわたくしを殺そうとしたのよ!? 早くお姉様を殺してよ!」
メアリの派閥に入っていた者のうち、聖堂にいた者はヒステリックにわめくメアリをなだめにかかったが、サラに立ち向かう者はおらず。
父親が猫なで声でメアリに言った、
「いいじゃないか。これでお前が聖女になると決まったんだ」
の、甘やかしがすべてだからだ。
聖女になれるのは、16歳~18歳の未婚の娘。
結婚すれば聖女の資格はなくなる。
よって、サラを謀殺する理由もなくなる。
反論の余地のない、見事なハッタリだ。
サラもライフルを背中に戻した。
聖堂に残った長老は、歯の抜けた口で言った。
「ペトルシアか、これも因果よの」
こうしてサラとレイモンド・ギルマン伯爵は、悠々とラクール一族の教会を出て、門前に停めてあった馬車に乗りこめたわけである。
馬車が走り出した。
サラとレイモンド・ギルマン伯爵は、向かい合わせに座っている。四人乗りで座席が向かい合わせになっている形式の、四頭立ての馬車である。
「助けていただいて、ありがとうございました」
サラはライフルを抱え、レイモンド・ギルマン伯爵にお礼を述べた。
「危うく、殺すと決める前に、殺さざるを得なくなってしまうところでした」
レイモンド・ギルマン伯爵は目を丸くした。
「あの場で皆殺しにする自信があったの?」
サラは首を振る。
「いいえ。皆殺しにする前に、私が殺されていたでしょうね」
「そっちの方が問題じゃないか」
「いいえ。殺される前に半数は殺さざるを得なかったでしょう。私を含め誰の命にしても、生死の決定ができない方が問題なのです」
「さっきは決定してなかったの?」
サラの視線がとがった。
「生死という重大な決定を、場の流れや思いつきで軽々にしてはならない」
口にしてから、サラはハッとする。
命の恩人に対して、今の態度はあまりにも無礼だ。
「ごめん、軽率だった」
なのに、謝ったのはレイモンド・ギルマン伯爵の方だった。
眉を寄せた表情は、みるからにしゅん、としていて、まるで子どもに八つ当たりをしてしまったような罪悪感を覚える。
「いえ、私の方こそ、無礼な振る舞いをいたしました」
すみません、と頭を下げると、彼は
「気にしないで!」
と大きく首を振って、言った。
「簡単に人を殺せるのに、命を大事にするサラが好きだよ」
サラの胸が、一瞬大きく高鳴った。
「なんですかいきなり」
「好きだなーと思ったから」
サラは黙って、フードを目深にかぶって顔を隠した。
気づけば王都は、夕暮れを町並みに写していた。個人商店が店じまいをし、夜の職業の者たちが、裏通りに入っていく。もうすぐ王都を出る頃合いだ。
王国のあちこちを、害獣駆除にまわっていたので、あまり思い出のない王都だが、それでも感傷はあった。
初対面の貴族によるハッタリで、生きのびたとあらばよけいにだ。
サラは、気がかりを口にした。
「どうやって、私が殺されかけているとご存じになったのですか?」
「君のお母上が助けを求めたんだよ」
やはりか。
人形のように動かなかった母を思い出し、声をかけずに別れて正解だったと安堵する。
この先、母はサラを助けたと知られることなく、聖女の母として安定した生活を送れるだろう。
日頃、自我というものを出さない母が、思い切ってくれたものだ。
感謝の念と同時に、実の娘同士が殺し合い、夫が殺し合いに加担したことが、母にとって生涯心の傷となると想像できた。胸が痛む。
気遣うように、声の調子をやわらかくして、レイモンド・ギルマン伯爵は説明を続けた。
「君が拘禁されている間に、お母上がバートン卿に手紙を書いたんだ」
「バートン卿に?」
アルフォンス・バートン卿は元王室政務管理官だ。
先代の聖女が、王室で最も力になってくれる方だと言っていたと、母から聞いている。
初めて聞いたときは、一族の者よりも? と怪訝に思ったものだが、成長して理解した。
まだ王が幼いうちに、聖女となった先代は、一族の都合のよい傀儡だったのだ。
先代聖女が心から信頼できる相手は、一族とは無関係のバートン卿だけだったのだろう。
レイモンド・ギルマン伯爵は、白い手袋に包まれた人さし指を立てた。
「バートン卿は、先代の聖女様に言い残されたそうだよ。妹に何かあったら、助けてあげてって」
妹、つまり母を指す。先代聖女は、サラとメアリの伯母だ。
「なるほど。それで母は、バートン卿に助けを求めたのですね」
一族のために自我を押し隠すよう生るた姉妹だった先代聖女は、母への手紙にいつも書いていた。
『娘たちには、やりたいようにさせておあげなさいね』
やりたいようにやった娘たちの、姉は社交性皆無のスナイパー、妹は権力のために姉を殺そうした、とは、ちょっと皮肉が効きすぎているが。
「バートン卿は私の大叔父でね。私もずいぶんとお世話になったんだ。いつか恩返しをしなくちゃと思ってたけど。びっくりしたよ、引退したと思ったら、いきなり「大至急王都に来て結婚しろ」だもの」
「バートン卿は引退なさったのですか?」
サラの問いに、レイモンド・ギルマン伯爵の方がきょとんとした。
「うん。先代の聖女様が亡くなってすぐに引退したよ。けっこうな反対を押し切ってで、あの歳の貴族が結婚もせずだから……。ペトルシアみたいな田舎ですら、うわさになってたんだけど……。知らない?」
「あいにくと、半年ほど山中にこもっていましたもので」
「へえ、世俗から離れてたんだ。ストイックだね」
「そういうカンジではないですね」
くまのある目を輝かせて賞賛されたが、ドラゴンを撃墜するためにひそみ続けるのは、世ではなくとも俗だろう。
さらに俗な想像をしてしまうと。
聖女は生涯未婚が求められる。先代聖女に最も力になってくれた男が、貴族にも関わらず結婚もせず、聖女が死ぬと同時に政治の場から退き、それでいて遺言には即対応する――。
まあ、口に出さずともうわさになっているだろうし、おそらくうわさ通りだろう。
「伯爵」
「レイでいいよ」
「ご身分がありますので……。それにしても、ずいぶんな冒険をさせられてしまいましたね。改めて御礼申し上げます」
それで、と改めて問う。
「私をどこで馬車から降ろされるおつもりなのでしょうか?」
場を切り抜けるためとはいえ、結婚を申しこむとは、ずいぶんな冒険、いや、綱渡りだ。
しかし、サラを連れ出すのには成功したのだから、これ以上の援助を求めるのはずうずうしいだろう。
どこまで逃がしてくれるかはわからないが、ヴァルドラガン王国に山は多い。隠れ住む山中にはことかかない。
「ペトルシアだけど?」
「それは助かります」
国境沿いの辺境。それも山岳部まで送ってくれるとはありがたい。
一族には、すぐに求婚はハッタリだと気づかれようが、既に聖女候補から脱落したサラを、辺境で山狩りまではすまい。
「ごめんね、ペトルシアはかなり遠いから、あんまり休憩できないと思うし。危険だから馬車で車中泊だし……」
「いえ、お詫び申し上げるのはこちらの方です。何から何までお世話になって――」
四人乗りの馬車なのだから、小柄なサラは車中泊でものんびり眠れる。野営に比べれば、雨風が防げる上に床もあるなど天国だ。
「でも、ほぼ初対面の若い男と、同じ空間で寝るって抵抗あると思うし」
「……?」
待った。この男、自分も車中泊する気なのか? 貴族が? 正気か?
正気そのものの心配顔で、レイモンド・ギルマン伯爵は言う。
「私たち、結婚するまでお互いをぜんぜん知らなかっただろ?」
「あなた、本気で結婚する気なんですか!?」
サラは、妹に謀殺すると告げられたときにも上げなかった、驚愕の大声を上げた。
「えっ……」
レイモンド・ギルマン伯爵も、驚愕の大声を上げた。
「私たち、もう結婚した後じゃないか!」
「あなたと結婚する気はありませんが!?」
スナイパーはこだわりが強く気難しい。
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