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十二月二十四日⑦

十二月二十四日⑦


 それからは腕を組んだしりなかった。横に並んで歩いてはいるが、俺と藤村の間には僅かながらスペースがある。俺と藤村の距離感はこれくらいがちょうどいいのだが、少しだけ調子が狂う。

「成瀬君は寒いの苦手なんだっけ?」

 先ほどからずっと黙ったままだったのだが、この重苦しい雰囲気を嫌ったのか、はたまた恋人らしからぬ様子に焦りを感じたのか。まあどちらもほとんど同義だろう。

「ああ。俺は冬を呪うくらい寒さが嫌いだな」

 俺はあまり嫌いなものなどない(苦手なことはあるが)。しかし、寒さだけは嫌いなのだ。こればかりはどうにもならない。

「じゃあ今日は大変だね」

 なぜそこで他人事なのだろうか。こいつの考えていることはさっぱり分からない。メンタルが強すぎる。

「あんたは寒いの強いのか?」

「そうだね、嫌いじゃないよ。暑いのも寒いのも。私は四季を楽しむ人間だから」

「そりゃ日本に生まれてよかったな」

 うらやましい限りである。

「成瀬君、冬を楽しめないのは少しもったいないと思うよ。ほら、日本って冬のイベント多いし」

 そんなことないだろう。イベント、というくくりならば、加えて全国どこでもいいというならば、どの季節が取り立てて多い、ということはないはずだ。藤村が言っているのは、恋人たちのイベントの話だろう。今日なんて、まさに恋人たちのイベント、それも筆頭と言っていいだろう。

「言わんとしていることは分かるが、それでも嫌いなものは嫌いなんだ」

 それに、冬の間全く外に出ないわけではない。今日だって、こうして遠くまで出てきている。ま、冬眠できたらどんなにいいか、と考えてはいるが。

「ふーん。男子って寒さに弱い人が多いのかな」

 どうだろうか。麻生はそんなことなさそうだ。というか、あいつは人生そのものを大いに楽しんでいるところがあるから、藤村と同じように四季折々の気候を楽しんでいるだろう。

「人によるんじゃないか?」

「そうかな。私の元カレも冬が嫌いだったな。今はそんなことないみたいだけど」

 また元カレか。よく出てくるな。しかも、またしても俺と比べているような雰囲気だ。止めてもらいたいね。なぜ俺がお前の元カレと比べられなきゃいけないのだ。

「元カレとも、クリスマスにここに来たのか?」

「うん、来たね。連れてくるの大変だったよ、成瀬君より」

 俺が抵抗したのは、最初だけだからな。

「思い出もあるけど、いいものばかりじゃないよ。特にクリスマスは」

 不意に視線を動かす。何かを見つめるように目を細めると、

「付き合う前と付き合ってからのギャップはなかなか埋めがたいものがあるよね。それでも好きだったんだけど」

 何やら深い事情があったようだ。今でも未練があるようだが、当時はどうにもならなかったようだ。今更やり直すつもりはないようだが、別れたことは後悔しているようだな。

「…………」

 何でこのタイミングで黙るんだ?俺に何か意見を求めているわけではあるまい。俺が何かを言うとしたら、『まあ、そういうこともあるだろうな』という適当な返事しかできないぞ。俺は恋愛関係は専門外だからな。そういう話はクラスの女子にでも聞いてくれ。

 しかし、これは無駄な考察だった。

「私も、」

 と切り出した藤村は、先ほど同様どこか遠くを見るような目で、

「私も年上が好きだったけど、向こうも年上が好きでね。お互い、微妙にタイプからはずれていたみたい。最初は些細なことだと思って気にしなかったんだけど、いや最後まで些細だったんだよ。でも些細じゃないことのように感じてしまって、お互い意識しすぎたんだと思う」

「なるほど」

 こんな適当な相槌しか打てない自分が少し情けない。

「ま、今更こんなこと言ってもしょうがないんだけどね。同じ過ちは犯さないようにしないとね。成瀬君も気を付けたほうがいいぞ。女の子は何も考えていないようで、実はとんでもなくいろいろ考えているからね。一言一言気を付けるべきだよ。その後のフォローも大切」

 どうやらこの重い話は終わりのようだ。

「肝に銘じておくよ」

「嫌な別れ方すると、仕返しされるかもしれないよ」

「それは避けたいな」

「ま、成瀬君に限ってそれはないと思うけど」

「何を根拠にそんなことを言っているんだ?」

「何となく、かな。女の勘ってやつ?私の勘は結構当たるんだよ」

「それは期待できるな」

「成瀬君の言葉って、本当に誠意が感じられないよね。そういうの気を付けたほうがいいって言っているんだけど」

「でも、俺に限ってそんなことはないんだろ」

「私の勘だよ。信じないほうがいいと思うな」

「どっちなんだよ」

 重かった会話はいきなり軽く内容のないような会話になった。それからは先ほどと打って変わって、会話が途切れなくなった。今日は俺と藤村を取り巻く雰囲気の変化が目まぐるしい。それを行っているのは、主に藤村だ。おそらく二人を取り巻く雰囲気同様、藤村の心の中も何かが目まぐるしく変化しているに違いない。

 考えることは多々ある。藤村の行動言動ははっきり言って意味不明だが、それでも何かしらの意図があるに違いない。今の話にも意味があると思う。それを突き詰めれば、何か見えてくるはずだ。先ほどから何か何かと言い過ぎているな。それほど何もつかめていないということだ。そんな状態で大丈夫なのだろうか。

「ところで、」

 急に話題を変えてきたところで、意識を藤村本人に戻した。

「成瀬君、今楽しんでいる?」

 どうだろうか。正直、とても楽しいとは言えない。俺は人ごみが苦手だし、こういうわいわい騒いで盛り上がるようなイベントも苦手なのだ。しかし、

「割と楽しんでいるのかもしれない」

 なぜ、こう思ったのだろうか。それはおそらく藤村のせいだろう。

 案の定、藤村は目を見開いて驚いた表情をしている。ま、俺だって意外なのだ。彼女が驚くのも当然と言える。

「本当だったら、『またすごく曖昧な表現ね』って突っ込むところだけど、成瀬君が言うと、ずいぶん楽しんでいるように聞こえるね。一応聞くけど、本当なの?」

「おそらく、な。あんまり人ごみが気にならなくなってきた。寒いとは思っているけど。嫌なことが気にならなくなってきたってことは、それ以上の何かがあるってことだろ」

 自分の感覚のことであり、自分でも曖昧なのだ。口に出すとさらに曖昧な表現になるな。俺は自分のことを他人に聞いているらしい。しかし、

「へえ。意外だけど、嬉しいね。やっぱり一緒にいる人が楽しんでいないと、こっちも申し訳ないし」

 と言った直後、

「あ」

藤村は『しまった』というような表情をした。俺はため息をつく。藤村は苦笑。いつもなら、見て見ぬふりをして触れずに話題を変えるところだが、おそらく藤村は自分が表情に出してしまったことに気付いているのだろう。ここは放置するほうがお互い後味が悪いと思う。

「あんたはどうなんだ?楽しんでいるのか?」

 分かりきった言葉。藤村は照れ笑いで、

「成瀬君は本当に律儀だな。わざわざどうも」

 礼を言われても困る。

「ごめん。私はまだよく分からないや」

 これも分かりきった言葉だった。

「だったらなぜ俺に楽しんでいるかどうか聞いたんだ?」

 おそらくこれも。

「何でだろうね。たぶん、成瀬君には楽しんでもらいたいんだと思う」

「それは結構だが、楽しくない、と答えると思っていたんじゃないのか?」

 意外、と言ったのだ。想像と違った答えが返ってきたのだろう。

「……それも分からないや。考えてみるね」

 そこまでしなくてもいいのだが、藤村は黙り込んで歩き出した。俺もその後を追う。またしても俺と藤村の雰囲気は変わってしまった。落ち着かないね、まったく。ま、一言だけ言わせてもらおう。

「おい、藤村」

「ん、何かな?」

「さっき言ったこと、覚えているか?」

 一瞬の思案顔。

「さっきっていつ?」

「あんたが楽しめるよう、協力してやるって言ったことだ」

「あぁ」

 思い出したようだ。

「俺の言葉にどれだけ誠意を感じなくても、その言葉は本当だ。できれば、どうすれば楽しめるのか、というところも考えといてくれ」

 俺の言葉に、しばし呆然としていた藤村だったが、やがてはっきりと微笑んで、

「ありがとう。そっちも考えておくね」

 その微笑みは、今までの悲しそうなものとは違っていたように感じた。


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