エピローグ
食後の紅茶を飲みつつ、一面を軽く流し読んだ新聞をテーブルに置く。
昨夜の戦いを経て地上に出た後、近くの人通りのなかった教会内の茂みにミリカを隠して部屋に戻り、荷物を確保した。
最初は諦めるつもりだったのだが、窓から漏れる火が二階までだったことと、最高指揮官を失って混迷を極めていたのを見て、取りに行くことを決めた。
残り少なかったが予備の銃弾もあったし、最近まとめて入ってきた報酬や最低限の野営道具などもあり、遠からず追われる身になる公算の高い現状ではのどから手が出るほど欲しかったのだ。
その後、予備の服に着替えた上で、夜は一般人の通行を禁じている城門が開くまで時間を潰すために街に潜伏することにした。
現在は、途中で買った新聞を持って中央大通りのオープンカフェで早めの朝食を摂っている。遊撃騎士殿も見習い二人も内通者だった二人も居ない現状では、速やかに俺たちを特定して手配することはありえないという判断だ。ついでに、この時間に営業していて、子ども連れで入れる食事を摂れそうな店がここだけだったこともある。
どの程度情報が流れているのかを確認するために新聞を買ったが、昨夜の今朝ということもあり、やはり大した情報は載っていない。記事のほとんどは昨夜の火事とその前の大規模襲撃を繋げて一連の事件ではないかという考察で、昨夜の死傷者や損害などについての具体的な情報はない。
情報統制がなされているだけの可能性もあるが、司令塔を失った状態では誰かが権力掌握に動いたとしても朝までにそんな動きを取れるとも思えず、この街の新聞社ですらこの程度なら他の街――特に聖都まで状況が伝わるには多少時間が掛かるだろう。いくら手が早くとも、朝一で街を出れば聖都の手からも逃げられるはずだ。
そう言えば、あの火事で教会の地下区画にあったの動力炉にも火が回って停止しただろうし、教会所有の電話が使えなくなったことでも時間が引き延ばせないか? ――あれだけの大型施設に設置するほどの動力炉は高価故に一つの教会に複数あるとも思えず、得られるのは、誰かが権力を掌握するまでと、掌握した人間が他で電話を借りることに思い至るまでの時間だ。計算するには情報が足りないし、ないものとしておこう。
そうして情報を整理しながらいくつかの逃走ルートを考えるが、向かいの席でシロップたっぷりのパンケーキを小さな口で無心に食べ進めるミリカを見て、思考が切り替わる。
彼女の用いた異能らしき能力については相棒とも話し合った。
死者の蘇生。
魔術では不可能であり、恐らくは回復系の異能。それでも、ここまで強力なものは聞いたことがない。属性は、回復系である以上は水か光のはずだが、不明。
まあ、紫炎なんて使っている俺も十分に前代未聞であり、未解明の事項も多い異能者だから、と言ってしまえばそれまで。
聖都が信仰機関にも黙ってこの娘を調べようとしていたのは、この力について知っていたからだろう。高位の治癒『らしき』との文言も、誤魔化すため。
あまり広まっては、遊撃騎士殿のように死者蘇生に反発する連中の手前、恩恵を受けられなくなる――という理由が一番ありそうだろうか。教えがどうあれ、永遠の命は、古来から多くの権力者が求めていたことだ。
そうだったとすると、枢機卿会議の穏健派と強硬派の対立の意味も変わってくる。自ら恩恵を受けるかは別にしても、死者蘇生など、あまりの常識外れに扱いに困っただろう。
そして話し合いの最後に、相棒には『二度目はアテにするな』と釘を刺された。
曰く、明らかに魔術とは違っていたが、魔力に意思がなかった。曰く、翼の生えていた間のミリカは体内の魔力の流れが異常だった。曰く、あれは状況的にどう考えても制御されて起きた現象ではない。
あれは覚醒では無く暴走。ミリカが異能者だとすればそういうことだろう。
だが、俺はそこを難しく考える気はないし、考える情報を得る手段もない。
俺にとって、この戦いは『ミリカ』のためのものだった。
それがどちらのミリカのためだったのかは未だに分からない。どちらにしろ、救うのならばこの少女を救うしかなかったから救った。結果として俺は目的を果たし、彼女に宿る絶望と恐怖を希望へと変えることもできた。
だが、一つの考えが頭から離れない。
――これはただの代償行為だ。
俺の過去を救うために、今を生きる者たちの人生を狂わせた。未来を潰した。これは許されざることではないか?
今を生きるミリカを救った。今更嘆いてもどうにもならない。これも分かっている。
しかし、落ち着いたからこそ、後悔から逃れられない。
「……ん」
四人掛けのテーブルの向かいに座るミリカが右手を差し出してくる。
「これは?」
「……手。にぎって」
言われた通りに左手で握り返すと、微笑み……らしきものを浮かべてくれる。
恐らく、励ましてくれているのだろう。ただ、笑顔にはもっと慣れる必要があると思うが。
ミリカはそのまま、左手だけでパンケーキをもふもふと食べ続けている。
気持ちは嬉しいのだが、周囲にまばらに居る客たちの微笑ましいものを見る視線が少し恥ずかしい。
「いやあ、兄貴もやるっスね。こんな美少女を引っ掛けるなんて」
現れたのは突然だった。近付かれたことにも気付かなかった。
「ポルタか。そうか、お前か。思っていたよりもずっと早かったな。想定がすべて崩れた。もう粛清しに来たのか」
「粛清? 何のことっスか? ――あ、おねーさーん! オイラ、モーニングセットのトーストと紅茶でお願いするっス」
本気で分からないという素振りをするポルタは、あくまで自然に席に着き、あくまで自然に自分の分の朝食を頼んでいる。
「逆に聞こう。それ以外で、信仰機関の後方要員が三日も続けて特定の前線要員に会いにきた理由は何だ?」
「弟分が兄貴に会いにくるのに理由なんて――ウソ、ウソっス! だから腰に当てた手を離して欲しいっス!」
殺気を収め、拳銃から手を離す。
一応は戦闘態勢を解くが、狙いが読めず、最初よりも緊張が増す。
自分だけならばともかく、ミリカも守らなければならない。幼い頃は家に守られ、愛しい妹君を手に掛けてしまったあの日からは信仰機関の連中に守られてきた俺は、誰かを守るという重圧がここまで苦しいものだとは思いもしなかった。
「ただのお使いっスよ。真夜中に呼び出されて、問答無用でパシらされてるっス」
「それで、俺の首でもご所望されたのか?」
「うーん。何でそこまで警戒するっスか? オイラが兄貴を殺すなんてありえないっス」
「それがお前の仕事のうちだからだ」
「いやいや、オイラはただのパシりっスよ?」
「だったら、ここで一つの例え話をしよう」
間を空けて紅茶を一口。ポルタに目を遣るが、相変わらずの自然体。不審な点は見当たらない。
「例えば、異能者を表向きは敵視している組織があるとする。例えば、その組織が異能者と戦う中でその恐ろしさを実感したとする。例えば、だからと融和的に出る訳にも行かない組織が、秘密裏に異能者を抱え込もうと考えた。例えば、抱え込んだは良いが、裏切られたときにどうするかの対策を立てなければならない」
「話の流れは分かったっスけど、それがオイラにどう関係があるっスか?」
「それはここからだ。裏切り者は消すのが基本。だが、倒すのが難しいから抱え込んだものを消すのは至難の業だ。ならば、もう一度同じことをさせれば良い。聖都勤めで何らかの保険がある故に忠誠心確かな者に、各地を回っている連中が裏切ったときの始末もさせる。そうなれば、足の速い者が望ましく、異能者同士が正面から戦えば被害が小さくはならないだろうことから、奇襲・暗殺の類も使えるとなお良い」
「だったらオイラには関係ない話っス。オイラはただの非戦闘員っスからね」
『おい。『駆ける疾風』の銘には視力に関することは入っていないのだから、それを強化することはできないのだろう、クラリア?』
『そうね。銘は意思ある魔力にとっては、その存在を表すものだもの。『駆ける』『疾風』のどちらも機動系だから、視力までは弄れないわ。まあ、どこぞの哀れなポンコツみたいに、『蛇』なんてとぐろを巻くくらいしかできない銘が入ってるどうしようもないのも居るらしいけれど』
『クラリア! 我を愚弄するとは、万死に値する! 今日こそは己の罪深さを悔い改めさせてくれよう!』
聞きたいことは聞けたが、いつものじゃれ合いが始まってしまった。
どうせ念話に気付けるレベルの魔術師は教会の騒ぎでこんなところに居ないだろうと思いながらも見回していると、朝食を食べる手を緩めずに俺とポルタの頭上を交互に見るミリカ。そう言えば、この娘には聞こえているんだったか。
「まあ、という訳だ。視力に何の強化も無く月明かりくらいしかない夜道を馬車よりも速く走る男が、ただの非戦闘員などありえない」
「いや、それは自分の能力を生かそうと努力した――」
「それに、宿屋で襲撃を受けた朝、遊撃騎士クラスの人間にも気付かれずに居なくなったな。非戦闘員が身に付けるべき技能の域を超えているぞ?」
「平穏のために頑張ったっス。なまじ相手を傷つけると、向こうも簡単には引いてくれなくなるっスから」
「そういえば、お前は教会領の出身だったな。家族は元気か?」
「……兄貴、朝のカフェテリアでするには、話がきな臭すぎるっスよ」
ちょうどそこにやってきたモーニングセットのサラダをつつきながら、泰然と答えるポルタ。
「それと、十万歩くらい譲ってそんな仕事の人間が仮に居たとしたら、確かに今回は場合によっては働くことになっていたかもしれないっスね」
真剣な目。どうやら、これ以上この話には触れてはいけないらしい。
とりあえずの危険はなさそうだから置いておくとして、そうなると、次に湧いてくるのはどうしてここに現れたのかという疑問。
ポルタが俺が予想した通りの役目も負っていることは確かだろうが、確かに消すつもりならここで出てくる必要はない。降伏でも勧めるために戦闘に発展させにくい街中を選んだのかとも思ったが、そのような思惑も見えない。
「そんな目、弟分に向けて欲しくないっス。オイラはこれを届けにきただけっスよ」
そうしてテーブルの上に置かれるのは、何の変哲もない封筒一つ。
「大規模襲撃を受けて、今の枢機卿たちはこの街の情報に敏感っス。だから、あの遊撃騎士殿にまかせっきりにして定期報告を流し読みしていたくらいだったのが、今ではどんな些細な情報でも最優先で確認してるっス。そう、『ありとあらゆるところ』からの情報をっス」
伸ばそうとした手が固まる。
まさか、一連の戦いが中央には筒抜けだった?
いや、特に怪しい気配は感じなかった。ありえないはずだ。
……そう言えば、使える者の極めて少ない最上級の魔術陣の中には、手の平サイズの特殊な人形に刻み込んで偵察に用いるものがあったはずだ。
考えてみれば、聖都から少しばかり離れた位置に詳細不明な被験体を住まわせて、たった一人からの報告に頼り切るだろうか。情報源は、多ければ多いほど望ましいのが基本だ。例え関心が薄まろうと、そのルートまで潰すとは限らない。
「いやあ、ちょこっと仕事振りを覗かせてもらったら、兄貴の目がおいらたちの仕事的にダメな感じだったっスから、昨日聖都に帰った後で、何かやらかすんじゃないかとは報告してたんスよ。兄貴に忠告しようかとも思ったっスけど、まあ、頑固だから逆効果かと思って止めておいたっス。で、だったらかわいい部下のために念のため、と団長が一肌脱いだんス。結果的には確保してる異能者が増えて万々歳っスけどね」
俺が決断する前から、この弟分(自称)には俺の行動が読まれていた?
確かに相棒もそんな感じではあったし、傍から見ればそんなに分かりやすかったのか。
そして、ポルタのセリフの最後の部分に引っかかりを感じ、封筒を開けてみた。
「駅馬車のチケットと、仮身分証? 第十三騎士団所属従士……ミリカ=バルディエーリ?」
「聖騎士や、ユーベルリッテ限定の身分の遊撃騎士には見習い騎士っスけど、騎士のお供は従士っスから」
「そんな問題か!?」
「苗字のことなら、記録になかったからってボスが言ってたっス。身分証に名前だけとはいかないっスから」
「いやそれより、従士って……なんで俺が今まで一人でやってきたのか、知っているだろう?」
「ああ、味方ごと焼き尽くしかねないってアレっスよね? 大丈夫っス。兄貴はしばらく育休っスから」
「……育休?」
「育休。略さず言えば、育児休暇っス。まあ、見た目はともかく、そこなミリカの実年齢が十五歳なのを考えると、妥当な表現かどうかは分からないっスけど」
そうだな。十五歳と言えば、成人年齢……。
「……は?」
「その娘は、五年前に教会の一般向け魔力適性検査で保護されたんスよ。で、当然受けた年齢は、一般的なものと同じ十歳の誕生日」
「それから五年。今は十五歳、だと……」
「いやあ、だから、兄貴がその娘をペロペロしても、ピトピトしても、プルプルしても問題ないっス! やりたい放題っス!」
「少し黙れ、ド変態」
熱くなりすぎて恥ずかしいことを恥ずかしげもなく叫びだしたイケメンを黙らせ、当人を見る。
いつの間にか、どうせ相棒が玉砕したのだろう戦いも終結していて、朝食にだけ集中する女の子。見た目は十歳ほどで、幼女と形容するかは微妙な容姿。十五歳という、教会法上は成年と扱われる最低年齢にして、俺と二歳しか違わないことにただただ驚くばかりだ。
「団長も、『あの堅物の初めての我がままだ! 家族としては、何とかしてやらんとなぁ!』って張り切ってたっスよ。しかも、普段から仲の悪い枢機卿連中にも一泡吹かせられるって喜んでたっス」
ああ、そのステキな笑顔が目に浮かぶようだ。
「とは言っても、ウチでもその娘のことはあの大襲撃事件まで知らなかったっスから、十分な根回しなんてできなくて、枢機卿会議とユーベルリッテを同時に敵に回しかねなかったっスけどね。まあ、宥めて、脅して、懐柔して、と暗部としての本領を発揮してるっスから、決定的なことにはならないと思うっスけど」
どうやら、俺は聖都の連中を甘く見すぎていたらしい。
たった一晩で、仮とは言え団長が無理をしてまで自分の庇護下においたということは、それだけの利があり、それだけ急ぐ必要があったということ。さらって逃げるでは、根回しの時間すらも稼げないだろうとの判断。
そうでなければ、後ろ暗い世界だからこそ自分たちが生き残るために身内への情や義理を最大限に優先しても、得られるものと比べて組織が許容できる損失にならない範囲でしか動かない、お手本のような暗部の統括者である団長がこんなに危険な動きはしない。
結局、また信仰機関のみんなに救われてしまった。
団長だけではなく、後方勤務の連中も、大規模襲撃事件の騒動で消耗しきっていただろうに動いてくれたのだ。
俺はまだまだガキらしい。恩返しなんて、いつになったらできるのやら。
「すまなかった。それと、ありがとう」
「おいらが言うのも変かも知れないっスけど、気にしないで欲しいっス。寝不足で目が完全に据わっていた聖都勤めのみんなの総意として、これで兄貴が今までおいらたちのために気を使ってアレコレ我慢してきてくれた色々がチャラってことらしいっスから。おいらたちは形式上の味方をどこまで信じて良いかから考えないといけない組織っスから、身内同士はお互いの助け合いが特に重要っス。そういう訳なんで、これからもよろしくっスよ、兄貴」
「ああ、そうだな」と返した俺の言葉に二人で噴出し、いつのまにか重くなっていた空気が霧散した。
覚悟はしていた。でも、こうやって気兼ねなく言葉を交わせる存在を失わずに済んだことは、良かった。本当に良かった。
「ところで、このチケットは何だ? ブレステルハールと言えば、有名な観光地だ。休暇とやらよりも先に、新入りを聖都の信仰機関本部に一度は連れていくのが筋だろう?」
「美幼女な美少女と二人でバカンス。羨ましいっスね」
「真面目に答えろ」
「つまり、今は帰ってこられると困るんスよ。根回しとか、まだまだ色々と大変そうだったっス。それに、元からここの仕事の後は兄貴に休暇を与えるって話だったっスから、ついでに同行者と行き先を斡旋しただけっス。でも、この馬車を乗り過ごしたら追っ手に追いつかれる恐れが跳ね上がるっスから気を付けて欲しいっス。まあ、乗り過ごさなくても捕捉されるかもしれないっスから頑張って欲しいっス」
「ここまでお膳立てしてくれたんなら、そこも何とかしておいてくれ」
「おいらたちは、権力闘争がしたいだけで、戦争がしたい訳じゃないっスから。時間稼ぎだって、方法が限られるんっスよ」
真剣な顔でそんなことを言われては、何も言い返せなかった。
好き放題した下っ端に対するには、至れり尽くせり。不満を述べようものなら、次に本部に顔を出したときに、ステキな笑顔で団長が出迎えてくれるのだろう。
そう長い時間を一緒に過ごした訳ではない少女と親交を深めるにも良い機会だ。ありがたく貰っておこう。
「そして、兄貴はその娘をペロペロして、ピトピトして、プルプルするんスね! やりたい放題っスね!」
懐中時計を取り出して、城門の開門時間になっていることを確認する。
「ミリカ、準備は良いか?」
「……ん」
手を繋いだまま食後のホットミルクを飲み終えたミリカに確認を取り、荷物を背負う。
「って、兄貴、待って欲しいっス! オイラ、まだ半分も食べてないんスよ!」
「だったら、発言には気を付けるんだな」
「ペロペロでピトピトでプルプルな幼女趣味のけしからんド変態どもはどこだ!?」
「教会兵さんたち、こいつらです!」
今になって慌てて辺りを見回す、この騒動の元凶。
最初の、俺が敵意むき出しだったときから多少注意を引いていたと言うのに、このド変態が本性を表したところで完全に通報する空気になっていた。
「一人四百十メルエ、二人で締めて八百二十メルエ。払っておいてくれ。これで横領分はチャラだ」
「いやいや、それじゃあオイラが二十メルエ赤字っス! それにここの分もおごってくれるんじゃないんスか!? 弟分に払わせるとか、外道っス!」
「じゃあな、ポルタ。ド変態と間違えられて捕まると面倒だからな。――異能者と間違えられるよりも余程、な」
最後の言葉は声を潜めて言い残し、ミリカの手を握りなおしてさっさと駆け出す。
今は火事の影響でどこも忙しいだろうからあれこれ詳しく調べられはしないだろうが、捕まれば何が切っ掛けで異能者だとバレるか分かったものではない。その危険性が分かって慌てだしたポルタは、立ち上がる前に先頭を突き進んでいた教会兵に取り押さえられた。
あれは、治安部隊長じゃないか。つくづく縁があるらしい。隊長自ら見回りをしているところを見ると、人手不足はかなり深刻のようだ。
まあ、「兄貴~、助け合い~」とか言っている自業自得すぎて流石に助ける気も失せる後方要員なイケメンは、厄介ごとの臭いを感じて遊撃騎士殿の前から逃げおおせたように、今回もどうにかするだろう。治安部隊長も事情を全く知らない相手でもないし、大事にはなるまいさ。――多分。
思考をこちらの逃走経路に切り替える。
さっさと裏道に走りこんで、尊い犠牲を無駄にせずに追撃の魔の手からは逃れている。念のため、城門にまで手配が及ぶ前にさっさと出て行くべきだろう。
チケットにある馬車の出る隣街まではそう距離もないし、昼の出発には間に合うな、と考えていると、不意に念話が届く。
『おい、クラント』
『何だ? 見ての通り、今は忙しいんだが』
『お前、生まれ変わったら我に名前を付けると宣言しておったな。そろそろ履行してもらおうか?』
思い出そうとするまでもなく、確かに言ってしまっていた。
あのときは死ぬのだと思って乱心してしまっていた――などと言おうものなら、相棒の思う壺なのだろう。
どう答えるべきか考えていると、手を引っ張られた。
「……名前、ない?」
悲しげな雰囲気。
『ただのミリカ』だった頃の自分と重ねているのだろうか。客観的に見れば、相棒に悲劇的要素は皆無なのだが。
だが、一度死に、新たに守るべき存在もできた。区切りとしてはちょうど良いのかもしれない。
「……候補くらいは考えておく。当分は名無しだ」
相棒が笑い出し、ミリカも安心したような雰囲気。
遊ばれたようなやるせない気持ちを抱えながら、差し込む朝日の下で動き始めた街中を駆け抜けていった。
これで完結となります。
お付き合いいただきありがとうございました。




